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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第五十五話 穢呪

「香奈様?!」


 走る。


「誰か香奈様をっ」


 人混みをかき分けて。


「こちらに来てはなりませんっ」


 伸ばされた手を振り払い、香奈は襖を開け放った。


「――――っ」


 飲み込んだ、悲鳴。

 極限まで開かれた瞳に映る、それ。


 なにこれ。

 なにこれ。

 なにこれ。


 そこに居たのは――。


 バンッと凄まじい勢いで襖が閉められる。

 後ろから勢いよく引っ張られ、ボスンと何かぶつかった。

 ふわりと甘い香りが香る。


「柚緋」


 香奈は、自分を後ろから抱き締めている従兄弟に聞いた。


「あれは、何?」


 あれは、なんだ?


 決して美女とは言えないけれど、それでも優しい笑顔の似合う人だった。

 白い手が、あの悪夢の中で香奈を抱き締めてくれた。

 『アレ』から、香奈を守ってくれた。


 その手が、無い。

 足も、ない。

 顔も、ない。


「あの、赤い固まりは、なに?」


 芋虫のようになったそれ。


 あれは、本当に、あの咲か?


 大きな大きな赤黒い芋虫。

 何もかもがぶよぶよで、おかしなほどに膨らんでいる。

 あれは手?あれは足?

 ぶよぶよの固まりにちょこんと出た手と足のようなもの。

 ぶよぶよの固まりにひっかかった白い布は、寝間着?


 髪はあった。

 でも、顔が――。


「あれ、は」

「香奈、落ち着け」


 柚緋が何かを言っている。

 けれど、香奈の耳には届かない。


 あれは、何?

 あれは何?

 あれは何?


 あれは、あれは、あれは、あれは、あれは――っ!!


「香奈っ!」


 柚緋の腕の中で香奈の意識が失われていく。

 同時に華奢な体が重みを増し、柚緋の腕にのし掛かった。

 しかし見た目とは裏腹に鍛えている柚緋は、香奈を落とす事なく抱き上げる。


「柚緋」

「おばあさま」

「香奈を、こちらへ」


 だが、柚緋は動けなかった。

 ちらりと襖へと視線を向ける。

 柚緋も見てしまった。


 あれは、あれは――。


 さっき見た時とあまりにも違いすぎるその姿は――。


「おばあさま、もしあのまま行けば――」


 自分達こそが咲を、狩――。


「柚緋」

「っ!」


 祖母の強い眼差しに柚緋が息をのむ。

 その有無を言わせない視線に、柚緋は香奈を連れて歩き出した。

 幾度も、襖へと視線を向けながら。




 ゴポンと音が聞こえる――。


 襖が静かに開き、そっと閉まった。


「玲珠」

「……清奈、か」


 赤い固まりに覆い被さるように項垂れていた玲珠が顔を上げた。

 哀絶、恐怖、悔恨、絶望――。

 幾重にも混じり合った表情に、清奈はそっと顔を伏せる。

 一体どれほど絶望すればこんな顔が出来るのだろう。

 今にも泣きそうな玲珠は壮絶なまでに美しく、今にも消え入りそうな『華』。


 けれど清奈は知っている。

 どれだけ見た目は『女』でも、彼が不屈の精神を持つ『男』だという事を。

 そんな玲珠をここまで打ちのめす、光景。


 清奈はその赤黒い固まりを見た。


 先程娘の香奈が見た、それ。


 トクン、トクンと鼓動の音が聞こえる――。


 それは、間違いなく生きている。

 ゴヒュウゴヒュウという凄まじい音は呼吸している証。


 もはや人の形を成していないが――


 それは確かに『咲』だった。


「咲を、殺しに来たのか?」


 力なく笑った玲珠に清奈はゆっくりと近づき――


 長い髪を掴んで後ろに引っ張った事で反り返った腹部に一撃を食らわした。


「ぐふっ」

「何寝言抜かしてるんだバカっ」


 昔の、友人としての口調で玲珠へと吐き捨てた。


「この私が、咲を殺しに来る筈が無いじゃ無い」


 激しく咳き込む玲珠への視線はどこまでも冷たい。


「だが……」


 玲珠の言いたい事は分かっていた。

 だから、清奈はそれを制するように先に口を開く。


「確かに咲の今の状態はかなりやばいわ――というか、今の咲は『呪い』そのものであり、このままでは咲は『穢呪』として周囲に『呪いと瘴気』をまき散らす存在となるわ」


 『穢呪』――それは、『呪われた者』の行き着く最後の段階。『呪い』によって自身が『呪いと瘴気』をまき散らす存在となったもの。

 ここまで来れば、もはや意識も何も無く、ただ『周囲に呪いをまき散らすだけの存在』となる。


 咲もその段階に入っていた。

 そして、『穢呪』になった者はただ本能的に移動するのだ。

 多くに『呪いと瘴気』をまき散らす為に。

 それを、神有家の能力者達が造り出す結界と、玲珠が押しとどめていた。


 何度も動こうとした。

 歩くために足が生えるのを押しとどめ、体全体で動こうとするのを押さえつけた。


 その度に悲鳴を上げる、赤黒い固まり。

 もはやそこに咲の意識はない。


「咲は、もう」

「バカ! 玲珠が諦めてどうるするのよっ」


 清奈は玲珠の胸倉を掴んだ。


「あんたは、神でしょうがっ」

「神だって出来る事と出来ない事があるんだっ!」


 玲珠の叫びに清奈は唇を噛んだ。

 『穢呪』になるのは何も人間だけではない。

 種族問わず、時には神すらも『穢呪』となる。

 そして『穢呪』となった存在が助かった例は一つもない。

 死ぬか、良くて発狂か。


 異形の姿から戻っても、心は完全に狂ったまま。


 誰かが言っていた。


 『穢呪になるぐらいなら死んだ方がマシだ』


 そう、マシだ。

 いや、もはや『穢呪』になるという事は死んだも同然。

 だから『穢呪』になる前に『呪い』を解くために奔走する。


 だが、同時に『穢呪』になるにはある程度の時間がかかるものだった。

 呪いの強さや種類によって様々だが、一日も経たずに、しかもこれほどの結界を押し退けて『穢呪』に変化する例は聞いた事がない。

 しかも、咲は『神の花嫁』であり、人間とは呪いに対する耐性も桁違いに違う。


 にも関わらず、咲は『穢呪』へと変わってしまった。


 『穢呪』。

 そこまで変化してしまった相手に残された道は、死か発狂か。

 けれど本人は自分の意思で死ぬ事は出来ない。

 ただ体と魂を蝕む『呪い』のままに『呪いと瘴気』をまき散らす。


 だから、『穢呪』が現れれば、例外なく狩らなければならない。


 もちろん、名高い能力者一族である神有家は特に――。


「私は諦めない」

「清奈……」

「当たり前じゃない! 咲は私の友人で、しかも娘を守ってくれた大切な恩人でもあるの。死なせてたまるものですか。ううん、もう、誰も『呪い』でなんて死なせない」


 清奈は遠い過去を思い出し、拳を握る。


「玲珠、あんただってそうでしょう」

「……」

「あんたは前に言ったわよね? 自分が妻を殺したって。美琳を、咲の前世にあたる神をこの手で殺してしまったって。それを悔いて、悔やんで、死ぬほど苦しんで」

「清奈……」

「しっかりしなさいっ! もう一度失う気?! そしてまたグジグジ悩むの?!」


 清奈の手が、玲珠の胸倉を掴む。

 そんな彼女に玲珠は笑った。


「お前は本当に男らしいな」

「あんた達元寵姫組がナヨナヨとしているんだから、このぐらいで丁度良いのよ」

「……元寵姫組……」

「あんたと柳。あと、悧按と秀静と来雅と」


 それらは全て、清奈の前に降りてきた元寵姫組の者達。


「ナヨナヨ……」


 タダでさえ女顔で、見た目完全美女で色気も全部が女と言われているのに、そこにナヨナヨが加わればもはや救いようがないのではないか?


 しかし、清奈は違った。


「何? 玲珠、ナヨナヨって言われた事気にしてるの? 大丈夫よ。どんだけ見た目が女でも、男気があって行動が男らしければカバーは可能よっ」

「そうかっ」


 絶望の中に一筋の光明が差し込む――。


「つまり、形から入ればいいんだな。身につける物とかも男物に変えて」

「玲珠……あなた、今現在男物じゃない服を着てるの?」

「いや、褌とか」


 祖国の某女王様から普段着もTバック――と悪魔な発言と共に強制的に履かされている下着など脱ぎ捨て、今日から褌を履こう!!


 そうすれば――。


「ああ、褌って男のTバックのあれか」


 ドォンと神有家の敷地に巨大な揺れが走った。


「清奈! 玲珠に何かあったのか?! 結界が崩れかけたぞっ」

「いや、私は何もしてないわよっ」


 嘘だ!!


 異形と化した咲に覆い被さりながらTバックと呟き続ける玲珠の姿に、連理は即座に悟った。


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