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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第五十一話 末路

注意)残酷な描写と人が死ぬ描写が出てきます。

  嫌な方は、この回は飛ばしてください。また読まれた後での文句は受付けませんのでご了承くださいませ。

 いつの間にか星が隠れていた。

 灰色の雲が夜空を覆い、今にも雨が落ちてきそうだった。

 けれど、響子はそれを知らない。

 なぜなら、響子は一度も空を見上げなかったから。


「はぁはぁっ」


 交通量の多い道からいつの間にか逸れていた。

 道行く人に聞きながら女性を追い始めて十分が経った頃には、響子は次第に人気の無い道を進むようになっていた。


 遠くからカンカンと踏切の音が聞こえる。

 その音の方向を見れば、ぼんやりと淡い外灯の光に照らされ、ぽっかりと口を開けたトンネルの姿がみえた。


 ああ、こんな所にトンネルがあったのか。

 普段は通らない道。

 普段はまず近づかない、道。


 けれど、その道の先に響子は見つけた。


「あ、あの――」


 あの、女性。

 この手帳の持ち主。


 けれど女性は響子の呼びかけに気づかない。

 トンネル上の線路を駆け抜ける列車の音が邪魔をしていた。


 とにかく、追いかけてこの手帳を返さなければ。

 きっととても困るだろう。


 ガタン、ガタン、ガタンーー


 列車の音が遠のいていく。

 それに伴い、かき消されていた周囲の音が戻ってくる。


 女性がトンネルの中に姿を消す。


「待ってーー」


 響子の叫びが、新たなる音によってかき消された。


 土手を滑り降りる音。

 黒い何かがトンネル前に降り立つ。

 響子の視界を駆け抜け、そしてぽっかりと空いた口の中に消えていく。


 思わず足を止めた響子の耳に、それは届く。


 ーーァっ!


 絶叫。

 女性の悲鳴。

 助けを求める哀願。


 狂ったような男の笑い声が聞こえてきた。


 「あーー」


 固まる足。

 動かない体。

 ひきつる喉。


 助けを呼ばなければという思いとは裏腹に、体が動かない。


 恐怖。

 恐怖。

 恐怖。


 これは現実なのだろうか?


 けれど、今も耳に届く悲鳴はこれがまぎれもない現実だと思い知らせる。

 哀願する声と男の笑いが更に音を増す。


 到底助けを呼んでいる時間などない。

 戻ってきた時にはあの女性は確実に殺されている。


 今。

 今。

 今ーー。


 助けに行かなければ、女性は殺される。

 けれど、足が動かない。

 当然だ。

 下手すればこちらが殺される。


 その時ーー。


「いやあぁぁぁぁぁ! 誰かあぁぁぁぁぁぁっ」


 響子の足が動いた。

 凍り付いていた体に勢いよく血が流れていく。


 風を切るように駆け出し、トンネルへと飛び込んでいく。

 暗い中でも、響子は分かった。


 狂ったような男の笑い声。

 泣き叫ぶ女性の元へと駆けつけると、男の背後から鞄で殴りつけた。


 蛙がつぶれたような声と共に男がドサリと倒れる。


「早く、走ってっ」


 響子が泣き叫ぶ女性の腕をつかむが、その手がぬりるとした液体で滑る。

 それが血だと分かったのは、鼻をつく生臭い匂いでだ。

 声が震える。

 血の匂いに、これが夢でもなんでもないのだと思い知らされる。

 

 また、痛みと恐怖に支配された女性は完全に腰が抜けているのか、響子がどれだけ引っ張ろうと立ち上がることができなかった。

 突然降りかかった恐怖に完全にパニックになっている。


 そうしているうちに、男が奇声をあげながら近づいてきた。


「殺す、殺す、ゴロスゥゥゥウっ」


 すくみ上る恐怖に響子が女性の手を放しかけた。

 このまま逃げ出したい。

 このまま女性を置いて逃げれば自分は助かる。


 けれど、女性の口が小さくつぶやいた言葉に響子はその手を強く握りしめた。


 --助けて


 恐ろしい目にあった女性。

 このまま響子が見捨てて逃げれば今度こそ女性は殺されるだろう。

 

 その時、響子は気づいた。

 響子が掴んでいた手とは反対の手がしっかりと腹部にあてられている事を。

そちらの手は、響子が掴んでいる手とは比べ物にならないほど傷ついている。


 --この子だけは助けて


 先ほどよりも大きくなった女性の嘆願の声に、響子は気づいた。


 女性は自分の命を助けてと言ったのではない。

 お腹の子供を守ろうとしたのだ。

 その証拠に、手は傷だらけだった。

 

 そして決して差し出そうとしない方の手は、今もお腹をしっかりと守ろうとしている。


「お母さんーー」


 その姿に、響子は自分の母の姿が重なった。


「っーー」


 響子は女性から手を放し、近づいてきた男を鞄で再度殴りつけた。

 そして、口汚くののしる。


 男が怒り狂う。

 女性から、響子へと注意を変える。


「ゴロス、ゴロス、ゴロォォォォォォォォォスっ」


 もはや人間とは思えない男の絶叫。

 闇の中で光る血走った赤い瞳。

 ハァハァと荒い息を吐きながら近づいてくる。

 全身から、悪意と殺意を放ちながら。


 響子はそれに負けじと叫んだ。


「殺せるもんなら殺してみればいいわっ」


 男の咆哮を背後に聞きながら、響子は女性を引っ張り上げた。

 まさに火事場の馬鹿力という力は、身重である筈の女性を立たせる。


「あーー」


 その衝撃に、女性の目に光が戻る。

 それを確認した響子は女性を引きずるように、トンネルの奥へと走って行った。


 トンネルは思いのほか長かった。

 向こう側に見える出口が遠い。

 大きい低い声で「待てええぇ!」と叫びながら、追いかけてくる男。

 こみ上げる恐怖を必死に押さえつけ、響子は女性を連れてトンネルの外へと駆け抜けた。


 そこは、入ってきた場所とは反対側の場所。

 周囲に民家はなく、灯りすら見えなかった。

 それどころか、人気のない工場がそこに佇んでいる。

 

 周囲からは川の音が聞こえ、工場跡の入り口に落ちていた看板にふと響子は目をやる。 

 暗い筈なのに、ほとんど見えないはずなのにーー響子は気づいた。

 ここは、父が勤める会社が以前持っていた工場跡であることに。

 小さいころ、響子もよくこの場所に来ていた。

 けれど、いつのまにかここは廃棄された。


 何が原因だったのかはわからない。

 けれど、新しい工場は別の場所に建てられ、父もそちらで働き出した。


 知っている。

 この工場の立地状態を。

 だからこそ、この工場跡を抜けなければ先には進めないことを。


 あの時、響子が入ってきたトンネルの入り口側に逃げればよかったと思っても、もはや後の祭り。

 それでもここで立ち止まるわけにもいかず、響子は静まり返った工場の敷地内へと駆け込んだ。


 「マアテエェェェェェエ」


 凄まじい速度で追いかけてきているのがわかる。

 このままでは追いつかれるのは間違いない。

 けれど、あちこちに瓦礫が落ちている敷地を灯りもなしに、しかも妊婦を連れて逃げるなんて無理だ。


 響子は覚悟を決めた。

 次の曲がり角を曲ったところで、響子は以前は作業員達が休憩所として使っていた建物を見つけた。

 入り口は鎖で封鎖されている。

 しかし、足元付近に一人なら入れる場所を見つけた。

 そこに女性をおしこめ、入り口を隠す。


「ここに隠れてて!」


 小さく女性に叫ぶ。

 置いていかないでと叫ぼうとする女性に言い含める。


「大丈夫だから」


 そう言って女性を安心させる。

 

「私がひきつけます」


 こんな廃墟同然の工場に一人残される女性を思えば響子も心苦しかった。

 しかも、傷を負った体で残すのだ。

 逃げていた間も吐き気がするほどの血の匂い。

 どれだけ大きな傷を負ったかは、この暗い中ではわからない。

 だからあの時、トンネルの中に置いておくよりも連れて逃げたのだ。

 あの状況では、彼女が正気を取り戻す前に死んでしまうと思ったから。


 けれど、このまま二人で逃げ続ければ絶対に捕まる。

 ならば響子が囮となって逃げ、安全な場所までたどり着いた後で女性を迎えにくるしかない。


 それまで女性が生きていてくれる事を響子は必死に願った。

 その耳に、男の足音が迫ったのを聞き、響子は弾かれたように走り始める。

 すると、男も走り出すのがわかった。


 順調に男は響子を追いかけてきている。


 それからどれだけ逃げただろう?


 それでもようやく響子は民家の灯りを見つけた。


 遠くに見える、灯り。

 それを目指して響子は走った。

 走って、走って、走って。


「……う、そ」


 バンっとぶつかる体。

 弾かれ、地面に転がった状態で響子はそれを見た。

 高い高い金網。

 いつの間にか周囲は瓦礫で囲まれていた。


「な、に、これ」


 もうすぐなのに。

 民家の灯りまで、もうすぐなのに。


 それを阻む高い、高い金網。


 それは、心霊ブームなどで廃墟跡に忍び込むバカ達を阻む為に作られた金網である事を響子は知らなかった。

 そしてそれが今、一人の少女を窮地に陥らせている。


 じゃり、と背後で音がした。

 隠れられる場所はない。

 逃げ道はあの男の後ろだ。


 ギャハハハハと笑いながらゆっくりと近づいてくる、男。

 殺す、ゴロスと呟きながら迫ってくる、男。


 男じゃない。

 あれは、人じゃない。


 化け物、化け物、化け物ーー。


 死の音が、すぐそこまで迫る。


 死。

 死。

 死。


 いつか人は死ぬ。

 今までにも葬式で死んだ人を見てきた。

 響子の祖父も死んだ。

 響子だっていつか死ぬ。


 でも、でも、でも。


 そんなものはずっとずっと後のことだと思っていた。

 学校に行って、仕事して、好きな人が出来て、恋愛して、結婚して。

 その人との間に子供が出来て、両親に孫を見せて。

 そして子供が大きくなって、子供が結婚するのを見て、孫を見て。


 それから、それから、それから……。


 今まで遠い彼方にあった筈の『死』が、すぐそこにある。


 男が笑いながら、ワタシの肩をつかんだ。


 つ~かまえた






 怖い、怖い、怖い。


「ゴロス、ゴロス、ゴロスっ」


 いやだ、いやだ、いやだ。


「シネ、シネ、シネ」


 助けて、助けて、助けて。


「ギャハハハハハハハハ」


 死にたくない、死にたくない、死にたくない。


「ねぇ、もう死んだ?」


 シ ニ タ ク


「ああ、まだ生きてるんだね」



 ワ タ シ 


 ザシュ!


 ハ


 バリッ!



 マダ


 ガンッ!


 シニタク


 ゴリゴリっ!



 ナカッタノニーー


 ブチンーー!

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