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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第四十二話 心に宿る灯火

 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。

 そんなお決りのチャイムが鳴り響き、土曜日の学校は終わりを告げた。

 その後、校舎前に停まっていたバスに生徒達が続々と乗り込んでいく。

 その隙間を縫うように、香奈は美鈴と共に空いていた席に身を埋めた。

「香奈、大丈夫?」

「う~ん」

 美鈴の言葉に香奈は肩をコキコキとならす。

「ってか、体がだるい」

「マッサージでもしようか?」

「う~ん、して欲しいけど、今日は急ぐからやめとく」

 今日は神有家での親族会議がある。

 駅前には迎えの車が来ていて、それに乗っていくのだ。

 会議は朝から始まっているから、両親は先に行っている。

 学校がある時は、香奈だけが遅れていくのだ。

 いつもは気が乗らない神有家への訪問。

 しかし、今日は行かなければならない。

 もしもの時の椿の逃げ場所として受け入れて貰う為にも。

 だが、体のだるさが香奈を億劫にさせる。

 駄目だ、こんなんでは。

 そう思いながらも、昨日受けた疲れが抜けていかない。

 そう――昨日だ。

 香奈は美鈴を見る。

 昨日、美鈴と重樹の三人で帰った。

 その途中で何か起きて、気付いたら家に居た。

 美鈴と重樹は無事に帰ったと父は言っていたし、今日の朝に挨拶した時も美鈴には別におかしなところはなかった。

 というか、何もなく普通に帰ったのならば、おかしいも何もないが。

 でも、何かが気になる。

 朝は忙しくて何も聞けなかったが、今なら。

「美鈴」

「ん?」

 梓と理佳は少し離れた席に座っているが、それでも二人には聞こえない小さな声で話し出す。

「あのさ、昨日の椿の家からの帰り道なんだけど」

 その時、美鈴の笑顔が一瞬崩れた様な錯覚に陥る。

 だが、それはほんの一瞬であり、すぐに美鈴はいつもの笑顔を浮かべていた。

 おかしい。

 何かが、おかしいと香奈は思う。

「ああ、昨日は大変だったよね」

「うん、それで私、昨日の帰り道での事を良く憶えて無くて……気付いたら、家で寝たの」

 すると、美鈴が吹き出すようにケラケラと笑い出した。

「ど、どうしたの?」

「え、いや、ごめん思い出しちゃって」

「思い出した?」

「そう、香奈の大コケを! どこまで憶えてるの?」

「え? いや、帰る時に横道に入って、そこで突然街灯が消えて……」

 そう、真っ暗闇になった。

「それで、気付いたら走ってて」

 走らなければならなかった。

 でないと。

「閉じ込められてしまうから」

「……」

「それぐらいかな、憶えてるの」

 そう言うと、美鈴が再び吹き出す。

「そっか。つまり道が暗くなってパニックになったのね」

「え?」

「憶えてないの? 突然走り出して、いきなり転んだのよ」

 は?と香奈が頭の上に疑問符を飛ばした。

「で、どうして転んだのかって思ったら、そこに大きな石があってね。それにひっかけて転んでたの」

 美鈴が爆笑している。

「もうその転び方が凄くてね。重樹さんも顔真っ青」

 だが、何故だろう?

 その笑い方が。

 その、話し方が。

「で、そんな香奈を連れて帰ったっけ、香奈のお父さん大激怒」

「はい?」

 あの父が大激怒?

 香奈は昨夜の父を思い出した。

 そんな様子は全く見られなかったが。

 いや、この前梓に叩かれたのを見た時の父の暴れっぷりを思い出せば……。

 ザアアアと血の気が引く音が聞こえる。

「美鈴、大丈夫だった?」

「うん、でも重樹さんが怯えて」

「え? 重樹さん何かしたの?」

「いや、男の子なのに女の子を守れなくてどうする――みたいな?」

 理不尽すぎる。

 後で父に言っておこう。

 そんな事を考えて居ると、バスが駅前に到着した。

「けど、そうか……よほどハデに転んだんだね、記憶が飛ぶって事は」

「みごとだったわ、苺のパンツ」

 美鈴の笑いをかみ殺した様な口調よりも、呟かれた単語に香奈はギョッとした。

 な、なぜ知っている。

「あんだけハデにこけたら見えるって」

「……こうなったら美鈴のパンツを」

「は?! 何言ってるのよ!」

 やられたらやり返す。

 これ基本。

 なので見られたら見返す。

 しかし美鈴はすんでの所で逃げ切った。

 そして香奈は捕獲された。

 神有家の迎えに。

「さあ、香奈様。家に参りましょう」

「待って! まだ美鈴のスカートをめくって」

 そのまま車の中に放り込まれ、車が発進した。

 遠ざかっていく車を美鈴は見送った。

 そこに梓と理佳がやってくる。

「あれ? 香奈は?」

「家の用事だよ」

「ああ、そういえば今日だったっけ」

 どうやらすっかり忘れていたらしい梓に美鈴は苦笑した。

「それで、今日も椿の家に行くんでしょう?」

「ええ。でさ、前々から決めてたんだけど」

「ん?」

「実は土曜日の夜は椿の家に泊ろうって決めてたの」

 泊まる?

「と、突然出来るの?」

 泊まるのは良いとしても、突然の申し出では椿の母もびっくりするだろう。

 しかし、梓はぬかりなかった。

「大丈夫。前々から言ってあったから」

「本当に梓はやり手ね」

「もう時間がないもの」

 梓の瞳は強い決意に溢れていた。

「それで、この後は一時解散して荷物を持って椿の家に集合にしようかと思うの。ああ、夕食の材料は私達で持ち込みよ」

「昼食は?」

「適当に買ってくればいいんじゃない?」

 そうして梓達と別れると、美鈴は家に向かって歩き出した。

 が、家に着いた美鈴はそのまま家の前を通り過ぎると、前方の横道へと入る。

 そこは、昨日の帰りに通った道だった。

 道の両側に茂った茂みに囲まれ、等間隔に街灯が立ち並ぶ。

 昨夜とは違い、虫の鳴声がうるさいぐらい聞こえていた。

 遠くに、見覚えのある人物が茂みの方を向いて立っているのが見えた。

「こんにちわ」

 後五メートルほどの所まで歩み寄り美鈴が声をかけると、くるりと相手がこちらを向いた。

「ああ――」

 重樹の瞳が美鈴を映す。

「香奈は?」

「神有家に向かいました」

「そうか……で、記憶は?」

「殆ど憶えてないです」

 そうか、と呟き黙り込む。

 香奈は憶えていない、ここで起きた事を。

 いや、断片的にしか憶えていない。

 だから、美鈴は嘘の記憶を吹き込んだ。

 章子に言われたとおりに。

 美鈴は重樹の横に並び、昨日起きた怪奇現象を思い出す。

 あの時、伸ばされた幾つもの黒い腕に絡め取られる瞬間、視界を青白く染める光に包まれた。

 時間にして五秒も経たないうちに、美鈴と重樹を取り囲んでいた者達は消え去った。

 『殲滅の雷姫』の名にふさわしい破壊力。

 全てが、一瞬のうちに行われ、一瞬のうちに終わった。

 恐ろしくて、美しくて、思わず見惚れる様な笑みを浮かべて現れた章子。

 その堂々とした姿に、気付けば体の震えも止まっていた。

『もう大丈夫』

 そう言われて、小さな子供のように泣きじゃくった。

 恐怖が、不安が、いっぺんに爆発した。

 そうして暫く泣いた後で、ようやく香奈の事に思い当たった。

 慌てる美鈴に、章子は優しく一つ一つ説明してくれた。

 香奈が出口まで到達した事。

 そして変なのに襲われかけた時に、通りかかった章子と出会い、気絶してしまった事。

 章子の仲間に先に家まで送らせた事。

 そうして、章子に言われたのだ。

 ここで起きた事は、椿が巻き込まれた事件の黒幕に当たる存在からの警告みたいなものだと。

 今はこれ以上の危険はない。

 しかし、どちらにしろ協力者として関わるからには、今回の様な事はまたあるかもしれないと。

 そして協力者を辞める事も出来るという道を示された。

 正直、美鈴は迷った。

 こんな恐い事、二度と嫌だった。

 しかし自分は辞められても、椿は辞められない。

 今も怯えている椿を一人には出来ない。

 それに、次第に今回の件に関しての怒りも湧いてきた。

 まるでネズミをいたぶる様に、なぶる様に自分に恐怖を与えてきた相手に、美鈴は激しい怒りを覚えた。

 恐ろしいのに、恐くてもう二度と嫌なのに。

 けれど、怒りが、止まらない。

 こんな相手に、椿をどうこうされたくない。

 美鈴は決めた。

 自分はただの中学生だ。

 章子達とは違って何の力も持ってない。

 今回は運が良かっただけで、次に同じ目にあったら死んでしまう可能性の方が強い。

 椿の事でも、助けるどころか一緒に殺されてしまうかもしれない。

 けれど、美鈴は章子に言った。

 絶対に、降りないと。

 その決意に満ちた視線に、章子はどこか嬉しそうに頷いた。

 その後、章子と重樹に家まで送ってもらう中で、香奈について言われたのだ。

 今回の件については他言無用だと。

 確かに、これは他の者に言いふらしていい事ではないだろう。

 だがそれよりも、美鈴にとってはその後に言われた内容の方が驚きだった。

 というのも、先に家に送られた香奈が、出口付近で襲われかけた事から記憶の混乱をきたしているとの事だった。

 だから、もしその事について聞かれても、誤魔化して欲しいと頼まれた。

 記憶を取り戻す事で香奈がパニックになるのを防ぐ為だという。

 美鈴も酷くパニックに陥ったから、章子の言いたい事は分った。

 そうして、ついさっきバスの中で香奈に聞かれた美鈴は、章子に言われたとおりに誤魔化したのだ。

 椿を助ける為に、香奈はこれから香奈にしか出来ない事をしに行く。

 その決意をくじくわけにはいかない。

 そして美鈴は、ここに来た。

 昨日の事件の場所に。

 昨夜家まで送ってもらった後、章子から言われていた。

 今日の明日ですぐに襲われるとは思わないが、しばらくは重樹を置いておくと。

 それは、椿の方に重樹を張付かせると共に、護衛をさせるという事らしい。

 重樹の方もそれについて何も言わず、静かに頷いていた。

 そうして今日、学校が終わったら此処で落ち合うことになっていた。

 昨日の事件が起きた場所にもう一度来るなんて、普通は考えられない。

 しかしあえて此処にしたのは、美鈴なりの決意だった。

 昨日の事なんて、もうこれっぽっちも自分に恐怖を与えないと、昨日の恐怖と決別するために。

 結果はこの通りだ。

 実際此処に来て、美鈴は恐怖に震えることはなかった。

 ただ、今は昼だからかも知れないが。

 美鈴は更に言葉を続け、今日の夜は椿の家に泊まることを告げた。

「そうか。なら、夜は章子が泊まる事になるな」

「どうしてですか?」

 すると、重樹が呆れたように口を開いた。

「お前な、女ばっかりのところに男が居たら困るだろ」

 椿の家は母子家庭だから、父親という唯一の男性もいない。

 確かにそこに重樹が居れば肩身は狭いだろう。

 しかし命がかかっているのに、肩身うんぬんに構っていていいのだろうか。

「いいんだよ」

 人の考えを読んだかのように重樹が答えた。

「でも、泊まらないけど来るんですよね?」

「ああ。日中は俺が担当だから」

 昨日の事があって以来、章子か重樹が必ず椿の近くに居るように決めていた。

「じゃあ、私の準備が終わるまで待ってて下さいね」

「わかった」

「それと、お昼ご飯も買いましょう」

「ああ――って、は?」

「お昼まだなんですよね? 梓からお昼ご飯を買ってこいって言われてるんです。それと、夕食の材料も買わないと」

 そこで重樹が嫌な顔をした。

「まさかと思うが、良い荷物持ちが出来たとか思ってるだろ」

「はい」

 笑顔で美鈴が答えると、重樹ががっくりと項垂れた。

 だが、嫌々そうにしながらも、そこに昨日の様な拒絶感みたいなものはない。

 それは、昨日の件が原因だろうか。

 そこで美鈴は大切な事を思い出した。

「重樹さん」

「なんだ?」

「昨日は助けてくれてありがとうございました」

 美鈴は昨日言えなかった礼を述べた。

 反対に、重樹は驚いて言葉を失った。

「昨日は言えなかったので」

「なんで……」

 重樹は混乱した。

 自分の失態のせいで、巻き込んでしまった。

 なのに、その相手から礼を言われる。

 こんなおかしな事があっていい筈がない。

「なんでって、私を守ってくれたのは重樹さんですから」

「違う。俺は、危険な目にあわせて、助けたのは章子」

「章子さんが来るまで守ってくれたのは重樹さんです。そして香奈が出口まで逃げ切って章子さんに出会えたのも、重樹さんがあの時走れって言ってくれたから。それは譲れない」

 強い視線に、重樹は言葉を詰まらせる。

 今まで憎悪の眼差しを向けられた事は多々あったけど、こんな風に見つめられた事はない。

「私を守ってくれたのは重樹さんなの。だから、御礼を言うんです」

 不思議だった。

 どうして、そんな事を言えるのか。

 あんな恐い目にあわされて。

 あんな恐ろしい目にあわされて。

 以前助けようとした相手は、自分を睨み付けたのに。

 相手の両親は自分に殺意の視線を向けたのに。

 しかも今回美鈴達が巻き込まれたのは、完全なる自分の失態だ。

 どうして。

 どうして――。

「待ってて下さいね」

 美鈴が手を振りながら、自分の家に向かって走り出す。

 その後ろ姿を見ながら、重樹は目の前にあった対象物が突然消えてしまったかの様な穴の空いた心を持て余す。

 罵られると思っていたのに。

 時間をおき、一夜明けて。

 恐ろしさが美鈴の心を蝕んで。

 そんな目に遭わせた重樹を睨み付け、罵るのだと。

 それは、ここを待ち合わせ場所にした事からしても絶対な筈だった。

 自分が犯した罪を再確認させ、その罪を罵る。

 なのに、ありがとうって――。

 言われた言葉は御礼。

 分らない。

 こんな事は初めてだ。

 あんなに澄んだ瞳で、ありがとうなんて。

 重樹は自分の手を見つめる。

 昨夜、この手で美鈴を抱き抱えた。

 誰も助けられなかった手。

 血塗れの手。

 でも、昨夜、美鈴を死なせずにすんだ、手。

「わからない……」

 わからない。

 こんな事は、初めてだから。

 そう、あんな目にあわせて御礼を言われたのも。

 自分を罵らず、こうして気安く接してくれたのも。

 それに……。

 昨夜の事を思い出す。

 結界が壊れる瞬間、美鈴が自分を守ろうとした、あの光景。

 考えるだけで、更に分らなくなる。

 それでも走る去る時に浮かべた美鈴の笑顔が、いつまでも重樹の心に残った。

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