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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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十八章



 第十八章 戦場の国セロト





 深い闇の沼に沈んでゆく二つの輝く白い光を、ひらひらと機敏に動く一匹の巨大な生き物が泳ぎ追いかけていた。背に黒い剛毛を生やしふたふさした頭に雄々しい二つの角を持つ大蛇ヘルビウスだ。ヘルビウスは光に追いつくと、胴体についた二つの手でそれぞれの光を優しく掴み、巨大な身体をしならせ泳ぎながらあるべき闇の地上へと連れ戻した。

 闇の地上を数知れず這い蠢く者たちは二つの白い光に纏わりつこうと近づいてきたので、ヘルビウスは隠し持っていた鋭い牙を見せて威嚇した。獣の声よりも、地響きに近い音を発したのだ。得体の知れない者たちは四方に散って、ヘルビウスを恐れてまったく近づこうとしなくなった。このどことも知れない闇においてヘルビウスに逆らえる者などいなかったが、ヘルビウスは王者として長く君臨するつもりなどなかった。ただ、救いだした二つの白い光を闇の平らな安全な場所へ置くと、ヘルビウスは闇の沼に引き返し、泳いでどこかへ行ってしまった。

 闇に置き去りにされた白い二つの光はやがて小さな身体と大きな体を持つ別々の人間となった。それは地上に横たわるシュミレットとルーネベリの身体だった。二人の姿が現れると、闇の地上は線を引きながら薄れ消え、今度は白い世界に包まれた。

徐々に二人の眠りが浅くなり意識が戻りそうになったとき、二人の意識の中に文字が浮かんできた。

 



                 挿絵(By みてみん) 



 文字が消えた途端、爆音を近くに聞いてシュミレットとルーネベリは飛び起きた。

 二人は何が起こったのかを確認する前に、鼻につく匂いに口元を覆った。意識が完全に戻ると、五感も戻ってきたようだ。何かが燃えている嫌な匂がした。視界に見える白い霧のような靄のようなものは煙だ。辺りが絶えず煙で充満しているのだ。

 再び爆音が聞こえた時、近くの地面がわずかに揺れ、けたたましい低い叫び声はあちこちから聞こえてきた。ルーネベリとシュミレットは立ちあがり、周囲を見まわした。誰かが複数、いや、もっといるのだ。周囲から聞こえてくる爆発音はやむどころか、どんどん酷くなり、身の危険すら感じていた。

 ルーネベリは口元を抑えたままシュミレットの方を向くと、フードを深く被ったシュミレットが首を横に振り、適当な方角を指差した。どうやら、賢者様はこの煙の中から脱出しようと言っているのだ。

 ルーネベリは頷いて、シュミレットの指差した方角へ口元を抑えたまま走ろうとした。だが、十歩ほど進んだところで、煙を切るように素早く全身に白銀の奇妙な鎧を纏った人物が飛んできた。あまりにも勢いよく飛んできたので、そのままの速度では確実にルーネベリにぶつかってしまう――というところで、その鎧の人物は即時に地面を踏み台に大きく飛びあがった。なんとか衝突せずにすんだが、驚いてルーネベリは地面に腰をついてしまった。

 シュミレットは口元を抑えたまま、飛びあがった鎧の人物を見上げ、煙で見えなくなると、地面に座るルーネベリに言った。

「大丈夫かい?」

「はぁ、はい。でも、今のは一体……?」

「さぁね。僕も君と同じだよ。少し見ただけでは、わかりようもないよ」

「あぁ、まぁ、それもそうですね……」

 赤い髪を掻いてルーネベリが立ちあがると、後ろからカシャンと金属音が鳴る音がした。なにやらよからぬ気がして慌てて振り返ると、案の定、良くないことが起こった。全身黒い鎧を着た何者かが紫の炎を纏った鋭い剣先をこちらに向けていたのだ。

 けれど、炎を纏う剣先を見て数十秒後には、ルーネベリの心の中は恐怖から好奇心に変わっていた。なぜ、剣が紫色に燃えているのだろうかと疑問に襲われたからだ。

 黒い鎧の人物の方といえば、怯えた顔から一転して目を輝かせてこちらを見てくる大男を気味悪そうに見て言った。わりと若い女の声だった。

「お前たち、どっち側の人間だ?」

 ルーネベリは言った。

「どっち側?」

「コーウェルとトォノマ、どっち側の人間だ?」

「えっ、あぁ、あの……」

 額に手をあて戸惑うルーネベリを黒い鎧の女性は上から下までさっと見て、それから、大男の隣に黒いマントにフードを被った小柄な人間がいるのを見ると、すぐに剣先を下ろして言った。

「こっち側の人間か。なんでこんなところにいる?食料の運搬ならこっちまで来ないだろう」

「あっ、いや、あの……」

「運搬途中にコーウェルに襲われたのか?上からの報告は受けていないぞ」

 なんと答えていいものかわからず、ルーネベリがもごもごと「いや、それが……」と話すと、黒い鎧の女性はシュミレットの背中の方をちらり見て言った。

「食糧は、鎧は、武器はどうした?」

「えっ、武器?」

「すべて投げ捨てて逃げてきたのか?」

「……いや、あの……」

 ルーネベリが気まずそうに首筋を掻いていると、黒い鎧の女性はシュミレットに近づき、マントの上から身体をなぞるように触った。

 黒い鎧の女性はルーネベリに言った。

「子供に怪我はなさそうだな。事情はよくわからんが、よくやった。ここからは砦まで護衛してやる」

「砦?」

「我々の隊の砦だ。ここから一番近い。武器や食糧のことは気にするな。子供の命の方が大事だ」

 黒い鎧の女性はシュミレットのフードの上から頭に手を置いた。「お前も命拾いしたな。砦に帰ったら、温かいスープを作ってもらおう。空腹を満たせば嫌なことも忘れられる」

 シュミレットは深く被ったフードから少し鎧の女性を見上げて、首を頷かせた。いつもならば子供扱いされて怒るところだろうが、状況がわからない現在、下手な発言はしないでおこうとでも思ったのだろう。ルーネベリもあまり良い状況ではない気がしていたので、賢明な判断だと思っていた。

 黒い鎧の女性はシュミレットの頭から手をどけて、ルーネベリの方を向いて言った。

「お前、最後尾は任せるぞ。コーウェルの襲撃があったら、子供の盾になれ」

「た、盾?」

「少し戻ったところで交戦していた。こっちは地面を歩かなきゃならんから、迂回すると危険が増す。突っ切るしかない。極力、巻き込まれるなよ」

 ルーネベリに反論させる前に、黒い鎧の女性は絶えず周囲を漂う煙を見渡し、黒い鎧の右手首を見た。女性の手首には方位磁石のような針が一本あり、幾つか横に区分されたメモリの一つを指していた。メモリの上には銀色の文字が刻まれていたが、見たこともない文字で読むことはできなかった。鎧の女性が別のメモリの上部に刻まれた文字に触れると、針がそちらの方向を指した。ただ、それだけのことなのだが、なんとも高度な文明があるのではないかということを感じさせた。

 黒い鎧の女性は針の示す方角にシュミレットを真ん中にはさんで一列で砦とやらに連れて行こうとするので、ルーネベリもそれに黙って従うしかなかった。他に何をすればいいのかもわからないので、むしろ、この鎧の女性の登場は救いだったのかもしれないが。なんとも居心地の悪い感覚に支配されていた。

白い煙の中を進むと、次第に、黒煙がちらつくようになっていった。一時期止んでいた爆発音も聞こえてくる。音と同時に地面も揺れる。最後尾を歩きながらルーネベリは音が聞こえるたびにびくりびくりと怯えていた。黒い鎧の女性がいうように、誰かが交戦しているようだ。……なぜ戦っているのだろう。なぜ対話で解決しないのだろうか。ルーネベリにはその程度の考えしか浮かんでこなかった。

これまで十三世界で様々な事件に出くわし、誰かの企みを阻止すべく奔走することはあったが、賢者様の配慮があったからなのか、ルーネベリ本人が戦いの場に送り込まれるようなことがほとんどなかった。知らないというのはやはり、恐ろしいものだ。話に聞くことと、現実はまるで違う。好奇心は引っ込み、再び恐怖心に囚われていた。

 すぐ近くで誰かが戦っている。そして、その間を通らなければならない。無事に通れるのか、何事もなくいられるのか。地面を見下ろし、ルーネベリは両手を擦りあわせた。もしかしたら、この身体ならば死ぬことはないかもしれないと根拠のないことを考えてしまう自分自身が情けなかった。気づけば、自分の身の安全ばかり考えている。

前を向いて、ルーネベリはシュミレットの後ろ姿を見た。

 フードを被った小柄な賢者は必要とあれば魔術師として戦うことがあるからなのだろう。最初から臆する様子などなかった。冷静だ。そう、冷静――。ルーネベリに欠如していたのは、その冷静さだ。恐れるあまりに良くない事ばかり考えすぎてしまう。落ち着けと何度もルーネベリは心の中で呟きつづけた。

 爆発音に近づくほど、黒い鎧の女性は慎重になっていた。紫色の炎を剣に纏わせて、周囲にしきりに目を向けていた。いつ敵が煙の中から襲ってくるかわからない。地面を歩くことしかできない軽装の二人を連れているだけ、警戒していた。

 カシャンと鳴る鎧を聞きながら歩いていると、空から飛んでくる気配を瞬時に察知して兜の中で目を見開いて黒い鎧の女性が剣を構えた。すると、空へあがる黒煙を突っ切って黒い鎧が低い声で叫びながら猛スピードでこちらへ飛んできて、紫の炎を纏った剣を荒らしく振り下ろした。二つの剣が交わり、キーンと強烈な音が響き渡った。シュミレットとルーネベリは思わず両耳を抑えた。

 黒い鎧の男は叫んだ。

「我が剣を防げるということは、貴様、エンヤか!」

「気配でわかったわ、オートス」

「こっちは砦の方角だ。貴様は前進したはず」

「後ろを見ろ。護衛のために前線から離脱する。隊長にも伝えてくれ」

 地面に着地した鎧の男オートスは剣を下ろして、エンヤという鎧の女性の背後を見た。マントにフードを被った小柄な子供とその後ろに軽装の赤い髪の大男。つまりは、彼らにとっては非戦闘要員が傍にいると知って、頷いた。

「わかった、よろしい」

「頼むぞ」

「――砦に戻ったら、俺の嫁さんに好物作って待っとけって言えよ」

「お前は無事だと伝えとくよ」

「飯の話をしろ」

「帰ってからお前の口で言えばいいだろ。あぁ、お前はキナには偉そうな口を叩けないか。尻にひかれているからな」

「……可愛くない奴だ。もう行け。邪魔だ」

 オートスは剣を握りしめ、右手で起こった爆発音と黒い煙の方へ、足を地面に踏み込んで飛んで行ってしまった。随分と気心の知れた仲なのだろう、エンヤはオートスの消えていった煙の方を向いて笑い。周囲を見まわしてから、シュミレットとルーネベリを針の指し示す方角へ連れて行った。

 しばらく歩くと、白銀の鎧と黒い鎧の者たちが黄色く燃える剣と紫色に燃える剣を必死になって激しくぶつけ合っている状況に出くわしたが、エンヤが早々と争う二人から離れるように移動したので、巻き込まれることはなかった。だが、想像以上に恐ろしかった。

 何度も聞こえてきた爆発音はあの燃える剣が原因だった。燃えている炎もまた凶器なのだ。斬りそこなった剣先が地面にぶつかるたびに、大きく地面を抉るように爆発している。鎧の者たちは爆発に巻き込まれないように飛躍し、次の攻撃にうつる。太刀筋を避けても、その後からくる炎に気をつけなければならない過酷な戦いだった。

 歩きつづけるとまた四人の黒い鎧のトォノマ側の人間とニ・三人の白銀の鎧のコーウェル側の人間が戦っている場面に遭遇した。エンヤは慌てることなく、味方のトォノマ側の人間に片手をあげて傍を通過していった。もちろん、コーウェル側が阻止しようと剣を握りしめてこちらに向かってきたのだが、味方の黒い鎧の者たちが援護してくれたので、難なく砦の方へ進むことができた。オートスとは異なり、こちらの味方たちはもしかしたら、エンヤの部下のような者たちなのではないかとルーネベリは思った。

 エンヤが「隊の砦」といっていたので、隊の中にはそれぞれ役割があるのだろう。分析できるようになるほど、少し余裕ができてきたようだ。少なくとも、エンヤたちはシュミレットとルーネベリを仲間だと思い込んで守ってくれている。いつ、トォノマの人間ではないと知られるかはわからないが、しばしの間、考える時間ができたのは幸福だったのではないかと前向きに考えられるようになっていた。平常心を保ちつづけているシュミレットが傍にいるおかげだろう。シュミレットが慌てていたら、ルーネベリもパニックになっていたに違いない。

 歩きながらルーネベリはシュミレットに内心、感謝していた。


 それから何度か、コーウェルとトォノマが争っている場面に遭遇にした後、だんだん煙が見えなくなり、黒い鎧を着た者たちが沢山列になって並んでいるのが見えてきた。次に出陣する者たちのようだ。シュミレットとルーネベリを連れたエンヤが黒い鎧の列に近づいて、なにやら簡単に話をすると、シュミレットとルーネベリに手招きした。

「今、砦の入り口は兵が途切れたところにあるそうだ。砦の門が閉まる前に、一気に駆け込むぞ」

 建物らしきものは見えないというのに、エンヤは兵士たちの間に割り込み、無理やり兵たちに道を作らせると、一気に走りだした。鎧を着ているので重いはずなのだが、普段歩くのが早いシュミレットやルーネベリをうんと引き離すほど早く駆けて行く。こちらを見てくる黒い鎧のトォノマ兵たちの間を通り、シュミレットとルーネベリは命一杯走り、兵が途切れるまで走り込んだ。

 砦の中へ入ったのか、景色が一瞬で変化した。ざわざわとした音が広がるそこは灰色の廃墟のような場所で、黒い鎧の兵士たちが隊列を組み剣の束を持って行進していた。右手奥では汚れたシャツの男たちが数十人がかりで地面から半分だけ剥きだす巨大な銅色の歯車をまわしていた。

 左手では荷車を引くシャツを着た女や子供たちの姿もあった。

 砦の入り口から少し離れたとこで、エンヤはぼんやりと周囲を見渡すシュミレットとルーネベリに言った。

「他の砦でも聞いたことぐらいはあるだろ。我らの移動する砦、その名も『賢人の盾』だ」

「賢人?」とルーネベリ、エンヤは言った。

「鉄壁の守りといわれた幻の城塞都市には及ばないが、この砦に到達したコーウェル人はいない。この砦は賢人の術で守られている」

 シュミレットが「なるほどね。興味深いね」と頷いた。ルーネベリは顎に手をあて言った。

「あの、エンヤさん。賢人というのは賢者のことですよね。賢人の術っていうのは、この地には何か特別な……」

 ルーネベリの言葉を遮って、後ろから聞こえてきた男の声が叫んだ。

「こら、怪しい奴。黙ってろ」

「本当だってよぉ、信じてくれよぉ。俺は賢者様とさっきまで一緒にいたんだよぉ」

「戯言をいうな」

 聞き覚えのある声にシュミレットとルーネベリは振り返った。すると、トォノマ兵に引きずられているパシャルの姿があった。トォノマ兵と戦ったのか、衣服は汚れ乱れ、背中に背負っていた大剣がパシャルの左手の中で無残に半分に折れていた。

 ルーネベリは思わず「パシャル!」と叫んだ。

 パシャルは顔をあげてきょろきょろした後、意外と近くに、目の前に立っているルーネベリを見上げて、じわりと嬉し涙を浮かべた。

「おぉ、ルーネベリじゃねぇかぁ!無事だったんだなぁ」

「パシャル、どうしたんだ?何があったんだ。どうして一人なんだ。クワンはどうした」

「ルーネベリがここにいるなら、賢者の先生も一緒だろ。どこだ、どこにいる?」

「えっ、先生?先生ならそこに……」

 ルーネベリが隣に立っているシュミレットの方を向くと、パシャルは黒いマントにフードを被ったシュミレットを見て、慌てた様子で自身を引きずる兵士に言った。

「兵士さん、あの人が賢者だ。あんたらの言う賢人と同じだろ。俺が話した通りだろうぉ」

 兵士は小柄なシュミレットの方を向いて鼻で笑い、その隣に立っていたエンヤに気づいて、兵士は頭をさげた。

「すみません。ここにおられるとは……」

 エンヤは兵士を無視してシュミレットの方を向いて、パシャルを見下ろした。

「お前、今、この子供が賢人だと言わなかったか?」

 パシャルは頷いた。









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