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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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五章



 第五章 剛の世界





 九月数五、数日の間に十三世界の軌道から外れ急速に移動していた第六世界はとても遠く星の少ない闇に佇み、天秤の剣が目覚めるその時を待っていた。

 もはや第三世界からは赤い球体は点々と輝く光にしか見えなくなっていたが、緋剣祭りの興奮は冷めやらず、今度は、一生のうちに見られるかどうかわからない天秤の剣に対する熱があがりはじめていた。代行社、各社が販売していた席券はすでに完売しており、購入できなかった者たちの嘆く声や高く買い取るという声が街のいたるところで聞こえていた。席券を勝ち取り前日祝いしていた者たちは、第三世界から第六世界への旅の支度で忙しく、乾杯もそこそこ、早々に家路についた。

 九月数六の朝三時、シュミレットのアパートに代行社の時術式が白い箱を送ってきた。テーブルの上で箱を開くと、新調した黒のマントとローブが入っていた。ルーネベリが留守の間に注文していたようだ。

シュミレットはさっそくローブを着替えて、おめかしをはじめた。黒い髪に橙色のオイルのような液体をべっとり塗りたくり、後ろに撫であげた。普段しないことをするせいか、ところどころ髪はぴんと立っていたが、シュミレットは気にしている様子はなかった。前髪がなくなったので、額と五粒の紫のアミュレットのついた片目と、黄金の瞳がいつもよりよく見えていた。――その髪型は、シュミレットにはあまり似合っていなかった。

 すでに身支度を終えていたルーネベリがどうしてそんな恰好をするのかと聞けば、こうでもしないとマーシアがうるさいのだと不機嫌に答えた。

「……過去に二度も、娘の隣に立つのだからみすぼらしい恰好はやめて正装してくれと言われてね。こないだの手紙にも書いてあったよ。まったく、マーシアには困ったものだよ」

「正装の理由が娘さん?」

「マーシアの娘は代々、三大美女の一人に数えられているよ。さぞ、ユー・ヴィアは自慢の娘なのだろうね」

「えっ!」

 ルーネベリは口元を手で抑え、思わずにんまりと笑ってしまった。

「美女好きの君が知らないはずはないと思っていたのだけれど」

「あぁ、知らないわけがありませんね。でも、マーシアの娘だったとは……。十三世界三大美女プニエコルテ、ユー・ヴィア、マジェリス。あぁ、ついに三大美女の一人に会える日が来るとは……」

 シュミレットはため息をついた。

「君ね。天秤の剣の日が何の日か知っているのかい?」

「いいえ?」

「ユー・ヴィアの結婚式でもあるのだよ」

「結婚式?」

「天秤の剣に選ばれた者とユー・ヴィアは結ばれる。マーシアに結婚式に普段着で参加するなと言われたのだよ」

「まぁ、結婚式で正装するのは当然のことではありませんか。でも、結婚式ですか……。参加すれば、俺もユー・ヴィアと……」

「君もまたそう望むことはできるね。だけどね、ユー・ヴィアと結ばれるには天秤の剣に選ばれなければならない。なかなか難しいものだよ」

「確かにそうですね。まず、天秤の剣か何なのかわかりませんし。まだ参加できるのかどうか」

「参加はできるよ。僕も参加するからね」

「えぇ、先生も?」

 驚くルーネベリにシュミレットはクスリ笑うと、「そろそろ第六世界へ出かけよう。遅れてしまうと、色々と困るからね」と言った。

 新しいマントをはためかせると、シュミレットが人差し指をくるりとまわすと、シュミレットとルーネベリの足元に時術式を発動させた。



 

 黄色い光が眩しく輝くと、シュミレットのアパートのリビングから大きな五重の分厚いガラスに覆われた箱部屋に二人は移動していた。

 足元と天井を見れば、アルケバルティアノ城の空間移動室と同じ大きな時術式があり、ガラスの手前には大きな空間移動のための科学機械とタンクが幾つも並んでいた。そして、術式から離れたガラスの壁際に書類を手にした気真面目そうな時術師が三十人ほど立っており。突然現れたシュミレットとルーネベリを見てもたいして驚かす、静かにお辞儀した。

 ルーネベリは彼らに会釈してからシュミレットに言った。

「ここは本当に第六世界ですか?」

「そうだよ。どの世界から第六世界へ空間移動しても、必ずここに辿り着く。世界の玄関にしてはやや狭苦しいところだけれど。それも仕方がないのだよ。第六世界はウェルテルがないからね、空間移動できるように第三世界の空気を満たし。常時、時術師が在中して管理しているのだよ。例え時術師であっても、この空間移動室が壊れたら、永久に第六世界から出入りできなくなる。第十四「水」の世界の時が止まったときよりもずっと深刻な事態になるのだよ」

「恐ろしいですね。第六世界は思っていたよりも過酷な世界なんですね」

「術師にとっては過酷な世界だね。術式だけでなく、魔語も唱えられない。でもね、ルーネベリ、君にとっては過ごしやすい世界だと思うよ」

「剛の世界の血筋だからですか?」

 シュミレットは頷いた。

「いつだったか、理の世界で遺伝子の話を聞いたことがあったね。剛の世界の人々の遺伝子の中には翼人と同じプロト遺伝子がある。君が思っている以上に屈強な遺伝子だよ。――さぁ、第三世界から空間移動してくる人々に埋もれる前にマーシアの城へ向かおう」

「そうですね……」

 二人はガラスの扉へ向かった。ガラスの扉は五つあり、すべての扉を開いて通り抜けるたびに、時術師の姿を見かけた。彼らは空気タンクの減り具合と空気の密度をメモリで確認しては、小さな時術式を発動させていた。術式が発動できなくなると、空気中のウェルテルが極端に減っていることになる。彼らのこうした努力のおかげで、第六世界と各世界を行き来できると思うと、心の中で密かに時術師たちに感謝した。

 シュミレットとルーネベリが五重のガラス箱の最後の扉から外へ出ると、ガラスの箱が岩山の洞窟のようなところにあることがわかった。箱の外へ出たほんの一瞬、磯の匂いがした気がしたが、すぐに匂いが消えた。鼻が慣れたのか、気のせいなのかはわからなかった。首を傾げながら外から漏れてくる光の方へ歩いてゆくと、ルーネベリは愕然とした。

 剛の世界は茶色い岩肌の露見した針山のような険しい山々に覆われた世界だった。空間移動装置は針山の中腹にあり、錆びた鉄の手摺りのついた岩の階段が下界へとつづいていた。頼りない手摺りを掴んで、下界を見下ろすと、地面には針山にはない若い緑が溢れていた。町らしきものはどこにも見当たらず、獣が遠くで仲間を呼び甲高く啜り鳴いていた。

 ルーネベリは言った。

「こんな原始的なところに俺の一族が住んでいたなんて……」

「都会育ちの学者の君にとっては衝撃的だったかもしれないね。剛の世界には山はあっても、娯楽地はない」

「俺には悪夢のような世界ですね……」

 手摺りを掴みながら二人は下界へおりた。シュミレットの話では、マーシアの城は空間移動装置のある針山の裏手に見えるそうだ。しかし、朝三時過ぎに第六世界へやってきたのに、針山をおりるのに三時間もかかってしまった。天秤の剣が公開される儀式は、午後十二時からはじまるので十分に時間はあるが。儀式がはじまる前にルーネベリは疲れを感じていたのでやや心配になっていた。賢者様の方はというと、慣れたもので、平然とした顔をしていた。

 午前六時過ぎに地面に到着すると、シュミレットとルーネベリは針山に沿って裏側へ向かって歩いた。地上からはついさっき第六世界へ到着したのだろう沢山の人々が列になって階段をおりている姿が見えた。彼らはこれから三時間ほどかけてくだっていくのだ。ご苦労なことだ。

 緑豊かな平地を歩きながらルーネベリは針山の岩壁に手をついたのだが、さらさらと岩壁から砂が落ちるたびに磯の香りがした。間違いかと思い、手についた土の匂いを嗅ぐと、さらに強い磯の香りがした。――どうしてだろうか。ここは海ではない。それなのに、なぜ磯の香りがするのだろう……。

 立ちどまったルーネベリは言った。

「先生、少し待ってください」

 シュミレットは立ちどまり、振り返った。

「どうかしたのかな?」

「ちょっとこの砂が気になるんです」

ルーネベリは爪で針山の岩壁を削り、掌にのせて、小指に砂を少量つけて味を確認すると、土の味に混じり、塩と渋味のような複雑な味がし、吐きだした。

「これは……アタタトイト、つまりは塩の砂が混じっている?」

 シュミレットがルーネベリの隣に近づいて言った。

「そうだよ。剛の世界の土には塩の砂が含まれているよ。ウェルテルがないだけじゃなくて、魔力を吸収するやっかいなものに囲まれているのだよ。知らなかったのかな?」

「はい。でも、塩の砂は第十『産造』世界で生産されているのではなかったですか?」

「加工工場が第十世界にあるのではないかな。僕らが使うような塩の砂は余分な土を取り除いて、精製しているのだろうね」

「そうだったんですか。まぁ、塩の砂は着火点しか燃えないので、火事になるようなことはありませんが……。これぐらいの濃度なら、土がついたままでも燃えそうですね」

 ルーネベリが嬉しそうにそう話すと、シュミレットはため息をついた。

「君は持って帰るつもりなのだね」

「塩の砂代も積もれば馬鹿になりませんからね」

 さっそくルーネベリはリュックから愛用している革の道具入れと空の小瓶を二つ取りだした。巻物状の革の道具入れから小型ナイフを抜き取ると、道具入れを脇に挟んだまま小瓶の栓を抜いて、岩壁を削った。茶色い土の塊をいくつか二つの小瓶のなかにすっかり収めると、栓をきつく閉めてリュックにしまい。服が汚れるというのに、小型ナイフの尖端の汚れをズボンでふき取り、道具入れに戻した。

 ルーネベリの収集作業が終わると、二人は再び歩きだした。十分ほど歩いて針山の裏手に着くと、正面にあるてっぺんの見えない大きな針山を見上げた。ジプト・マーシアの居城、覇翔城。第七「理」の世界の巨大円形ドームの何倍もある、壮大な針山の岩壁にガラス窓が階ごとにずらり並んでいた。

 ルーネベリはシュミレットに聞いた。

「もしかして、ここは宿なんですか?」

 シュミレットは頷いた。

「居城と宿を兼ねているのだよ。君は買う必要なかったから、代行社の広告をよく見ていなかったかもしれないけれど、席券を買うと、毎食の食事が付いて一泊宿泊もできるのだよ。剛の世界には覇翔城以外に宿がないから仕方がないのかもしれないけれどね、席券はとにかく高価なのだよ」

「おいくらぐらいするんですか?」

「一人当たり三十万キエヌ。特別席で二百五十万ぐらいしたはずだね」

「三十万!つい先日までの俺の貯えと同じじゃないですか……。賢者の助手枠に入っていてよかったですよ」

 シュミレットはクスリ笑い、言った。

「そういえば、君は九年間の給料が入るのだったね。席券代を請求しましょうか?」

「やめてくださいよ」

「ついでだけれど、僕は君に聞こうと思っていたのだよ。九年の間、君はどうやってお金を工面してきたのです?」

 シュミレットがそう聞くと、ルーネベリは言った。

「その話ですか。いつか聞かれると思っていましたよ。――研究所にいた頃は、定期的に代行社に貯蓄していましたし。あとは、学生時代に酒屋で行われた飲み比べ大会で四百万キエヌ貰ったことがあったんです。先生は家賃や生活費を請求しなかったから、ほとんど金はかかりませんでしたしね」

シュミレットは言った。

「君の酒代はひどくかかりそうだけどね」

「酒代は……まぁ、酒場で知り合った人に奢ってもらうことが多か

ったもので。気前がいい人が多いですから」

「僕だけでも家賃を請求しておけばよかったよ」

「やめてください。俺から取らなくとも、先生は裕福でしょう」

「そんなことはないよ。僕の収入の半分は消えていくから、高価な本を買うときは躊躇してしまうよ。結局、購入してしまうけれど」

「えっ、どうして消えていくんですか?まさか、アパートの家賃が賢者の収入の半額ではないでしょう」

「さぁ、行こうか」

シュミレットはマントを揺らし、先に歩いて行ってしまった。

「……ちょっと、待ってくださいよ」

 どうやら都合の悪い話のようなので、それ以上は聞かず、ルーネベリはシュミレットに追いつくため小走りした。


 ジプト・マーシアの居城、覇翔城の入り口は巨大で重厚な緋色の木の扉で固く閉じられていた。年中、緋色の扉が開くことはなく。城への真の入り口は、扉の右端にある開け放たれたままの小さな扉なのだが、小さいといっても、一度に大勢の人々が出入りできる大きなものだった。

 シュミレットとルーネベリが扉に近づくと、ルーネベリと同じ赤い髪の、銀の三股の槍を持った城の門兵たちが十人ほど立っていた。皆、背は優に二百メートルを超えており、肌は浅黒く、鍛えられた屈強な肉体が鎖帷子から見えていた。鋭い目つきは剛の世界の人間特有のものだった。印象的な沢山の赤い瞳がこちらを見ていた。

 門兵たちは小柄な少年のようなシュミレットと、自分たちとそう変わらない大柄なルーネベリを見て、どうやら、保護者と子供だと思ったようだ。一番若い門兵がにこやかに「第五世界へ、ようこそ」と二人に話しかけると、「券を手に入れられて幸運でしたね。子供さんにはいい思い出になる」と、ルーネベリに言った。

 ルーネベリは思わず笑いそうになり、右手で口元を抑えて、左手を振った。違うと否定したつもりなのだが、若い門兵には伝わらず、首を傾げた。

 シュミレットは彼の言葉を一切無視して言った。

「賢者ザーク・シュミレットと、助手のルーネベリ・L・パブロです。管理者ジプト・マーシアから話は聞き及んでいるはずなので、通してもらうよ」

 門兵たちは途端に顔を真っ青にした。まさか親子連れが管理者の特別な招待客だとは思わす、十人の門兵たちは慌てて背筋を伸ばして槍の石突きで地面を叩き、敬礼した。

「も、も、も、申し訳ございません。賢者様、どうぞお通りください」

 シュミレットは無表情のまま頷いて、マントをはためかせて扉を通って行った。ルーネベリは口を塞いだまま通った。でなければ、笑いを堪えられそうになかった。

 どうにか笑い治まった頃、覇翔城のメインホールをよく見ると、まるで迷路のように空間移動室よりは小さな四つの空気タンク付きの五重のガラス箱で一階を埋め尽くされていた。しかし、ガラス箱の中の空間移動装置が幾つあるのか数えなくてもすぐにわかった。手前、右端のガラス箱の扉に「最上階 六百一階」と書かれた白いプレートが貼ってあった。

 他の世界と違い、一つの空間移動装置につき、一つの階へしか行くことができないようだ。たった一泊とはいえ、六百個のガラス箱の中から、宿泊する部屋のある階へ行くガラス箱を探すのは骨が折れそうだ。

 ルーネベリが途方に暮れていると、シュミレットが言った。

「君、僕の助手でしょう。僕らが泊まる部屋がある階は五百八十四階だから、五百八十四階へ行く空間移動装置を探してきてくれないかな?」

「えっ、一人で探すんですか?」

 ひどく嫌そうにルーネベリが聞くと、シュミレットは「もちろん」と答えた。

「そういうことは助手の仕事でしょう」

「でも、一人で探すのは……。わかりましたよ。行ってきます」

 ため息をついて歩きだしたルーネベリは、数歩歩いてから、ふと疑問に思い、振り返った。

「――いや、ちょっと待ってください。もしかして、さっきの仕返しですか?門兵が子供って言ったことの……」

「なんのことかな?」

「あぁ、先生!確か、天秤の剣を見るのははじめてじゃないですよね。笑いそうになったことは謝りますから、教えてくださいよ」

 シュミレットはクスリ笑った。

「まったく、助手なら代行社が出している第六世界の案内本ぐらい用意しておきなさい。僕らが乗る空間移動装置は、右から二列目の前から三つめにあるよ。空間移動装置は横に四十列、奥へ向かって十五列あるのだよ。階数は奥へ行くほど下階になる」

「なるほど、だから、右から二列目、前から三つめなんですね」









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