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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部四巻「胡蝶舞う蔓畑」
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十一章



 第十一章 影の君


 



 アトゥール氏に案内されたのは白い布地のカーテンで閉められたガラスドームの個室六室のうちの一室だった。もう一つ、個室よりも三倍ほど大きなガラスドームがあったが、そちらは大広間のようで、開放的に見せるためかカーテンは一つも閉められておらず、真っ白なテーブルクロスのかかった席に数組の客が座って食事を楽しんでいる姿が廊下から見えていた。ガラスドームはちょうど箱の中に全部で七つ収まっていた。

 第八世界に来てから半球やらガラスやら妙に見るような気がするなとルーネベリが密かに思っていると、アトゥール氏が二度ノックをしてから扉を開けた。

 扉が開いた瞬間、裾の長い青いドレス「フリペ」を纏った美しい女性がこちらを振り返り、ドレスがふわりと舞った。箱とガラスドームの二重窓から外の景色を眺めていたのだろう、女性は部屋の奥の窓際に立っていた。

 アトゥール氏がなにやら言って立ち去って行ったが、ルーネベリの耳には全くに入ってこなかった。ただ、ルーネベリは彼女に見入っていた。人並み程の背の高さや、ドレスを着こなすスタイルの良さよりも目についたのは彼女の髪だった。濃紺の長い髪は星のように点々と煌めき、まるで夜空のようだった。

 シュミレット達よりも先に来ていたとはいえ、まだレストランに着いたばかりなのだろう、青黒いベールで顔をすべて隠していたが、挨拶するために細く小さな手をすっと後ろに伸ばし、結んだベールの絹紐をといた。

 暴かれた素顔にルーネベリはごくりと唾を飲んだ。

 白雪のような肌に妖艶な赤い紅をひいた薄い唇。繊細な長い濃紺の睫毛で伏せられる水色の瞳はどこか物悲しそうで、儚げだ。傍に寄り添い守ってやりたくなるような、そんな女性だった。

 ローディア・シスケイルはシュミレットとルーネベリに挨拶した後、「お話はユアンから伺っていますわ」と、賢者シュミレットに話しかけた。実に綺麗な笑みを浮かべ、少しくぐもった優しい声がお礼を言った。

 シュミレットはまんざらでもないようで、短くお礼で返していた。二人はレストランまで迷わなかったかどうかなど、たわいのない会話をしていたが、珍しくルーネベリは会話には入らず。ローディアを見ながらぼんやりとしていた。

 ローディア・シスケイルはとても美しかった。十三世界を探してもローディアのような美女はなかなかいないだろう。儚くも気品に満ちた独特な存在感がある。これほどの美女ならば、誰も彼もほっておかないだろうとルーネベリが考えていると、ふと、名前に聞き覚えがあったことを思い出した。シスケイルという家族名だけでなく、彼女自身の名前をどこかで聞いたことがあるのだ。そう、考えてみれば、一度二度聞いたわけではない。何度も聞いたことがあるのだ。酒屋で知り合った男や、友人たちが口を揃えて言っていた。ローディア・シスケイルは美しい影だと……

「あぁ、そうか!」

 突如、ルーネベリは人差し指を振りながら叫んだ。シュミレットとローディアは驚いた顔でルーネベリを見た。

「ルーネベリ、どうかしたのかい?」

 シュミレットがそう聞くと、ルーネベリは笑いながら謝った。

「あぁ、失礼しました。あぁ、いや、どうりでお名前に聞き覚えがあると思いましたよ。――ローディアさん、あなたはあの三大美女の一人プニエコルテと並ぶ、第九世界の二大女優のおひとりですよね。『光の歌姫』、『影の歌姫』。あぁ、お会いするまで気づかないなんて。俺も馬鹿だな」

 ひどく感激するルーネベリに、ローディアは青いドレスの袖口で口元を覆い淑やかに笑った。

「プニエと並ぶだなんて、お世辞が過ぎますわ」

「いや、お世辞なんて言いませんよ。本当にお美しい方だ。あなたのような女性が三大美女に入っていないのが不思議でなりません」

「三大美女だなんて、いやですわ。私が『影の歌姫』と呼ばれるのは、舞台の上に影法師をうつして歌をうたったからですのよ。一族の過去や私の髪を影と結びつける方もいらっしゃいますけれど。私自身は平凡な女、平凡な演技者ですわ。本当に美しさを持っていたのなら、愛しい人さえ振り向かすことができたはずですわ。私にはできませんもの。まだまだ未熟なのですわ、きっと」

 ローディアは目を伏せた。その様さえ美しく、優雅だった。

 ローディアのいう愛しい人が一体誰を指すのがわからないが、これほどの美女に言い寄られて振り向かない男がいるなんて信じられなかった。多少の腹立たしさを感じながら、世の中には鈍感なうえ贅沢な男が多いものだなとルーネベリはしみじみと思った。

 シュミレットは言った。

「ユアン・レガートの姿が見当たらないけれど、どうしたのかな?」

「ユアンは農業組合の会合で遅れてしまうそうですわ。いつになるかわかりませんから、先にお食事にいたしましょう」

「それなら仕方がないね。座ろう」

 三人は席についた。席に着いても、シュミレットは黒いマントをは着たまま、黒いフードも被ったままだった。大抵、自宅のアパートや宿にいる時以外はずっとフードを被ったままなので、ルーネベリは特に気にならなかったが。初対面のローディアは控えめながらも好奇心でいっぱいのようだった。賢者様の顔を窺おうとさりげなく首を傾け、時折、ルーネベリと目が合った。ローディアは微笑んで誤魔化したが、首を何度も傾げていた。その振舞いはとてもかわいらしく。ルーネベリもついつい、首を傾げるローディアを見てしまった。片思いのお相手がいなければ、今すぐにでも口説いていただろう。

 ローディアの好奇心の的になっている賢者様といえば、無関心で、窓の外を眺めていた。


 ほどなくして、後ろで髪を丸めた茶髪の若いウェイトレスが酒と清らかな水を運んできた。給仕用の黒いドレスの胸元に真珠色のネームプレートが付けられており、そこにはカイラ・コルスと書かれていた。

 コルスは銀色の泡立つ酒の入ったグラスと水のグラスを三つずつテーブルに並べ終わると、顔をあげた。ちょうど左手に座るローディアの方を向くかたちになったのだが、コルスは目と口を大きく開いて固まった。大声こそあげなかったが、ローディアのまれに見る美さにびっくりしていたようだ。有名な女優だと気づいたかどうかはわからないが、ローディアがコルスに優しく微笑みかけると、コルスは頬を赤らめながら部屋を後にした。美人は異性だけでなく、同性さえも惑わせるようだ。

 酒のグラスを手に持ち、三人で乾杯をした。ルーネベリは一気に酒を飲み干してしまい。口をつけていなかったシュミレットのグラスはすぐにルーネベリのお代わりとなった。

数分して、テーブルの上に小さな三つの時術式が現れ、前菜の皿が三つ現れた。話を聞かれたくない客に配慮してか、ウェイトレスによる給仕は最初だけのようだ。前菜の皿には、淡い緑の葉を花のように重ねたサラダの上に緑色の透明なソースがかかっていた。食べてみると、なかなか癖になる甘辛い味だった。

 前菜を楽しんでいる最中、シュミレットが突拍子もないことを言い出した。

「シスケイルのお嬢さん。僕は大方わかっているつもりなのだよ」

 ルーネベリはごくりとサラダを飲み込み、言った。

「先生。急にどうしたんですか?」

「だからね、彼女が僕らを夕食に招待した理由だよ。はじめは感謝の気持ちからだと思ったのだけれど。よく考えてみたのだよ。君のいうように有名な女優だとするなら。女優業の忙しい彼女がわざわざ僕らを招待したのは、他の理由があったのではないかとね」

「他の理由というのは、どういうことですか?」

「あまり深く考えていなかったのだけれどね。蔓畑の一件は、ただの偶然にしてはあまりにも不可解だとは思わないかい。茎の膨れた蔓。浮遊する蝶。僕には何かを模しているようにも見えました。元になるものがあったのではないかな」

「元になるものですか。確かに俺も偶然にしてはおかしいとは思っていましたよ。妊婦がたとえ蔓畑の前を通りかかったからといって、蔓科の植物が同じ姿になろうと考えたなんてことは……」

「それは僕のほんの冗談だよ。学者の君が本気にするなんてどうかしていますよ」

「えぇ?先生。それはあんまりですよ」

 ローディアはフォークを置き、袖で口元を隠しているにもかかわらず艶やかに笑った。

「面白い方々ですわね。ずっとお二人のお話を聞いていたいぐらいですわ」

「僕らの話はともかく、君は話すつもりはないのかな」

「いいえ、早々に白状いたしますわ。もちろん、感謝の気持ちをございましたけれど、夕食に招待いたしましたことには他意もございましたの。ユアンから賢者様が畑を調査してくださると手紙が届いた時から、もしかしたらと」

「蔓畑の異変の原因をはじめからわかっていたんですか?」と、ルーネベリ。ローディアは言った。

「そういうことではございませんの。無知な私に原因などとわかるわけがございませんわ。私は……」

「ルーネベリ。彼女は僕らが畑を掘り返すかもしれないと考え、心配だったのだよ」

 微笑んだままローディアはシュミレットに頷いた。驚いた様子は見せなかった。

「本当にわかっていらしたのね」

 ルーネベリはなにがなんだかわからず、言った。

「畑を掘り返すことの何が心配なんですか。貴重な蔓だったのですか?でも、ユアンはそういったことは言っていませんでしたよ」

「君ね、まったく見当違いなことを考えていますよ。いつものように単純に考えればいいのだよ。蔓畑の土は、地中に埋められた壊れた魔道具から漏れ出した魔力によって汚染されていたのだよ。地上にあったものではなく、地中にあったものに蔓は影響を受けたわけです」

「ということは……」

「地中には魔道具の他にも何かが埋まっていたのだよ」

 ローディアは深く頷いた。

「仰る通りですわ。あの土地に足を運ばれたのなら、きっと土を掘り返すかと思いましたの。だけど、そのご様子なら、掘り返してはいらっしゃらないようですわね」

「掘り返す必要はなかったのでね」と、シュミレット。ルーネベリは納得いかない様子で顔を顰め、赤い頭を掻いた。

「俺はやっぱりよくわかりませんね。掘り返したかどうか心配だなんて。一体、何が埋まっているんですか?」

 ローディアは酒の入ったグラスに口づけた後、静かに言った。

「あの土地に埋まっているのは、シスケイル家の家宝ですわ」

「えっ、家宝?」

 興奮して思わすルーネベリはテーブルに強く手を打ちつけてしまった。五つのグラスの中で酒と水が大きく揺れた。

「失礼。どうして地下に家宝が埋まっているんですか」とルーネベリ。ローディアはグラスを遠く見つめた。水色の瞳がとても悲しそうに見えた。

「どうしてと言われても、困りますわね。私の一族は代々家宝を飾るのではなく、地下深くに埋める風習がございますの。貴族の名を失うよりもずっと以前からですわ。だから、きっと、遠い昔からご先祖様は貴族でなくなることを知っていたのだと私は思っていますわ。キエヌ=ボアジェを処刑し、多くの人々の運命を狂わせたことは許されることではありませんが、その時代を生きた当事者たちにしかわからない事実があるのだと私は信じたいですわ。

 私の一族は結局、一文無しになりましたけれど、ご先祖様が貴重な書物を財産として残してくれていたおかげで貸本屋を細々と営むことができましたの。そうして私の一族は曽祖父の代まで食い繋いでこられましたの。ご先祖様には感謝していますわ」

「無一文?……確か、財産の半分は残されたはずでは」

 小さな女性の手がグラスの足をぎゅっと掴んだ。

「それは世間様にとって都合のいいお話ですわ。没収された財産も、残りの財産も被害者一族の手には一キエヌも渡っていませんの。没収された財産は議員や七老者の手に渡り、残りはキエヌ=ボアジェとは無関係の、詐欺師たちの手に渡りましたの。わずかに稼いだお金も無心する人たちが沢山いたそうですわ。法律ができるまで、落ちぶれた元貴族を世間は嘲笑い、当然の報いだと」

 顔をあげ、ローディアは水色の瞳をシュミレットとルーネベリに言った。

「だけど、すべて過去のお話ですわ。私に同情はなさらないで。私の父は脚本家で、母は女優でしたの。一族の苦労を知らずに育ちましたから、世間様がいうほど影があるわけでもありませんの」

「君を見る限り、そのようだね」

「ちょっと、先生」

 あけすけにものを言うシュミレットにルーネベリは慌てたが、「正直な方ですわね」とローディアは笑っていた。容姿は繊細そうに見えるが、心は広いようで助かったとルーネベリは思った。

 

 前菜の皿が空っぽになると、再び現れた時術式が皿をさげ、湯気立つ熱々のスープを運んできた。白い無地の陶器に映える黒いスープだ。一見すると食欲が落ちる気がしたが、一口スプーンで掬い冷ましてから飲んでみると、塩気のあるスープに衝撃を受けた。口の中にじわじわと染みわたる旨味とコク。器ごと思いっきり飲んでしまいたかった。

 スープを冷ましていたシュミレットは言った。

「君は家宝の存在を知っているようだけれど、土の中から取り出すつもりはないようだね」

「ありませんわ。掘り返して傍に置いても、保管できませんし。きっといいこともありませんもの。レガートのおじ様も同じことを言っていましたわ」

 ルーネベリは言った。

「ユアンの親父さんも家宝のことはご存知なんですか?」

「土地の管理をすべてお任せしていますのよ。知っていますわ」

「そうでしたか。でも、ユアンは知りませんよね?」

「おじ様がいつか話すと仰っていましたから、私からはなにも。もし、家宝が埋めてあると話していたら、ユアンは畑を作らなかったかもしれませんわね。それはそれで困っていたかもしれませんわ。私はあの荒地に畑をつくることは名案だと思っていましたの。畑にして作物を植えておけば、誰も地下深くまで掘り返したりしませんもの。だけど、魔力に土が汚染されるなんて予想外でしたわ」

 ルーネベリは頷いた。

「確かに、魔力の件がなければ、名案でしたね。誰も宝が土の中に埋まっているとは思いませんし。なにかを建てるとか、遺跡を発掘するだとか、理由がなければあえて掘り返そうだなんて考えませんから。安全な隠し場所といえば、そうかもしれませんね。ところで、興味本位でお聞きしますが、家宝はどんな物なんですか?」

 ローディアは少し冷めたスープをスプーンで掬い、言った。

「妊婦と蝶の像ですわ」

「えっ」

「私もユアンからの手紙を読んで、驚きましたわ。こんなこともありますのね。代々、伝承されてきたお話では、一族の家宝は翼人から頂いた妊婦と蝶の小さな像だそうですの。私は目にしたことはございませんから、色形は想像するしかありませんけど。でも、蔓は知っているのでしょうね」

「妊婦と蝶?それじゃあ、畑で見たものは……」

 ルーネベリの脳裏に茎の膨れた蔓と、あの薄桃色の半透明な蝶が浮かんだ。あれらはすべて家宝を模した姿というわけだ。

 ルーネベリはスプーンを掴んだまま、つぶやくように言った。

「蔓はどうしてわざわざ家宝を真似たんでしょうか」

「さぁね。ただ、あの羽のついた種の姿を考えると、蔓も地下に眠る宝も、その地を離れて自由になりたかったのかもしれないね。羽があればどこにでも飛んでいけますから」

「まさか、蔓と像の意思が一致してあんな姿になったとでも仰るんですか?植物と無機物質ですよ」

「君ね、常識も非常識も人がつくったものだよ。型に当てはまらないこともあるのが、世の常だよ」と、シュミレット。ローディアはスープを上品に飲み、言った。

「世の中は不思議で溢れていますわね。このスープのようですわ。言葉では言い表せないほど、とても美味しいですわ。どうやってつくったのかしら」

「さて、そろそろ冷めた頃だろうから、君の絶賛するスープを僕も味わおうかな。食の世界といわれるだけあって、どこに行っても第八世界は食の趣味がとても良い」

 シュミレットが黒いスープをスプーンで掬い口元に運ぼうとしたとき、突然、がしゃんと痛々しく皿が割れる大きな音が聞こえた。ルーネベリとローディアは同時に顔をあげたが、シュミレット平然とはスープを飲んでいた。

 ルーネベリは言った。

「どうしたんでしょうか?」

「わかりませんわ。廊下の方から聞こえてきましたけど……」

 また皿の割れる音が聞こえたかと思うと、喚く複数の女性の声が廊下から聞こえてきた。揉めているのだろうか。男性の声も聞こえてきて、騒がしさは収まりそうもなかった。気になったルーネベリは席を立った。

「只事じゃなさそうですね。ちょっと、様子をみてきます」

「私もご一緒しますわ」

 ローディアは青いドレスのスカートを掴み、席を立った。









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