第二十一話 仲直り
放課後――。
階段下で待っていた香奈と美鈴の元に、二人は来た。
「資料、見たわ」
梓が代表して口を開く。
二人は互いに違った反応を見せていた。
梓は何を考えている様に訝しげに眉を顰め、理佳は相変わらずオドオドとしている。
「授業中も見てくれていたもんね」
「時間指定したのは何処の誰よ」
今日は昼休みもしない午前授業。
この時間割で分厚い資料をじっくりと見れるのは、授業中ぐらいしかない。
「で、これをどうしろと?」
「中を見たなら分かるよね?」
「……」
椿に確認させる。
それは梓にも分かっていた。
「椿に見せるって事ね」
「そういう事です」
「……なんで私達に見せたの?」
「だって、梓達も椿を助けたいんでしょう?」
「そりゃあ――って」
「だからだよ。情報交換はグループワークの鉄則でしょう?」
「……」
あまりにもあっけらかんと言い切る香奈に、梓はあっけにとられた。
グループワークも何も、今の自分達の現状を理解していての言葉だろうか。
まあ……時々香奈は不思議ちゃんな所があるし……と、失礼なことを思いつつ、梓はふと思い出した。
時々不思議ちゃんな香奈だが、梓は知っている。
香奈が、他の誰よりも不思議な事を信じていない事を。
だからこそ、朝の発言に梓は茫然とした。
椿の言う事が真実かもしれない証拠が載っていると告げた香奈。
それが何を指しているのかはすぐに分かった。
だが、信じられなかった。
それどころか、別の事だと思い込み、さっさと資料を確認するべく教室へと向かった。
なのに、載っていたのは……香奈が言ったその信じられない事で。
気付けば、理佳をつれて此処にやってきていた。
梓は香奈を見据えると、ゆっくりと口を開いた。
「書かれている内容は全部読んだ。もちろん、中の被害者の写真も」
「うん」
「椿の言ってる事は真実……確かに、そうね。これをみる限りは」
第五の被害者の遺体状況と素性を確認した瞬間、梓は茫然とした。
椿から人相までは聞いていないが、もし見せて同じだとなれば……犯人はただの幽霊とか化け物なだけではなく――。
いや、まだ見せていない時点でそこまで行くのは危険だろう。
だが……それでも、生きてる人間ではないかもしれない。
毎日椿を宥めながら、そう思うようになっていた。
梓だって最初から化け物が犯人だと信じていたわけではなかった。
けれど、何度も椿の言う事を聞いているうちに、もしかしてと思うようになっていった。
それに、毎日の報道での被害者の殺害方法。
もし四肢を一撃で切断するとして、片腕だけで、しかも女子中学生がそんな事を出来るかと考えれば、確実に無理だと梓は答える。
しかも、椿が見た千切れた被害者の腕――肉切り包丁一本で腕を飛ばすなんて、どれだけの力を必要とするのか。
絶対に、人間の仕業とは思えない。
それこそ、化け物の類でもなければ出来るわけがなかった。
そこに、香奈達から渡された資料だ。
これを見たら、もう犯人は幽霊とか化け物の類としか思えない。
それに、あの香奈ですら椿の言っている事は真実かもと言えば、もう殆ど決まったようなものではないか。
だが……梓は香奈を注意深く観察する。
真実かもと思ってはいるが、まだ完全に信じ切れていない様子が見て取れた。
確かに、香奈ほどオカルトなんて有り得ないと言い切る相手なら、すぐには信じられないだろう。
しかし今の椿の状態では、そんな事を言い出せば逆に刺激してしまうかもしれない。
だから梓は慎重に聞いた。
「資料の遺体状況は同じ。後は写真チェックだけ。でもね――もし、この写真が椿の見た相手だとしたら……」
梓は香奈の反応を確かめるように、ゆっくりと告げる。
「犯人は幽霊って事になるわよ?」
「……うん」
「オカルト否定の香奈からすれば、有り得ないって否定する事になるんじゃない?」
梓はわざと、突いた。
椿の言う事を認めつつも、まだ揺れ動いている香奈を徹底的に揺さぶる。
その反応次第では、梓は香奈達を再び突っぱねるつもりだった。
そんな中途半端な気持ちで、椿に近付いて欲しくない。
もともと考え方からして違うのだ。
それだけでも腹立たしいのに、その上中途半端となれば最悪だ。
考え方が違う以上にイライラしてくる。
だが、香奈は梓にとって予想外の答えを返してきた。
「それはまだ分からないよ」
「え?」
「見せてもいないのに、結論は出せない。でしょ?」
「……」
香奈だって、幽霊が犯人だとは思いたくない。
というか、良くある心霊話だって信じてはいない。
幽霊も、化け物も、妖怪も。
超能力も、サイキック現象も。
全部作り事だと思っている。
でも――。
少しずつ、思い出されていく昨日の事。
そう……本当は、とっくに心の中で気付いていたのかもしれない。
第五の被害者の写真を見た時、ストンと椿の言葉が写真の少女に重なった、その時に。
まさかとか、嘘とか、そんな否定の言葉を忘れるほど、綺麗に重なった。
それどころか、言いようのない哀しみと無念と言うべき思いが香奈を支配した。
――ナイデ。
聞こえて来た声は、酷く哀しげで懇願にも似ていた。
だが、写真が語りかけてくるなんて事はない。
きっと、あれは幻聴なのだ。
しかし幻聴が聞こえるほど、あの写真の少女の笑みは幸せそうだった。
初めて見た香奈でさえ、何故この少女が殺されてしまったのかと疑問まで浮かんだ。
どうして?
何故?
なんで自分が?
――それは、少女や被害者達の方がよっぽど問いたかっただろう。
普通に、平凡に暮していた筈なのに、突然の凶事に襲われて命を絶たれた。
しかも、殺されて四肢をバラバラにされた。
なのに犯人は捕まらず、事件すらも忘れられていった。
許せないと、化けて出て来ても当然なぐらいだ。
もし自分が同じ目にあったら、絶対に犯人を許さない。
恨んで、恨んで、恨んで。
憎んで、憎んで、憎んで。
犯人を徹底的に追い詰めてやるかもしれない。
第五の被害者達だけではない。
他の被害者達だってみんな思った筈だ。
何故自分が殺されなければならない?
どうして自分がこんな目に遭わなければならない?
あの時、どうして現場付近を通りかかったのか。
あの時、どうして犯人に出会ったのか。
後悔と苦痛と恐怖で心が引き裂かれたって、おかしくない。
それは死んだって続くのではないか。
香奈は幽霊など信じない。
信じられるだけの経験をした事がないからだ。
だが――もし、本当に幽霊が居るとすれば……。
「犯人に、復讐したっておかしくない」
また、するりと言葉が出た。
それは、椿の話した事が真実かもしれないと、朝に梓達に告げた時のように。
香奈の中にいる何かが、再び突き動かしてきた。
だが、梓はまだ納得出来ないのか幾つもの疑問を呈示する。
「それにしては全然関係のない人達を殺しているのはなんで?」
「……」
「犯人ではなく、関係者でもない人達――って、詳しく調べてないから関係者かどうかは分からないけど……でも、もう一つ疑問もあるわ。どうして、今になって?」
「梓……」
美鈴が、梓を見る。
「復讐するなら、その時にするべきよ。なのに、三十年経ってからなんておかしくない? それに、今まで全く出て来てないってのもおかしいわ」
それは、香奈も抱いた疑問で、図書館で美鈴に同じ様に質問した。
「よく幽霊の出没する場所って、死んだ後ぐらいから噂になるじゃない。でも、この事件の人達の幽霊が出たなんて話は聞かないし、私もこんな事件があったなんて今の今まで知らなかった」
「それは私達もだよね」
美鈴の問いかけに香奈は頷いた。
「どうして今になって出て来たのかしら?」
「それって、梓は幽霊説を信じないって事?」
だとすれば、香奈からすれば驚きだった。
梓は自分とは違い、それほど強くオカルトを否定してはいないから。
「そうは言ってないわ。ただ、不思議なのよ……私だったら、即座に報復に向かうわ。もちろん相手は犯人よ」
「……死んだ時が苦しすぎて、誰彼構わず襲っているんじゃないの?」
「三十年経ってから?」
そう――確かに、そこでまずひっかかる。
「……でも、まあ――この写真は椿に見せた方がいい事は確かね」
「梓……」
「幽霊説にしろそうでないにしろ、まず椿の見た相手かどうかで話は変わってくるからね」
もし、全く容姿が違いますなんて事になったら、幽霊説うんぬんどころの話ではない。
どうやら、梓も納得してくれたらしい。
と、梓の視線に香奈が気付く。
「どうしたの?」
「椿の事を見捨てたくせにって思ってたの」
「梓っ」
美鈴の瞳に怒りが宿る。
「真実を言っただけよ」
「つまり、不思議だって言いたいの?」
「そう」
香奈の質問に、梓はしっかりと頷いた。
「なのに、こういうのを持ってくるなんて」
「当たり前じゃない」
「え?」
「椿は見捨てないって言ったでしょ?」
「でも、私達だけでどうにかするのは、得策じゃない」
梓の言葉に、香奈が目を見開く。
覚えていたのか。
「……なら、この情報は他の人を使って得たの?」
「ううん、私と美鈴の二人で得たの」
その言葉に、梓がガクリと項垂れた。
「あんた達……ううん、香奈。それ言ってる事違うんじゃ」
「違わないよ。私達は、警察に椿を保護してもらう為の情報を探していて、その途中で有益な情報を得て、これに辿り着いたの」
「……それの何処が違うのよ」
「結果論は同じでも、過程が違います」
思い切り胸を張り、香奈は言い切った。
「……あんたらしいわ」
思い切り腕を伸ばしてピースする香奈に、梓はなんだか笑い出したくなった。
「まあ、でもそれが香奈か」
そう――それが自分だ。
香奈は、すっと梓を見つめた。
「梓」
「な、何よ」
穏やかな眼差しを受け、梓はたじろいだ。
香奈のこんな瞳は苦手だ。
その瞬間を、香奈は見逃さない。
そして心の中で留めておいた言葉を紡ぐ。
「ごめんね」
「……は?」
予想通り、梓は茫然としている。
だが、それでいい。
茫然としていればすぐには言い返せないから、こっちのペースに巻き込める。
「だから、ごめんねって」
「香奈?!」
梓だけでなく、美鈴や理佳も驚いている。
何か言いたげなのはすぐに分かったが、答えなかった。
今はそれよりもやるべき事がある。
香奈の中に、夢の中の少女が蘇る。
大切な存在を喪った喪失感と哀しみが蘇る。
あんな思い、現実では絶対にしたくない。
いつかするとしても、回避可能である限りは回避し続ける。
香奈は梓を見つめた。
例えどんなに我が儘でも、自分にとっては大切な友達なのだ。
「ど、どうしたのよ急に!」
あせる梓は、思いの外幼く見えた。
「謝ってるの」
「謝って――って」
「ああ、謝ると言っても、梓側の考えを全て受け入れたわけじゃないよ」
と、梓の機嫌が再び低下していく。
もちろんそれも了解済みだった。
だが、謝るにしてもその部分だけはきっちりと言わなければならない。
なぜなら、香奈は梓と仲直りしたいが、梓の考え全てを受け入れて自爆する気も、梓達を喪う気もなかったからだ。
自分のやる事が正しいとは思わないし、必ず大丈夫という保証もないが、それでも色々な手段を講じておけばそのうちの一つぐらい良い方に当たるかも知れない。
子供が何を言っているのだと、聞いた者からすれば思われるかもしれないが、これだけは譲りたくなかった。
「あんた、私に喧嘩売ってるの?」
「売ってません」
「なら何の」
「ただ、梓と仲違いしたくないだけ」
梓が目を丸くした。
「はあ?」
「だって、梓と友達で居たいから」
香奈の笑顔に、梓はグッと息を詰まらす。
「……なら、もし仲直りするなら、私の考えを受け入れて協力しろって言われたらどうすんのよ」
「私が納得したら、する」
「……は?」
「だから、私が納得したら、する。じゃなかったら、友達には戻るけど、今まで通り分かれてそれぞれで捜索するの。あ、その方がはかどって良いかも」
すらすらと言い切る香奈に、梓は度肝を抜かれた。
まさか、こんな答えを返されるなんて……。
「って、友達に戻る為に考えを受け入れろって言ってるのに、どうしてそうなるのよ!」
「友達だからって、全てを受け入れるのは無理だから」
「はあ?!」
「だってそうでしょう? 梓には梓の考えがあって、私には私の考えがある。それに、梓はこの第五の被害者のことまで調べられた?」
その質問に、梓は詰まる。
「そ、それは」
「そう。これは、梓と違った考えを持った私達だからこそ、調べられた」
まるで自分達が偉いと言わんばかりの言い方に、梓がムッとした時だった。
「でも、梓達だってそれは同じ事」
「……え?」
「私達では調べがつかない事を、調べたりしてるんじゃないの?」
「……」
目を伏せた梓に、香奈は確信を持った。
「ビンゴ」
「……はぁ」
大きな溜息をつく梓に、二度目のピースをする。
半分はもちろんハッタリだ。
でも、もう半分はある筈だと思った。
それは、梓と長い付合いの自分だからこそ、思えた事だ。
と、理佳が梓の肩にそっと触れた。
「あ、ああ梓ちゃん」
「理佳……もう、呆れるわ、本当に」
そう言うと、梓は香奈を見つめる。
しかしその瞳には、今までの鋭い剣呑な光はなかった。
「……つまり、香奈は私達の考えには同意出来ない。それは今もよね?」
「うん。私達だけでやるのは危険だから」
「でも、友達に戻りたい。で、違う考えのもと、別々に動いたっていいと」
「その方が、色々な角度から物事が見れるし、沢山情報を得られるもの」
正論だった。
「……で、あんたは私と友達で居たいと」
「うん」
「何でよ」
「梓の事が大好きだから」
香奈の真っ向過ぎる答えに、梓の顔が茹でたタコの様に真っ赤になる。
「な、な、なっ!」
「理佳も好きだし、梓も好き。美鈴も椿も好き」
「桜子は?」
美鈴の指摘に、香奈の言葉が止まった。
「……」
「うん、ごめん。話の腰を折って」
好きというより、恐いという香奈の本音を悟った美鈴は素直に謝った。
「……好き、か」
「そう。好きだから、危ない目にあって欲しくない。だから椿の事は見捨てない。そして、危険性が高い梓の考えには共感も納得も出来ない。だって、それは間違ったら怪我だけではすまないもの。冗談じゃないよ。どうして私がそんなおかしな犯人の為に友達を喪わなければならないの?」
「……」
「だから、絶対に受け入れられない。もし失敗したら――ううん、失敗する確率の高い案は、絶対に受け入れたくない。たとえ、梓に薄情者と言われたって、絶対に嫌だもの」
「……香奈」
「かか、かか香奈ちゃん……」
美鈴と理佳が香奈を見る。
そして黙ったままの梓に視線を向けた。
「……なんなのよ……これじゃあ私が悪者じゃない」
「え? なんで?」
「……はぁ……ったく、怒っているのが馬鹿馬鹿しくなっちゃったじゃない」
そう言った梓は笑っていた。
「しかも、私と友達でいたいなんて……普通は縁が切れてせいせいでしょう? こんな我が儘娘」
どうやら、自分でも自覚はあったらしい。
「梓が我が儘なのはいつもの事じゃない」
「あんた……」
「でも、それが梓だもの。それに、欠点のない人なんていないしね。私だって欠点あるし」
特に淡々とした物言いとか、人を怒らせるのが上手いとか――と、理佳と美鈴は思ったが、黙っておいた。
下手になんか言えば、またこじれてしまう。
「それに、いくら言っても桜子へのライバル心を向きだしにするとか、色々あるけど」
「本人を目の前にして言う事?」
「言う事」
香奈はきっぱりと言い切った。
「そして出来れば、桜子へのライバル心とかも捨ててくれたらとっても素敵」
「それが今回の事と何の関係があるのよ」
「ないけど、このままの勢いで頷いてくれないかな~っていう期待感をあらわにしてるの」
「それだけで捨てられたら、小学生の時にあそこまで大騒ぎにはならなかったけど」
「無理?」
「何年も培って来たものをそうそう無かった事に出来るわけないじゃない」
「そっか~。じゃあ、そっちは後でいいや」
香奈はあっさりと引き下がった。
「でも、友達の方は宜しくね」
「断ったら?」
「どうされたい?」
逆に聞き返された梓は、ぞくりとする物を感じた。
このまま断れば、恐ろしい目に遭うと、本能が警告する。
「……わかった」
「じゃあ、仲直り。美鈴とも仲直り」
「へ?」
驚く美鈴の手も掴み、ついでに理佳にも呼びかけ四人で手を繋ぐ。
これは仲直りの儀式みたいなものだ。
今までも、喧嘩した後はこうやって仲直りした。
「はぁ……また流されたわね」
「うん、どんどん流されて」
そうして、香奈の願い通り仲直りが実現した。
そんな香奈を見ていた理佳と美鈴は思う。
案外、策士家なのかもしれない――と。
そこで美鈴は思い出す。
なんだかんだ言ってあの桜子から逃げ回っていた香奈である。
それぐらいは当然かもしれない。