エピローグ
エピローグ
翌朝、女神の朝は早い。今日は特に早い、まだ、日が昇る前である。
「うぅん……うう……今日は寝覚めがいまいち」
起き上がると、ボサボサになった夕焼け空の小麦畑色の髪を掻き。ううん、昨日お風呂入ってないから、なんか嫌だ。
「……と言うか、昨日何があったんだっけ?」
布団を引き剥がし、立ち上がると。私はいつもの夜着姿ではなく、下着姿だった。それも、かなり際どい、正直私の趣味ではない。
「うわ、これは……ちょっと」
ええと、昨日はいろいろあって、宴会して、そのままベッドに雪崩れ込むように倒れたんだっけ。問題は服をどこで脱いだということか、ということになりそうだけど……。
「あ、あった」
折りたたんでチェストの上においてある。……そうか、昨日はこのきわどい服で宴会してたんだっけ。……くそう、芸術神様には敵わない。
とりあえず、洗濯カゴに、下着と、そのドレスを放り込む。そのまま、いつもの服に着替え。ふと気がついたものがあって、“ソレ”を懐にしまい込む。
そして、汲み置きの水で洗顔して、ドレッサーの前で髪を梳かす。寝ぐせがちょっとひどいので、オイルは多めにした。
「さて……」
廊下に出ると、人の気配がない。いつもまぁ一人なのだけど、宿屋で、寝静まっている人達の気配すら、無いのだ。
「って、ああ! そうか!」
昨日の記憶が、ここに来て鮮明に思い出された。そりゃ、宿の中に人の気配もないわけだ、何しろ全員送りつけてしまったのだから。
「いくらなんでも乱暴すぎたかしら。でも、ファルにはちょっといい薬よね」
リックくんの心配はもうしていない。いくらなんでもあの数の暴力だ。負けて帰ろうはずはない。
一人廊下を渡って、カウンターに行くと。店の中はピッカピカに磨かれていた。
「うわ、今日はなんか気合入ってるわねぇ」
すると、夜通しお掃除していたのかフラフラのお手伝い妖精さんが現れた。カウンターの上で二人して、ぽてっと倒れこむ。
「……がんばって、おてつだいしたっ」
「ほうしゅうー、ようきゅうするですー、ごほうびー」
……はて、と私は一瞬首をかしげるが。
「ああ! お洋服の話! すっかり忘れてた! と言うか、あの買ってきた端布ってどこ行っちゃったんだっけ」
私の様子に、ピッケとポッケはゲンナリとした様子で。
「約束を反故にされたー」
「ストライキも辞さないです!」
「うわ、待って待って! 今日! 今日ちゃんと作るから気を確かに持って!」
二人にストライキなどされた日には、百葉亭壊滅の危機なのである。
ファルにこのあたりから攻められてたら、本気で危なかったなぁ、なんて思う。
二人はゲンナリしたまま、呟く。
「二着……」
「一人二着、四種類」
ぐ、これは、元気の無いふりをした、攻勢である。
しかし、先に協定を破ってしまったのは、やむを得ない事情があったとはいえ、私の方なのだ。ここはおとなしく、白旗を振るしかあるまい。
「分かりました。きちんと作るので、手抜きもしないので、必ず」
二人は、その様子にわーわーきゃっきゃしている、本当に現金なことだ。
「さてと、勇者さんが帰ってくる前に、一仕事終わらせちゃいますか」
私はキッチンに向かった。おお、素晴らしい。キッチンもピカピカである。
と言うか、他の神が使っていた形跡がある所を見ると、主にここが昨日の調理場だったのだろう。
さて、冷蔵庫の中身は……。
「うわ」
思わず、声に出すほど、ピッカピカなのである。中身は使い切っていて、何一つ無い。
昨日までは、一昨日使い切れなかった牛さんだとか、冷やしておいたほうが良い野菜だとかが、たくさん入っていたにもかかわらず、だ。
「なるほど、昨日の私、大盤振る舞いしちゃったか」
しかし、大型冷蔵庫がカラになるほどというのは、思い切った事をしたものだ。
「……待てよ、そうなると」
私は、バタバタと貯蔵庫の中身を見て……何もない、とっておきのワインも。出来の良いチーズも、全部だ。
そうなると、やらなければならないことがある。私は、カウンターに取り付くと、硬貨と帳簿とそろばんを取り出して、計算を始めた。
「使った分の材料と、送った分の信仰心と、手元に残した残金は……」
息を呑んで、そろばんを弾く。
「くあーっ、どう計算しても赤字だー! あれだけ大騒ぎしたっていうのにー!」
昨日どころか、今月分で計算しても、赤字である。
これは、取るところから慰謝料でも取らなければやってられない。
「まぁ、食材は後で『農園』を頼るとして……食材費がタダってのは、本当にありがたいわぁ」
くよくよしても仕方がない、とりあえず出来る事をするまでだ。と、店の入口に置いてある箒を取る。うん、前のものより、ずっとしっくり来る。
「ってか! 赤字の原因、これか!」
思い出した、昨日お祖母様に頼んで譲ってもらった、月光だけで育った七百年物の樫の木で作った箒である。
「ううむ、いつも使うもんだからと思って、気合を入れて良い物を買いすぎたか。お酒の勢いって怖すぎる。……しかし、これは」
しっくり。
「うん、これはお金をいっぱい出した価値が有る気がする……勇者さんにはちょっとだけの間、清貧な生活に耐えていただきましょう」
このフィット感には変えられない。ああ、うんやっぱりたまに高い買い物するって、いいなぁ。
とりあえず、箒の初仕事。と思って外の掃除をしようと思ったが、これはもう、なんて言うかうん。
「うわぁ……」
地獄絵図とはよく言ったものである。ここは天界だけど。夜明け前の大広場は、あっちこっちで人や天使や神が転がっていた。
「あっちこっちで討ち死にしてるわねぇ。酔いにケンカに電池切れ、と言ったところでしょうか」
遠くの方では、タフな神様が――まず間違いなく、そのうちの一神は酒神様である――宴会を続けていた。あれは、一週間は居座るな。
「とりあえず、店の前だけでも綺麗にしておきましょうかね」
神々や人々を箒で蹴散らしてると、私の足を掴むものがいた。
「うぃ、ウィートォ……」
よれよれになった豪奢なドレスに身を包んだ、ファルである。顔面蒼白で今にも死にそうな彼女は、まず、こう呟いた。
「……ごめん、水、吐く」
「水持ってくるから吐かないでっ!」
「んくんく、ぷはーっ。あー、死ぬかと思った。まだ頭がガンガンする」
コップを無視して、一緒に持ってきた水差しを奪い取って飲み干すと、開口一番彼女は言い放った。
「しかし、酒神様のお酒で二日酔いなんて、なんかやましい所がある証拠でしょ。徳が下がってるわよ、悔い改めなさい」
ファルは、あぐらをかきながら。――って―か、はしたないな――頭を抑え。
「黙ってて、二日酔いにはアンタの説教が、一番響くから」
そう、言い放った。私はその痛む頭をアイアンクローし。
「それが、恩人に対して、言うことか」
と力を込めていく。
「ギブギブ! アンタの馬鹿力で今頭を握られたら、トマトみたいに潰れちゃうわよ! 悪かった、私が悪かったから!」
はぁ、と、ため息をついて。手を放す。
「正直、私のフォローがなかったらあんた詰んでたでしょう? いくら私の店に損害を与えたって、調べりゃあんた後ろに手が回ってたわよ、今回」
悪魔との共謀、邪神の幇助による、世界破壊。これだけでももう真っ黒である。
「私も、さすがに馬鹿やったと思ってるわよ。それでも……アンタに借りなんて作りたくはないわ」
私は、首を振り、手を差し出しながら。
「貸したなんて、思ってないわよ」
と、差し出した手でお金のポーズを作って。
「おとなしく、現金で解決と行きましょう。和解金ということで」
彼女は渋々頷きながら。
「……で、いくらなのよ?」
私は懐からそろばんを取り出して、弾く。
「こんなもんでどう?」
それを見たファルは、目を丸くして。
「げっ! ゼニゲバの神様かアンタはっ!」
言いながらそろばんを奪い取って、弾き直す。
「こんなんでどうよ」
ふむそれはそれは、舐められたもので。ではちょっと切り札を使わせてもらいましょうか。私は右手をポケットに突っ込んで。
「それじゃ、昨日斬られた箒代にもならないわよ……所でこれなんだけど、昨日広場に落ちてたのよ」
「……っ!?」
それを見た途端、顔面蒼白になる彼女。なるほど、昨日探していたものは、これか。
「私の一撃で胸甲が『へこんだ』ことで違和感があったんだけどね。サラのショートアッパーで飛び出してきたのよ、これが。で、私が拾っておいたってわけ」
私が、ニヤリと笑うと。彼女は震えながら。
「いくら欲しいのよ」
「私もゼニゲバの神様じゃないし、落とし物は返すわよ。でもまさか、あんたが『盛ってた』とはねぇ。そのボリュームで盛ってたってことは、板……」
すべてを聞くこともなく、彼女は、私の手からそれ――もう言うべくもないが、胸パッドである――をもぎ取ると懐から小切手を取り出し、数字を書く。おわう、ブルジョワなもの使っているなぁ。
「これで良いわよね、何が平和の神よ」
私は、小切手に書かれた数字を確認し、満足気に頷くと。
「なぁに、私は友達よぉ。しかし、胸元に飾りがやたら多いと思ったけど、あんたも芸術神様に弱み握られてる口ね、不憫に思うわ」
あの神、女性のスリーサイズは完璧に見ぬくからなぁ。受け取った小切手は大事に懐にしまう。これで、帰ってきた勇者さんたちにお酒も振る舞えるというものだ。
「ほんと、不覚だわ。ちくしょう」
私は、彼女の肩をまぁまぁと宥めるように叩き。
「さて、あんたこれからどうするの? 元々勇者派遣業なんて、嫌がらせで始めたんでしょう?」
それに対しては、彼女は不敵に笑って。
「勿論、続けるわよ。アンタより向いてるのは今回のことで分かったし。さっき取られた分くらいは、返してもらわないといけないし」
彼女は、いけしゃあしゃあと、言い放つ。
「やってなさいな。私は、私で分かったこともあるし」
なんだかんだで、こいつも悪くはあるが、同期で、友人でもあるのだ。
それを噛み締めながら、掃き掃除を再開する。
「わぷっ! こっちにホコリ飛ばさないでよ!」
そりゃ追い散らしたいもの、用が済んだら。そうこうしていると、朝日が上り始める。どうやらお祖父様は、今日は遅い起床のようだ。
それと一緒に、帰ってくる金色の鎧を着た少年が一人。そして、後ろには、たくさんの勇者さんが。
「おかえりなさい!」
私は、満面の笑みで迎え入れた。
ざわざわざわ。
いろんな人の声が響く中、私は忙しく料理を作る。
「お手伝い妖精さんっよろしくっ!」
リーン! リーン! と伝話が鳴る。
「はい、青の四千三百五十三番世界ですね! 畏まりました!」
私は、伝話を下ろし、勇者さんに声をかける。また魔王退治だ、因みにこの間の破壊神は、百人でフルボッコにして倒したら、ヴァマーズへ逃げ帰ったらしい。今度私の手でフルボッコにしよう。
「すいません! ちょっと出てもらっていいですか! また魔王退治みたいです」
勇者さんは、それを受けて、元気に店を出る。それを、私は精一杯の笑顔で送り出す。
ドアベルの音が響く。お客さんのようだ。
私は笑顔を浮かべ、そのお客様を迎え入れた。
世界神様の依頼人だろうか。
それとも、食事に来たお客様だろうか。
もしかしたら、勇者志望の若者かもしれない。
そのお客様に、私は、いつもの声をかける。
「百葉亭へようこそ!」
―終わり―