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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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六章



 第六章 剣の儀式





 シュミレットとルーネベリは五百八十四階へ向かう空間移動装置のある五重のガラス箱へ向かった。

 ガラス箱の前には、ここでも時術師が外に一人待機しており。二人が近づくと、「入りますか?」と声をかけてきた。

 シュミレットが頷くと、時術師は五つあるうちの最初の扉を開けた。残りの扉はルーネベリが開くことになるのだが。ルーネベリは二枚目の扉を開きながら、歪んで見えるガラスの向こう側を見て言った。

「先生、向こう側は何があるんですか?」

 マーシアの居城である覇翔城は想像以上に大きかった。室内は端の方がまったく見えず、空間移動装置の入ったガラス箱が横に四十列縦に十五列に埋め尽くしていても、まだ有り余るほどの空間がある。

 三枚目と四枚目の扉を通った後、シュミレットはルーネベリが言わんとしていることを察して言った。

「巨大な螺旋階段だよ。鍛錬したい者は階段を使って部屋まで向かうのだよ」

「階段?確か、最上階は六百一階でしたよね。一体、六百階まで何段あると……」

「少なくとも、僕は考えたくはないね」

 最後の扉をルーネベリが開くと、シュミレットはすっと中に入って行った。小さな空間移動装置のある部屋の隅に短い金髪の女性の時術師が立っていた。彼女は首を傾げるように挨拶して、シュミレットとルーネベリがガラスの床に描かれた時術式の中に入ると、さっさと時術式を発動した。

 二人は一瞬にして五百八十四階へ移動していた。

 五百八十四階にも一階と同じような五重のガラス箱に入った小さな空間移動室があり、移動してきたシュミレットとルーネベリを見て待機していた時術師の茶髪の青年がはっと顔をあげた。どうやら、彼は仕事中に手紙を読んでいたようで、手紙を背中に隠しながら気恥ずかしく挨拶を交わした。

 もしかしたら、術式が使えるかどうかを確認するという名目で恋人と文通をしているのかもしれない。科学道具を使えば、奇術を使い異なる世界にいる者と容易に会話ができるが、十三世界ではあえて想いや誘い文句を手紙にしたため、古い詩の一説を添えて時術式で送る恋人たちが多かった。会えない間は精神的なやり取りを楽しむのだ。手紙を送るのに時は選ばないが、返事が返ってくるのが早かったり遅かったりとばらばらだ。時には返事が永遠にこないときだってある。けれど、返事を待っている間のはらはらとしている時間さえも情緒があり、楽しいのだ。時術師の青年もまさに手紙のやり取りに夢中だったのだろう。シュミレットとルーネベリが背を向けると、さっと手紙を取り出して読み耽っていた。彼の熱はまだまだ冷めそうになかった。

 二人がガラス箱から出ると、アルケバルティアノ城よりも遥かに長く、行き止まりの見えない湾曲した廊下に立っていた。針岩の中なので、ごつごつした壁と床には麻色のとてつもなく長い一枚のカーペットが敷かれていた。

 廊下を右と左、どちらへ進めばいいのかわからず、ルーネベリがシュミレットを見ると、シュミレットはわざわざ左を指さして言った。

「こっちに行くのだよ。右から行ってもかまわないけれどね、どっちに行っても一周できるから。迷子にはならないよ」

「それはありがたいですね」

 シュミレットは廊下を歩きだした。

 宿泊する二人の部屋は五つ目の扉にあった。窓と同様に岩をくり抜いて作られた銅の扉には真新しい銀のプレートが打ち込まれており。丁寧に「魔術師賢者様のお部屋」と刻まれていた。誰がどう見ても賢者の部屋だと見てわかる。

 シュミレットはむっとした顔になってプレートに手を差し伸べて、やめた。魔術式でプレートを変化させようとしたが、無駄だと思い出したようだ。

 ルーネベリはシュミレットに言った。

「マーシアに文句を行ってきましょうか?」

「一泊だけだと思って我慢するよ。百年前も、その前もそうだった……。マーシアの喚き声のほうが僕には堪える」

 シュミレットは憂鬱そうに銅の扉の取っ手の下の妙に幅が狭く細長い鍵穴を見ていた。

そういえば、鍵など持っていたのかとルーネベリが思えば、シュミレットはアルケバルティアノ城の宝物保管庫に入室するときに使ったあの金色のメダルをローブの下から黒い紐を手繰り寄せて取り出し、鍵穴に差し込んだ。

 どういう機構かまではわからないが、恐らく錠は仕掛け式のものだろう。メダルの重みか形か、メダルが鍵穴の中に半分ほど収まると、ガチャッと音をたて、扉がすっと明るい室内へ勝手に開いていった。

 メダルをローブの下に戻したシュミレットは部屋に入り、ルーネベリも後につづいた。

 針山の中の宿部屋は、思った以上に広かった。

 寝室が個別に二つあり、浴槽も二つ、一際大きなリビングにはふかふか毛の赤いソファと木のテーブル。テーブルの上にはピンク色と白の可愛らしい花が三角のガラスの花瓶に活けられており、透明な小袋に入った一口サイズのトルズウェルズが山のように積まれていた。

 このトルズウェルズはルーネベリが朝食に食べるような熱々でも新鮮なものでもない。トルズの中身は水気を十分に飛ばした長期保存が可能な食材を挟んであるのだろう。乾燥食としてつくられた、一種の保存食だ。「朝一番屋」に比べれば、あまりにも質素だが、毎食の食事付きというのは確かに嘘ではなかった。

トルズウェルズの山の隣には銀色の水筒が二つ並んであった。水筒を開くと、透明な液体が入っていたので、すぐに真水だとわかった。

 トルズウェルズと水筒の前には黄色い封筒が二つに白いカードが十五枚、扇状に並べられていた。ルーネベリが見た数枚のカードにはシュミレットに対しての短い挨拶の文面が綴られていた。誰だかわからないが、どれも礼儀正しく、仰々しいものばかりだった。

 シュミレットはソファに座り、ルーネベリにも座るように言ってからカードの上に人差し指を置いた。そして、指を左から右へ扇状に滑らせて一枚一枚速読していた。

 ルーネベリがやっと五枚目のカードを読み終わったときに、シュミレットは言った。

「エントローとユノウは昨晩から覇翔城に滞在しているようだね」

 ルーネベリは顔をあげてシュミレットに言った。

「えっ、そうなんですか。お二人にご挨拶に行った方がいいですよね?」

「君が行きたいなら、どうぞお好きに。僕は部屋にいるよ」

「そんな、先生……」

「彼らは時間まで部屋で仕事をしているだろうし。僕は天秤の剣がはじまるまで本を読みたいのだよ」

「じゃあ、俺はどうすればいいですか?」

「ゆっくりしていなさい」

 ルーネベリは肩をすくめ、とりあえずは目にとまったトルズウェルズの小袋に手を伸ばし、一つ掴んで袋を破ってトルズウェルズを口に放り込んだ。たった一個では量としてはとても物足りなかったが、味の方には大変驚いた。ぎゅっと濃縮された乾燥肉の甘味と旨味が癖になりそうだ。もう一個、もう一個と次々と食べていくうちに、テーブルに小袋の空の小山ができていた。小さい割には腹によくたまった。

 シュミレットは黄色い封筒を手に取り、封を開けながら言った。

「気に入ったのなら、持っていくといいよ。そのために用意されたものだからね」

 まさかと思いつつ、ルーネベリは言った。

「行事の最中に食べていいんですか?」

「もちろん、かまわないよ。僕は三つほどでいいから、後は君の分だよ」

「……ありがとうございます」

 ルーネベリはさっそくリュックの中にトルズウェルズの小袋を詰め込みはじめた。リュックに空きはほとんどないのだが、無理やり隙間に埋めていくと、十個はなんとか入った。シュミレットの分の三個を残して、残ったのは二十個だった。全部はもう入りきらないので、五個ほどズボンのポケットに忍ばせ、後はその場で平らげることにした。

 いつの間にか、テーブルには空の小袋の山と、シュミレットの分の三つの小袋しか残っていなかった。すっかり満腹になったルーネベリはベッドで横になり、時間がくるまで休むことにした。シュミレットの方はといえば、黄色い封筒の手紙を脇に置いて、持参した本を読みはじめた。あの【自信家の鼻を折る四つの方法】だ。本を読みながらクスリ、クスリと笑っていた。




 午後十一時過ぎ、二人は荷物を整え、部屋を出て巨大な螺旋階段に向かっていた。一度、一階に空間移動装置で降りて、最上階に移動するとなると、すでに集まっているだろう客たちの行列に並ぶはめになるので、階段をのぼることにした。

 十七階分、大きな螺旋階段をのぼり、やっと六百一階に辿り着いたかと思えば、六百一階の広間にはまた小さな螺旋階段があり、下の階から空間移動してきた人々がのぼっていた。

 ため息をついて二人は階段をのぼる列に加わった。

 階段をのぼる行列は気づかない間に、厚い雲の上、覇翔城のてっぺんの尖がった頂点から、白く濁った鉱石でできた逆三角形の建物の中へ進んでいた。

 逆三角形の建物の上には一体どうやってつくったのだろうか、大きな水晶の舞台と、舞台を三百六十度取り囲む観客席になっていた。行列の一向は、舞台の真ん中の入り口からのぼり、観客は客席へ、催しの参加者は舞台の上にとどまった。

 ルーネベリは当然、賢者様は観客席にて高みの見物でも決め込むのだろうと思い、観客席へ向かって歩いていると、シュミレットがルーネベリを呼びとめた。

「君はどこへ行くつもりだい?」

 ルーネベリは振り返って言った。

「どこって、客席ですよ」

 シュミレットは言った。

「なるほどね、君はここにとどまって、参加しないつもりなのだね」

「……まさか、先生。天秤の剣の催しに参加するんですか?」

「もちろん」

「でも、行事だって言いませんでしたか?」

「行事だとも。僕は最後までつつがなく行事が終わるのを見届ける役目を担っている。でも、君がどうしても、客席に行きたいと言うなら、もう引きとめたりはしないよ」

 ルーネベリはため息をついた。

「俺は一応、助手なので。先生について行くまでです」

「君の健闘を祈るよ」

 シュミレットは意味深げにクスリと笑った。

その後、二人は舞台の端の方へ移動することにした。入り口のある舞台のど真ん中にいると、次々とやってくる観客と催しの参加者たちに容赦なく揉みくちゃにされるからだ。

 舞台端に着くと、ちょうど高級そうな客席が近くに見えた。二席ずつ区切られた、白い絹に金の刺繍が施された貴賓席だ。前から三列目の貴賓席にはすでに一人の淑女の姿があった。年頃は五十頃だろうか。黒い肌と、黒い髪のその女性はピンク色の品のある帽子と、ドレスを着ており。自負心の強そうな顔にかかるよう、淡い木目の扇を仰いでいた。そこへ、どこからともなくやって来た、黒い衣服を纏った背の高い老いた女性の執事が銀色の盆の上に紅茶のカップの菓子をのせて、丁寧に黒い肌の女性に給仕していた。

 シュミレットは彼女にすっと背を向け、こそっとルーネベリに言った。

「彼女はハブリア・チェロックだよ」

「チェロック?チェロックっていえば……」

「代行社、チェロック社の会長にして議員。通称、貴族の金庫番、チェロック卿だよ」

「卿っていうと、貴族ですか?」

「そうだよ。彼女も鼻持ちならない貴族の一員だよ。顔も合わせたくないね」

 ルーネベリが「なるほど」と頷いていると、黒い肌の淑女チェロック卿の右隣の席に、ピンク色の花の籠を持った黒いビロードのローブを着た男が小柄な厳格そうな老執事と共にやってきて、座った。チェロック卿とそう年の変わらないその男は、恐らく、魔術師だろう。

 男は隣に座るチェロック卿に花の籠を手渡し、なにやら話しかけ、それから、ちらりと顔をあげてこちらに目線を向けた。見られていると気づいたようだ。一瞬、男と目が合い、慌ててルーネベリは身を反らすと、シュミレットは言った。

「どうかしたのかい?」

「……いいえ、なんでもありません」

 別に悪いことをしたわけではないが、なぜだか見てはいけないものを見てしまった気がしてルーネベリは振り返ることができず、そのまま会場が人々で埋め尽くされる様をぼんやりと眺めて過ごした。


 観客たちは客席におさまり、催しの参加者たちは舞台の上の入り口から輪をかくように離れ、立つなり座るなり自由にしていた。それぞれに居るべき場所におさまり、もう下の階からやってくる人がいなくなると、第六世界の管理者ジプト・マーシアが舞台の上にのぼってきた。

 背はとても低いが、ぽっこりと腹のでた体格のいいマーシア。頭の半分は艶がでるほど綺麗に剃りあげ、長い口髭と顎髭が頭髪と一体化していた。金と絹の衣装を着て、意気揚々と舞台の上を大股に歩く様子は、とても誇らしげだった。眉毛の凛々しいマーシアは、ひょろりとした身体つきの地味な副管理者のラカン・ルジューを連れていた。ラカン・ルジューもまた頭の半分を剃りあげており、どうやら第六世界の権力者は髪を剃る習慣があるようだった。

 二人の男たちは一言も話さないまま貴賓室の空席に座ると、舞台の入り口からユー・ヴィアが現れた。

待ちわびた美女ユー・ヴィアの登場に会場はわっと騒々しくなった。

観衆の中には一目見て彼女を描こうとペンを手帳に走らせるが、彼女の美しさを描ききることは不可能に近かった。

 豊満な胸元が大きくV字にあいた黒いドレスの長い裾を優雅に引きずり歩き、たいして風もでていないのに漆黒の長い髪がふわりと軽くなびいていた。鼻は高く、長く太い睫毛はくるりと天に向かって曲がり。薄桃色の唇は厚く、わずかに濡れて煽情的だった。太い眉とすべてを見透かすような黒く深い瞳。まさに、この世の者とは思えない芸術品のようだけれど、ごく自然に生まれた整った顔には子供から老人まで誰しもがうっとりとし、頬を赤らめた。

 ユー・ヴィアは思っていたよりもとても大人びていたが、二十八歳と聞けば納得する。若い盛りの美しさと、天性の美しさが絶妙に調和していた。絶世の美女の称号を得るにはこれほどまでに相応しい女性はいるだろうか。

 後から付いてきたベールで顔を隠した侍女が一人ユー・ヴィアに近づき、絹の薄い手袋を手渡した。

ユー・ヴィアは優美に手袋を嵌め、滑らかで美しい右腕を宙に振りあげた。そして、何も持っていないのにも関わらず、指先を揃えまるで紐をつまみ上げているかのような手つきをし、左手を受け皿のようにずっと真下に添えた。

 観客たちも催しの参加者たちも、あまりにも美しいユー・ヴィアの姿に魅入り、彼女がしようとしている事の意味を深く考えている暇はなかった。その場にいる者たちは皆、徐々に言葉を失い。呼吸以外の身動きは一切できそうになかった。蕩けそうなほど見惚れ、動きをとめ静まり返った人々。けれど、時だけは正確に過ぎていた。

 ユー・ヴィアに魅入られた人々は午後十二時に第六世界が変わった瞬間、絹の手袋で包まれたユー・ヴィアの指先から二つの光の鎖が現れたのを目にした。点々と現れる光は左右ともに孤を描き大きく膨らんで次第に小さくなっていった。二つの光の鎖が一つになるちょうど中心に鎖よりも強烈な光を放つ星のようなものが現れた。――天秤の剣だ。 

 七つの鋭い光の刃を星のように七つ伸ばし、七つの光の刃は中心の核で繋がっていた。

 ユー・ヴィアと同じく、この世のものとはどうしても思えない清らかで美しい剣だ。目にするだけで物欲が腹の奥からどっと湧いてでてきた。どす黒い感情が抵抗もなく心の中で広がった。

その剣を手に入れたいと誰もが願い、誰もがあのユー・ヴィアという娘を欲しいと願った。その感情には男も女も、子供の大人も違いはなかった。ある者にはあの剣こそが、ユー・ヴィアそのものに見えていた者たちもいた。二つは一つ。手に入れることができれば望みが叶う……。

 傲慢な望みを抱き、笑みを浮かべる人々の腹黒い感情に反応するかのように七つの刃から無数の刃が突きでた。千の光の刃が現れたのだ。

 百年の深いふかい眠りからようやく目覚めた天秤の剣。剣に適う者を計るため、さらに強い光を放った。

 剣が放つ眩しい光はやがて、すべての人々の視界を真っ白にし、人々は意識を失った。









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