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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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十四章



 第十四章 金の心臓





 ルーネベリが開いたミムの本は【設計の自由】という題名だった。やや歪んではいたが芯の強そうな字で書かれた本の内容は、少ない予算と建築物の安全性を踏まえたうえでの、数学的デザイン建築についての理論だった。しかも、驚くのは、ミムは独自の視点から新たなデザインについてまで書いていたことだった。賢いというよりも、天才少女といったほうがいいかもしれない。

 ルーネベリがさらに本を読み進めようとしていると、ミムがぱっと手を本の上に置いた。

「今、読まないで。兵士が来る」

 顔をあげてルーネベリは「あぁ、そうだった」と言った。

 ミムの本の内容について話す必要がなくなったので、ほっとしたアラやパシャル、カーン、クンワンは本を閉じて口を揃えて「これを運べばいいんだな」と言った。ミムは頷いて、細い腕に一冊抱えた。

ノジムもこちらに向かって赤い布の上を歩こうと片足をあげたが、ミムが「ノジムはそこにいて」と言ったので、ノジムは足を戻してこっくり頷いた。

 シュミレットがもう一冊取り上げて平たく重ね、ノジムの方へ歩いて行った。パシャルは三冊だけ持ってすぐにシュミレットにつづいた。残りはルーネベリとアラ、カーン、クワンの手に持っている本をのぞけば、ミムの本は十冊も机の上に残っていた。そうなると、自然に男が本を多く持つべきだろうという考えが浮かんだので、ルーネベリとクワンとカーンの三人が本に手を伸ばそうとすると、アラが三人を押しのけて本を三冊とりあげ、計四冊も重ねて抱えた。

 身体の向きを変えようとした時に姿勢を崩しかけてよろけたアラにクワンが片手をあげて声をかけようとしたが、カーンが首を横に振った。余計なことは言うなといわばかりだったので、クワンは黙って頷いた。ルーネベリは首を傾げた。

 カーンもアラと同じ四冊重ねると、パシャルの方へ歩いて行った。残りは四冊。ルーネベリとクワンは仲良く二冊ずつ分け、計三冊運ぶことにした。本を分けて運ぶだけというのに妙にのんびりとしてしまったが、突然、外が騒がしくなってきたので、皆慌てだした。

 いつの間にか、小さなミムはノジムの傍にいて、アラやシュミレットを下の階へ下りるように急かした。分厚い本を片腕に抱えて梯子を滑るようにおりて行くアラを見ながら、小走りしてシュミレットに近づいた ルーネベリは言った。

「もう兵士が来たんですか?」

「そのようだね」

 子供たちの家には窓がなかったが、壁が薄いので、少し耳をすますだけで外の騒音はよく聞こえてきた。重々しい沢山の足音と、足音と一緒に金属がカシャカシャなっている音だ。ベネムという謎の人物の兵士がこちらへ行進してきているのだ。

 アラの次にはミム、ノジムがつづいて梯子を下りて行った。ルーネベリはシュミレットの後ろに並んで言った。

「どうやって逃げるつもりなんでしょう。兵士と戦うんですか?」

「まだ戦うつもりはないようだよ。一階に抜け道があるとミムが言っていたよ」

「一階に?」

「考えがあるのだろうね、ミムに任せてみよう」

 パシャルとカーンが梯子をおりた後、シュミレットが梯子をおり、その次にルーネベリもおりはじめた。皆が三階から二階へ、二階から一階へと梯子をおりて、最後に梯子をおりたクワンが一階に着いた時には、家の外から子供たちが泣く声が聞こえていた。

 パシャルが家の隙間から外を覗き込もうとすると、鍵のかかった薄い扉を誰かが叩いたので、驚いて後退った。もう兵士が到着したのだろうか……。

 ミムは大忙しで梯子の傍のピンク色や赤や黄色の沢山の毛布を掻きわけていた。ちょうど部屋の中央右端のほうだ。ノジムがミムを手伝い、毛布をミムの後ろへ移動させると、毛布の山ができてきた。

 ミムが床に膝をついて毛布を掻きわけつづけると、次第に見えてくる床は、安っぽい外観とはずいぶんと異なった分厚く頑丈な赤みがかった木の床だった。子供たちではつくれないだろう、明らかに職人の手によるものだった。ルーネベリはそれを見て少し違和感を覚えた。

 ミムはでっぱりもない平らな床の上に小さな手を置いて、左回りに手をまわした。そうすると、七十センチ四方の平らな床がミムと一緒に左回りにまわりだしたのだ。どういう仕組みなのかまったくわからなかった。ミムは三回手をまわして、最後に少しだけ右回りに手をまわすと、動いた七十センチ四方の床の部分だけが上へと数センチ浮かびあがって、パカッと開いた。床板が開くと、暗がりに灰色の石でつくられた立派な地下通路が見えていた。大人でも這ってなら通れそうな広さだ。

 カラカラとなにかが動いている小さな音が鳴っていた。まだ仕掛けにはつづきがあるのかもしれない。

 皆が地下通路を見下ろしていると、薄い家の扉が軋みはじめた。兵士が外から扉を叩いているだけだと思えば、天井から砂埃が落ちるほど、扉がドスンドスンッと大きく揺れていた。扉を押し破ろうと外から体当たりしているようだ。扉が揺れるたびに、家全体も少し揺れているような気がした。

 それにしても、兵士も律儀なものだ。一言ぐらい家の中に向かって呼びかけてもいいものだが、無言のまま、扉だけが苦しそうな音を立てつづけていた。子供たちの家の唯一の要である黄色い棒の錠が激しく揺さぶられていたが、ミムの設計のおかげか、まだしばらく扉はもちそうだった。

 ミムは扉を気に掛けながらルーネベリたちに小声で「あと五分で床が自動で閉まる。おりて」と言うと、パシャルが「灯りは?」と聞いた。

「通路の途中に置いてある。はやく」

 パシャルは「あいよぉ」と、床下へおりて、腰を屈めた後、うつ伏せになって通路を這って進みだした。地下通路という空間は、パシャルのような巨体でも十分に余裕のある広さだった。ただ、背中に背負った大剣と腰の短剣、ミムの本を抱えているので動きづらそうだったが、さすが用心棒、身体を鍛えているためか機敏に進んだようで、数十秒後、パシャルの足が見えなくなると、アラがクワンを先におりさせた。

 クワンもミムの本には手を焼いているようだったが、それでもパシャルと劣らず機敏に地下通路を這って行った。次にカーン、そして、シュミレット、ルーネベリの地下通路へおりて進むと、最後にアラとミムが残った。ミムはまだやることがあるからと、アラを先に地下通路へおりさせた後、ミムはノジムに言った。

「ノジムはここにいて。外にいる皆を守ってあげて。必ずお母様を助けてみせるから。皆と待っていて」

「ミム……」

「ねぇ?ミムの言う事、聞いてくれるよね。ノジムだけが頼りなの。駄々こねないで」

「……うん。僕、皆を守るよ」

「ありがとう」

「ミム……。気をつけてね」

ノジムは手を伸ばしてミムの小さな手をぎゅっと握った。

「お父さんみたいにならないでね」

 ミムはノジムの手に手を重ねて頷いた。

「ノジム、前に言った計画通りだよ。もう覚えていないかもしれないけど、私は絶対にやってみせるからね。――ベネムを封印してみせる」

 目を閉じた後、重ねた手を離して、ミムは地下通路へおりてしゃがみ込んだ。背を丸めれば、床が閉じても頭をぶつけることはないだろう。

「ミム……」

「毛布を持ってきて、近くの紐を引っ張って」

 頷いたノジムは毛布の山から赤い毛布を持ってきて、地下通路の入り口付近の天井のロープのようなものを軽く握った。幾度も言われたままにしか動かないノジムの姿を見てきたが、今日ほど切なく思うことはなかった。皆、昔の姿に戻ってほしいと願わずにいられなかった。

 ミムの知っている本来のノジムは、人に指示されることを嫌い、自分の意志でなんでもしてしまう子供だったのに……運命はどうして、こうもこじれてしまったのだろうとミムは思いながら、ノジムと見つめ合ったまま、地下通路と地上をつなぐ床板が自動的に閉りはじめた。

 扉が最後にぱたんと閉まり、浮いていた床が元の場所にもどっていった。ノジムは一度ロープから手放して、その扉の上に赤い毛布を広げ、再度ロープを掴んで引っ張ると、天井の一部が開いて、二階にあった沢山の玩具が落ちてきた。それも、見事、ノジムが広げた赤い毛布の上に落ちて散らばってくれたので、あたかも子供たちが遊んだあとのように見えた。




 真っすぐにつづく真っ暗闇の中、皆の息遣いや、這うたびに衣服や足が通路にぶつかって響いていた。地下通路を這って先頭を進んでいたパシャルは二百メートルほど進んだところで、なにか小さくて冷たくて堅いものにぶつかった。踏み越えてもよかったが、何だろうと、とまって小さいものを掴んだ。

 パシャルの足の裏にクワンが這う勢いで額をぶつけて、「痛っ」と声を漏らした。暗闇なので見えなくて当然だ。クワンは何にぶつかったのかと右手を伸ばして、パシャルの足の裏に触れると、クワンの足の裏にカーンがぶつかってきた。

 クワンの後ろから「んあっ」とカーンが言葉にならない不快そうな音と足の裏の痛みに、クワンはパシャルの足の裏を押し返した。広さは十分とはいえ、立ちあがることもできない狭い地下通路はパシャルのせいで渋滞しようとしていた。だが、賢者様は前方で何か起きたと察して、後方にいるルーネベリたちに向かって少し声を大きくして言った。

「僕はとまるよ、後ろにいる者たちもとまりなさい。前方で何か起こったようだよ」

 ルーネベリは「えっ?」と言いながらも這うのをやめると、シュミレットの声が聞こえたアラもとまった。ミムは大分後ろにいたので、アラが後ろを振り返って「ミム、そこでとまれ。何かあったようだ」と言った。

 先頭のパシャルが大きな声で「灯りを見つけたぁ」と言った後、前方がぱっと明るくなった。パシャルの手元には一面だけ小さな丸い穴の開いたガラスの箱があった。中には火が灯っているのだが、パシャル自身、適当にガラス箱に触れていただけでどうやって灯りをつけたのかさっぱりわからなかった。

前方が明るくなったのはいいが、後方は依然、薄暗いままだった。最後尾のミムがアラに「次の角を曲がって」と伝言を頼んだ。伝言はルーネベリ、シュミレット、カーンまで伝わったところで、先頭のパシャルにも届いた。

 パシャルは「わかったぁ」と声を張りあげて、再び通路を這って進んだ。

 ミムが言った「角」は、それから数分もたたずに見えてきた。直進と右に曲がる地下通路があったのだ。パシャルは右の角をゆっくり這って曲がり、以降、皆もつづいた。

 右の地下通路はさほど長くなく、せいぜい五十メートルほどだったので、すぐに地下通路の出口に辿り着いた。

 先頭のパシャルが本を抱えながらガラスの箱をかかげて出口の向こうに出ると、狭い場所から広い場所に出た解放感に感喜せずにはいられなかった。

 パシャルが天井を照らすと、わりと高いところに石壁があったので、安心して立ちあがり、辺りを照らした。どうやらそこは洞穴のようだったのだが……。洞穴の中央に一つの本棚と木の寂しい机と椅子が置かれていた。近くには木のベッドと青いシーツ、枕まであった。誰かの部屋なのだろうか。ひんやりと冷たい地下の空気がどこからか吹いていた。とりあえず、呼吸はできそうだ。

 パシャルの後にクワンが洞穴に入ってくると、こんな場所に誰かの部屋があることに驚いていた。クワンの次にカーンが洞穴に入ってきたが、カーンは無表情だった。関心がないらしい。

 シュミレットとルーネベリが洞穴に入ると、ルーネベリは本棚に近寄っていき、シュミレットは机に近づいていた。カーンとはまるで対照的な反応だった。

 アラが洞穴に入ると、後から来たミムに手を貸した。最後に洞穴に入ったミムは皆に運んできた本を机の上に置いて欲しいと頼んだ。皆がぞろぞろと机の方へ歩いて行くと、パシャルがミムの方を向いて、「ここには兵士は来ないのかぁ?」と聞くと、ミムは言った。

「この国の人は、この場所を誰も知らない。お父様以外……」

 ルーネベリは本を抱えたまま、ミムに近づいて言った。

「……ちょっといいだろうか、この場所へ通じる地下通路は、一体どこに繋がっているんだ?」

「お母様のいる城に繋がっている」

「それじゃあ、ミムたちの家は、元は何だったんだ?」

「私たちの家は、お父様のお屋敷だった。ベネムが取り壊してしまった。私たちはその上に家を建てた」

「……そうか!あの入り口は元々、屋敷の床だったのか」

 ミムは頷いた。

「地下通路の入り口を隠すために、変な家を建てたの」

「なるほど、おかしいと思ったんだ。建築関連の本を書いているわりに、家の作りが雑というのが……」

「ベネムに知られたくなかった。私がお父様と同じことをしていること」

「同じこと?」

 ミムは机まで歩いて本を置いて、本棚の方を向いた。ルーネベリも机に近づいてミムの本を置き、本棚の方を見ると、明るい緑色の本の背すべてに【ドルヤ・ノスム】という字が記されていた。本の題名はなかった。

 ルーネベリはミムに言った。

「この本は?」

「全部、お父様が書いた本。燃やされないために運んできたの」

「ミムたちのお父さんは一体……?」

「お父様は建築家だった。地下通路もお父様が作った。お父様の屋敷とお城を繋いでいたの。お父様は地下通路を通ってお城にいるお母様に会いに行っていた。結婚する、ずっと前から……。ベネムが現れなければ、二人はずっと一緒にいられたのに」

 歯を食いしばったミムの顔に憎しみの色が滲んでいた。

 ルーネベリは言った。

「ベネムというのはどういう人物なんだ?」

「ベネムはアザームの地下に長い時間眠っていた悪い精霊。三年前、アザームの採掘場で心臓の形をした金塊が発掘されたの。献上された珍しい金塊をお母様は気に入って、寝室のベッドの傍に置いて、毎日のように金塊に話しかけた。ある日、金塊の中で眠っていたベネムをお母様は目覚めさせてしまった。金塊から出てきたベネムはお母様を騙してお父様を捕らえて、私たち子供を城から追い出して、新しい法律を作らせた。アザームの人たちはベネムの作った法を守らないと処刑されてしまう」

 椅子に座ったシュミレットは膝の上で両手を重ね、落ち着いた口調で言った。

「君のいう『精霊』というのは、一体何なのかな?」

 ミムは言った。

「精霊を知らない?」

 アラもクワンも、パシャル、カーン、そして、ルーネベリも首を傾げて「知らない」と答えたので、さすがにミムもどう説明していいのかわからないのか、動揺していたが。頭の回転がはやいミムは、皆にもわかるように言葉を置き換えて話すことした。

「ベネムは人じゃない。剣で倒すことができない空気のような存在」

 ミムの本を机に置いた後、腕を組んで岩壁にもたれかかっていたパシャルがぴくりと眉をあげて言った。

「剣で倒せないだとぉ?」

「私は国中に残っていた古い本を調べた。ベネムは人の心を奪う悪い精霊。剣でも、斧でも武器では倒せない。ベネムを倒す方法は一つ、ネベムに奪われた心を取り戻す方法だけ」

 シュミレットの隣に近づいたルーネベリは言った。

「どうやって取り戻せばいいのかも、わかっているのか?」

 ミムは言った。

「ベネムはお母様の心にあるものを嫌っていた。私たち子供も、お父様も、国民も。だけど、私たち子供や国民は城から遠ざけただけで、お父様みたいにどこかへ連れて行ったりしなかった」

 ルーネベリは頷いた。

「そうか、ミムのお父さんが鍵なのか。ネベムによって引き離された夫妻。奪われたのは夫への心か」

 シュミレットはぼそっと誰にも聞こえない声で呟いた。

「『おおいなる力を下僕に据えよ』。……そういうことなのだね。おおいなる力はもしかしたら……」

 ミムは言った。

「私はお父様が連れ去られる直前まで一緒にいたから、ベネムの薬を飲まないですむ方法と地下通路も教えてもらった。あなたたちに話したいことは、だいたいは全部話した」

 ルーネベリはシュミレットの座る椅子に手を置いて言った。

「連れ去られた場所に検討はついていないのか?」

「一つだけある。金塊が発掘された採掘場。あそこは兵士が守っていて誰も入れない」

「どこにある?」

「アザームの南」










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