第二十話 選択
「香奈」
「美鈴か」
共に一台目の通学バスで学校まで来た香奈と美鈴。
けれど、美鈴は日直だったから日誌を取りに職員室まで行き、香奈は一人で人気の無い階段下に座り込んでいた。
教室には既に他の生徒達がいて、落ち着いて見る事が出来ないからだ。
美鈴は香奈の手に握られている数枚の紙の束を見る。
「それ見てたんだ」
「うん」
香奈と美鈴の二人分印刷した、事件の概要と被害者の写真。
ホチキスで止めたそれは、第五の被害者の写真まで捲られていた。
「椿、来るかな?」
「可能性は低いと思う」
香奈の言葉に、美鈴が溜息をつく。
とりあえず、今の段階で調べられるところまでは調べた。
この後は、椿の証言にかかっている。
そう――この第五の被害者と椿の見た犯人が一緒かどうか。
それを明らかにするだけでも、自分達の出した幾つもの推測の中からかなり取捨選択する事が出来る。
犯人とこの第五の被害者が同じ容姿をしているのか?
もし、同じだとしたら――椿の言うとおりの化け物説が現実味を帯びるし、同時に美鈴の言った第五の被害者が今になって化けて出て来て三十年前の続きをしている、三十年前の事件の真犯人説も可能性が高くなる。
「って、最初は模倣犯かどうかだけだったのに……」
花屋で見かけた三人組の女性が話す過去の事件を盗み聞きした時には、もしや犯人は模倣犯かと思った。
もちろん、今だってその可能性はある。
だが――もし、第五の被害者と今回の犯人が同じだとすれば……。
香奈としては、見た目がそっくりな別人か親類という可能性もまだ捨てきれないが、首の傷や血塗れは特殊メイクでどうにか出来ても、片腕や片目がない状態にするのは流石に無理だろう……という考えが沸いてきていた。
それに、四肢を一撃で切断するのに、人間が片腕だけで行うには確実に無理がある。
しかし――そこまで考えても、やはり心の中には化け物や幽霊が犯人なんて……という考えがよぎる。
これも、心霊スポットで一人何の心霊体験もしなかった哀しい過去のせいかもしれない。
しかも、自分以外の者達はみんな体験したというから、余計に腹立たしい。
もしや、自分はそういうのに嫌われる達なのだろうか?
いやいや、そんなわけない。
もともとそういうのは存在しないのだ。
でなければ余りにも哀しすぎる。
心霊現象の方が避けて通るなんて、こっちが化け物みたいではないか。
「香奈? 香奈~?」
「え? 何?」
「何って、なんか凄い目をしてたよ? 親の敵を見るかのような」
「……」
「でも、椿が来なかったらどうしよう?」
「帰りに椿の家に寄るしかないよね」
「梓が会わしてくれるかな?」
毎日椿の家に通っている梓。
普段であればまだしも、現在没交渉中。
しかも数日前のあの剣幕からすれば、交渉する余地があるかどうか……。
「けど、向こうも椿を助けたくて動いているのは事実だよね」
香奈の言葉に、美鈴が頷く。
「なら何とかなるかも」
「何とかって」
「椿を助けようとする気持ちは一緒だもの。椿の事に関してって言えば何とかなるかも」
「寧ろ関わらないでって言われるかも」
「その前に、見せつけちゃえばいいんだよ」
「上手く行くかな……」
寧ろ、資料を叩き捨てられるかもしれないと呟く美鈴に、香奈が苦笑する。
確かにその可能性は高いだろう。
それを思えば、椿が学校に来た時にでも梓の隙を見て見せるべきだが、香奈はそうはしたくなかった。
もし、それをすれば梓は……。
香奈は、梓の切り捨てとも言うべきその選択をあっさりと捨てた。
ギシリと木の床が鳴る音が聞こえた。
香奈の瞳がキランと光ったのを、美鈴は見逃さなかった。
しかも、その視線が自分の後ろに向けられている。
「香奈――」
名を呼んだ瞬間、香奈が動き出す。
そのまま走り出し、階段へと近付いて来ていた二人の少女を捕獲する。
「きゃっ!」
「か、かかか香奈ちゃん?!」
「早っ!」
教室に向かおうとしていた梓と理佳を素早く捕獲した香奈に、美鈴は舌を巻いた。
そのままズリズリと強制的に引き摺ってくる香奈に、美鈴は後退る。
「ちょっと! 何するのよ!」
「ど、どどどとうしたの?!」
「お話があります~」
と、階段下まで引き摺り、ようやく香奈は二人の手を離した。
「話なんてな」
怒りを露わにした梓だったが、その顔に紙の束を押し付けられた。
「これ見て」
「香奈、顔にくっつけたら見れないって」
思い切り梓の口と鼻を塞ぐ状態で紙の束を押し付ける香奈に美鈴がツッコむ。
「あれれ?」
「殺す気かっ!」
ようやく圧迫から解放された梓の叫びに香奈はぶんぶんと首を横に振った。
「殺る気なら、違う方法をとる」
そんな答え聞きたくなかった。
律儀に答える香奈に、美鈴、梓、理佳の三人は末恐ろしいものを感じる。
そういえば、香奈にはそういう所があった。
「で、一体何よ」
「だから、これ見て」
「はあ? ――って」
また押し付けられては困ると紙の束を手に取った梓は、書かれている内容を見て言葉を止めた。
「……」
「それね、三十年前の事件なんだ。しかも、今回とかなり似てる」
香奈の説明に、梓は黙って文面を見る。
「事件の概要だけじゃない、被害者とか……。それに、もしかしたら椿の言う事が……」
そこで香奈は言葉を止めた。
自分は何を言おうとしているのだろう。
今から自分が言おうとしている事は、自分の今までの考えを根本から覆す物だ。
そんな事は有り得ない。
そんな事はない。
だからこそ、椿が最初に話してくれた時にも、自分は有り得ないと否定した。
そういう被り物をした犯人だと、半ば決めつけた。
そして警察に椿を保護して貰える様な材料を捜した。
それこそ、犯人が化け物なんていう可能性を消そうとした。
しかし今から言おうとしている事はその逆になる。
もし、椿が見た犯人が被害者と同じなら……それが認められてしまえば、二度と警察の保護など受けられない。
まず信じて貰えないだろうし、そもそも警察が相手にするのは生きた人間で、幽霊とか化け物は霊媒師とか霊能者、お寺のお坊さんが相手だ。
だが、そういう不可思議なことが信じられない香奈にとっては、本当に効果があるのかも信じられない。
もしインチキだったら、椿はどうなってしまうのか?
だから、犯人は生きた人間でいて欲しかった。
そうすれば、警察が動いてくれる。
しかし……自分の中の何かが、突き動かすように香奈にその言葉を言わせた。
「椿の言う事は……真実かも――という証拠が載っているかもしれない」
目を見開く梓。
香奈を知っている者ならば、今の発言がどれほど有り得ない事か知っている。
それは香奈も同じだ。
けれど、その言葉を告げた途端、ストンと何かが上手くはまった気がした。
今まで嵌められなかった欠片が、突然思いがけず綺麗に嵌まったような……そんな感覚だった。
「とりあえず、今の話はそれだけ」
「か、香奈」
何か言おうとした美鈴を制し、香奈は梓と理佳を見据える。
「午前中までには読み終えられると思う。だから、放課後此処に来ても」
今日は午前授業。
給食もないから、授業が終わればすぐに帰れる。
けれど、その前に――。
「たぶん、梓達も質問があると思うから」
「……」
梓は何も言わなかった。
が、顔を見れば何となく受け入れてくれた事は分かった。
くるりと踵を返して去って行く梓に、理佳が慌てて後を追い掛けた。
「香奈……」
「後は、梓次第かな」
椿に見せるにしろ、話をするにしろ、障害となるのは梓だ。
だから、まずはその障害を取り除かなければならない。
「けど、よく素直に持って行ってくれたね」
「そりゃあ、椿の名を出されればね」
梓があそこまで怒り出したのも、椿の事が心配だったからだ。
椿を助けたい。
椿の為に何とかしてやりたい。
その思いが根底にある。
だからこそ、香奈は資料を梓達に見せた。
出来る事なら、協力し合いたいから。
それに……そろそろ疲れてきていた――いがみ合うことに。
喧嘩が長引いて数日間口を利いてくれない事は今までにも何度かあったが、今は逼迫した状況だ。
それに――出来るならば、梓達を止めたかった。
もし、相手が本当に化け物とか……とんでもないものが相手なら、それは人間が相手よりもよほど始末が悪い。
人間が相手なら、いざとなれば何としてでも警察を頼るが、化け物が相手ならそれさえ出来ない。
つまり、自分達だけで何とかしようとする梓達がより危険になるという事だ。
「香奈は本当にお人好しね」
美鈴が呆れたように溜息をつく。
あれだけ梓に噛み付かれながら、それでも梓を切り捨てない。
「梓は友達だからね」
さらりと言い切る香奈に、美鈴は苦笑する。
「それに……」
香奈は、夢を思い出した。
祖父の死が分からず泣いていた幼い少女。
あれは夢の出来事だったが、香奈は今も身を切り裂かれる様な哀しみを覚えている。
言いようのない喪失感に香奈も少女と共に泣いていた。
もう祖父は生き返らない。
死んでしまえば、もう二度と生き返らないのだ。
話しかけても、笑いかけても反応を返してくれない。
もし――梓達がそうなったら。
そう考えると、香奈は恐ろしかった。
と同時に、自分達がどれだけ綱渡り的な事をしているかに気付いた。
迫り来る死は無情にもその歩みを止めず、自分達に迫ってくる。
対象者は椿だけだが、梓が椿を見捨てることはない。
我が儘だけど、情に厚くて、どんな相手にだって立ち向かう。
このままでは椿も梓も喪う。
そう――思ったら、居てもたってもいられなくなった。
出来る事なら梓と仲直りしたい。
それには、今回の資料は打って付けだった。
椿の事であれば梓も話を聞いてくれる。
それを突破口にして、何とか話がしたかった。
もしかしたらまた拗れるかもしれない。
考え方があわなくて、言い合いになるかも知れない。
けれど――梓の存在を無視して事を進めれば、たぶんもう二度と梓はこちらに心を開いてくれないだろう。
「香奈……」
「あんな思い」
「え?」
「あんな思い……したくないから」
香奈の記憶にある限り、近しい者を喪った経験はない。
葬式だって行った事はない。
でも、きっともし近しい誰かが死んだら……夢の中の少女のように号泣すると思う。
泣いて泣いて、棺にしがみついて……。
そうして、いつかは忘れていくのだろうか?
――ナイデ。
「っ!」
「香奈?!」
また、声が聞こえた気がした。