第四十一話 密談
「それで、一体何の用じゃ?」
祖父の言葉に、当主直属の影達によって檻が撤去されるのを見守っていた柚緋が溜息をこぼした。
「香奈の事だ」
「なぬ?!」
キランと目を輝かせる祖父に、柚緋は冷たく吐き捨てた。
「想像している事とは違う」
「ぬぅ?! 柚緋、そなたとうとうわしの永久保存フォルダーを盗み見るまでに」
「何保存してんだよ」
しかも永久ってなんだ永久って。
「で、香奈がどうしたのじゃ」
今すぐ頭に電磁波でも流してやりたいと思いつつ、柚緋が先を続けた。
「あいつ、力が発現し始めた」
「なんだと? それで、なんじゃ? 炎か? 水か? それとも」
「いや、夢見だ」
「夢見?」
怪訝な顔をする当主に柚緋は苦笑する。
「夢見とは……まあ、うちの家も色々な血を入れておるからのう。夢見家の血も数代前に入っておる。だから発現してもおかしくはないが」
当主の言葉に柚緋は笑みを濃くする。
当主は知らない。
香奈の、力を。
封じ込められし、その本当の能力を。
知られれば、香奈は世界を敵に回す。
ごく一部を除き、全ての者達が香奈を忌避し、憎悪を抱いて虐殺するのは確実だった。
だから言わない。
この十二年当主達を観察し、信頼に値する者達だと分ってもなお。
彼らはごく一部に入るから。
言えば、きっと香奈を守る、香奈の両親も。
だが、世界全てが敵に回れば、彼らもまた香奈を守る者として迫害され虐殺されるのは間違いない。
今までがそうだったから。
だから……言えない、言わない。
その力がバレてしまうギリギリまで。
どこに裏切りものが居るか分らないのだから。
実の両親すら知らない香奈の力を知るのは、柚緋を除けば彼らだけ。
「しかし夢見か……珍しい能力じゃな」
今では、世界を見てもその数は少ない。
「それで、その力はどうするのじゃ?」
発現した力の行く先は二つ。
力の使い方を学ぶか、それとも封印するか。
「婿殿の望みは封印じゃろうな」
「いや、今はまずい」
当主の瞳に冷たい光が宿る。
「まずい? なぜだ」
「既に、相手に目を付けられている」
「なんだと?」
「今起きている連続無差別事件については?」
「ああ、あれか。どこぞの馬鹿が哀れなる死霊を唆して引き起こしとる」
「その黒幕にだよ」
当主の顔から笑みが消える。
ただ、鋭い眼光がぎらりと光り、冷酷な空気を漂わす。
「それが、わしの孫に目を付けたと? 何故」
「さあな? ただ、今回の件について夢見を行えた存在として、目を惹くだけの価値は十分あったんだろう」
柚緋はゆっくりと告げた。
「それも、犯人の過去を視ている」
当主の顔色が変わった。
「なんじゃと? まさか、香奈は、咲でさえ出来なかったものを視てしまったというのか?!」
それは、あの希代の夢見として名を馳せる夢見 咲でさえ行えなかった事だ。
今回の組織の失態後、協力を依頼された夢見 咲は、目撃者の記憶から判明した犯人たる少女の過去を視ようとした。
というのも、今回はサイコメトリーで得られた情報が余りにも心許なかったからだ。
しかも、少女の素性に関するものは何一つ読み取れてなかった。
それは、次のターゲットととなった少女の記憶には、そもそも犯人の容姿の情報しかなかったからだ。
そして少女の素性が判明しても、生前の少女の持ち物は既に無く、事件の遺留物さえなかった。
ならばと、昔の記事や人々の記憶などに残る少女に関する情報を捜したが、得られる情報にはやはり限りがあった。
情報収集でもサイコメトリーでも得られる情報は少ない。
だから、過去を見る事も出来る夢見を行うしかなかった。
例え、夢見を行う能力者が、組織外の人間だろうと手段は選んでいられないと反対派を制して。
一度失敗していることもあり、出来る事は全て試された。
しかし、黒幕も手を打っていたのだろう。
すぐさま強力な結界に阻まれ、犯人を直接『視』る事は出来なかったという。
「そう、出来なかった。しかし、香奈は出来た。だから、目を付けられた」
邪魔な因子として。
「ならば今更力を封じても無駄じゃろうな」
「ああ。しかも、昨日もちょっかいをかけられている」
「ちょっかい?」
「夜道を襲われた」
その瞬間、当主から放たれた激しい怒りの気が渦となり襖や壁をゆらす。
ガタガタと大きく揺れ、異変を感じた影達の気配が現れる。
それを手で制止ながら、柚緋は先を続けた。
「ただ、重樹もそこに居たから、大部分は『IPSM』への牽制だ。邪魔するなという」
「なら、残りはわしの大事な孫娘への」
「ちょっかいである事は間違いない。連理と章子が助けに向かい、保護してすぐにあいつはまた夢見を行った。いや、今回のは行わされたといった方が良い」
あの時、結界がゆるんだ。
そして意識を失う香奈の中に入り込み、その魂を飛ばしたのだ――あの、凄惨なる記憶へと。
亡者の怨念が渦巻く、黒く粘ついた液体の中に叩き落としてくれたのだ。
あのままでは、香奈は間違いなく死んでいただろう。
強引に亡者達を蹴散らし、柚緋は香奈の魂を掬い上げて体まで還した。
だが、それでも魂に負ったダメージは計り知れなかった。
連理がすぐに自分の力を分け与えて治療しなければ、それこそ助からなかったといってもいい。
それを聞いた当主がう~んとうなり声を上げる。
「婿殿が力を……それで、婿殿にはこの事を」
「一応は話しました」
今回の事件で夢見が行えていない事は話していなかったが、たぶん向こうも気付いてはいただろう。
なのに香奈が犯人の過去を見ているとなれば、それは『IPSM』側にとっては闇の中に一条の光明が射したというものである。
しかし、犯人側からすれば――今回の黒幕からすれば、邪魔者以外の何ものでもない。
しかも香奈が素人だという事に気付き、ちょっかいまでかけてきている。
対等な相手ではない。
まるで猫がネズミをいたぶるように、遊んでいるのだ。
「まあ黒幕の件は別としても、『IPSM』側は先の失態で解決を急いでいる。香奈が夢見を行えると知ったらまずいな」
協力者として引きずり出されかねない。
もちろん、心ある者達は強要する事はない。
しかし、ごく一部にはそういう傾向を有する者達も居る。
「ですから、祖父様に動いて頂きたいのです」
「つまり、牽制を行えと」
「ええ。それに香奈は、今回の件については既に協力者となってますから」
「協力者……そういえば、次のターゲットは椿という少女だったな、香奈の友人の」
「ええ。美鈴、梓、理佳と共に椿を助ける為に協力者として加わってます」
「なんと……うむ、本当に友達思いの良い子じゃ」
「ええ、そんな良い子にちょっかいをかける馬鹿がいるんですよ。そして更にその馬鹿が増えるかもしれません」
「わかった。こちらで上手くやっておこう」
「ありがとうございます」
柚緋は優雅に頭を垂れる。
さらりと流れる黒髪に当主は目を細めた。
自分そっくりの髪質を受け継いだ者達の中でも、柚緋は一際自分に似ていた。
「で、協力者は四人も居るが、現場担当は今のままで十分なのか?」
章子と重樹の二人では荷が重いのではないかという祖父に、柚緋は余裕の笑みを見せる。
「章子がついていますからね、大丈夫ですよ。それに――」
「ん?」
「いえ、何でも」
お楽しみは後までとっとく方が良いだろう。
ただし、この変態ジジイには刺激が強すぎるかもしれないが。
柚緋はその際には自分も同席する事を心に誓った。
「では、宜しくお頼み申します」
「わかったわかった……それで、のう」
「祖父様?」
視線を落とした祖父に柚緋は首を傾げた。
「いや、その、清奈は知っておるのかと思って……香奈が力を使える事を」
香奈に何の力もないと分った時、娘は大喜びしていた。
香奈が産まれてから半年後の事だった。
能力測定で無能力者。
口に出す出さないはあったが、多くの者達が落胆する中で、娘は、そして婿殿は香奈が力を持たない事を祝福した。
それはただ、普通の娘として過ごしてもらいたいという親心だったのだろう。
そうして、能力者を初めとした全ての不可思議な現象から娘を遠ざけていた。
神有家に連れてくる事も、今では親族会議ぐらいである。
それ故に、他家やその世界の有力者は香奈に関して幾つもの誤解を憶えているが。
しかしそれを正す気はない。
本家からも疎まれている無能力者。
それでいいのだ。
そうでなければ、香奈は狙われることになる。
神有家と縁を結びたい獣達によって。
「ただでさえ、香奈の存在が明らかになった頃は煩かったからのう」
何の力も持たない娘を産んだとして清奈を責め立てた者達。
しかし、ほどなく彼らは気付いた。
香奈に力がなくとも、半神たる存在である事は間違いない。
それも、冥界の皇子と神有家の姫との間に産まれた娘。
その娘が産んだ子ならばと、奴等は考えた。
親が駄目でも、数多く子を産めばその一人ぐらいは――と。
但し、今ではそんな考えを持つ者達は居ないが。
当主はくすりと唇を歪ませ、冷たい土の下に居る者達に嘲笑を向ける。
警告を無視した者には死を。
更に神有家の情報操作にて、香奈を狙う者は一人も居なくなった。
それこそ、『IPSM』でさえ香奈に関しては神有家のお荷物という認識しかない。
だからこそ、今になって力が使えるという事が分れば、まずいのだ。
権力を求めて蠢く者達にとって格好の餌となる。
「で、娘の……清奈の方は知っておるのか?」
当主の再度の問いに、柚緋は少しだけ哀しげに微笑んだ。
「ああ、夢見の力を扱える事は知っている。連理から伝わっているだろうから。ただ、その黒幕にちょっかいをかけられた事は知らない筈だ。また、今回の件で夢見が使えていない事も」
「夢見 咲とは友人だからのう。あの子が心を痛めてしまう」
当主は嘆息した。
清奈とは高校の時の同級生。
昔は神有家にも良く来ていた――友人の赤塚 真穂と共に。
「それで、結局香奈の能力に関してはどうのようにするのじゃ?」
「夢見 咲に力の使い方を伝授して貰う」
「なんと!」
「封印するにしても先となるし、問題は今どうするかだ。向こうからかけられるちょっかいに関しても、必ずしも俺や連理が弾けるわけではない。だから、学ばせる」
「それに、今回の件の解決の糸口を切り開けるかもしれぬしのう」
当主としての顔で告げる祖父に柚緋は頷いた。
「犯人の過去を見れるならば、黒幕の存在、そして、何故今回このような事件を引き起こしたかを知れる」
「となると、強引に祓わずともすむと。確かにその方が能力者達にとっても被害は少ないじゃろな」
「その通りだ」
「しかし夢見 咲が来るとなると、かの方も来られるのう」
この世には、色々な特徴を持った者達が存在する。
中でも、最強にして強大と謳われし力と不老を持つ者達が居る。
それは人ならざる、人という次元とは別の所に位置する者達。
そんな彼らは『神』と呼ばれ、十三の世界からなる神々の世界――天界十三世界にその大半が住まうとされている。
大半というのは、全ての『神』が天界十三世界で産まれるわけでなく、数多あるそれぞれの世界で産まれる神々も居り、彼らはその世界特有の神として『地神』と呼ばれ、反対に天界十三世界の神は『天神』と呼ばれる。
そう、神は存在する。
決して想像上の産物でなく、人からすれば全知全能とすら言える程の強大たる力と老いぬ器を持つ存在として。
そんな神々が住まう天界十三世界の一世界を担う、炎水界と呼ばれし世界。
そこにある凪国の上位神でありながら、咲の人としての寿命が尽きるまで、人間として妻の側で暮らすことを選んだ男神。
妻を溺愛するあの神が来ないわけがない。
「まず間違いなく関わってくる筈だ」
「まあ、此度の件は人なるざるものが関わっているからのう、大丈夫じゃろ」
「ただし、冥界の関係者だが」
「ほほ、妻への愛に種族の差はないという事じゃ」
馬鹿共の操りの糸に絡められていたとはいえ、己の手で妻を殺してしまったあの男神の嘆きと後悔は深く、一時は狂いかけたという。
それでも数百年をかけて、ようやく人間に転生していた妻を取り戻したあの神は、それ以来常に妻の側から離れなかった。
炎水界に戻る時も常に側に置き、それが出来なければ己の配下を使わした。
そう……親友とも言える、同じ境遇のもう一人の男神と共に、その神の妻への愛は深かった。
「ただ、咲が来るとなれば、あの真穂も来るかもしれませんね」
「そうじゃのう。あの二人は仲が良いからのう」
まだ女神として生きていた前世からの親友であり、夫も親友同士。
今生でも咲と真穂は大親友として生きている。
「だが、それは真穂の夫が許さぬだろう」
咲の夫の親友たる男神を思いだし、当主が呟く。
「ああ、顔を見せる事ぐらいはあるだろうが、関わる事はあの夫がさせない」
「そうじゃな。となれば、今回の来訪は玲珠だけとなろう」
「玲珠か」
『氷華』の如き美貌を持つ絶世の美神を思い浮かべ、柚緋は笑う。
今回の件では、あの神の怒りは臨界点ギリギリにまで達している。
普段は温厚だがら気付きにくいが、あの神は怒るととんでもなく恐い。
その笑みを瞬時に消し、眉一つ動かさずに標的を打ち砕くだろう。
それに気付かず、咲を責め立てた者達の末路を思い、柚緋は美しい笑みを唇にはく。
「気持ちは分るがな」
滅多に怒らぬ穏やかな気性だからこそ、ここまで怒らせた人間の愚かさに笑いがこみ上げる。
「さてさて、それでは玲珠殿を迎える準備もせんとな」
力の使い方を練習させるとなれば、場所は限られる。
香奈の力の発現を隠したまま行えるのは、神有家のこの本邸ぐらいだ。
「そうじゃ、この前オークションで競り落としたアンティークのテディベアを用意しておこう!」
「待て、それ玲珠達を迎える準備じゃないだろ!!」
どう考えても香奈を迎える準備だ。
「いや、それか、この前凪国の王妃様にもらった大根のぬいぐるみを百体ほど敷き詰めて」
「ちょいまて、どんな手段を使ったんだ」
あの大根大好き王妃から大根のぬいぐるみを百体ももぎ取るなんて!!
「一体一体愛を込めて縫ってもらったんだぞ?」
柚緋は悟った。
神有家があの鬼畜大魔王にロックオンされた事を。
鬼畜大魔王こと凪国国王。
鬼畜と腹黒が服を着て歩いている様な男の妻への愛情は異常だ。
まあ、『完未』ならば誰もが妻への愛は異常だが、あれは飛び抜けている部類に入る。
「明日ぐらいに全員が溺死するな」
「大丈夫じゃ、柚緋。このぬいぐるみの御礼として、王妃を綺麗にデコレイトして王にプレゼントしたからおぉぅ! 柚緋、苦しいぞぉっ!」
「くたばれ! マジでクタバレ!」
その時、襖が開いた。
「すいません、当主。当主夫人がお探しに――って、殺害現場まっただ中?!」
家人の悲鳴に、それまで凍り付いていた当主直属の影達が動き出す。
「若様、どうか落ち着いて下さい!」
「誰か! 若様がご乱心したぞっ!」
「うわぁぁ! 当主が白目を!」
その騒ぎは、当主夫人が駆け付けるまで続いた。
その後、半ば本気で首を絞める柚緋に、慌てて当主直属の影達が止める事態に発展したのは言うまでも無い。