第五十九話 歴史は大根と共に
それは、あっという間の出来事だった。
短刀が肉塊に突き刺さった。
それを認識するとほぼ同時に、短刀が光り輝いた。
その光は短刀から肉塊へと広がり、あっという間に包み込む。
光が収まった時、香奈の前には懐かしい咲の姿があった。
そう――香奈が知っている、肉塊へと姿を変える前の咲が玲珠の腕に抱かれていた。
「これ、は」
「ふふ、成功成功」
カジュと呼ばれた少女がニコニコと短刀を片手に笑っている。
と、短刀の刀身に亀裂が走った。
「へ?」
香奈がそれを指摘する間もなく亀裂は刀身の全体へと走り、次の瞬間それは音を立てて壊れていった。
刀身だけでなく、柄も、全て。
粉々になった短刀はカジュの手からこぼれ落ちていく。
けれど、それが床に積もることはなかった。
全てが霧のように霧散していく。
「あ~、壊れちゃったか。でも、咲を助けられたから万事オーケーだね」
「お、王妃様! それは、蒼麗様から下賜されたものでは」
「うん、試供品って事で一本貰ってきたやつ」
「試供品って――」
絶句する玲珠にカジュはカラカラと笑った。
「試供品は試供品だよ。ってか、まだ今の蒼麗ちゃんだと完璧なのは作れないからね。でも、それでも呪いを打ち砕く力ぐらいはあったって事だよ」
良かった良かったと笑うカジュに、玲珠は何かを言いたそうに口をぱくぱくとさせ、遂にはガクリと項垂れた。
だが――。
「ありがとう、香奈。あなたが咲の意識が目覚めている事を教えてくれたから、失敗確率が99.9パーセントから99.8パーセントに下がったよ」
「ほぼ十割失敗じゃないですかそれっ!」
目をむく玲珠がカジュに縋り付く。
が、端から見れば麗しい妖艶な美女が平々凡々な少女に縋り付いているようで――凄まじい違和感を感じる。
というか、自分と柚緋がドツキあっているのもこんな感じに見えるのだろうか――いや、見えているだろう、絶対。
香奈はしばしカジュと玲珠のやりとりを見学した。
「ってか、そんな危険な賭をしてたんですか?! 夫の俺に一言もなくっ?!」
「説明している時間なかったからね。ほら、咲、あの時点で九割九分九厘彼岸に足突っ込んでたし」
「それは分かってましたけどっ」
「しかも、半覚醒状態の『香奈』ちゃんまで来たらもう完璧にトドメさされるから私も慌ててたんだよね、うん」
「で、ですが、それでもせめて一言」
玲珠の言う事も最もだろう。
夫の知らぬ所で、より死に近い命をかけた賭が行われていたなんて普通なら卒倒ものである。
「でも、成功したよ。ほら、女は度胸! 男も度胸! 男の娘も度胸!!」
「いや、なんで三つ目に男の娘が来るんですか」
「え? だってこの世の性別は『女』と『男』と『男の娘』じゃん」
え?いつの間にか男の娘が立派な第三の性別に確定?
しかも、俺は既にその範疇か?
「玲珠さんが、オトコノコ」
「ち、ちがっ! 香奈、違う、俺は男だっ」
「男娘」
「妙な省略するなあぁぁぁっ!」
おぞましい過去を芋づる式に掘り出されそうになり、玲珠は絶叫した。
というか、これはやばい、激やばい。
『大丈夫だよ、玲珠。咲に鞭の使い方を学んで貰えばいいじゃない、明燐さんの所に弟子入りしてもらって』
と、笑顔で悪魔な発言をした清奈になんか似てきてる!
あの時、「が、がんばりますっ!」と応えた咲に玲珠は泣きながら全力でしがみついたのは今では良い思い出――とさせてくれっ!
「香奈、いいか? 俺は男だ。そう、男なんだ。男、女とは対になる性別の男、男は胸も出てなければ子も産めない! そう、俺は男、男だ、うん、男、男だ! むしろ漢と呼んでくれっ! いや、呼んでクダサイっ」
「乙女?」
「違うっ」
あまりにも男男言われていたからだろうか?
香奈の中で誤変換が起きた。
「いや、男でも乙女でも男の娘でもいいですから」
「よくないだろっ! 性別を越える問題だろっ!」
「つまり、玲珠さんの性別は男を越えて乙女、あ、女になったって事か」
「ちょっ! 一番最悪な選択肢をさらりと選ぶなあぁぁぁっ」
男の娘は腐っても男。
けれど、それを通り越して女と言い切られた玲珠は香奈の両肩を掴んだ。
「香奈、お前は俺をどう見てるんだっ」
「そのまま見てます」
「香奈ちゃん、オトコガリの男って覚えればいいんだよ。ほら、オトコガリで狩られるのは男の娘って明燐教えてくれたもんっ」
「果竪様あぁぁぁぁあっ!」
いつもなら慰めてくれる妻は現在呪いから解放されたばかりで失神中。
孤立無援の玲珠に出来る事は泣く事だけだった。
「なんか玲珠さん泣いてます」
「大丈夫だよ。いつも明燐にナカされてるし」
いつも泣かされているのか。
そして、そのどこが大丈夫なのか分からない。
「でも、とにかく、カジュさんのした事って危なかったって事ですよね?」
「うん、かなり危険な事は変わりなかったね」
「それって、まずいんじゃ」
「でも、誰かで実験するなんて事は出来ないから」
その時、玲珠はボソリと言った。
「大根ですれば良かったのに」
瞬間、固まる空気に敷地内に居た全ての悪しき者達が身の危険を感じた。
「玲珠」
「……」
果竪に名を呼ばれた玲珠もまた冷や汗をだらだらと流していた。
が――。
「おかしな玲珠。私の愛する白く艶めかしい魅惑の大根で試したところで無意味だって分かってるじゃない」
「いや、無意味って」
『終わり』は原初神の能力。
全てを終わらせる力であり、そこに例外は――。
「私の愛する大根の栄華と繁栄は不滅よ」
ビシィと言い切った果竪に玲珠はドンびいた。
かなり長い付き合いで、果竪の大根愛を知ってはいても、やはり玲珠にはそれを受け流す事は難しかった。
きっと上司とかなら笑顔で受け流せるというのに。
それか、明燐なら打ち返すだろう。
「分かる? 玲珠。大根には終わりがないの」
「いえ、始まりがあるなら終わりも裏表でくっついてくるかと」
「何を言うの! 大根がこの世に産まれて幾千年! 大根が無くなる時はこの世界が終わる時よ!」
え?そこまで言っちゃう?!
「そう、この世の歴史は大根と共に流れてきたの。文明の発展は大根と共に! 大根のある所に文明が出来る!」
「いや、最初の文明って河の近くで」
「大根のある場所に河は出来るものよ! むしろ河が移動すべきよっ」
ゴリ押し的な地形の勝手な変動キタあぁぁぁあっ!
もはや果竪の頭の中には大根しかない。
むしろ、大根から始まり大根に終わ――いや、終わらないって言ってたな。
「というか、河自体必要ないわっ」
「王妃様?!」
「だって、大根自体が殆ど水分で出来てるもの! 水分摂取も大根でするべきよっ」
きっと果竪が政権を握ったら、水道を廃止して大根の配給制度が始まるかもしれない。
「大根で水分摂取」
それまで黙っていた香奈がポツリと呟いた。
「でも、大根苦手な子も居たっけ、クラスに」
その場合はどうするのか?
その疑問は即座に解決された。
「苦手な場合は無理して大根で水分補給しなくていいよ~。好き嫌いとかあるしね~」
「え? そういう所は配慮するんですか?」
「当たり前じゃない玲珠。私がしたいのは大根のすばらしさを世界に広める事であって、強制的かつ強引に押し付ける事じゃないわ。それに、世の中には色々な考えの人達が居るんだから、苦手な人が居ても仕方ないよ」
と、笑顔で言った果竪だが。
「まあ、それでも世界の九割に私は大根フィーバーを起こせると確信してるわっ!」
なんだその根拠のない自信は。
そして九割もいるのか大根好き。
せいぜい五割で留めておけ。
「実はすでに人間界への大根大フィーバーを起こす壮大な大根プロジェクトを進めているの。五割方は占拠――広めたわ」
「今占拠って言いましたよね?! 言いましたよね王妃様?!」
「あ、香奈ちゃん。布団二枚。玲珠が疲れてきたみたいだから寝せてあげて」
「ちょっ! 俺が寝ている間に大根で人間界を乗っ取る気でしょうっ!」
「違うわ玲珠! 人間と大根の友愛と平和の礎を作るだけだよ」
その時、香奈は確信した。
「分かりました。カジュさんって大根と人間の絆を作る愛の伝道師さんなんですねっ! あ、玲珠さんが倒れた」
プシュウウウウと何かがオーバーヒートした様子の玲珠が咲と共に倒れている。
それもその筈。
『ああ、果竪って大根と人間双方の融和を図る愛の伝道師なんだ』
と、娘が過去に母――清奈が吐いた台詞と同じ台詞をのたまってくれたからである。