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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部四巻「胡蝶舞う蔓畑」
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十ニ章


 第十二章 傲慢な花

 




 ルーネベリとローディア・シスケイルが廊下に出ると、ラス・アトゥール氏の声が聞こえてきた。怒りを堪えるかのように少し低めの声を震わせていた。

「乱暴はやめなさい。ここではお客様のご迷惑になるでしょう!」

 部屋の中で聞こえていたのは彼の声のようだ。彼はどうやら仲裁に入ったようだが、うまくいかなかったようだ。大広間のガラスドームに沿って湾曲する廊下を十数歩進むと、皿の割れた破片が転がる床で黒いドレスを着た三人の若いウェイトレスたちが怒鳴りながら取っ組み合いの喧嘩をしていた。三人とも片手で白いフキンを絶対に離すものかと千切れそうなほど強く掴んで、もう片方で互いの髪や服を引っ張り合っていた。揉み合う三人のずっと奥で、アトゥール氏が大広間から顔を覗かせていた客たちに深々と頭をさげて一人一人に丁寧に謝罪していた。

 ルーネベリはローディアに言った。

「何事かと思えば、女性同士の喧嘩だったとは……。これはどうするべきかよくよく考えて対応しないと、とばっちりを食らうかもしれませんね」

「はしたないわ。私がやめさせますわ」

「えっ?ちょっと、ローディアさん」

「舞台裏では喧嘩なんて日常茶飯事ですから、心配はご無用ですわ」

 青いドレスのスカートを掴んで、ローディアは掴み合う三人のウェイトレスに近づいて行った。見た目は儚げだが、なんとも肝が据わった女性だ。争いの渦中に自ら飛び込んでいった。

 三人のウェイトレスたちが掴んで離さない白いフキンをローディアがぎゅっと掴みあげた。ウェイトレスたちはすかさず髪や服を掴んでいた手を離してフキンを両手で掴んだ。ずしんと三人分の体重がかかったせいでローディアがよろめいた。ルーネベリは急いで四人に近づき、ローディアの代わりに白いフキンを掴んでそのまま取りあげた。手の中からすっぽりフキンがなくなり、ローディアはローネベリを見上げて微笑んだが、ウェイトレス三人は顔を醜く歪め、声を揃えて言った。

「返して、それは私のよ!」

 すると、ローディアは三人に言った。

「ここでは皆さんのご迷惑だわ。私たちの部屋に来なさい。事情をお聞きするまで返さないわ」

 ルーネベリはわざとらしくフキンを振った。二百十センチを超えている巨体から、梯子や踏み台を使わずにフキンを取り返すのは難しい。ウェイトレスたちは不満たっぷりの顔をしながら、互いに顔を見合わせてから渋々頷いた。

「行きましょう」と、ローディア。ルーネベリと共に個室へ歩いて行った。その後をウェイトレス三人がついてきた。歩きながらエメラルドグリーン色の髪のウェイトレスが、点々と光る濃紺の長い髪が映える美しいローディアの後姿を見て、「女優のローディア・シスケイルだわ」と、こそこそ言った。胸元の真珠色のネームプレートにはネルシア・ストフェルと書かれていた。ストフェルの隣を歩いていた黒い髪のウェイトレス、リーナン・ハディーは言った。

「嘘よ、あなたはいつも嘘ばっかり。女優がウェイトレスの喧嘩なんかを邪魔すると思う?」

 食事の前にルーネベリたちに給仕してくれたカイラ・コルスは黙っていた。

 個室の扉をあけて、ローディアは三人を部屋の中に招き入れた。ルーネベリは扉が開いた瞬間、「しまった!」と額に手を当てた。

喧嘩やローディアのことに気をとられ、部屋に賢者様がいることをすっかり忘れていた。いきなり三人のウェイトレスが部屋に入ってきたというのに、シュミレットはちょうど良い焼き目のついた肉ロールを黙々と食べていた。普段は小食なわりに、第八世界に来てからはよく食べていた。よほど口に合うのかもしれない。しかし、そんなことよりも、賢者様の許可も得ずに、喧嘩の仲裁に入ることになってしまったので、これはどうしたものかとルーネベリが首を捻っていると、ローディアがシュミレットに言った。

「少し、食事を中断させていただいてもよろしくて?部屋の隅で話をするだけですから」

 もぐもぐと咀嚼しながら、シュミレットは頷いた。ローディアは軽くお辞儀し、三人のウェイトレスの方を振り返った。

「話をお聞きするわ。そこに並んで立ってちょうだい」

 ウェイトレスたちは嫌な顔をしていたが、すんなりストフェルとハディー、コルスの順で壁際に並んで立った。先ほどからローディアの言うことを聞くところを見ると、よほど白いフキンを返してもらいたいようだ。どういった事情がますます気になるところだ。ルーネベリはしばらく様子を見ることにした。

 ローディアは言った。

「それでいいわ。真ん中に立っているあなた――リーナン・ハディーさんが話してくれるかしら」

 真ん中に立っていた黒い髪のハディーが「私ですか?」と言った。ローディアは言った。

「そう、ハディーさん、あなたよ。何があったのか教えてくださらない。事情を聞かなければ、解決もしようもないでしょう」

 ハディーが気まずそうに頷き。ストフェルとコルスを見た後、俯いて言った。

「今日の昼の三時過ぎに、煌びやかなお召し物をまとった男性二人と女性お一人のお客様たちがお見えになったんです。とても裕福そうな方々で、舞踏会に行く前にレストランに立ち寄ったのだと思いました。

 最初に給仕したのはストフェルでした。三人のお客様のお部屋にストフェルは三度給仕したそうですが、ちょうど四度目に呼ばれた時に別の部屋に給仕しに行っていたので、私が代わりにお酒を運んだんです。給仕を終えてお部屋を出た後、すぐにコルスが給仕したそうです。私はもうあと二度三度、お部屋に追加のお飲み物を運びました。私がお酒をテーブルに置くと、金髪の男性のお客様が私の手を握りしめて、熱い目で見て可愛らしいと仰いました。女性のお客様が止めに入ってくださいましたので、私はすぐ部屋を出たのですが。あの方のあの眼差しは忘れられませんでした。

 三人のお客様たちは十五分前に食事を終わられて、お帰りになられました。ストフェルと私とコルスは、食器を片づけるためにお部屋に入りました。そこで、コルスがフキンにメッセージが書かれているのを見つけたんです」

「誰に宛てたメッセージだったのかしら?」

「私へのメッセージです」はっきりとそう答えたハディーにストフェルが「違うわ!」と言った。

「あの貴族様は最初に給仕した私に宛ててメッセージを残してくださったんです。私がお酒を運んだ時は、緑の髪が可愛いと仰って傍に置きたいとも言っていたわ」

「可愛いって、私も言われたわよ」と、コルス。ローディアは呆れながら細い腕を組んで言った。

「全員に同じことを言ったのかもしれないわ。浮気性な方ですわね。ストフェルさん、貴族と言っていたけれど、そう聞いたの?」

「いいえ。でも、フキンに書いてあったんです」

 ローディアはルーネベリの方を振り返った。

「パブロさん、フキンをお貸しくださいません」

「あぁ、どうぞ」

 ルーネベリは白いフキンをローディアに手渡した。ローディアは白いフキンを広げた。そこには白いフキンに黒い大きな字が書いてあった。ローディアは口に出して読んだ。




                挿絵(By みてみん) 




「『可愛いウェイトレスの君へ。君に一目で恋に落ちた。三日後、エルアの大劇場で待っている。赤いドレスを忘れないでくれ。君の貴族より』――私には遊び人の言葉にしか見えないけれど……」

 ストフェルが叫んだ。

「もっと大事に扱ってください。それは貴族様が私にくださった招待状なんですから」

「違うわ、ネルシア!それは私にくださったのよ」

「私よ!」

 コルスの叫び声がとびきり大きかったので、ルーネベリはシュミレットの方を向いた。シュミレットはやはり不快に思ったようで、フードの奥で閃光のような目がこちらを見ていた。ルーネベリは慌てて言った。

「ウェイトレスとしか書かれていないということは、名前がわからなかったのではないですか?」

 ローディアはウェイトレスたちのネームプレートに目を向けた。

「彼女たちを見れば、誰でもお名前はわかりますわよ」

「確か、何度も呼ばれたと言っていましたよね。それに、酒を運んだとも。相手は相当酔っていたんじゃありませんかね。俺が思うに、レストランに来る以前から、飲んでいたんでしょう」

 ルーネベリがそう言うと、ローディアは言った。

「三人のウェイトレスを一人と勘違いなさったのかしら。でも、それじゃあ、誰が受け取るのが一番いいのかしら。名前が書いてないのなら、皆さんに受け取る権利があるということになりますわ」

 ウェイトレスたちは自分たちを指さした。皆、私の物だと強く主張していたのだ。ルーネベリが平等にくじを引くのはどうだろうと提案してみたものの、せっかくの機会をそんな運頼みなどでみすみす逃したくないとウェイトレスたちは頑なに拒んだ。

 ローディアは小さく手を叩き、言った。

「じゃあ、こうしましょう。私は女優ですのよ。女優の私がチケットの代わりにサインを書きますわ。劇場の受付に言って、あなた方三人だけは特別な席に着けるように取り計らっていただくわ」

ローディアはさっそくペンと紙を探そうとしたが、三人が一様に首を横に振った。ストフェルは言った。

「私は貴族様が書いたフキンが欲しいんです。事情は説明したんですから、返してください」

「私も。せっかくだけど」と、コルス。ハディーも申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい」

 ローディアは「……そう」と呟いた。誰もが幸せになれる良い提案だと思ったのにと、かわいそうにローディアがしょげてしまった。ルーネベリは別の提案はないかと考えてみたものの、フキンを三等分するほかに良い考えは浮かばなかった。いっそのこと、フキンを返して、思う存分、喧嘩させたほうがいいのではないかという気もしていた。

 ウェイトレスたちはローディアの手にあるフキンを睨み、ローディアは困惑しながらルーネベリを見て、シュミレットの方を向いた。助け船が欲しいようだが、シュミレットは食事にしか関心がないようだった。

 にっちもさっちもいかない状況の中、誰かが部屋をノックした。ローディアが「はい」と返事をすると、扉が開いて黒いスーツで正装したユアンが入ってきた。茶色い髪をがっちりと後ろへ流し、固めていた。ローディアに会うためにお洒落をしてきたようだ。小麦色の肌とスーツが似合っていた。少し笑うだけでも、白い歯がのぞき、いかにも好青年といった風貌に見えた。

 ユアンはぺこぺこ首をさげて、微笑んだ。

「お嬢さん、賢者様、助手様。大変、遅れまして。会合が長引いてしまいました。わいの分の食事はまだありますか?もう腹がすいて」

「ユアン、待っていたわ。食事は……」

 ローディアが横目でウェイトレスたちの方を見ると、三人のウェイトレスはユアンを見ていた。いや、彼女たちは見惚れていたのだ。ユアンの健康的で優しそうな雰囲気は年頃の女性の目には十分に魅力的に映っていた。ストフェルもハディーも、コルスも、ユアンの何気ない仕草にいちいちときめき。ユアンと話してみたいと思っていた。ユアンの方は、ウェイトレスが三人も部屋の中にいて不思議そうにはしていたが、じろじろ見られても嫌な顔はしていなかった。

 ローディアはユアンに言った。

「あなたに彼女たちを紹介するわ。ストフェルさんと、ハディーさん、コルスさん。これから彼女たちと事務所に行って、少しお話をしてきてくれないかしら。そうすることがあなた達にとって一番良いことなのだと思うの。あなた達、連れて行ってちょうだい」

「えっ?」

 三人のウェイトレスは貴族がメッセージを書いたフキンなどはじめからなかったかのように、澄ました顔でユアンに駆け寄った。ウェイトレスたちに一斉に話しかけられ、ユアンがわけもわからず戸惑っているうちに腕を引っ張られ部屋を出て行った。 

 ルーネベリとローディアはほっと息をついた。ユアンには悪いことをしたが、こうでもしなければ彼女たちは引き下がらなかっただろう。恋の争いというのは傍から見ると実に怖いものだ。良かれと思ってやったことも、裏目に出ることもあるのだ。

 ローディアは貴族のフキンを折り畳んで、テーブルの端に置いた。


 しばらくしてから、アトゥール氏が騒ぎのお詫びのデザートと土産を持ってきた。ルーネベリとローディアは食事を再開し、すでに完食していたシュミレットは席を立ち、窓際に立っていた。

 アトゥール氏は壁際までさがり、指を擦って四度音を鳴らした。クラッキング音が部屋中に響きわたると、機械音と共に部屋自体が上へ移動しはじめた。すべてのガラスドームがおさまっていた白い箱型の天井が引っ込み、個室六室と一つの大広間のドームが空へ向かっていた。ドームの白いカーテンは床近くまで下がり、部屋がとまった頃にはドームの窓、百八十度どこを見ても満天の星空が見えていた。まるで、空の上で食事しているかのようで、なんとも夢心地だった。

 アトゥール氏は窓際に立つシュミレットに近づき、言った。

「当レストランはいかがですか?」

「食事も景色も、すばらしいものだね。文句のつけようがありませんよ、ラザール・グルート。いいえ、ラス・アトゥールだったね。数十年前、君の父上のおかげで数回この世界に足を運んだから、ついその名前が浮かんでしまいますよ。君自身に会ったのははじめてだけれどね」

 アトゥール氏は一瞬目を大きくしたが、食事するローディアを見て落ち着きを取り戻したのか、声を小さくした。

「……シスケイル様の『シスケイル』というのは、第八世界の古い言葉で『星を仰ぐ』という意味です。第八世界は十三ある世界の中でもっとも空気が澄んでいて星が綺麗に見られる球体だから生まれた美しい名前だと子供の頃知りました。――この世は広く美しく、そして、愚か。私は美しい世界を求めて、この場所に落ち着きました。昔の名前を呼ばれても、もう恐れはしません」

 シュミレットはクスリと笑った。

「そうだね、恐れることは何もない。君は立派なものだよ」

「長い間、私のことを黙っていてくださったこと、感謝します。最後までお楽しみください」

 アトゥール氏が扉をトンと押して、現れたガラスの螺旋階段を下りて行った。二人がそんな意味深な会話をしているとは知らないルーネベリは、ローディと食事をしながらふと名案が浮かび、言った。

「ローディさん。サイン入りのチケット、もしよろしければ、俺にくださいませんか?できれば、もう一枚あれば嬉しいのですが」

 ローディアは突然の申し出にきょとんとしていた。

「二枚、お書きすればよろしいの?」

「はい、厚かましいお願いですが。ぜひお願いします」

 ローディアは「後で必ず書きますわ」と言い、微笑んだ。

「二枚が必要なのは、誰か意中のお相手がいらっしゃるからかしら」

「あぁ、俺じゃなくて。少しお節介を焼きたい奴がいましてね」

「お節介?」

 ルーネベリは短く笑った。

「女性の気持ちに疎い男でして、人から言われなければ気づかないような男なんですよ。女性の方はお節介を焼かれるのはあまり好まないようですが、あなたから直接チケットを頂けるなんてことは、なかなかありませんし。二人にとって記念になると思うんですよ」

「二人の仲を取り持つおつもりですのね。素敵ね。そういうことでしたら、今わかっている喜劇の公演日を書いておきますわね。楽しい時間を過ごしていただきたいわ」

 ローディアは嬉しそうに、そう言った。

 





 半年後、ジョラム・ヨナソンとドロイア・イーフェスそれぞれから手紙が届いた。

 ジョラムの方には、また新たな種が見つかったが、どうしても指定した日に劇場でしか見せられないと無茶な嘘をついて誘導したので、短い手紙には文句しか書かれていなかったが。イーフェスの手紙を読んでルーネベリはほっとした。

 イーフェスの手紙によると、演劇を見に行く日、イーフェスは研究所で普段はしない化粧をして、薄紫色のドレスで着飾ったそうだ。そこへジョラムがやってきて身なりについてあれこれと難癖をつけ、

これからデートだと言うと、男にうつつを抜かしていると批難したのだ。ひどく落ち込んで劇場に行こうかどうか悩んだが、貴重なチケットを寄こしてくれたルーネベリのために劇場に向かったそうだ。

 劇場でジョラムと会うと、イーフェスのデートの相手が自分だとようやく気づいて顔を真っ赤にさせて謝ったそうだ。二人は演劇を見た後、海岸通りの星の見えるレストランで食事し。イーフェスがずっと思い描いていたデートをすることができたそうだ。そして、その日を切欠に、ジョラムは仕事の合間にイーフェスを食事に誘うようになり。徐々に二人だけの時間が増え、ジョラムから告白され結婚を前提にした交際がはじまったそうだ。

 今は海岸通りに二人の住む家を探しているそうで、いつかルーネベリが仲を取り持ってくれたお礼がしたいとのことだった。幸せいっぱいの手紙の返信に、ルーネベリは二人へ「楽しみにしているぞ」と送ると、ジョラムから青緑の野草料理が届いた。








                            END.










2015年12月31日

「 胡蝶舞う蔓畑 」全十二話、完結致しました。


最後まで読みいただき、ありがとうございました。

今年は非常に慌ただしく、最終章の更新も大分遅くなってしまいましたが、無事、完結することができました。

これで良い年が越せそうです。

皆様も、良い年をお迎えください。


2016年、来年もまたよろしくお願い致します。




2015.12.31 佐屋 有斐


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