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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第二十六話 天敵

警告)虐めに関する表現があります。

  過去にそういう経験がある方、感受性の強い方は閲覧を控えて下さい。

  この警告を無視して読まれての文句は一切受け付けません。

 逃げて、逃げて、逃げて。

 はやく、はやく、はやく。

 捕まったら食べられてしまうよ――。

 そう言ったのは誰だったか……。

 だが、今は考える暇などなかった。

 理佳は逃げた。

 梓を心配する心は恐怖に塗り替えられ、完全な恐慌状態に陥った。

 何処をどう走ったか分からない。

 後ろに迫る足音と自分を呼ぶ声に怯えながらひた走る。

 しかし所詮は女の足。

 じわじわと追い詰められ、人気の無い行き止まりに追い込まれた。

 足がもつれ、その場に倒れ込む。

「っ!」

 慌てて立ち上がり、逃げ場を求めて視線を彷徨わせた所で凍り付いた。

「もう終わり?」

 笑いを含んだ声がすぐ近くから聞こえたからだ。

「あ――」

 一気に全身から汗が噴き出す。

 胸の鼓動が限界を超える加速を行い、今にも口から心臓が飛び出しそうだった。

 呼吸すら困難なほど、体を押し潰すような恐怖が全身を包みこむ。

「野宮~、こっち向けよ」

「別になんにもしないからさ~」

 嘘だ。

 理佳は引きつった喉の奥で呟く。

 背後に居る少年達はいつも理佳を苛めてきた。

 小学校に入学して間もない頃からずっと。

 大きな失敗をして、オドオドし始めた事もあり格好の苛めの的だったのだろう。

 いつもいつも追い掛けまわされ、物を隠され、馬鹿にされてきた。

 しかも彼らは男女問わず人気があった部類の生徒だったから、彼らに気に入られたい他の生徒達もいつしか苛めに加わってきた。

 毎日が悪夢だった。

 毎日が苦痛だった。

 誰かに助けを求めても、助けてなんてくれない。

 梓や香奈達以外は――。

 男子では理人が。

 女子では梓、香奈、美鈴、椿の四人と桜子だけが特別だった。

 率先して助けてくれたのは、もちろん梓だ。

 香奈と美鈴、椿は見かけたら助けてくれたし、そもそも虐めには絶対に加わらなかった。

 それどころか、その事で難癖を付けてきた相手を逆にボコボコにしていた。

 桜子と理人は積極的に助けてくれる事こそなかったが、虐めに加わる事は絶対に無かった。

 でもそれ以外の生徒達は……。

 足かけされ、突き飛ばされ、物を隠され、トイレに閉じ込められ、沢山の侮蔑と嘲笑に満ちた笑いと陰口が思い出される。

 どうして自分ばかりが……。

 理佳は何度も心の中で叫んだ。

 そして、彼に問いかけた。

 自分を……一番最初に苛めた彼を。

 あの日、コワイ顔で自分を突き飛ばした彼を。

 それからだ。

 虐めが始まったのは。

「野宮~」

「ひっ!」

 グッと後ろから腕を掴まれ強引に振り向かされる。

 元同級生の少年達が楽しげに笑っている。

「逃げるなよ」

「そうそう。用事があるだけなんだから」

「……」

 イヤだと叫ぶも声にならない。

 ぱくぱくと口を動かすだけで、恐怖に震えた喉は何の音も生み出してはくれなかった。

 恐い、恐い、恐い。

 助けて、助けて、助けて。

「あれれ? 泣いてるの?」

「もしかして俺達に会えて感動してるんじゃない?」

「へ~! なら、しっかりともてなさないとな」

「って、馬鹿! あの人が居ない所で触るなよ! 殺されたいのか?」

 腕を掴んでいた手が離される。

 けれど、囲まれて逃げられない。

「それはイヤだ」

「だろ。だから――ああ、来たみたいだ」

 来た――?

「野宮、夕霧さんが来たぞ」

 その言葉に引き摺られるように理佳は顔を上げ、両手で口を覆った。

 向こうに小さく見えるのは、紛れもなく理佳にとっての悪夢の象徴。

 ゆっくりと近付いてくるずば抜けた美貌に、少年達の顔が恍惚の表情へと変わっていく。

 首筋で括った肩より長い栗毛色の髪。

 同性すら惑わす柔和で甘い顔立ちと華奢な体付き。

 頭のてっぺんから爪先まで女と見紛う如き容姿だが、身に纏う超名門校中等科の男子学生の制服がかろうじて本来の性別を指し示す。

 だが、全身から匂い立つ壮絶なる色香を前にすれば性別すらどうでも良くなる。

 性別を超越した美の前には、男とか女とかどうでも良くなってしまうのだ。

 少しつり目の瞳が理佳を捉え、意地悪げな光を宿した。

「久しぶり、だな――理佳」

 ふっと微笑んだ美貌が、理佳を怯えさせる。

 何処か軽薄で飄々とした雰囲気の中に隠れ潜む獰猛なる獣。

 油断すれば一瞬にして食らいつこうと狙うそれが、顔を出して理佳を見据える。

「なんかすっごく逃げ回ってくれたけど――どうやら今日で終わりみたいだな」

 クスクスと笑いながら、一歩ずつ。

 ゆっくりと近付いてくる。

 逃げ出さなければならないのに、足が動かない。

 下半身から力が抜け、ペタリと地面に座り込んだ。

 逃げられない。

 理佳は向けられる視線から逃れるように目を伏せた。

 ようやく……小学校を卒業して縁が切れたと思ったのに。

 夕霧――。

 ずば抜けて美しい顔とは裏腹に、笑いながら追い詰めてきた――理佳の天敵だ。

 理人と女子の人気をほぼ二分にし、男女問わず絶大な人気を誇る学校の王子様だった。

 だが、理佳が苛められる原因を作ったのは、この夕霧だ。

 しかも彼に憧れる生徒達は、みんな夕霧に習うようにして理佳を苛めた。

 男子も女子も、時には教師さえ理佳を苛めてきた。

 最初は夕霧の為に目障りな相手を追い出そうとする思いで始めた節があった。

 しかし、次第に他者を虐める事で得た快感に味を占め、最後には自分達の楽しみの為に理佳を虐め続けた。

 仕事で忙しい両親には相談出来ず、教師すらあてにならなかった。

 そんなボロボロだった理佳を助けてくれたのは梓達だけ。

 彼女達が居たから、何とか学校を続ける事が出来た。

 ようやく卒業し、理佳は香奈達と同じ中学へと進んだ。

 周囲から進められていた超名門校への受験を直前になって取りやめてまで。

 だが、超名門校に進まなかったのは、香奈達と一緒に居たかったからだけではない。

 あの学校に夕霧が行く事は知っていた。

 自分を苛めてきた相手と同じ学校に行くなんてとんでもない。

 絶対に嫌だ。

 そうしてなんとか入学出来た山中中学での生活は本当に楽しかった。

 時々笑われる事やからかわれる事はあっても、苛められる事はなかった。

 ようやく手に入れた平穏な生活。

 けれど……そんな生活の中で理佳は気付いた。

 夕霧が自分を捜している事を。

 まだ苛めたり無いのか!!

 絶望し、外に出るのさえ恐くなった。

 だが、理佳の異変に気付いた梓が外に連れ出した。

 しかしその間、ずっと梓は理佳の隣に居てくれた。

 決して一人にしないでくれた。

 だから……あれ以来夕霧の配下とも言うべき少年達が自分を監視するように物陰から見ているのに気付いても、決して手を出そうとはしてこなかった。

 彼らは梓に何度もボコボコにされていたから、手が出せなかったのだろう。

 しかし彼らは今、自分を追い詰め此処に追い込んだ。

 梓が居なくなった途端、姿を現わし牙を剥いてきた。

 怯える理佳を追い詰め、そうして――。

 伸ばされる夕霧の手に、理佳は必死に手を動かして振り払おうとするが、無駄な努力に過ぎなかった。

 強引に腕を掴まれ、引き寄せられる。

「や、やややぁっ」

「相変わらずドモリ口調だな」

「は、はは、離して!」

 自由な方の手で夕霧の手を自分の手首から引き剥がそうとするが、上手くいかない。

「はな、離し、て、誰か」

 焦りは頂点に達し、口調は更に呂律が回らなくなっていく。

 夕霧の顔は直視出来なかった。

 恐くて、とても見る事など出来ない。

 しかし顔を伏せ続ければ、苛立った様に体を引き寄せられる。

「お前、相変わらずだな」

「う、あ、ああ、あ」

 少しだけ声が出るようになってきたが、まだ上手く言葉にならない。

「行くぞ」

「う、あ――」

 引き摺られそうになり、必死に足で踏ん張って抵抗する。

 何かに掴まりたいが、あいにく掴めるものはない。

 ふと視界の隅に、何時のまにか手から離れていた自分の鞄を手に持っている少年が映った。

 と、彼は理佳の視線に気付くと、楽しそうに手を振った。

「理佳」

「や、あ、う――」

 言葉にならない。

 イヤだと言いたいのに、過去に受けた仕打ちの恐怖がギリギリと喉を締め付ける。

 だから代わりに頭を激しく横に振り、掴まれた手首を引き抜こうとする。

 しかしどれだけ頑張っても夕霧の力が緩むことはなかった。

「男の力に――まして俺に敵うわけないだろ?」

「――っ」

「いいから早く来い」

「ど、ど――こ」

 なんとか告げた理佳に、夕霧が獲物を嬲る様な笑みを浮かべた。

「俺の家に決まってるじゃないか――聞きたい事があるしな」

 急速に血の気が引いていく理佳の耳に悪魔の囁きが吹き込まれる。

「俺を出し抜いて試験当日にボイコットするなんてやるじゃないか。ああ?」

「っ――!!」

「けど……それで俺から逃げられたと思っているのか?」

 ああ……やはり、夕霧は自分を苛めたりないのだ。

 今の山中中学に通い出してからも、夕霧は自分を慕う少年達を使いずっと隙をうかがっていた。

 自分を出し抜き、自分から逃れる為に試験自体を受けなかった理佳。

 その後も徹底的に夕霧達から逃げ回ってきたが、もう終わりだ。

 どうしてほっといてくれないのか。

 自分はただ、静かに平穏に暮したいだけだ。

 自分が夕霧に何をしたというのか。

「さあ――来い」

「や、やだ――」

 連れて行かれれば終わりだ。

 引きつった喉が、叫び声をあげる。

「た、た、助け――」

 大きな手が口を覆う。

 塞がれ声が籠もるのを聞きながら、理佳はその手を引き剥がそうとした。

 だが、その耳元にふっと温かい息を感じ、注ぎ込まれる音に目を見開いた。

 ――お仕置きされたいのか。

 それまでとは比べものにならないほど、ガタガタと体が震え出す。

 視界が点滅し、かと思えば閃光の後に脳裏に蘇る――。

 迫り来る足音。

 突き飛ばされる体。

 恐慌が臨界点を突き抜けるままに理佳が悲鳴をあげようとした、その時だ。

「何してるのよ」

 バンっと、夕霧の後ろで音が鳴った。

 何かを強く叩付けた音。

 それが何かを理解する前に、夕霧が頽れた。

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