七章
第七章 旧友の悩み
シュミレットとルーネベリは空間移動装置でとりあえずは植物研究所の二階へやってきた。二階の床には中身の詰まったパンパンの白い布袋があちこちに積まれており、シーツが折り畳まれた金属製の二段ベッドが五台、間隔をあけて並んでいた。一階と比べれば片づけようとした努力は伺えたが、研究所にしてはやはり汚いとしか言い表せなかった。
厚い布袋を破り、ガラスの筒や長いペン先が見えていた。それに、よく袋を見てみると、それぞれに見知らぬ名前が書かれていた。袋の所有者の名前のようだ。
不快そうに首を横に振ったシュミレットと、頷いたルーネベリは空間移動装置で研究所の三階へと移動した。
研究所の三階はぱっと明るい部屋だった。壁際の大きな本棚には本が綺麗に収納され、壁の空いたスペースには種子の系譜図の絵が貼られ、その隣には細かな文字で予定表が書かれた紙が三枚貼られていた。部屋の中央には長い四台の机が並び。椅子が六つ机の下に置かれていた。机の上には十三枚の葉を持つ青い植物の模型や、七色の花びらの模型。大小形の異なるナイフたち、たくさんの種子や液体の入った小瓶が置かれていた。
奥の椅子で、二つの異なる高性能の顕微鏡を両目で見ている男がいた。白い上着の、胸元の二つの横長のボタンをだらしなく外し、黒いズボンは着古したせいか灰色に変色していた。モカ色の髪は爆発したようなルーネベリのものとよく似ていたが、男は髪を引っ張り後ろで束ね、広がらないように工夫していた。
男は傍で本や書類を別々の本棚になおし、世話しなく歩きまわる金髪の女性の学者に言った。
「イーフェスくん、こないだの研究結果をまとめて明日までに理の世界に送っといてくれないか」
「はい、先生。もう送りました」
「じゃあ、イーフェスくん、そこにある口の空いた小瓶を取って。あ、他のものと混ぜないでね。透明な種が沢山入っているから」
「はい、先生。もう顕微鏡の隣に置いています」
「ありがとう。いつも仕事が早いね。あともう一つ、イーフェスくん、お茶。いつも濃いから薄めといて。夜寝られないから」
「はい、先生。お茶は昨日から薄めています。眠れないのは悩み事があるからじゃありませんか」
顕微鏡から顔を離した男は立ちどまったイーフェスの方を向いた。
「うん、そうだ。眠れないのはお茶のせいじゃない。考え事をしていたせいだ。気にしないでくれ」
気にするなというのは無理があると言いたげに、イーフェスは溜息まじりに男の方を見て、その後方に二人の客人の姿を見つけて言った。
「先生、お客様がいらしたようです」
「お客様?」
「ジョラム、なにをそんなに落ち込んでいるんだ?」
すっと立ちあがったジョラムは空間移動装置の前に立つルーネベリに言った。
「嘘だろう。幻覚か?随分と久しぶりだな、ルーニー!どうして、お前がここにいるんだ」
ルーネベリとさほど変わらない巨体をもつジョラム・ヨナソンは歩きながら大きく腕を広げ、親友を抱きしめた。
「あいかわらず、お前は大きいな」
「ジョラム、お前もな。最後に会った時からまったく変わっていないな」
笑いながらルーネベリはジョラムの背を軽く叩いた。ジョラムはすぐにルーネベリを解放した。
「それは褒め言葉か?俺は老けたぞ。最近、徹夜するのが辛くなってきた。足腰もよく痛む」
「運動不足のせいだろう」と、ルーネベリは言った。
「かもしれないな。ここ一年は理の世界の大学と、研究所の往復しかしていない。空間移動装置がどこにでもあるから、便利な方を選んでしまう」
ジョラムはルーネベリの隣に立つ、黒髪の小さな少年を見て言った。
「見たことのない顔だな。誰だ?」
「君たちのいうところの、彼の連れだよ」
シュミレットが挨拶もせずにそう言うと、ジョラムは笑った。
「ルーニー、お前はいつも変わった人を連れているよな。歴史学者になった芸達者なミラ・ダキストに、あと、口から生まれたような女。お前の元恋人のシーナ・ライアを思い出すよ。彼女とはもう連絡とっていないのか。お前と二人で言い争っている姿が懐かしいな」
「そんなことはどうでもいいだろう。ところで、なんであんなに一階が汚かったんだ?」
「……あぁ、一階を通ってきたなら、嫌でも見るか。あれにはちゃんとした理由があるぞ。一階がぐちゃぐちゃになったのは、新米魔術師のせいだ」
「魔術師?」
「金がなくて、依頼料の安い魔術師を選んだら悲惨な目に遭った。学者たちの部屋にあった荷物が全部一階と二階に移動したんだ。最悪な状態でな。別の魔術師に依頼する金がない。清掃業者を頼む余裕もない。研究結果を定期的に第七世界に送らないと研究費が下りないから掃除している時間もない。二階の寝る空間だけはかろうじてつくったが、一階は三ヶ月ぐらいずっとあのままだ。悪臭がひどくて、ここの学者たちは皆、一階を通る時はマスクしているぐらいだ」
イーフェスは邪魔にならないようにお茶の入ったカップをささっと研究机の端に置き、ジョラムにはカップを手渡した。
「ありがとう、イーフェスくん。何か食べ物はないかな?古い友人とその友人に出したいんだ」
「はい、先生。私のお菓子でよければ」
「なんでもいいよ。後でお礼をするから」
ジョラムはルーネベリとシュミレットに言った。
「こちら助手のドロイア・イーフェスくん」
「もう助手がいるのか」
「植物学者は数が少ないからな。珍しい事じゃない。申し分ないほど、良い助手だよ」
少し頬を染めたイーフェスは軽くシュミレットとルーネベリに頭をさげた。
「はじめまして、イーフェスです」
「どうも、ジョラムの友人のルーネベリ・L・パブロです。ジョラムには手を焼かされているでしょう」
「いいえ、勉強になっています。先生はその――面白い視点の持ち主ですから」
ルーネベリは素直だなと思い、笑った。ジョラムは部屋の奥を指した。
「ここは研究資料で散らかっているから、バルコニーに出よう」
「バルコニー?」とルーネベリ、ジョラムは言った。
「第七世界の研究所にはないだろう。この研究所が建つ前に、皆でクーに嘆願書を提出したんだ。第八世界の森に囲まれた研究所で、美しい景色を十分に眺めることのできる空間がないなんて最悪だろう。俺たち植物学者は休憩しているときでも目で植物を愛でたいんだ。植物学者は数が少ないから、若い学者を取り入れるためにもクーは俺たちの要求を受け入れてくれたんだ。あの人は抜け目がない」
ジョラムはルーネベリとシュミレットにカップを持つように言った。そして、イーフェスにも、お菓子と飲み物を持って後からバルコニーにおいでと言うと、ルーネベリ、シュミレットを連れて部屋の奥まで行った。
重いはずの棚をジョラムは扉のように軽々と引いた。すると、開いたその先には角の丸い赤茶色の木製テーブルとイスが五つ置かれた開放的な床の白いバルコニーが広がっていた。バルコニーは外にあるため、奥の方には猛々しい青緑の木々のてっぺんまで見えていた。
ルーネベリが質問する前に、ジョラムは言った。
「外見上、バルコニーは見えないようにしているんだ。第七世界の学者たちに贔屓されていると思われるかもしれないからな」
「俺は?」
「ルーニー、お前は気にしないだろう。お前が気にするのは居心地が良いのか悪いのかっていうことだけだろう。あとは酒があるかどうか。第七世界の学者の中には後援者がつかず、研究費欲しさに無駄遣いを指摘してくる連中が山ほどいるんだ。連中に見つかる前に一階も掃除しとかないとな。うちの研究所の学者の半分は大学の講義に出かけているから、まだしばらく先かもしれないが……。見つかったのがお前で、本当によかったと思っているよ」
ジョラムにそう言われて、ルーネベリは「苦労しているな」と思いながら頷いた。しばらくして、イーフェスが緑のゼリー状の菓子とお茶を持ってバルコニーにやってきた。
シュミレットはバルコニーの椅子に座り、お茶を飲みながら言った。
「ところで、君が魔術師を呼んだ理由をまだ聞いていなかったね」
「さっきから思っていたが、若いのに随分と変わった話し方をするんだな」
「ジョラム、失礼だ」
「失礼だったか?まぁ、見た目など、いくらでも誤魔化せる時代だからな。思っているよりも年をとっているのかもしれないな」
ルーネベリは内心ひやっとした。隣に座っている少年のような男が、三百歳を越えた高齢とは誰一人として思わないだろう。自然の摂理からひどく逸脱した賢者様を横目に、なにも知らないジョラムは言った。
「話は戻るが、魔術師を呼んだのにも訳がある。最初は、ユサ・ヤウェイさんに声をかけたんだ」
「ユサ・ヤウェイさんというのは時間学者の?」
「そうだ。知り合いなのか?」
「まぁ、一応……」
「昨年末、新しい過去再現装置を作ったと聞いてわざわざ第七世界から第八世界に装置を持ってきてもらったんだ。結局、装置を使っても解決しなかったから、しょうがなく賢者クロウイン・ユノウに依頼書を書いて送ったんだ」
「ユノウにまで?」とシュミレット。ジョラムは言った。
「まさか賢者とも知り合いか?」
「いや……」
「そういえば、ルーニーは賢者の助手になったと人伝に聞いているぞ」とジョラム、シュミレットは言った。
「君が何度もいうルーニーというのは、ルーネベリの愛称かい?」
「えっ、先生。話が脱線していますよ」
ジョラムはにんまりと笑った。
「そう、ルーニーはルーネベリの学生時代の愛称だ。俺たちが学生だった頃の俳優ルーニー・ロザ・ベネシスからきている。あの男はファンに百股かけたっていう色男だ。ルーネベリは学生時代、異常に女の子にもてていたからな、同学年の連中は皆ベネシスにちなんでルーネベリをルーニーと呼んだもんだ」
「それは大変面白い話だね」とシュミレット、ルーネベリは眉を寄せて言った。
「皮肉はやめてください。それより、ジョラム。話をつづけてくれ」
「まぁ、まぁ。怒るなよ。――俺たちはクロウイン・ユノウに依頼したんだ。思ったよりも早くに返事がきて、今年の二月に時術師が三人やってきたんだ。時術師たちに散々調べてもらったんだが、俺の欲しい答えはもらえなくてな。時術師が駄目なら魔術師にでも頼もうと思って、同僚たちを説得して新米魔術師に頼んだ」
「そもそも、どうして時間学者や時術師、魔術師までも呼んだんだ。研究所になにか問題でも?」
「あぁ、そうだ。問題が起こったんだ」
「不具体的に何だ?」
「詳しく話せって事か。これ以上は込み入った話なんだが……」
「ここまで話したのなら、最後まで話してくれ。なにか力になれるかもしれないだろう。俺も一応、賢者の助手なんだ」
ジョラムはルーネベリとシュミレットをじっと見て、少し考えた後に言った。
「頭のいいお前ならなにか良い知恵を貸してくれるかもしれないな。他にはあまり触れまわるなよ」
「わかってる」
「頼むぞ」
ルーネベリとシュミレットは頷いた。ジョラムは言った。
「去年の年末、研究所で保管していた食人植物キイベラの種を紛失したんだ。だが、実際には紛失はしていないことになっている」
「どういうことだ?」
ジョラムは言った。
「種子は植物研究所が移転する前からずっと同じ責任者が管理してきたんだが。去年の年末、前任者が過労死してしまって、急遽、俺が植物種子管理責任者に選ばれたんだ。表向きの理由では、俺が前責任者の助手を務めたことがあって、尚且つ、頻繁に保管室に出入りしていたことがあったから選ばれたことになっている。現にこの研究所で俺ほど、保管されている種子に関して詳しい奴はいない」
そう言いきったジョラムに、イーフェスが大きく頷いた。ルーネベリは言った。
「お前が責任者に選ばれたことはわかったが、キイベラの種が紛失したっていうのはどういうことなのか説明してくれないか」
「あぁ、わかっている。なにも自慢したいがために責任者になったと言ったわけじゃない。俺がこの研究所の学者の中で誰よりも種子について詳しいのは、前責任者を手伝って、種子の管理表に種子の数を書き記す仕事もしていたからだ。だから、どの植物の種が保管室のどの棚に幾つあるかも把握している。この研究所にある種子は七千六十五種あって、それぞれ四つ、五つ、六つと保管しているんだ。保管数もれっきとした意味があるんだ」
「そうなんですか?」とイーフェスは驚いた。
「俺と前責任者しか知らないことなんだ。知るからには君にも明日からは種子管理を手伝ってもらうからね」
「……はい、先生。喜んで」
イーフェスは声を明るくして頷いた。心から喜んでいるようで、
顔をかわいらしく綻ばしていた。ジョラムは微笑み、話をつづけた。
「保管数が六つのものは一般的に手に入りやすい植物。四つのものは反対に手に入りにくい貴重な植物。五つのものは危険植物とされているんだ。危険植物はアルケバルティアノ城の許可を得なければ所持できないから、俺たちは、それはもう神経を尖らせて管理してきたんだが。俺が責任者になったその日に、管理表を見ると、キイベラの種子の保管数だけが四つになっていたんだ。しかも、研究所が移転する前からの管理表をさかのぼってもすべて四つになっていた。俺はもう驚いたのなんの!」
「お前の記憶違いじゃないのか?はじめから四つだったとか……」
「ルーニー、話を聞いていただろう。危険植物の保管数は五つと決まっているんだ。実験用に二つ、永久保管用に二つ、最後の一つあるいは二つ目は予備の種なんだ。貴重な植物の種子だけ予備がないのは所持する金銭的な余裕がないからだが、危険植物に予備の種を置いているのは、その種子が研究所以外には存在していないからなんだ。研究所に保管している種子がなくなれば、その種はこの世から絶滅したことになる。植物学者にとっては絶望的な話だ」
ルーネベリは言った。
「じゃあ、間違いなく紛失したということなんだな。……気になるんだが、危険植物は本当に研究所にしか存在しないのか?」
「しない。危険植物のほとんどは突然変異した化け物のような植物ばかりだ。食人植物、猛毒植物、刃針植物。全部で百五種もある。危険植物による被害は十二世界中で大昔から報告されていて、どれも惨いものが多い。千年より前にアルケバルティアノ城の時術師がすべての種子を回収したんだ。闇市場でも取引されていない。闇市場での被害が一番大きかったそうだからな。命にかかわる危険植物を扱うより、安全な高価な植物を扱った方が儲けになる。結果的に良かったのかもしれないな」
ジョラムの話を聞いていたシュミレットが言った。
「時術師が研究所に来た時に、保管数について話したのかい?」
「彼らに話す前に、アルケバルティアノ城に届を出しているから、届けと許可証を確認してもらった。でも、うちに来た時術師たちは俺の勘違いなんじゃないかというんだ。研究か何かで使ったんじゃないかってな。研究に使用したなら、イーフェスくんや他の植物学者たちも気づくはずだ。食人植物キイベラだぞ。防護服を着て、密閉された剛鉄の壁でつくられた実験室でしか研究はできないが。誰も、俺さえも防護服を着た記憶はない」
シュミレットはむっと眉を寄せた。
「明らかに紛失しているとわかっているのに、時術師の職務怠慢だね。部下の監督不届きだよ。君、ユノウに抗議文を送りなさい」
ジョラムは一瞬きょとんとしてから、大声で笑った。
「抗議文を送ったところでどうなるんだ。時間学者ユサ・ヤウェイさんに過去再現してもらっても、時術師に過去再現しても、紛失した証拠は見つからなかった。俺の証言一つだ。誰が信じてくれる」
「すくなくとも、俺と先生――いや、連れはお前の話を信じている」
「ありがとう」
イーフェスは小さく手をあげて「私もです」と言ったので、ジョラムはイーフェスにも礼を言った。
「俺がもっとも心配しているのは、種がどこに行ったかということなんだ。被害に遭った人がいないかどうかだけが心配だ」