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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第四十八話 忘れたい、記憶

 眠りにおちた香奈と咲。

 布団に並んで向かい合うようにすやすやと眠る二人の前に柚緋は腰を下ろした。


 その視線は最初は咲に向けられ、次は香奈に、そして香奈の首にかけられている大根のペンダントで止まった。


「柚緋」


 背後に立つ玲珠の呼びかけに、柚緋はペンダントに視線を向けたまま口を開いた。


「何でしょうか?」

「それは……なんだ」

「大根のペンダントです」

「違う!」


 玲珠の厳しい口調にも柚緋は笑みを崩さない。


「その作り手は誰だ」

「……」


 玲珠もまた大根のペンダントへと目を向ける。


「それは、人間界の物ではない」

「……ええ、違いますよ」


 人間界の物ではない物がこの世界にある。

 それをあっさりと肯定する柚緋を玲珠は見つめた。


 といっても、玲珠がこれほど反応しているのは何も「人間界の物ではない」という事だけではない。

 そのペンダントに宿る力が問題なのだ。


「俺はこの少女と王妃様が知り合いだなんて聞いた事がない」


 王妃様――それは、玲珠の敬愛する主君の一人。

 玲珠の現在の祖国である凪国の王妃。

 しかし、その王妃の口からこの少女の名前が出たことは一度も無く、知り合いだという話を聞いた事もない。


「……」

「柚緋、答えろ。どうして、この少女は」

「確かに、今は知り合いではありませんよ」

「なんだと?」


 柚緋の言葉に玲珠は訝しげな目つきとなる。


「どういう事だ」

「ですから、今は知り合いではありません。いえ、正確には今の王妃様から貰ったものでもない。そして、王妃様から直接貰ったものでもない」

「……それは、誰かが王妃様から渡されたものを譲り受けたという事か?」

「本当に玲珠様は聡いお方ですね」

「皮肉は言わなくていい。それに俺にも分からない事がある。今の王妃様から貰ったものではないとはどういう事だ」


 もし最初に貰った相手から譲り受けたとしても、「今の王妃様から」とは言わない。

 なぜなら、香奈が別の相手から貰う時には、当然「今の王妃様」ではなく「過去の王妃様」から最初の相手が貰っているからだ。


 では、どういう事か。

 一つの可能性が玲珠の脳裏に閃く。


「まさか――」

「それ以上は言わないように」

「柚緋っ」

「今はまだその時ではありませんし、既にそれは過ぎ去った過去ですから」


 くすくすと笑う柚緋に玲珠は額に手を当てた。


「真実を知るのは、未来の俺か」


 そう呟く玲珠に、先ほど妻に見せていた姿はない。

 柚緋は香奈の首に掛かっている大根のペンダントに手を触れた。


「まあ……とにかく、だ。まだ不思議なことがある」

「なんでしょう?」

「それを貰ったのは、その少女――香奈という事でいいのか?」

「ええ。香奈が直接手渡しで貰いました」


 あの、忌々しい一件の後、香奈はあの少女から手渡しで受け取った。


 その少女が、姑となる存在から貰ったお守り。

 そこらの下手なお守りよりもよほど強い力を持った護符。

 大根のペンダントなんて言葉だけ聞けばギャグみたいなのに、翡翠で作られた本物を目にした途端その美しさに言葉を失う。


 力を持つ人間が見れば即座にその価値を知り、また普通の人間であってもその芸術的価値の高さを本能的に感じ取るだろう。


 喉から手が出るほどの代物――それを、ポンっと香奈に渡したあの少女。


 普通なら、違う時代の品物を過去の人間に渡すのは御法度だった。

 それを知っていてなお渡したのは、それだけの理由があったから。


 しかし結局、その後香奈に起きた事は……。


「柚緋」


 玲珠が詰問するように口を開く。


「俺が見た限り、香奈はそれが自分のものだと認識していなかった。それはどういう事だ。香奈は、それを自分で貰った筈だよな?」

「ええ」

「なのに、貰った事を覚えていないのは」

「玲珠様、人には覚えていない方が良い記憶もあるんですよ」

「柚緋……?」

「人間は忘れる生き物です」

「……」

「そうしなければ生きていけない事だってある。でも、それは人間だけではない筈ですよ」


 柚緋の言葉に玲珠は口を閉ざす。

 まるで全てを見透かした様な口調。


 そう――玲珠にも、思い出したくない過去があった。


 凪国に保護される前、玲珠はある国の田舎に住んでいた。

 一介の農民として、愛する妻や気さくで優しい村人達と静かに暮らしていた。


 なのに、ある日、突然村は王直属の軍に焼き払われ村人達は殺された。

 残ったのは玲珠と妻だけで、二人揃って拉致されたが、たどり着いた王宮で玲珠は後宮に王の寵姫として納められ、妻は地下牢へと叩き込まれた。


 王は、酷い加虐嗜好のある男色家だった。

 美しい男達を好み、自国はおろか他国にまで自分の寵姫とする男狩りを行っていた。

 その際、証拠となる物は全て消し、それが村の焼き討ちに繋がっていたのだ。

 被害者となった寵姫達は、祖国が滅んだ時点で数百名に及び、玲珠はその一人だった。

 美女と見紛う如き冷たく妖艶な美貌が徒となり、玲珠は当時の王のお気に入りとなった。

 毎日の様に陵辱されたばかりか、お気に入りの寵姫を他人に陵辱させる事も大好きだった王によってあらゆる責めを強いられた。

 同じ趣向を持つ王の側近である大勢の男達に犯された事も、なぶり物、見世物にされた事も毎日だった。

 けれど、それは他の寵姫達も皆同じだった。

 そればかりか、妻――玲珠の妻は地下牢に入れられた。

 しかし、それは玲珠の妻だけでなく、他の寵姫達の大切な者達も同様だった。

 母、姉、妹、恋人、娘、許嫁、妻――。

 中には、幼い息子もいれば、仲の良かった親友を人質ならぬ神質として地下牢に押し込められ、抵抗したり自害すれば彼女達を殺すと脅された。


 彼女達を守る為に必死に耐えていた羞恥と屈辱。

 神としての尊厳、男としての矜持、その他全てをめちゃくちゃにされて、それでも愛する者の為に耐えた。

 それは、自分を虐げていた王や側近達が実の息子による血の粛清を受けた後も。

 というのも、血の粛清後も何も変わらなかったから。

 その王の息子もまた、鬼畜な男色家だったからだ。

 それどころか余計に酷くなった。


 飼い主が変わっても解放されない寵姫達。

 それでも、愛する者達を守る為に必死に生き続けた。


 なのに、その愛する者達は、男色家ではない下級兵士達に玩具にされていたという悪夢。

 陵辱、暴行、強制堕胎――。


 それは、凪国に、凪国の王妃様に助け出されてから知った鬼畜の所行。


 穢されたのは自分達だけでないと知った時、愛する者達を守る為に立ち上がった。


 その後も長きにわたって残った後遺症。

 男達は数年間に及ぶ性的虐待によって女性として開発され、見た目は男なのに体は完全に『女』として華開き、強い男に抱かれる事を望む淫らな体となった。

 女、いや、雌だった。

 肉欲に支配され、男として女性を愛することも出来ず、ただ芽生えさせられた女の本能が男を求めてやまない。


 そんな地獄のような日々。

 愛する者が側に居ても、愛する者が出来ても体は男として機能しない。


 見た目は男なのに、芽生えさせられた被虐嗜好と女の部分が元寵姫達を責め苛んだ。


 と同時に、元寵姫達の誰もが抱いた思い。


 女性として愛せない大切な者達。

 果たして、その悲惨な事実をいつまで彼女達が受け入れてくれるのだろうかと。

 今は良くても、いつか自分よりももっと優れた者が彼女を奪っていってしまうかもしれない。


 それは、寵姫時代の悪夢から愛する者を傷つけられたり、失いかけたりする事を酷く恐れた者達には恐ろしい恐怖だった。


 もしその時が来たら、彼女達を手放すのが元寵姫達が愛する者達に出来る唯一の事だ。

 しかし、それが出来ないほど元寵姫達の依存は深かった――。


 そう、悪夢でしかなった過去。

 女として虐げられた記憶。

 祖国での地獄。

 あれから、どれだけ時が経っただろう。

 もう、かなりの時が経つ筈だ。

 そうして、元寵姫達の中には、子供が生まれた者達も現れていた。

 絶対に、一般的に夫婦の様な形では子供など持てないと諦めていたのに。


 そう、愛する妻を女性として愛し、子供を持てるようになってきた元寵姫達。


 結婚は出来ても、無理だと諦めていたそれが出来た時、ようやく初めて解放されたような気がした。


 けれど、それでも完全に悪夢が無くなったわけではなく、今もそれに悩まされている者達は居る。

 玲珠だって、今でも夢で過去の悪夢を見ては、悲鳴をあげて飛び起きていた。


 忘れたい。

 忘れたい。

 忘れたい。


 辛い過去を乗り越えてこそ、新しい道に進める。

 そう言った者達も居た。


 けれど、それが出来ればとっくにやっている。

 これほどの時間が経っても、できない事だってある。


 頑張れとある者は言った。


 それぐらいの事、乗り越えろとある者は言った。


 数百人も居るなら、みんなで力をあわせれば何とかなったんじゃないの?と言った者も居た。


 逃げれなかったんじゃなくて逃げ出さなかっただけじゃないの?とあざ笑った者も居た――。


 もっと激しく抵抗すれば逃げれたんじゃ無いの?と――。


『抵抗しないんですか?』


 脳裏にフラッシュバックが起きる。


「あ――」


 玲珠にとって敬愛する王妃が立っていて。

 王妃の手には短刀が握られ、それが一人の夫人に向けられていた。


『ほら、抵抗してみせてください――出来ないんですか? どうして? あなたはさっき自分なら出来るって言ったじゃないですか。夫の為にがむしゃらに暴れて逃げだせるって。なのに声すら出ないってどうなんです? ほら、抵抗して叫んでみてください。ただし叫んだらグサリですけどね、だってあなたの代わりはいるんですし、夫にはあなたの死を知らせなければいいんです。ようは生きていると思わせるだけで良いんですから。生きていたら夫も報復する理由はないですよね?』


 それは、あの時の光景。


『出来るんでしょう? あなたなら、あなた達なら出来るんでしょう? こうやって脅されても暴れられる。なのにどうして? どうしてそんな風に怯えているの? そうね、怖いでしょう? 怖くて声が出ないでしょう? それが当然なんですよ。恐ろしくて、声が出なくて、当然指一本動かせない、だって怖いから』


 王妃様が、侮辱された元寵姫達とその家族達の為に。


『どうして言えないの? 「助かって良かった」、「生きていてくれただけで良かった」、「頑張って生きててくれたんだね」って。それともあなたは元寵姫だった人達がのうのうと生きていたとでも思っていたの? そんなわけないじゃない。彼らは生きていたの、必死に生きていたの、頑張って生きていたの! 彼らも、彼らの愛した人達も!!』


 涙が、溢れてくる。

 元寵姫達を侮辱し続けた者達。

 あざ笑い、逃げられなかったのではなく、わざと逃げなかったと言った彼女達。

 そんなに大人数居れば逃げられたのにと言って、本当は楽しんでいたのではないかとあざ笑っていた。

 酷い目に遭わされたと言っているが、本当は王の寵姫として贅沢に暮らしていたのではないかと悪意を持って勘ぐってきた。


 そんな女達に、王妃様は怒り狂った。


 こんな、自分達の為に。


『男だろうが女だろうが関係ない! どんなに強くても怖いものはあるの!あなたに何が分かるの! あなた達に玲珠達の受けた恐怖なんて分かるはずが無い! 本当に恐ろしい目にあって「なんで抵抗出来なかったの?」なんて聞くあんた達に! ううん、たとえ最初はそう思っていても、こうやって自分自身でも恐怖を感じて動けなくなったにも関わらず、まだ馬鹿な事を口にするあなた達にっ』


 その後、王妃様は貴族夫人に刃をむけたとして、炎水家により千回の鞭打ちを受けた。

 けれど今考えれば、それですんだ方が奇跡だった。


 あのまま王妃様に何の咎もなければ、きっとあの貴族夫人は更に大事を引き起こしていた。


 その貴族夫人は、凪国とは違う国の出身だったが、彼女の夫はその国で強い力を持っていた。

 そればかりか、他の貴族達の愛人として多くの男達を手玉にとっていた女だ。

 もし炎水家が出て行かなければ、ただではすまさなかっただろう。


 炎水家――。

 神々の住まう十三の世界からなる天界十三世界を統治する天帝夫妻の直属の側近であり、天帝夫妻が直接統治する中央世界以外の残り十二の世界をそれぞれ任された十二王家の一つ。

 十二王家は、それぞれの世界にとっての王であり神。

 凪国のある、天界十三世界の一つである炎水界において、十二王家の一つ――炎水家はまさしく神だった。


 もちろん最初は納得出来なかった。

 けれど、後々になって理解した。


 女王様の様に振る舞い、自分が望んで叶わぬ事はないと勘違いしていたあの貴族夫人。


『凪国王妃はその罪によって千回の鞭打ちを受け、そなたへの暴言と暴行の報いは受けた。よってこれ以上の追求は不問とする』


 しかしその貴族夫人のプライドはそれで収まる筈もなく、その後その女は勝手に動いて自爆した。

 馬鹿な女だった。

 既に罪を受け、炎水家が不問としたにも関わらず、それでも動いた女。

 女は世間から一斉非難を浴びて、この世から消された。


 そう、女の事なんてどうでもいい。

 問題は王妃様の事だ。


 その時、玲珠だけでなく元寵姫達も我が身を呪った。

 王妃様は自分達の為に反論してくれた。


 自分達が居なければ、王妃様はそんな事はしなかったというのに。


 いや、その過去の悪夢を克服さえしていれば――。


『忘れられればいいのにね』


 王妃様の言葉が蘇る。

 忘れられれば良かった。


『そうすれば、玲珠達はこんなに苦しまずにすんだのにね』


 力でも何でも使って、記憶ごと消去すれば……。

 しかし当時は神力は使用できず、ただ耐えるしかなかった。

 神力の使用が出来ないほど、大規模な大戦によって滅びかけた世界は再生後も不安定だっから。

 小さな術一つでも、空間は歪み下手すれば消滅する。

 そうして、神でありながら神力の使用が封じられた日々。


 それでも、玲珠達は何とか生きてこれた。

 それは凪国に居て、あの優しい人達に囲まれていたから。

 愛する者が側に居たから。


 でも――。


『忘れたい』


 何度、そう願った事か。


 忘れた方が良い事もある。

 全てが全て、全員が全員悪夢を乗り越えられる強さを持っているわけではない。

 中には乗り越えなければならない事だってあるが、忘れた方が良い事だってある。


 柚緋の言葉が玲珠の脳裏に何度も木霊する。


 生きていく為に乗り越える――それも必要なこと。

 生きていく為に忘れる――それもまた必要なこと。


 玲珠は柚緋の視線に気づき、ゆっくりと顔を上げた。

 にこりと優婉な笑みが白皙の美貌を彩る。


「俺にもあります。そう、玲珠様のものとは比べものにならないかもしれませんが」


 忘れたい過去。

 逃げたい過去。


 果たして、忘れる事は罪なのだろうか?


 忘れるからこそ、生きていける事だってある。


「だから、香奈も忘れたのか?」

「……ええ。ただし、あのペンダントにまつわる記憶は巻き込まれただけにすぎませんが」

「……それは、一体」

「忘れたい記憶。けれど、あいつの場合はそれ以外にも及んでしまった」


 取捨選択という言葉がある。

 記憶喪失の中には特定の人間だけを忘れたり、特定の記憶だけを忘れたりする事がある。

 けれど、香奈の場合は……。

 あの時、誰も側に居ることが出来なかった。

 一人で、耐えた日々。


 覚えていたかった記憶も、あの悪夢と共に葬られた。


 そうまでして、ようやく香奈は生き残ることが出来た。


「柚緋……」


 玲珠が更に言葉を紡ごうとした時――。


「ああぁぁぁぁぁああああっ!」


 眠っていた咲の口から爆発するような絶叫が響いた。


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