第十六話 残酷な時
警告)かなり、重たい展開となります。
お話、と割り切れる方のみ、ご覧くださいませ。
感受性の強い方は、控えた方が宜しいと思います。
警告を無視して読まれて不快に思われたとしても、自己責任となりますのでご注意くださいませ。
起動音と共に、パソコンが立ち上がる。
再び、検索ワードを打ち込み、先程のサイトへと辿り着いた。
「ここだわ」
被害者ページを美鈴がクリックする。
すると、そこに出て来た被害者の。
顔。
顔。
顔。
「……」
「……」
その下には、被害者の生前の経歴などが残されている。
プライバシー保護法など、現在では顔写真を載せるだけでも煩くなってきているのに、それでも載せている意味は……。
皆、幸せそうに微笑んでいる。
幸せだったのだろう……この写真を撮った時は。
美鈴は、一つ一つの顔をじっくりと見る。
そして……その視線が、第五の事件の被害者へと向けられる。
「……私達と同じぐらいだね」
香奈は、ぽつりと呟いた。
少し面長の輪郭を縁取るのは、左右に三つ編みにした黒髪。
一重の黒い瞳が優しげに微笑み、涼やかな目鼻立ちの下には形良い唇があった。
制服は、セーラー服を着て、学校の校門前に佇んでいる。
学校名は見えなかった。
しばらく、二人で写真を見つめていた。
この少女の笑顔からは、到底想像すら出来ない。
この写真をとった数ヶ月後に、凄惨な事件に巻き込まれた事など。
何処にでも居る、ごく平凡な少女だった筈だ。
香奈や美鈴と同じように、普通に暮していた……どこにでもいる……。
――ナ イ デ
「か、香奈?」
「え?」
「な、泣いているの?」
美鈴の指摘にはっと頬に触れると、涙が伝っていた。
「……なんで……」
――ナ イ デ
「っ?!」
声が……聞こえた気がして、香奈はパソコンの画面を見つめた。
じっくりと……しっかりと見る。
まるで、その少女を目に焼き付けるように。
「……香奈?」
「……」
もう……声は聞こえない。
今のはなんだったのだろう?
「香奈、大丈夫?」
「……ううん、気にしないで」
だが、ふらりと目眩がして、香奈は椅子に体重をかける。
と、椅子のバランスが崩れて……後ろに倒れそうになった。
「香奈!」
「あ――」
後ろにひっくり返る――。
だが、強い力に香奈は支えられて傾きが止まった。
「……え?」
天井を向いたまま、足は床から離れていた。
でも、椅子に座ったまま。
そんな有り得ない状態で、香奈は呆けたように天井を見つめた。
「――っと」
「きゃっ!」
いきなり後ろから突き上げる力と共に、体が前へと倒される。
そのまま、ぐいっと倒れる前の状態に戻された。
「香奈! 大丈夫?! あ、すいませんありがとうございますっ」
「あ、いえいえ」
美鈴の視線に香奈は自分の後ろを振り返った。
そこには――。
「あ、貴方は……」
「ははは、これで二度目ですね」
一回目のパソコン使用時に時間が過ぎていると教えに来てくれた、図書職員の若い男性が立っていた。
「香奈も御礼を言って! この人が支えてくれたから、香奈はひっくり返らずにすんだんだよ!」
「……」
「貧血なら、外のベンチで休んだ方がいいですよ」
「香奈は休んでたら? 後は私がやるよ。もう時間もないし」
「う、うん……」
「このページを印刷すればいいんだね」
「うん。あと、事件の概要とか一通りお願い」
「了解」
「じゃあ行きましょうか」
そうして図書職員の男性に連れられて、香奈はパソコン室外にある休憩所のソファーへと横たわった。
なんだか、この前熱射病で倒れた美鈴と同じな気がする。
「大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます」
「いえ。女性職員にも声をかけておきますから」
「す、すいません」
何から何までお世話になっている気がする。
「それにしても……貴女方だったんですね」
職員の言葉に、え? と香奈は職員を見上げた。
「いえ――受付の同僚が、昔の事件の事を調べている子達がいるって言ってたもので」
「あ――」
って、プライバシー保護はどうした。
「あ、別に変な意味とかはなくて――その、調べるのを手伝ってあげたら? って事だったんですよ」
「……手伝う?」
首を傾げる香奈に、職員が微笑む。
「はは――実は私、こう見えても法学部を出てるんですよ」
「……へ?」
「それで、昔の事件に関しても色々と調べたりしてまして……」
「そ、そうなんですか? え、でも図書館職員って……」
「警察官になりたかったんですけど……試験に落ちてしまって」
「は、はぁ……」
「まあ……血とか色々苦手だから、なれなくて正解だったかもしれませんね」
別に、警察全てが血に関係するわけではないが。
「それが……殺人事件などを担当する警察官になりたかったんですよ」
「そ、そうなんですか……」
意外だと香奈は思う。
というのも、それぐらい相手はほんわかした青年だったからだ。
見たところ、年齢は二十代後半ぐらいだろうか?
「いえ、三十ですよ、これでも」
「嘘! 見えないですっ――あ」
失言だった気付くも、既に遅い。
ほんわかした図書職員――自称三十歳がくすくすと笑う。
「いえいえ。で、まあそういう経歴なので、昔の事件とかは詳しいんですよ」
「は、はぁ……」
「もし良ければ――と、捜していた事件ってさっきパソコンに出ていたものですか?」
「あ――」
よく見ていると香奈は思った。
「は、はい……」
「そうですか……そう……あの、事件」
「あ、あの?」
「昔は……当時はかなり騒がれた事件なんですよ、あれ。殺害した後に四肢をバラバラにするという惨い方法。被害者の数の多さ。そして捕まらなかった犯人」
「……」
「沢山……騒がれたそうです。といっても、当時は私もまだ赤ん坊でしたが」
どこか、哀しげに微笑む職員に香奈は口を開く。
「詳しいんですね……」
「――ええ。なんといってもあの事件は……私の、人生の根幹に関わるものですから」
「人生の?」
「はい……忘れられない……大事な、事件なんです」
その横顔が、どこか悲痛なものを帯びる。
ふと、香奈はそれに思い当たる。
「もしや……遺族の」
「いえ――違います」
そう告げた時だった。
休憩所の奥から聞こえて来た会話に、香奈は耳を奪われた。
「なあ、知ってるか?」
「あん?」
「今回起きてる連続無差別殺人事件の事だけど」
休憩所奥のベンチに座りながら、高校生ぐらいの男達が話している。
「あの事件、昔に起きた事件に結構似てるって噂」
「あ~~、知ってる! なんか、昔都心の方で起きた事件! 確か火曜日に起きてたって話だろ? でも、今回とは発生時刻は大幅に違ったっけ」
「まあ時刻はな。けど、実は被害者も似たようなのが殺されてるみたいだしさ。で、事件を知ってる俺のじいちゃんが言うんだ。似すぎてて気味が悪いって」
「確かになあ」
「当時も凄く騒がれたらしいよ、その事件。けど、犯人も捕まらなくて何時のまにかみんな忘れていって……じいちゃんも、今回の事件が起きるまですっかり忘れてたって話だよ」
「うわ~っ! 最悪! しかも、似たような事件なんて、昔の事件の遺族の神経を逆なでするんじゃないのか?」
「だよな~」
「で、いつごろ起きた事件なんだ?」
「確か、三十年前の今頃だったって話だ」
と、そこまで話した所で、男子学生達は話題を変えた。
「……多いんですよ」
「え?」
「昔の事件が、こうやって話題になるのは」
図書職員の男性が哀しげに笑う。
「あ、あの」
「誰もが忘れていく」
「……」
「毎日、沢山の事件が起きていて……大きな事件が起きれば、みんなは鬼の首でも取ったかのように騒ぎます。連日、報道で特番が組まれ、多くの捜査員が派遣されます」
その、通りだ……。
「でも、例えどんなに騒いだとしても……一日、一週間、一ヶ月と日が経つにされて、日々起こる新しい事件に押し出されるようにして、古い事件は記憶の奥底に消えていく」
「……」
「でも、仕方ないんです。人間なんてそんなものです。いや、人間は忘れる生き物なんですから」
「職員さん……」
「いつまでも、昔の事だけに囚われていては生きてはいけない。だからこそ……でも、事件の関係者にとっては、いつまでもその事件は忘れる事なんて出来ない。警察、遺族、関係者達にとっては、時間が止まっているも同然なんです」
哀しい呟くような声に、香奈はただ聞き入る。
「だから……あのサイトは作られた」
それが、自分達が見ていたサイトだと、香奈は悟った。
「いつかは忘れてしまう。でも、それでも誰かに覚えていて貰いたい……そう、願って。あそこに掲載されている事件の中には、もう時効の成立した事件だってあります。時効が成立すれば、法律的には犯人を見つけても罪には問えない。捜査本部は解散するしかない」
「……」
「時効は廃止された現在ではそれはありませんが……三十年前の事件には、それは適用されていないのが現状です」
その通り……なのだろう。
「でも、遺族にとっては時効なんて関係ないんです。時効なんて……。そして永遠に事件は終わらない。たとえ、犯人が捕まっても」
「……」
「……けれど、世間は残酷なものです」
「……」
「新しい事件がどんどん発生する中で、どんな凄惨な事件でも、まるでそんな事件などなかったように時が過ぎていく。十年一昔――十年も経てば、それは遙か昔の話とされ、当時を知る者達の記憶からも、その事件が忘れられていく」
「……そうですね」
「でも……三十年前の事件は……それで言えば、珍しいんでしょうね」
「え?」
「ここ数日の間ですかね。少しずつ、人々の口に上るようになっているんですよ。昔にも似た事件が起きている、三十年前の事件と、似ていると」
「そう……なんですか?」
「貴女方もそうではないですか?」
「っ!!」
「ふふ……いいんですよ。それに、貴女方は違うと思いましたから」
「違う?」
「……昔の事件が思い出されるのは、必ずしも良いことばかりではありません。中には……いるんですよ。昔の事件を面白可笑しく話す輩が。たとえ、それがごく一部の者達だと言っても……中には、聞くに堪えない話もある」
幾ら、人事だとはいえ……と、図書職員の拳が震えている。
「遺族や関係者の事など考えていない、軽口を叩く」
「……確かに、います」
それは、きっと否定出来ない。
しゅんっと項垂れる香奈に、図書職員はハッと我に返った。
「あ、す、すいません! こんな話」
「いえ、大丈夫です。でも……そうですよね……遺族や関係者にとっては……事件は永遠に終わらないですよね……」
「……」
「私は、そういう方は幸い――と言ったらいいのか分からないですけど、不幸にも事件に巻き込まれた方はいません。でも、もしそういう方が……遺族の方が居た時には……どうしたらいいんでしょうか?」
香奈の質問に、図書職員は苦笑する。
「難しい、質問ですね」
「すいません、気になるとすぐに質問してしまう性格なので」
「いえ……でも、良い質問です。そして……私にとってもずっと考え続けている質問です」
「……職員さんも?」
「はい。そして、まだ答えは出てません」
「……そうなんですか……」
「それでも、いつかは答えを出したいと思います。まあ……もっと……ずっとずっと後のことになると思いますが」
「……私も、そう思います」
「でも……これだけは言えますね」
「え?」
「あのサイトを見たら、きっと貴方には分かって貰えると思います。あの様に、サイトが更新され続けて……そして、被害者達の詳しい情報が残されている、その意味を」
「……」
意味……か。
と、図書職員の男性が慌て出す。
「す、すいません。休むために此処に連れて来たのに」
「いえ――その、凄くタメになりました。本当に遺族の方ではないんですか?」
真摯な態度に、香奈はポロリとその言葉が漏れた。
すると、図書職員の男性が苦笑する。
「え~と、いや、遺族ではないんですよ。遺族では」
哀しげに笑い、再び口を開いた男の顔が酷く印象的だった。