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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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七章



 第七章 霧の迷路





 観客席に座っていた者たちが意識を取り戻すと、辺りは黒一色の闇になっていた。目の前に見えていた天秤の剣が放つ強烈な光はすでに消えおり、水晶の舞台の上に立っていたはずの絶世の美女、ユー・ヴィアの姿もなかった。

 恐らくは百万人は超えていただろう、大勢の催しの参加者たちの姿も見当たらない。水晶の舞台を取り囲んでいた観客席だけを残して、他はなにもかもが光と共に消えていた。

ただ、頭が割れそうなほど大きな音が、リーンリーンと鳴る高い音が繰り返し聞こえていた。何の音なのだろうか……。とても煩い音だ。

 一体、気を失っている間に何が起こったのかと、席を立とうと四肢を動かそうとしたとき、観客たちは誰一人、椅子から立つことすら、身動き一つとることができないのだと気づいた。口も開けることはおろか、言葉を発することもできない。

 金縛りのような状態がとても長くつづいた。

 リーンリーンという得体の知れない音を聞きながら、パニックを起こした大半の観客たちは、内心、酷く悪態をついていた。ある者たちはこの状況に陥る前に、事前に主催者である管理者マーシアが何の説明もしなかったと、不満を愚痴り。ある者たちはユー・ヴィアの美貌に見惚れ、騙されたと愚痴っていた。けれど、散々、愚痴った後、最後には、皆、第六世界へ天秤の剣を観覧しに来たことへの後悔と暗闇の中で身動き一つできない己の惨めさを嘆くようになっていた。

 心の中でどれほど嘆こうと、実際には泣くことも喚くこともできず。他者とこの不安を分かち合うことも、情報を共有することもかなわない。長い拷問のような状況に途方に暮れはじめた頃、突如、リーンリーンと煩く聞こえていた音が消え去り、観客たちのすべての考えを打ち消すかのように、脳裏に光と共に映像が浮かびだした。

 観客たちの脳裏に見えるそれは、深い霧に包まれた世界だった。

 きっと、十三世界のどこかだろうかと誰もがはじめ考えたが、どこからともなく否定の声が次々に聞こえ。十三世界の人々が誰一人として見たことのない世界が脳裏に広がっていると、観客たち皆、信じはじめていた。

 おかしなことに、流れ込んでくる映像に意識を向けるほど、金縛りの苦痛が和らぎ。言葉も発していないのに、観客たちは皆、じわじわと心の奥底から互いの考えが理解できるようになっていた。

皆が皆、この不条理を苦しんでいる。この苦しみから解放されたいという思いは連なり、不揃いだった考えがいつしか、一つに纏まった。苦痛から逃れるために脳裏に映る霧の世界の中を覗きたい。誰もがそう思い、実際に、皆は見知らぬ世界を覗いていた。

 もやもやとした白い霧の世界の中には、先ほどまで目の前にいた催しの参加者たちの姿があった。いつその場所へ移動したのかはわからないが、彼らはまだ目を覚ましていないが、もうじき目を覚ますのだろうとだけ感じていた。――そう、天秤の剣は観客たちに「彼ら」を見せていたのだ。剣に計られることを自ら望んだ者たちを――。

 観客たちは抗うことをやめた。たった一つの映像に吸い込まれるように目を閉じ、剣が見せる世界に身を委ね、意識を再び手放していった。まるで夢の中に入るかのように、深く……。




 冷たく濡れる白い霧が視界を覆い、前も後ろもわからない。そんな世界で目を覚ました参加者たちは、霧の中に立っていた。観客席の者たちとは異なり、霧の世界にいる者たちは手を動かすことも足を動かすこともできた。口も動き、小さな声を発してみると、しっかりと耳で聞き取ることができた。

 しかし、だからといって不安がないわけではなかった。大勢の人々が傍にいることはわかるが、どれほどの数がいるのかは濃い霧のせいでよくわからなかった。腕を伸ばした先に確かに人がいるのはわかるので、肩を叩いて、近くにいる人に声をかける者も多かった。

「ここはどこだ?」と、近くで聞こえてくるのも度々あったが、それに対して答えられる者は誰一人としていなかった。首を横に振られるたびに苛立つ者も少なくはなかった。つい先ほどまではユー・ヴィアを見て夢見心地だったというのに、酷い場所に来てしまったものだ。

 霧はすべてを隠し、すべての感覚を狂わせていた。参加者たちが霧の中で立ち尽くしていると、脳裏にある言葉が浮かんできた。




                 挿絵(By みてみん) 




 それは自らが考え、思った言葉ではない。参加者たちは、その言葉が意味のあるものだとすぐに気づいた。天秤の剣が、さっそく人々を試しはじめているのだと。

 ユー・ヴィアと天秤の剣を手に入れるには、天秤の試しに適わなければならない。多くの者たちは意気込んでいた。言葉の通りに、参加者たちは深い霧の中で光を探しはじめた。己の立っている場所では、いくら探そうとも、霧の中に光を見つけられないとわかると、適当な方角へと進みはじめた。人の流れというのは恐ろしいもので、一人が進むと、次につづけとまた一人、二人と、四方八方へ歩きはじめた。

その場にいた賢者の助手ルーネベリもまた同じだった。光が見えないのなら、探しに行こうと右足を踏み出そうとした。すると、後ろから革のジャケットを掴まれた。

「まだ動くな、パシャル」

 ――パシャル?と首を傾げて振り返ると、賢者シュミレットがジャケットの袖を掴んではいたが、言葉を発したわけではなかった。明らかに声色が違う。シュミレットは頷いて、ジャケットから手を離して右隣を顎で差した。

 ルーネベリが見てみると、すぐ真横に背の高い二人の屈強な男たちが前後に密着して立っていた。

二人とも袖のないくすんだ黄緑色の衣を着ており、衣の上には黒く頑丈な革の胸当をつけていた。下は黒い長ズボンに脱げないように紐で何重にも結ばれた薄茶色のブーツを履いていた。背中には大剣を背負い、右腰には大きさの異なる短剣を三本ばかりぶらさげている。よく見てみると、二人のうちの一人、後ろに立っていたのは女性のようだった。声を発したのはこの女性だろう。

 赤くパサついた髪を後ろで結び、化粧気のない勇ましい顔を飾る鋭く吊あがった赤い目。肘に大きな古傷のある筋肉の逞しくついた女性の左腕は灰色のぼろ布を頭にぐるぐると巻いた男の首にまわされていた。赤い垂れ目の男よりも、身長は女性の方が高いようだが、二人とも剛の世界の人間のようだ。もしかしたら、ルーネベリと同年代かもしれない。

 女性の声にしてはとても低い声が言った。

「お前は用心棒のくせに警戒心が足りない。この霧の中、むやみやたらに歩きまわったら、迷うだろうが」

 布を巻いた男は首を圧迫され苦しそうに女性の腕を叩いて言った。

「アラ、言う通りにするからなぁ。離せ。苦しい……」

 アラと呼ばれた女性はぱっと首から腕を離してやった。パシャルという男は胸元に手を当て、はぁはぁと喘いだ。

「馬鹿力め」

 二人の向こうの霧の中らから男の笑い声が聞こえたかと思うと、笑う人物の姿が少しずつはっきりと見えてきた。二人同様、とても背が高く、服装もまるで一緒だった。肩まで伸びた赤い髪がちらりと見えた。こちらの男はいたって平凡な容姿で、特徴といえば、前が大きくあいた帽子のような銀の甲冑ぐらいだろうか。

 ルーネベリは呟いた。

「霧が少し薄くなった……?」

 アラという女性とパシャルという男、そして、もう一人がルーネベリの方を向いた。ばっちり目が合ったが、三人ともルーネベリの容姿を見ても特別、疑問にも思わなかった。爆発したような赤い髪と赤い瞳。同族だ。

 パシャルは言った。

「この霧には参ったよなぁ。すっきり霧が晴れてくれればなぁ。このままここにいたって、この霧じゃあ光を探すも照らすも、何もできねぇよなぁ」

「そうですね、参りました……」

ルーネベリがそう言うと、パシャルはルーネベリの傍らに立つシュミレットを少し見てから、ルーネベリに言った。

「子供連れか。あんたも大変だなぁ」

「えっ?」

「どうせ子供に駄々をこねられて無理やり連れて来られたんだろうなぁ。でも、参加できただけで満足しとけよぉ。選ばれる奴は決まっている」

「パシャル!」と、アラは咎めるように叫んだが、パシャルは言いつづけた。

「俺が参加したのは、雇い主様に解雇されないようにするためなんだよなぁ。積み荷の上で相棒と一緒に昼寝していたら、いきなり雇い主様が現れて第六世界へ行って天秤の剣に参加してこいと命令されたんだ。参加しないと解雇するっていうから、仕方なく参加した。俺もあんたと同じようにかわいそうな奴なんだよなぁ」

 ルーネベリは苦笑った。何の話かはさっぱりわからないが、シュミレットのことを子供と言われたのはこれで二度目だ。賢者様の機嫌を損ないたくないと思い、誤解を解こうと口を開いたところ。アラが言った。

「用心棒のくせにお前の目も節穴なのか。黒い服を着た方は、子供じゃない。私たちよりもずっと年上だ。私たちとは気迫がまるで違うだろう。はやく謝れ」

「年上?」

「私が間違ったことがあるか?謝れ」

 パシャルはアラが深く頷くと、急に真顔になって、シュミレット方を向いて頭を下げた。

「俺は口から生まれたんじゃないかってぐらい口達者なんですが、その分、失言も多くて雇い主様によく減給されるんです。……申し訳ありませんでした」

シュミレットは「かまわないよ」と、珍しくにこやかに言った。

 ルーネベリはアラには大変驚いた。賢者の正式行事のためか、今回変装をしていない、フードを被っただけのシュミレットは十四、五歳頃の華奢な少年のようにしか見えない。そのシュミレットを一目見て、年上だと見抜いた人物はこれまでいたことがなかった。

 好奇心からルーネベリはアラの訊ねてみた。

「どうして、先生が俺たちよりも年上だとわかったんですか?」

「武道の心得えがある者なら、容易くわかる。私は、アラ・グレインだ。そちらは?」

「あぁ、俺はルーネベリ・L・パブロです。こちらの先生は……」

 シュミレットが言った。

「レヨー・ギルバルドだよ。よろしく」

「よろしくお願いします」

 丁寧にアラがお辞儀すると、パシャルが「俺はアラの幼馴染で、相棒のカーンと商人の用心棒をしております。パシャルです」と言い、もう一人の男が「パシャルの相棒のカーンです」言った。

「よろしく」とルーネベリが言うと、パシャルとカーンはシュミレットを見下ろさないように屈み、言った。

「……先生ってことは、相当な手練れで?」

 アラはパシャルとカーンの頭を、痛そうな音をたてて叩いた。

「情けない。人様に頼ろうとするな」

「まだ、ひとことも言ってねぇ!」

「黙って、大人しくしていろ」

 拗ねた顔をしたパシャルの隣で、カーンはへらへらと笑っていた。三人にとっては、いつものやり取りなのかもしれない。

 アラはシュミレットとルーネベリに言った。

「二人ともお調子者なだけなのです。許してやってください」

 シュミレットはクスリと笑った。

「なかなか楽しくていいのではないかな。――ちょうど、僕たちは同行者を探していたところでね。君たちさえよければ、ご一緒しないかな?」

 思っていないシュミレットの申し出に、アラとパシャルとカーンの三人だけでなく、ルーネベリさえも慌ててしまった。

「えっ、先生?」

 シュミレットはルーネベリを無視して言った。

「正直に話すと、僕のことを見抜いた君のことを気に入ってしまったのだよ。容姿に惑わされない君をね。ぜひ、ご一緒したい」

 アラはじっと見つめられ、恥ずかしいのか鼻をすすり、ごしごしとにやける口元を隠すように擦った。

「私でよければ、同行させてください。パシャルもカーンもやる時はやる男なので、なにかお助けできるかもしれません」

「ありがとう。君ならそう言ってくれるだろうと思っていたよ」

 なにやら意味ありげなシュミレットの言葉にルーネベリは戸惑ったが、アラ・グレインはまったく動じず、軽く頭を下げるだけだった。純粋なのか、それとも、鈍感なのか。なんとも不思議な女性だ。

 シュミレットは言った。

「さっそくだけれど、君はこの状況をどう見ているのかな。『光を追い、道を照らせ』という言葉を、君も見たはずだね?光を探さなければならないのに、パシャルくんに動くなと言っていたからには、何か考えがあってのことだろうね」

 アラは言った。

「霧は視界を塞ぎ、方向感覚を狂わせる。迷路と同じです。何もわからずに動きまわれば、迷ってしまう。ここはしばらく様子が変わるのを待つほうがいい。天秤の剣が私たちを試しているなら、この霧の中で私たちがどうするのかを見ているはず」

「それじゃあ、君はこの霧もまた天秤の剣の『試し』だというのだね。……なるほどね。実に面白い考えだね。君の言う通り少し様子が変わるのを待ってみようか」 

 ルーネベリはシュミレットに言った。

「えっ、先生。それでいいんですか?周りは皆、移動していますよ」

「周りが何をしようと、僕らは僕らの考えのもとに行動すればいいのだよ。同じことをしなければならないわけでもないのだからね。それにね、僕はアラくんの意見には一理あると思うのだよ」

「そうですか……?」

 シュミレットは楽しそうにクスリと笑った。とりあえずは、アラのおかげで、賢者様が不機嫌にならなかったのだから良かったかもしれない。

 アラの言う通りに、しばらく霧の中で待つことになったので、他にすることもないので、シュミレットとルーネベリ、アラとパシャルとカーンの五人は暢気に雑談をして時間を過ごすことにした。ほとんど用心棒のパシャルが喋り、ルーネベリが相槌を打ち、相棒のカーンは絶えず笑っていた。シュミレットは話を聞いているのか無言で腕を組み。アラの方はパシャルの話を聞き飽きているのか、腰にぶら下げた短剣の手入れをはじめた。天秤の剣の測りごとがはじまったばかりだというのに、なんとも悠長すぎるのではないかとルーネベリは思った。

 その間、周囲のいた人々の気配は少しずつ消えていた。皆、光を探しに行ったに違いない。気配が消えるたびにひどく寂しさと焦りを感じるので、ルーネベリは度々、シュミレットの方を向いた。賢者様は目を閉じていた。寝ているわけではないだろうが、何か考え事でもしているのかもしれない。短剣の手入れを終えたアラは、一人で話しつづけるパシャルの腰にぶら下がる短剣を鞘から引き抜いて手入れをしだした。パシャルは文句も言わずに話しつづけた。

「俺らの雇い主様は、第九世界で骨董品を扱う商人でなぁ。あんまり大きな店じゃないけど、扱う商品が高価だから盗人から守るために俺たちを雇っているんだなぁ。けどなぁ、俺らが働きだしてから一度も盗人なんて現れたことがないんだよなぁ。本当は、盗まれる物なんて何にもないんじゃないかなぁ……」

 不意に、アラとシュミレットが顔をあげた。パシャルの言葉に反応したわけではなく、二人は霧の方を見まわしていた。

 どうしたのだろうと、ルーネベリが霧の方へ顔を向けると、音が聞こえた。――リーンリーンと、何かの音がはじめは小さく聞こえ、徐々に大きくなっていく。音がこちらへ近づいてくるわけではないが、繰り返し鳴り響いていた。

 先程までは静かだったのに、留まりつづけた人々の気配を近くに感じた。彼らもまた、この音に驚き、動揺しているようだ。

 さすがにパシャルも雇い主について話すのをやめ、「何の音だぁ?」と言った。

 相棒のカーンは首を傾げた。アラは手早く短剣をパシャルの鞘に戻してから言った。

「音がどこから聞こえるかよく聞け。光が現れるかもしれない」

 五人はリーンリーンと鳴る音が霧のどの方向から鳴っているのか聞き取ろうとした。けれど、聞き取るのは簡単ではなかった。広い場所なのか、音が反響しているので、あちらこちらから聞こえてくる。音の出所さえわからない……。薄くなったとはいえ、遠くまでは見渡せない霧の中に光が見えるのだろうかという疑問さえ浮かぶ。

 ルーネベリがどうしたものかと赤い髪を掻きむしっていると、銀の甲冑に手を当て、霧を見まわしていたカーンが叫んだ。

「あそこだ、光が見える!」

 皆がカーンを見て、カーンが指さす方角を見てみると、霧の向こう、ずっと遠くでぽっと小さく鈍く光るものが見えた。確かに光だ。

「アラ、お前って奴はぁ!お前にどこまでもついてくなぁ」

 パシャルはアラの肩に腕をまわし、笑いながら豪快に抱き寄せた。

 アラの言うことがすべて当たったので、ルーネベリはただ、ただ愕然としていた。

 どうして、わかったのだろうか……。









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