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冥姫  作者: 大雪
第一章 忘却の罪
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第十話 父

 神無家の夕食は午後六時半から始まる。

 しかし、父の暴走で母の調理が中断された事から、ようやく料理が食卓に並んだ時には、香奈は空腹のあまりリビングのソファーに倒れていた。

 隣で、機嫌良く母の手料理を待つ父が憎らしく頬を膨らませれば、ズキンと梓に打たれた頬が痛む。

 何時のまにか湿布が温くなり、香奈は側に転がっていた湿布の箱から新しいのを取り出して頬に張り直した。

「さて、ご飯にしましょう」

 母の言葉に、香奈は勢いよく起き上がり食卓へと四つん這いで這い寄る。

 短時間で作ったにも関わらず、食卓は豪華だった。

 油淋鶏のかかった鳥の唐揚げに筑前煮、オクラのゴマ和えに胡瓜と茄子のぬか漬け、蜆のお味噌汁にご飯。

「いただきます!!」

 今日はご飯か――なんて文句はつけない。

 パン好きの香奈だが、今はとにかく空腹を満たすべく箸を動かす。

 ちゃんとつけ込むところから始めた油淋鶏の唐揚げを口に放り込んで噛めば、じゅわりと肉汁が口いっぱいに広がった。

 母はタレに凝っていて、甘酸っぱいとろりとしたタレの美味しさは秀逸だった。

 オクラに箸を付ければ、ぐにゅりとした歯触りの後に小さな種が飛び出て、それをまた噛みしめればその感触が心地良かった。

 またゴマの味が良く利いており、唐揚げ同様ご飯が進む。

 箸休めに漬け物を噛みしめ、味噌汁を含めばしっかりと砂抜きされた蜆の美味しさだけが喉を通っていく。

 筑前煮は言わずもがなで、しっかりと味の染みた煮物に香奈はすぐにご飯をお代わりする事となった。

 その横では、父がキンキンに冷えたビールをコップに注いで飲んでいた。

 ビールは一日一本。

 お酒代だけでも馬鹿にならないからと母が厳重に管理しているが、香奈からすれば父はそれほどお酒が好きなようには見えなかった。

 ただ、父はどれだけ飲んでも酔わないらしく、飲み会から帰ってきても本当に飲んだのかと疑いたくなるほど素面なのである。

 だが、騙されて近付きその酒臭い息の餌食になった事が多々ある香奈は、飲み会後の父には決して近付かない。

 将来は、お酒もタバコも呑まない人と結婚するつもりだ。

 父はお酒を飲み干すと、蜆の味噌汁に手をつける。

 味噌汁の白い湯気で眼鏡が曇った。

「ととっ」

 熱々の汁を冷まそうと息を吹きかけた際に眼鏡に汁が飛んだ。

「何してるのよ」

 呆れた様な母の声が聞こえ、ティッシュが父に渡されると、くるりと後ろへと向き直る。

 それから眼鏡を外していそいそと汚れを拭き取る父の姿に、香奈は唐揚げを飲込み口を開いた。

「なんで一々そうするの」

 と、何気なく呟けば、母がキョトンとした。

「なんでって、香奈がそうしろって前に言ったからでしょ?」

「え?」

 言ったっけ?

 首を傾げていると、父がすっとこちらを見た。

 香奈が固まった。

 視線も体も、呼吸すらも止まった。

「か、香奈?」

 眼鏡を外した父が、香奈の前で白い手をパタパタと振る。

「連理!! 眼鏡かけなさい!!」

「は? ――あっ」

 そういえば眼鏡を外したままだったと、慌てて眼鏡をかける。

 カチンと、時計の針が動くような音が頭に響いた瞬間、香奈はようやく壊れた人形の様に動き出した。

 今まで止まっていた時が再び刻まれ、大きく息を吐き出す。

 それと共に、出た言葉はただ一つ。

「お父さんの、馬鹿」

「っ?!」

 眼鏡をかけていても歪む父の顔から、香奈はふいっと目をそらした。

 思い出した。

 というか、忘れていた。

 そうだ……自分が、言ったのだ。

 父に、自分の前で眼鏡を取るな!!――と。

 普段は顔を隠す様に、曲線と直線の合わさったラインの銀フレーム眼鏡をかけている父。

 しかし、その眼鏡を取ったが最後、そこに現れるのは美の女神さえ恥じらい全力逃走する顔。

 綺麗どころが多い芸能人やモデルにさえ、父より綺麗な人は居ない。

 そもそも、初対面の相手は、父の素顔を見て固まる。

 悪ければ、倒れる。

 それは初対面でなくなった後もずっと続く。

 たぶん、傾国の美姫というのは父のような顔を言うのだろう。

 しかも、長身で服を脱げば隠れマッチョという完璧な肉体からは、大人の色香がダダ漏れ状態。

 首から上の性別を超越した様な美の女神顔と合わされば、もはや兵器だと香奈は思う。

 娘の香奈でも、父の素顔を直視出来ない。

 速攻で、父の素顔が見えず、更に父が出す濃厚なフェロモンが届かない場所へと逃げ出す。

 十二年間一緒に居たけど、無理、慣れない。

 だから、眼鏡をかけていなかった頃――香奈が幼稚園の時は、全力で父を避けていた。

 そうして徹底的に自分の素顔を避けている娘に、父も考えたのだろう。

 香奈が小学生に入る前に、父は眼鏡をかけたのだ。

 するとどうだろう。

 眼鏡が隠すのは目元部分だけで、相変わらずシャープな輪郭や赤い唇などの造形美は晒したまま。

 しかし、眼鏡をかけてからの父は、誰にも相手にされなくなった。

 それこそ、そこらに転がる石ころの様に、目立たなくなったのだ。

 そればかりか、今まで父の美貌に騒いでいた者達も、一切目もくれない。

 それは何時も父に言寄る女性達に碧易していた母を思えば万々歳だが、アニメや漫画でもないのに、眼鏡一つでここまで変わるものなのだろうかという疑問を香奈に残した。

 それに、あれほどダダ漏れだったフェロモンは欠片も感じられない。

 酷い時は、父の後ろを男性女性問わず長蛇の列で連なっていたほどなのに。

 だが、香奈も目元しか隠していない眼鏡一つで父と普通に接する事が出来るようになったのだから、実はあの眼鏡はアニメなどで出てくる魔法道具みたいなものではないかと考える。

 基本的に、魔法とか不思議な力を持った道具とかは物語の中だけの事だと思っているが、父の眼鏡だけは別だと思ってもいい。

 というか、あの眼鏡こそが香奈と父の良好な親子関係を築く道具で、それがなければとっくに関係は破局している。

 というか、まずこんな危険物体がいる家からは、出る、自立する。

 親子といえど、香奈はドライだった。

 しかし、父の方は違った。

「か、香奈、お父さんの事が嫌いなのか?!」

「眼鏡をしてないなら」

 ガン!!と、ハンマーで殴られた様にふらつく父。

 別に苛めたいわけではないが、香奈としては父の心より自分の身の安全を取る。

 眼鏡を外した父の側で暮して、平凡な結婚生活を得られるとは思わない。

 寧ろ、父のせいで嫁に行けない確率が高すぎる。

「じゃ、じゃあ香奈の前で眼鏡を外さないから!!」

「うん、外さないで」

 今にも泣き出しそうにする父を相手にせず、香奈は味噌汁をすすった。

 酷い娘だと思われそうだが、父の素顔で苦労させれ、神経をすり減らされてきた自分にだって言い分はある。

 幾ら父のせいでなくても、父の美貌に血迷った者達に酷い目に遭わされた――香奈は溜息をついた。

「うぅ……香奈」

「はいはい、泣かないの」

 それまで、やれやれとした面持ちで見守っていた妻が夫を慰める。

 が、頭を撫でる手から伝わる髪の感触に、少しイラッとした。

 ミディアムヘアーの黒髪は相変わらず艶やかで柔らかく、一撫でしたが最後、その心地良い感触から離れられずずっと撫で続けてしまう。

「イタっ!!」

 ついつい、夫の髪を腹立たしげに引っぱれば、眼鏡の下――けぶる様な睫に縁取られた黒い瞳が哀しげに自分を見詰める。

「ど、どうしたんだ?」

「……別に」

「いや、別にって顔じゃないけど」

 機嫌を取ろうと伸ばされる夫の手を避けながら、溜息をつく。

 夫の顔に慣れた自分でさえも、時折我を忘れて手を伸ばしてしまうその美貌。

 逆に、自分の顔はごく平凡の丸顔だ。

 別に肥っているわけではなく、中肉中背。

 平均な顔といっても、別に二目と見られぬ顔でもない。

 しかし夫の顔を一度でも目にすれば、当然審美眼は鰻登りで上昇し、逆になけなしのプライドはズタボロになる。

 とはいえ、自分はまだいい。

 問題は娘だ。

 赤ん坊の頃から父の顔を見てきた娘の審美眼は、実は何気に鋭い。

 いや、鋭すぎて、幸せな結婚という未来が遠のいている。

 このままでいいのだろうか。

 いや、良くない。

 娘には幸せな結婚をして貰いたいのだ。

 間違っても、自分の様な結婚ではなく。

 そう――幸せな娘の結婚。

 その為にはまずやる事は――。

「夫との離婚?」

「いやだああぁぁぁあっ!!」

 父の反応は早かったが、それ以上に香奈の反応は早かった。

 速攻で隠し持っていたお盆に自分の分の食事を確保すると、逃げるように廊下へと飛び出した。

 背後から、聞こえてくる両親の声なんて全てシャットアウト。

「ちょっ! 何するのよ連理っ」

「俺を捨てるのか清奈あぁぁ!! 許さない、捨てられるぐらいなら――」

「やめっ!! 馬鹿、触るなぁぁ!!」

 どったんバッタン大騒ぎ。

 隣近所から苦情が来そうだが、何故か今まで一度も来た事がない。

 両隣を他の家々に囲まれているというのに。

 そう考えてみると、実は結構不思議なことは多いのかもしれない。

「まあ……超能力とか、幽霊とかよりは説明がつくだろうけど」

 隣近所に住む人達がもの凄く忍耐強いとか。

 ……後で菓子折を持って行くべきか。

「さ~て、ご飯ご飯」

 主婦の様な事を思いながら、香奈はお盆を持ってスタスタと二階の自分の部屋へと向かった。


*****


 夜も更けた午前二時。

 闇夜に紛れて立ち並ぶ建物の屋根を飛ぶように駆け抜ける者達が居た。

 その動きは野生の獣の様に俊敏で、屋根に殆ど振動を与えぬように軽やかだった。

 屋根の上で誰かが動けば、大抵下に居る者達はすぐに気付く。

 しかし、まるで滑る様に音を立てない動きは、例えそこが水面でも波紋が殆ど起こらぬ程の力しか屋根に伝えず、下で眠る者達を眠りの世界から引き戻す事はなかった。

 彼らの目的地はただ一つ。

 幾つもの建物を越え、闇に紛れて近付くのは、大通りから道一本入った先の通りにある一軒家。

 すぐ前の歩道を挟めば、車道に面するという実は一等地。

 申し訳程度の小さな庭を持った、二階建ての一般的な4LDK。

 その庭に降り立った彼らは、顔を上げた瞬間驚きに喉を鳴らす。

 と、風を切る音と共に、彼らの中でもリーダー格の男は顔に強い衝撃を受けた。

「ぐはっ!!」

 思わず、出た悲鳴。

 それが蹴りだと分かった時には、二撃目を食らって地面に倒れ込んだ。

「ひっ!! 長官!!」

 突然の事に対処出来なかった配下の一人があっさりと身分をばらす。

 それを呆れた様子で一瞥した彼は、はっと鼻で笑った。

「それが今年の新人か? 基準が下がったな」

 物体が震える事でハッせられる音。

 ただそれだけの事なのに、これだけ耳に残るのは何故なのか。

 その心地良い美声に、彼らは一瞬にして夢見心地となる。

「何を呆けているんだ」

 呆れた口調と共に、地べたに座り込んだまま茫然と自分を見詰めるリーダー格の脳天に踵落としを食らわす。

「ぐほっ!!」

「お前は何しに来たんだ? ああ? 地べたに這い蹲りたいならとっとと帰れ。邪魔だ、消えろ」

「も、申し訳ありま……我が君」

 げしっと、リーダー格の男が殴られる。

「俺は機嫌が悪いんだよ」

 心臓がすくみ上がる様な声が告げる。

「ってか、消えろ」

「ま、また奥様と喧嘩ですぐはぁ!!」

「死ね、マジ死んじまえ」

 ボコボコにされていく、リーダー格。

 配下達は涙ぐむ。

 そこにいつもの長官の勇姿は微塵も無かった。

 が、同時に思うのは、自分も痛めつけられたいという、ドM根性。

 他の者ならば決して許さないが、今長官を痛めつけるかの方になら、苛められてもいい。

 いや、苛められたい!!

「こ、公子」

 二度目の脳天踵落としを食らう。

「次言ったら殺すぞ」

「も、ももも申し訳ありません! 連理様!!」

 どんな人外の生き物だろうと、一睨みで殺せそうな視線を受けたリーダー格が土下座する。

 彼に習い、配下の者達も土下座した。

 そんな彼らを見下ろすのは、この家の主であり、ここに住む神無家の大黒柱――連理だった。

 だが、今の彼は家族に対する優しい仮面を外しているばかりか、自分の美貌を覆い隠す眼鏡も外している。

 白皙の美貌が月の光に照らされ、優婉な美しさが更に際立っていた。

 闇夜でも仄かに燐光する白い肌のなまめかしさに、ゴクリと生唾を飲込む者達が多数。

 そんな彼らを、連理はジロリと不機嫌そうに睨み付けた。

「ご、ご尊顔拝謁出来光栄にございます」

 リーダー格の男は、冴え渡る美貌を前に頭を下げる。

 一度顔を上げれば、そこには息をする事すら忘れ去る美貌があるだろう。

 美形揃いの兄姉達の中でも、一際美しかった彼の美貌は、此方に来てから更に磨かれている。

 最初にこの世界に降りた時には十代後半の美貌は、多く見積もっても二十代半ば頃。

 だが、外見が年齢を経た事で強さを増した大人の色香は、美形に見慣れたリーダー格でさえも、思わず血迷いそうになる。

 血が集まりそそり立つ股間のものを押え付け、リーダー格の男は口を開いた。

「あ……その、眼鏡を外しても宜しいので?」

 その眼鏡は、この世界では強力過ぎる美貌と色香を隠すものだ。

 どんなものでも、過ぎれば毒にしかならず、それが時としてとんでもない事態を引き起こす事にもなる。

 特に、連理の様に『完未』と呼ばれる存在なら、尚更だ。

 『完未』は完全。

 『完未』は完璧。

 『完未』は孤独で不幸。

 この世の創世と共に、出現した三つの存在。

 『枷』、『完未』、『それ以外の者達』。

 その中の、一柱を担う希少たる存在。

 そうして、『完未』は本人が望まずとも、ただ存在するだけで『完未』を得ようと争い、滅びを引き起こす魔性の存在。

 しかし、それでも『完未』を憎む者はなく、ただ愛し欲する者達だけが世界を占める。

 ただ、『完未』だけが自分の存在を忌避し、絶望する。

 そんな……哀しい完璧で美しい『完未』の一人である連理。

 『完未』としての美貌と才能、能力を制御出来るのは、『枷』という存在だけ。 

 だが、『枷』によって『完未』である部分を制御しても、それで全てが丸く収まるわけではない。

 仮に連理がただの人間であれば、この世界で暮す為には『完未』の部分だけを制御してもらえばそれですむ。

 しかし、連理はただの人間ではない。

 だからこそ、あらゆる処置が必要であり、連理がいつもかけている眼鏡は重要なものだった。

 そう――その眼鏡は、美貌と色香を隠すが、それ以外のものに関しても制御する道具だから。

 だが、連理はあっけらかんとした口調で告げる。

「ああ――この眼鏡の効果なんてたいしたものじゃないさ」

 幾つもの強力な封印を別にかけた状態で、それでも漏れる微々たる影響を抑える為の代物でしかない。

 連理からすれば、全く気付かないほどの、小さなそれ。

 リーダー格の男がホッとする。

 もし、眼鏡が連理の身に潜む強大で凶悪な力すらも抑えているとすれば、眼鏡を外すのがいかに恐ろしい事か。

「まあ、このピアスを外せば力は出るけどな」

「っ!」

 髪をかき上げ見せたピアスに、リーダー格の男の顔が青ざめる。

「はは! 大丈夫だっていってるだろう? このピアス一つ外したところで、人間界に居る強い能力者ぐらいだ」

 左右とも外せば、強い能力者すら敵わない力を出すが。

 しかし、それは自分の本来の力の一パーセントにも満たないものである。

「どうか、自重くださいませ」

「お前がそれを言うのか?」

 力を封じている筈なのに、ぐにゃりと場が歪んだ気がした。

「ぎょ、御意」

「ふ~ん」

「お願いします。貴方様はただのお方ではありません」

「では、なんだ?」

 連理の問いかけに、リーダー格の男が土下座したまま、カラカラの喉で告げる。

「偉大なる冥界の支配者――冥界大帝の末公子様です」

 この世には、幾つもの世界がある。

 人間達の住むこの人間界の他に、神々の住まう天界十三世界、精霊達の住まう精霊界、仙人達の仙人界、魔物達の魔界――それこそ、数え切れない世界がある。

 その中で、全ての世界の者達が死んだ後に向かう世界がある。

 その名を――冥界。

 基本住人は、神々の楽園と謳われる天界十三世界と同じく神々。

 そんな神々によって維持されし、冥府とも呼ばれる全ての魂達の安息の場所たる冥界は、そこの住人にである神々と共に、冥界大帝と呼ばれる偉大なる統治者によって統治されていた。

 連理は、その冥界大帝と冥界大帝后の間に数多く居る子供達の一人にして末息子。

 そして冥界に住まう神々の一人だった。

 本来であれば、公子として冥界で仕事をし、妃を娶り暮している筈の彼は、人間界で人間の娘を娶っただけではなく、人に化けて暮していた。

 それは、今から十五年近く前に起きた一つの出会いから始まっていた。

 天才であるが故に、全てに絶望し、全てに興味が持てずにグズグズと腐っていた彼の前にもたらされた偶然の出会い。

 幾つもの困難を乗り越え、彼は人間の少女を自分の妻とした。

 それは、今も冥界では有名な恋物語である。

 男として、愛する妻を得る。

 『完未』として、『枷』を得る。

 全てを諦めながら、幸せを手にした彼は、自分の地位も身分も全て捨てて一人の人間として家庭を築き上げている。

 別に誰一人として彼と彼の妻の仲を反対したわけではない。

 確かに反対した事や、反対した者達も居たが、それでも最後には受け入れようとした。

 しかし、公子の身分を嫌った連理が、これ幸いにと公子の座を捨てたのである。

 それどころか、産まれた娘にも自分の親族を会わせない徹底ぶり。

 おかげで、孫に、姪に、主の娘に会いたい者達は本気で泣いた。

 夢枕にも立ちまくったのに、連理は完全無視である。

 流石は冥界一の鬼畜と影で囁かれていた末公子である。

 冥界一の美貌を持ち、天才と謳われ、出来ない事は何もないとされていた末公子は、冥界一の実力者である父の手すらひょいひょいとかわし続けた。

 とはいえ、それでも神である証――神籍を抜くことは出来なかった。

 そもそも、人間界では神はおろか人外にあたる存在は、あらゆる制約と制限が課せられる。

 唯一の例外として、元々人間界で生まれ育った地神と呼ばれる人間界を支え司る神々だけが、その力を制約と制限無しに振るう事が出来る。

 なぜなら、それが神々の仕事だからだ。

 しかし、別世界の存在――特に神や魔物と名の付く存在は、その強大な力と身体能力から人間界という他の世界に比べて未熟な世界のバランスを崩すとして、本来の力を制限するものを身につけて制約を受け入れなければ人間界に降りる事、住むことは不可能だった。

 他の世界から、仕事で人間界に在住する場合も、この制約と制限を受ける。

 それも考え、冥界で生きるつもりのなかった連理はきっぱりと神を捨てる事にしたのだ。

 神として生きる事も出来たし、妻を神にする事も出来たが、彼はそれを望まなかった。

 だが、周囲はそれを許さなかった。

 いつか、嫁と孫も神となって家族揃って移住して来て欲しいと願う冥界側が、意地でも神籍を抜かせなかったのだ。

 そんなわけで、冥界の神のままの連理は、人間として生活する為に自分の力と美貌を封印し、更には年と共に外見年齢を変化させるというめんどくさい事態に追われているのである。

 しかし連理もタダでは起きず、徹底して娘を冥界の者達には会わせなかった。

 それこそ、接触出来るのは自分達の様な限られた者達だけである。

 それを誉れに思いつつも、大帝達の事を思えば哀しくなる。

『孫と、孫と、孫と楽しく戯れたいだけなんだぁぁぁ』

『クタバレジジイ』

 つい一月前も、輝く笑顔で父たる大帝の心をえぐった連理の姿が思い出された。

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