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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第五十三話 呪い


 ――これは、一体っ?!


 ――早く、早く治療の間へっ!


 ――まずいっ! このままじゃ間に合わないぞっ!


 ――誰か咲様をっ! 




「香奈」


 柚緋が香奈を呼ぶ。

 夕日の紅に染まる縁側で体育座りをする従姉妹は、ぴくりとも動かない。

 膝に埋めた顔。

 彼女が泣いているのかすら分からない。

 けれど、たぶん泣いているのだろう。

 声を上げず、涙すら流さず。

 肩を振るわせる事なく、まるで石像のように動かない。


 それでも、泣いて居る――。


 柚緋はすっと顔を上げた。

 広い広い神有家本邸。

 中庭を挟んだ向こう側の建物の奥に、咲は居る。

 その容体は、いまだ油断出来ないままで。


 先程報告に来た癒やし手と呼ばれる術者の一人の話では、今夜が山だという。


 傷も酷いが、傷の種類がまずかった。

 あの傷は特殊な方法で付けられたもの。

 それも、切りつけたと同時に傷口に穢れを流し込んだものだった。

 しかもその穢れはもはや『呪い』と同じ。


 それも、力のない人間であれば即死級のそれは、咲が『神の花嫁』だからこそ耐えられたものだった。

 玲珠と出会った頃のただの人間の咲であれば、切りつけられた瞬間に冥府へと渡っていた事だろう。


 不幸中の幸い。

 それほどに壮絶な呪い。

 けれど、咲にとって死ななかった事が良かったと言えないのもまた事実だった。

 強すぎる呪いは神有家の高位能力者でも解けず、呪いが与える苦痛に苦しんで居た。


 そしてそれは、あっという間に咲を衰弱させた。

 今は、神有家の能力者達が作り上げた結界によって命を保っている状態だ。

 もちろん、すぐに神々の世界に向かうという事も考えられたが、衰弱しきった今の咲では移動時の負担に耐えられずに命を落とすだろう。


 それが分かっていたから、夫の玲珠もそれを選ばなかった。

 たとえ、その身を壮絶なる憤怒の炎で焦がそうとも――。


 愛する妻の無残な状態に、玲珠は何も言わなかった。

 ただ無言で、妻の傍に居た。

 そうして、今も流れゆく妻の命をつなぎ止めるべく、自らの生命力を妻へと分け与えている。

 けれど、呪いの進行は予想以上に早く、このままでは神有家の能力者達でも抑えきれなくなる。

 一番の解決方法は、呪った相手に呪いを解いて貰う事だが、それはまず無理だろう。

 まず居場所が分からないし、分かったとしても素直に解くような相手ではないだろう。

 とすれば、残された方法は呪った相手を殺すことだ。


 だが、これほどの呪いを放った相手の力は尋常ではない。

 神有家の能力者でも下手すれば返り討ちに遭う。

 では神である玲珠ならばどうかと言うと、何の制約もない状態であれば可能だが、今の状態では無理だ。

 神々の世界から他の世界に渡る際、神々はその力の大部分を封印する。

 そうして力を封印した神の能力は、人間の高位能力者かそれを越えるぐらいの力しか出せない。

 もちろん、命の危機が迫った時には特別として力の解放が許可されるが、やはり周囲に被害を及ぼさない処置が必要とされている。

 それに、今の玲珠を咲から引き離す方が危険だろう。

 導火線のない核爆弾。

 下手に触れれば一気に爆発する。

 そうなった時、この場で止められる相手は居ない。

 香奈の父親の顔が浮かぶが、すぐに柚緋は首を横に振る。


 出来るかもしれない。

 しかしその余波として、この街一帯が焦土と化すだろう。

 それに、玲珠を咲から引き離せば一気に衰弱が進む。

 玲珠が流し込む力と神有家の能力者達が造り出す結界。

 この二つの均衡によって命を留めている咲にとって、どちらかでも失われればその命は潰える。


 それを玲珠は知っている。

 だから、動けない。

 本当はいますぐ相手をぶち殺したくとも、玲珠は妻の傍に居ることを望む。


「……連理さんも今は動けないしな」


 呪いは咲だけに留まらなかった。

 咲を中心として呪いは拡散を始め、結界が完成する前に散らばってしまった。

 それでも、神有家の敷地内に留まった事は不幸中の幸いだが、逆に言えば呪いが消えなければ神有家の敷地の外に誰一人として出られなかった。


 とはいえ、拡散した呪いの方は、時間をかければ神有家の高位能力者でもどうにか出来たが、殆どの能力者達は咲の命を留め結界に人手をとられており、呪いの除去は連理一人に任された。


 いつもならぶつくさ文句を言う連理も、今回ばかりは何も言わなかった。

 言える筈が無い。

 娘を守ろうとし、身代わりとして呪いを受けた咲。

 本来であれば呪いを受けていたのは香奈だった。


 それだけではない。

 柚緋は香奈の頬を見る。

 切り裂かれた頬は今は手当をされて白いガーゼが当てられている。

 そこを切り裂かれた時、同じく呪われた香奈から、その呪いを自分の身に移し替えた咲。


 そう――今、香奈が無事なのは咲のおかげ。


 そして香奈は、それを無意識に理解していた。

 自分のせいで、咲は酷い目にあっている。


 元々危険ではあった。

 それは柚緋達も十分に理解していた。

 けれど、相手は狡猾であり、まさか柚緋達の張った結界網をくぐり抜けるとは思わなかった。

 向こうの方が一枚上手だった事実に柚緋は心の中で舌打ちした。

 けれど、今となっては後の祭りである。


「香奈」


 香奈は動かない。

 それだけではない。

 向こうで何を見たのかも言わない。

 咲の事だけが原因ではないだろう。

 向こうで、あっちで、何か見たのだ。

 香奈が予想しえなかった何かを。


 香奈達を襲った相手だけでなく、今回の犯人となる相手の、何かを。

 こうなってしまった、相手の、過去を。


「咲さんの事が大切なら、話せ」


 何があったのかを。

 それが、咲を助ける事にも繋がる。

 香奈達を襲った相手は、今回の『夢見』をよく思わない相手である事は間違いない。

 となれば、今回の件に関わる何者かという事だ。

 それも、人ではない、何か。


 昔、魂回収者だった『死神』の一神を屠った相手。

 今回の犯人を利用した相手。


「香奈」

「……」


 香奈は何も言わない。

 全てを拒絶する。


 まあ、当たり前だろう。

 自分を守ってくれた相手が、目を覚ませば血まみれになっているのだから。

 そしてたぶん、咲が背中を切り裂かれた時も香奈は見ている。


 柚緋は小さく溜め息をつくと、そっと香奈へと手を伸ばす。

 

「いい加減、起きろ」


 それでも反応を示さない香奈の肩を掴むと、ぐいっと腕を掴んで自分の方に引き寄せる。

 そしてそのまま、片手で抱き寄せた柚緋は反対の手で香奈の頭を掴み――。


「どうしても起きないなら、何をされても文句は言わないな?」


 端から見れば百合。

 絶世の麗しい清楚可憐な美少女(男)と、かろうじて女の子に見える正真正銘の少女(女)。


 柚緋がニヤリと口の端を引き上げ、その唇を――。


 …………………。


「そんなに嫌か? お前」


 殴られた事は数知れず。

 けれど、泣きじゃくられるのは滅多に無い。

 柚緋はなにげに、いや、結構本気でショックを受けた。


「お、女の子にキスされたなんて知れたらお嫁に行けない」


 のもつかの間で、「こいつ本気で犯る!」と決意を新たにしたのは言うまでも無い。

 けれど、そんな決意を実行する事は流石の柚緋も出来なかった。


 最初に気づいたのは柚緋。

 近づいてきた複数の気配と足音に顔を上げる。


「まさか――」


 ほどなく柚緋と香奈の前に現れた相手が優しげに微笑む。


 後ろに多くの美しい女性達を従え、優雅に歩み寄ってくる。

 年老いたものの、所作の全てが気品に富んでいた。

 どこまでも平凡すぎる容姿。

 身に纏う衣装もそれほど高価なものではない。

 それでも、目を離せないほどに美しいと柚緋に思わせる――老婦人。


「少しは元気が出てきたかしら? 香奈」


 それは、神有家当主夫人――柚緋と香奈の祖母である歌子だった。

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