第三十八話 絶望の調べ
警告)ホラー要素強いです。嫌いな方はUターンお願いします。
走る、走る、走る。
砂利を踏み締め、蹴り上げ。
香奈がひたすら求めるのは、この道の出口。
「い、一体、何、が、起きて、るの?」
息が苦しい。
酸素が足りない。
走るのが得意ではない体がヒィヒィと悲鳴をあげている。
風を切り、揺れる視界で出口を見つめる。
喉が痛い。
走るのを止めたい。
歩きたい。
止まりたい。
けれど、そう思う度に思い出すのは重樹の叫びだった。
間に合わなくなる――。
その言葉に背を押されるようにして走り続ける夜の道。
風でザザァアと後方の茂みが揺れる音が聞こえる。
最初は遙か遠くで。
けれど、次第にその揺れは、少しずつ自分に追いついて来ているようだった。
道の両側に背高く茂る茂み。
虫の音は聞こえず、街灯の明かりも消えたまま。
走れ、走れ、走れ。
自分の中の何かが叫び続ける。
「走れ、走れ、走れ」
引きつる喉で自分を鼓舞し、ひたすら闇の中を駆け抜ける。
走らなければ。
何処までも。
あの出口に向かって。
ふと、握ったままの右手が熱さを感じる。
そこに握られているのは、重樹から渡された水晶だ。
走れ、走れ、走れ。
間に合わなくなる。
追い抜かれた時が、最後。
永遠の虜囚として、閉じられた空間を彷徨い絶望と共に腐り果てる。
それでも死ねない苦しみ。
生き続けなければならない、苦痛。
シオ。
「え?」
微かに聞こえてきた声に、香奈は思わず足を止めかけた。
しを、しを、しを。
少しずつ迫りくる声。
その声は次第に数を増す。
しを、しを――。
出口まで後十メートル。
すぐ後ろまで迫っている――茂みの揺れ。
「ま、けて、たまるかぁっ」
何かが居る。
何かが自分を追い抜こうとしている。
けれど追い抜かせたりはしない。
向かい風が吹く。
地面がぐにゃりと歪む。
その全てが香奈の行く手を阻もうとする中で、ただひたすら伸ばす手。
そこに握られた水晶を――。
凄まじい突風が後ろから吹く。
ザザザと両側の茂みの揺れが駆け抜ける。
香奈を追い抜いて。
「っ――!!」
視界の先に見える茂みの揺れ。
ああ、負けた。
負けてしまったのだ。
向こうは勝者、こちらは敗者。
そして敗者には――。
「は~い、ここまで」
ギョッとする間もなく、茂みの揺れが弾かれるように逆戻りしていく。
その光景に唖然としながら、聞こえて来た声に香奈は暫し混乱した。
見えるのは何処までも続く闇。
視界がぐにゃりと歪む。
そのまま、後方に引っぱられるようにして、香奈の意識は何処までも深い闇の中へと沈んでいった。
意識を失った体が倒れる寸前、音もなく姿を見せた男が抱き留める。
「よく頑張ったね、愛しい僕の娘」
香奈を抱き留めた連理が微かに口の端を引き上げる。
「で、この落とし前はどうするんだい?」
「もちろん、つけさせて頂きます」
砂利を踏み締め姿を現わした少女に連理は笑う。
『殲滅の雷姫』。
その名にふさわしい強大な能力の持ち主は、既に体から青白い放電を放っている。
「ふん、力ずくで空間を安定させているのか」
にこりと笑う雷姫に連理は鼻を鳴らす。
電位操作能力。
しかし、この雷姫のはただそれだけではない。
電気の力で電子に影響を与え、出口を封鎖しようとした力を弾き飛ばしたのだ。
「電子に影響を与えられる能力者なんて、そうそういないな」
「連理様の奥方様には敵いませんが」
「当たり前だ、小娘」
クツリともう一度笑うと、連理はすっと腕を上げる。
「好きに使え」
「まあ、嬉しい」
ふわりと笑み、現れた複数の気配を感じながら章子は力を解放した。
*****
ワスレナイデ。
ワスレナイデ。
ドウカ、ワスレナイデ。
暗い闇の中。
漂い、ただ流されていく。
ああ、また。
気付いた時、香奈はそこに居た。
カタンと音を立てて倒れたのは、祖父の写真だった。
今では手を合わせる事も殆どなくなり、月命日の度に呼ばれていたお坊さんも一年に一度だけの訪れとなった。
少女は中学生になっていた。
祖父に手を合わせなくなってから久しく、親と居るよりも友達と遊ぶ方が楽しい年頃だった。
少しずつ大人になっていく体。
けれど、まだまだ子供の心。
その境目であり、体の成長に心がついていかない苦しさともどかしさに悩む年齢だが、それでも少女は両親と仲良く暮らしていた。
変わらない暮らし。
ずっと続く筈の日常。
何も変わらない、何も変わることがない。
中学に入った少女は、三年後には何事もなく高校に進学し、そして大学に進んでいく。
好きな人が出来て、働いて、結婚して、そして子供を産む。
そんな平凡な人生を送る。
そこに疑いの余地など有るはずがない。
六年間を共に過ごした小学校時代からの友人達と共に中学に通う日々。
浮かれていた。
新しい生活に。
浮かれていた。
少しずつ出来る事が増えていく自分に。
浮かれていた。
大人になっていく自分に。
お洒落に興味を示し、ちょっと勉強が苦手で、友達と遊ぶ事が大好きで。
そんな、何処にでもいる、女の子になっていた。
そう。
何処にでもいる筈だったではないか。
何処にでもいる、他の子と変わらない子だったではないか。
なのに。
なのに。
ぐにゃりと歪む視界に香奈はハッとした。
このまま見ていては危ない。
飲込まれる。
この暗い思いに飲込まれてしまう。
しかし、体が動かない。
以前と一緒。
手も、足も、目も、口も。
何もかもが、ただそれを見ている。
ドウシテ。
ドウシテ。
ドウシテ。
奔流の様に流れ込むのは、純粋なる疑問。
ドウシテ。
ドウシテ。
ドウシテ。
それが、墨汁をこぼした半紙の様に黒い闇で染まっていく。
純粋なる絶望に。
何故、自分が。
何故、私が。
どうして私でなくてはならなかったのか。
あの日、あの時、外を歩いていた人達は沢山居た。
沢山、沢山。
なのに、何故私が。
走れ、走れ、走れ。
何処までも、走れ。
安全な場所まで、走れ。
走って、走って、走って。
そして絶望が目の前に立ち塞がる。
こんな筈じゃなかった。
『ここに隠れてて!』
それは、小さな正義感。
『大丈夫だから』
逃げ切れると思っていた。
『私がひきつけます』
そう言って、ひたすら走り続けた。
知っていたから。
逃げ切れると。
分っていたから。
大丈夫だと。
なのに、絶望は立ち塞がった。
後ろから、新たなる絶望がコツコツと足音を立てて近付いてくる。
来ないで。
来ないで。
ただの中学生だった私。
なのに、少しだけ出した小さな正義感がこの身を滅ぼす。
助けて。
少女が叫ぶ。
助けて。
刃物を瞳に写し。
死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないシニタクナイシニタクナイシニタクナァァイ
「しぃぃにたぁぁぁぁぁくううぅぅぅなぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
少女が、女性が、男性が、少年が、子供が、バラバラとなった体で這い蹲ったまま、ギョロリとした目で香奈を見る。
オ
マ
エ
モ
シネ!!!!!!!
絶叫する香奈の腕が、背後から強く引かれた。