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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第四十七話 限られた時間で


 能力者や能力、この世には人ならざる存在が居るという事を知った。

 それが引き起こす事件も知った。

 けれど、どこかで他人事のように思っていた節があったのかもしれない。

 香奈は咲に手を握られたまま、そんな事を思っていた。


「あなたには過去を見る力があるの」

「……」

「でも、今の時点では、それをあなたが制御する事は出来ないでいるの。そうね、どんな力でも制御しなければ使えないし、使い方を誤れば他者を傷つける凶器になる。そうならない為には使い方をしっかりと学ぶこと」

「……使わなくても、ですか?」

「ええ、そうよ。たとえ使わないと決めても、暴走しないとは限らないし、誰かがあなたの力に気づいて利用しようとするかもしれない。その時に対抗する為にも、しっかりと知識と制御する術を身につけなければならないの。その上で使わないという選択をするのならそれで構わないわ」

「……」


 咲の優しい笑顔に、香奈は気づけばコクリと頷いていた。


「でも……」

「でも?」

「私に、本当にそんな力があるんですか?」

「確かに疑問に思うのも当然ね……でも、間違いないわ」


 咲は断言に香奈は首をかしげた。


「どうしてそう言えるんですか?」

「そうね……似たような力を持っているからかしら……っていっても、私の『夢見』と香奈ちゃんの力の根本は違うのだけれど」

「私の根本は何なんですか?」

「……詳しい事は分からないわ。調べてみないと。でも、今はそれよりもその力の使い方を学ぶこと」


 このとき、よくよく考えれば咲がおかしな事を言っているのだが、香奈はごまかされた事に気づかなかった。

 力の使い方、知識、技術を学べと言いながら、力の根本を知らなくても良いと促す咲。

 力を知り、制御を学べと言いつつ、それに必要な本質を知ろうとする香奈を煙に巻く。


 その本当の意味を香奈が知るのはもっと後のことだった。


 その後、香奈は夢見の知識について簡単に説明を受け、その危険性についてもわかりやすく教えられた。


「本当はもっと時間があれば良かったんだけど」


 それでもわかりやすい説明は、きっと能力者や能力など全く知らない相手でも理解する事が出来たに違いない。


 とりあえず、『夢見』は数ある能力の一つという事から始まり――。


 『夢見』は『夢』によって過去、現在、未来を見る事が出来る。

 訓練すれば、自分の見たい対象の好きな時間を見る事が出来る。

 見るだけで実際に操作することが出来ない。

 簡単に言えば、『夢見』は情報屋のようなもの。

 力を使っている時は眠ってしまうが、普通の夢とは違うので起きた時にも覚えている。

 ただし、力の制御が上手く出来ないと普通の夢のように忘れてしまう。

 力の暴走や、夢に飲み込まれて眠ったまま見起きられなくなる可能性もある。


 等々。

 とくに最後は、見ている光景に同調しすぎたり、その映像の関係者の感情に飲み込まれてしまう事で発生する事があるという。


「ってところまでは理解出来ました?」

「う~ん、なんとなく」


 凄く教え方は丁寧で、言われれば納得する。

 しかし、もともと能力者や能力とは無縁に香奈は育ってきた事もあり、理解というよりはそのまま「そうなんだ~」と受け入れるしかないというのが正しかった。


 疑問?

 質問?


 するだけ詳しく能力者や能力について知っているわけもないので無理である。

 むしろ、十二歳の少女の許容範囲を超えた知識にも関わらず、素直に受け入れようとしているところに咲は微笑んだ。

 自分の時は十六歳だったが、それでも非常にパニックに陥った。


 流石は神有家の姫――清奈の娘である。


「で、知識についてはまた今後少しずつ補っていくとして、次は実践になるんだけど」


 本来ならばここまで急ぐ事はないし、まずこんなにすぐに実践に入らない。

 しかし、残り時間は限りなく少ない今、悠長にしている時間はなかった。


「実践って……」

「ええ、『夢見』を行うの。ごめんね……本当なら時間をかけて行っていく筈なのにこんなに急がせてしまって」


 咲の悲しげな様子に、香奈は口を閉じる。

 咲が悪いわけでは無い。

 時間がないのだ。

 椿を助ける為にも、この力は必要だと言われた。

 そう、椿は今回の件で狙われていて、時が来ればその命を刈り取りに犯人は現れるだろう。

 それも人の手には負えない人智を超えた存在に。


 悪霊――。


 既に、『IPSM』の能力者も数人殺害した程の強い存在。

 章子や重樹が殺された能力者達の代わりとして来てはいる。

 しかし、章子達がどれだけ強いのかは分からないし、既に能力者を数人倒した化け物を相手にすれば無事でいられるか分からない。


 そう――椿だけでなく、章子達も殺されてしまうかもしれない。

 そして、椿を助けようとする美鈴達も殺されてしまうかもしれない。


 椿の逃げ込み先としたい神有家の屋敷だって、どうなるか分からない。


 ふと、考えすぎかもしれないと香奈は思った。

 が、途端に頭の中の何かが激しく警鐘を鳴らす。


 見くびるな、見誤るな!!


 打てる全ての手を打たなければ負ける――。

 香奈の中の何かが叫ぶ。


 それは、魂の記憶。


「香奈ちゃん、大丈夫よ」


 咲が香奈の手を握る。


「力の使用中は、私も側に居るから」

「咲……さん? でも、咲さんは」

「ええ、私では無理だった。でも、香奈ちゃんと一緒なら大丈夫。そう、こうやってしっかりと手を握ってね」


 香奈の手を握る自分の手に力を入れて咲は笑った。


「ようはね、香奈ちゃんが『夢見』を行う時に私も一緒に『夢見』を行って香奈ちゃんにしがみつく。で、そのまま香奈ちゃんが見る夢にくっついて行こうと思うの」

「そ、そんな事出来るんですか?」

「本来はね。でも、今回みたいに覆い隠そうとする力が働いている時には難しいわ。下手したら私だけはじき飛ばされるかもしれない」


 香奈だけが見る事が出来た過去。

 それを咲も見ようとするならば、今の時点では香奈に同行するしかない。

 しかし咲は弾かれ、香奈だけが受け入れられてきたその過去はきっと同行する部外者を弾きだそうと暴れるだろう。


 もちろん咲も徹底的にあらがうが、下手したら香奈だけが取り残されるかもしれない。


 そう――夢の中に。

 犯人の過去の中に。


 自分が出来れば香奈を巻き込む事などしなかった。

 しかし、香奈だけが受け入れられ、見る事が出来たならば咲がする事はただ一つ。

 もしもの時の為に香奈自身が力を扱えるようにしておくこと。

 たとえ自分だけがはじき出されても、香奈がきちんと過去を見て戻ってこれるように。


 柚緋も今までのように香奈を助けられるわけではない。

 今では、運が良かったのだ。

 たまたま、柚緋が香奈の後を追えて、過去を見た香奈がそこからはじき出されて迷子になりかけたところを助けに行く事が出来た。


 しかし、向こうは香奈に気づいて、しかも香奈にちょっかいをかけてきていると聞いた。

 香奈に何がしたいのかは分からないが、場合によっては柚緋達でも助けられなくなってしまうかもしれない。


 危険すぎる行為だった。

 今まで力を使った事のない少女にさせるべきではない作業だった。

 しかし、他に方法はない。


 今回の犯人は許されない事をした。

 それは贖うべき罪なのは確かだ。

 けれど、元は先の連続無差別事件の被害者で、本来ならせめて安らかに眠る為に冥府へと誘われている筈だった。


 苦しかった筈だ。

 辛かったはずだ。

 怖くて、恐ろしくて、憎くて――。


 恨みに思っても当然だった。

 自分は死んでいるのになぜ相手は生きているのか。

 それは果たして理不尽な怒りなのだろうか。

 怒りだけなら誰しもが持つ。

 誰だって、こんな事でという事で怒る事が全くないわけではないのだから。


 それでも、実際に命に手をかけてしまう事は許されない。

 それでは、自分達を殺した相手と同じになってしまうから。


 相手と同じように地獄に落ちてしまう。

 そんなのはあんまりではないか。

 殺されて、恐ろしい目に遭わされて。

 なのに、死んでまで地獄に落ちるなんて、あまりにも酷すぎる。


 それをさせない為に、冥府の官吏――死神と呼ばれる者達が魂を迎えに行く。

 どんなに苦しくても、辛くても、その怒りのままに生者を引き込んで地獄に落ちさせない為に、せめて来世だけでも幸せになれるように。


 地獄になんて行かせたくない。

 だから、死んでしまった者達をすぐに迎えに行く。

 その恨みから暴挙に走ってしまう前に。


 散々苦しんだのだ。

 これ以上苦しませたくなどない。


 地獄に行かせたくない。

 せめて冥府から、自分を殺した罪で死後に地獄に落ちていく存在を高みの見物をする。

 それぐらいで収まる心でなくても、それ以上苦しむ道に進まないで。

 それが、冥府の官吏達の願いであり、それ以上堕ちる前に救い出すのが彼らの誇りだった。


 恐ろしい恐怖がそんなに簡単に薄れる筈が無い。

 たった数年で、消えるはずが無い。

 時が癒やしてくれるとしても、時が経つほどに苦しむ事だってある。

 それでも、どうか。

 そうやって願い、官吏達は仕事に励む。


 なのに――その手からこぼれ落ちた魂が、殺していく。

 沢山の命を。


 冥府の官吏が叫んだ。


『誰が、あの魂を逃したっ』

『誰が、あの哀れな魂に更なる悲劇を与えたっ』

『誰が、地獄への道に誘った』


 そう、もう地獄に堕ちるしか無い。

 でも、それでもせめてその時間が少しでも短くなるように、願った。


 咲は冥府とも親交がある。

 『夢見』として発現してからの付合いだが、仲の良い官吏も居る。


 犯人が霊だと知り嘆いていた友人が言った。

 せめて、これ以上その手を穢す前に――。


 穢す前に――。


 続く言葉の先を、咲は聞かなかった。

 いや、聞く前に会話は終わったから。


 だからその言葉の先は、咲自身の思いを紡ぐ。


 助けたい――。


 たとえ、どんなに甘いと言われても、被害にあった者達の事を考えろと言われても、思ってしまう。

 馬鹿なのかもしれない。

 でも、それでも、助けたい。

 本来ならば、冥府の官吏達に優しく誘われ、次の転生まで眠りにつく筈だった未来を狂わせられた被害者。


 そう――彼女もまた被害者。

 利用された哀れな存在。


 利用されたのだ、何者かに。

 でなければ、ただの人間だった魂にあれだけの事は出来ない。

 いや、そもそも、冥府の官吏にとっくの昔に保護されている筈。


『今回の件には色々と疑問がある。いや、それ以前にその魂の持ち主が死んだ後に一つの事件が起きている』


 親友は言った。


『魂回収の死神が一人、死体となって発見された』


 死神が死ぬなど本来ならあり得ない。

 いや、人間界で神が死ぬなどあり得ない。


 そう、人間界で神を殺せるのは、神、それか神の力を授けられた相手だけ――。


「咲さん、あの」


 香奈の声に咲は我に返った。

 どうやら、少しばかり長く意識が彼方に飛んでいたらしい。


「ごめんなさい、こんな時に」

「あ、いえ……その」


 香奈はしっかりと咲の手を握り返す。


「弾き飛ばされないように、しっかり掴みますから」

「香奈ちゃん?」

「こうやって手を、掴んでおいたら、大丈夫ですよね?」

「……ええ」


 咲の笑顔に香奈も肩の力を抜いた。


 けれど――。

 香奈は心の中で思う。


 もし、この優しい人に何か危険が迫った時には。


 香奈は咲の手をしっかりと握る自分の手を見た。

 その時には、躊躇無くこの手を離そう。


 まだ出会って時間はそれほど経っていない。

 しかし、それでも香奈にとって咲は信頼に値する人物であり、何よりも危険な目に遭わせたくない存在となっていた。


 もちろん一人は怖い。

 一人で、怖い場所に残されたくない。

 けれど、今回は既に沢山人が死んでいて、色々と危険なことが沢山ある。


 香奈も夢を見て怖い思いをした。

 だから、もしも。

 もしもの時は。


 咲だけでも逃げて欲しいと思う。


 そこまで考え、香奈はふっと笑う。

 あまりにも色々な事が突然すぎて、沢山ありすぎて。

 というか、なんでこんな事を思っているのだろう。

 何もかもがいっぱいいっぱいな感じなのに、もしもの時を考えて、その時には咲だけはなんとしても逃がそうと思っている。


 子供の自分が大人を逃がす。

 素人の自分が、玄人の相手を逃がす。


 普通は逆なはずなのに……。


『あなただけでも逃げて』


「っ?!」


 遠い記憶の彼方から聞こえてきた様な声音に香奈は息をのんだ。

 何かが見えた気がする。


「香奈ちゃん?」

「あ、なんでもないです」

「……とにかく、始めましょう。少しでも時間が惜しいわ」


 そう言うと、咲が部屋の隅に立つ柚緋に目で合図する。


「後のことは」

「分かっています。咲さんとこの馬鹿の体はこちらで見ています。空になると余計なものが入り込みかねませんからね。まあ――ここには余計なものはまず入れないですが」

「確かにここほどの聖域は人間界には中々ありませんね」

「そう言って頂けると心強いです。ああ、それともし何かあっても追いかけますので大丈夫ですよ」


 ただし、追いかける範囲はあり、そこまで戻ってきてもらう必要があるが。

 もし閉じた場所から出てきてくれなければ柚緋でも手の打ちようが無い。

 先の香奈の場合は、香奈の方から勝手に柚緋が手を出せる範囲まで出てきてくれていた。

 本人は無意識だっただろうが、たぶん危険を感じた魂がそうさせたのだろう。


「では、お願いします」

「ああ」


 そう言うと、咲は香奈を誘い隣室の布団へと向かった。


「布団?」

「ええ、力を使うには眠らなければならないから」


 確かに畳の上で寝っ転がっていては体が痛むだろう。


 咲が布団の上に寝っ転がり、香奈に向かって手招きする。

 が、寝そべったところで香奈は気づいた。


「あの、力の使い方は」

「最初は私が誘うわ。といっても、少しだけ手助けする形だけどね」


 誘う――と言われても香奈は不安だった。


「な、何かする事はないんですか?」

「強いていえば、見たいものを思い浮かべる事よ。そう、今回でいえば犯人の過去を見たいってね。出来れば、私と一緒に見たいって思ってほしいな」


 そう思う事で、咲も香奈に同行しやすくなる。


「わ、わかりました。その、他には」

「他にはないわ」

「そうですか――で、玲珠さんも一緒に行くんですか?」

「え? なんで――」


 咲は香奈の言葉に首をかしげた瞬間――勢いよく後ろを振り返った。


「玲珠……何してるの」

「いや、心配だから俺も」

「玲珠は夢見が出来ないでしょっ」

「咲にひっついていけば出来る」


 確かに、昔はそうやって強制的に連れて行く羽目になった事はある、が!!


「それは私に余裕があったらよ! 今回は無理!」


 どれだけ向こうの拒絶が強いと思っているのか。

 しかし、この妻大好き男は聞こうとしなかった。


「大丈夫だ。俺が勝手にひっついていく」

「どこが大丈夫なの! ってか、私の方が引きずられるわっ」

「その時は俺が受け止める」


 そんな問題ではない。

 が、玲珠は妻と行くとごねまくった。


「というか、そんなに危険な場所にお前だけを行かせたくはない!」

「それが私の役目なの! 玲珠はきちんとここでお留守番していてっ」


 お留守番って子供か。

 柚緋だけでなく、香奈も玲珠に冷ややかな視線を向けた。


「ならば妻を守るのが夫の役目だ!」

「自分の身ぐらい自分で守れるわ!」

「そう言って前回は別の男にちょっかいかけられていたくせに!」

「あ、あれはちょっかいとかじゃなくて攻撃」

「俺の中では攻撃もちょっかいも同じだ!」


 考えようによっては同じだが、普通はたぶん違う。


「もう玲珠の過保護! 良いから大人しくしててっ」

「咲っ!」


 そこで咲は最終手段をとった。

 自分の後ろにぴったりとくっつく玲珠を引っぺがし、部屋の隅に放り投げる。


「あの、玲珠さん」

「いつもの事だから」


 いつもの事なんですか!


「さあ、行きましょう」


 にこやかに微笑む咲の笑顔がなんだか怖い。

 香奈は伸ばされた手に自分の手を重ね合わせようとした。


「香奈」

「え?」


 今まで黙っていた柚緋に名を呼ばれ、顔をだけ向ければ何かがとんでくる。

 それを反射的に受け止めた瞬間、電撃が全身に走った。


 戻ってきた。

 失われていた物が。

 帰ってきた。

 ようやくこの手の中に。


 欠けていたものが、ゆっくりと補われていく。

 あるべき場所に、ある筈だった場所に。


 心が震える。

 それを触る指が震える。


 それは――。


「これは」


 驚くことに咲が目を見開いている。

 香奈の手の中にあったのは、銀の鎖が通されたペンダントだった。

 ただし、ペンダントヘッドは――。


 大根。


「大根?」


 それを認識した瞬間、香奈は首をかしげた。

 しかし、いまだ欠けていた物が戻ってきたかのような衝撃は続いたままである。

 が、それが美しい宝石とか可愛らしいネックレスとかではなく、大根のペンダント。


「手荒く扱って壊すなよ」

「壊さないよ」

「どうだか。言っとくが、それ翡翠で出来てるんだからな、葉っぱも白い部分も」

「翡翠?」


 ってか、翡翠で大根なんて作れるのか。

 いや、確かにこの光沢と輝き具合とか感触とか、どう見てもちゃっちい安物ではない。

 が、翡翠の大根って高いのだろうか。


「言っとくが、高いからな。翡翠も最高級品だが、まずその作品の出来自体が凄い」

「ふ~ん」

「新車は軽く買える」

「へ~……って、なんでそんなものを私にっ」

「お前のもんだから返した」

「は?」


 香奈は首をかしげる。

 お前のもんだと言われても、こんなものを持っていた記憶はない。


「それに、それならしっかりとしたお守りとなる」


 お守りと言われ、余計に分からなくなる。

 というか、翡翠の大根をお守りとして売る場所があるのか。

 そしてどうしてそんな高価な物を自分が持っていたのか。

 いや、そもそもそんな高価な物を手に入れるなんて無理だ。


 だが、自分には高価すぎると返そうとする香奈の意思に反し、勝手に手がそれをしっかりと握りしめる。


 離したくない。

 返したくない。

 もう奪われたくない。


 奪われたくない?


 ようやくこの手に戻ってきたと歓喜する心。

 香奈は混乱する。


 喜ぶ心に問いかける。

 どうして、なぜ、私は。


 しかし思い出そうとすれば、ツキンと頭が痛む。


 マダソノトキデハナイ。


 頭の中で囁く声に、香奈の思考は霧散する。

 そんな香奈を静かに見つめていた柚緋はそっと香奈に近づいた。


「もしもの時は、それを握りしめて俺の名前を呼べ」


 駆けつける――。

 その言葉に、香奈はコクコクと頷く。


 駆けつける――その言葉に、心のどこかで嬉しさと安心感を感じた。

 柚緋は香奈の手からペンダントを外させると、それを首にかける。

 その時に再度確かめる。


 淡くだが、それでもこのペンダントに込められた思いはただ一つ。

 贈られた主を守る為に存在する。


 だからこそ、香奈に戻す。


 よろよろと近づいてきた玲珠がそのペンダントを目にした瞬間、咲と同じように息をのむ。

 しかし、何かを口にする事はなかった。

 いや、口にする前に、咲が香奈の手を握って囁く。


「では、行きましょう」


 答える前に、香奈の意識は急激に沈んでいく。

 だが、それはいつもの眠りに入る時とは違う。

 どこまでも沈んでいくが、ある地点に到達した瞬間、不思議な浮遊感に包まれた。


 ああ、これが『夢見』なのだ。

 香奈はぼんやりとそんな事を思った。


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