三章
第三章 丘の上の蔓畑
改造したばかりの短い金の棒。その金の棒に「自宅前」と刻まれた文字の下にあるボタンをユアン・レガートが押すと、二つの時術式が発動し、光の柱が現れた。いざ、行かんとばかりにシュミレットとルーネベリ、ユアンは光の柱の中に入り、空間移動した。
三人は白亜のバルコニーから一転、白乳色の石畳の上に立っていた。石畳からゆっくり目線を上にあげてゆくと、石畳の先にある絡み合った低木で形づくられた塀が見えてくる。そして、なによりも驚くのは、塀のそのずっと先に見える屋敷だった。
ルーネベリは広大な敷地の中に建つ立派なレガート家の屋敷を見て、さっそく「これ驚いたな」と声をあげてしまった。
遠くに見えるあのお屋敷こそが、最初の目的地であるレガート家のようだが、なんとすばらしいのだろうか。建てられてから数百年は経っているだろうが、経った歳月は屋敷に風格をもたらしたようだ。焦げ茶色の屋根とアンティークグリーンの外壁。箱型の屋敷には白い木枠の窓が横に十二、縦に五列もあったが。そのすべての窓の薄緑の厚いカーテンはきっちりと閉じられており、中を窺い知ることはできそうになかった。
屋敷の中でもっとも華美に装飾されていたのは、黒い鉄製の扉のまわりだった。凝った白い木々の彫刻が施され、宝石のように光り輝く半透明の赤い石がはめこまれていた。白乳色の石畳の通る前庭には、白亜の塔を思わせる男女の翼人の白い石像の噴水が左右二体ずつ立っており、噴水の周囲にはかわいらしいピンク色の花々が緑に埋もれるように咲き乱れていた。
こういった屋敷を持ち維持しているのだから、レガート家は相当裕福なのだろうとルーネベリが心の中で思っていると、隣に立っていたシュミレットは淡々と言った。
「蔓畑にはどうやって向かうのかな?」
ルーネベリは慌てて「先生」と言葉をかけたが、シュミレットは「何ですか?」とすっとぼけた言葉を返してきた。賢者様はレガート家の豪勢な屋敷になんの興味もないのだろうが、一応の礼儀として屋敷を褒めるべきだとルーネベリが口に出して言おうとしたところ。ユアンは平然と微笑み、言った。
「屋敷の裏手に畑へ向かう空間移動装置があります。そこから蔓畑へ向かいます」
「わかった。蔓畑に急ごう」
ルーネベリはなんだかなと思いながらも口を閉じた。
一つも嫌な顔をしないユアンに案内され、シュミレットとルーネベリは華やかな前庭を通り、屋敷の正面を迂回した。白乳色の石畳が灰色にかわり、次第には砂利の小道にかわっていった。少し大きめの白い木枠の窓が縦一列に並ぶ屋敷の側面を眺めながら小道を通り、屋敷の裏手までまわると、前庭とはまた異なる庭が見えてきた。
屋敷の扉のまわりにあった彫刻とそっくりそのままの、葉から幹まで全身真っ白な生きた木々が、白い絨毯のような植物で埋め尽くされた地面に無造作に立っていた。白い木の葉が舞い散る様は、まるで絵画のようだ。
庭の中央にはガラスの美しい小屋が建てられており、小屋の中には高級そうな白いテーブルと椅子がニ脚置かれているのが見えていた。見た目はシンプルだが、まさに贅を尽くした庭だった。
ユアンは白い庭の途中まで歩き、ガラスの小屋を指差した。
「空間移動装置はあの小屋の中です」
「えっ、あんなところに?庭を楽しむために建てた観賞用の小屋じゃないんですか」と、ルーネベリ。ユアンは言った。
「あれは何もしなくても立体映像が映りつづける特殊ガラスなんです。私の父が見栄えがいいからといって買ってきたんです。でも、本当は、あの小屋は農業用の空間移動装置に木枠をつけて、ガラスを取り付けだけです。……実は屋敷のいたるところにこういった物が置かれているんです。何もかもにお金がかかりますから。高級そうに見せるために努力しているんです」
レガート家が屋敷の景観を維持するには何か理由がありそうだったが、ルーネベリはあえて何も聞かなかった。
ユアンとシュミレット、ルーネベリは美しい小屋の中へ入った。ユアンが言ったとおり、小屋の中には少し大きめの時術式の描かれた地面の空間移動装置があるだけで、面から見えていた白いテーブルと椅子など一つもなかった。科学技術というのはすごいものだなと、ルーネベリが今更ながら思っていると、ユアンが空間移動装置のスイッチを押して、三人はレガート家の畑へ空間移動した。
畑と畑の間に建てられた空間移動装置の入ったガラスの小屋から出てきた三人はさっそく驚くべき光景を目にした。
すぐ目の前に広がる畑にはふわふわと空中に浮かぶ黄緑色の苗土から伸びた棒が風船のように紐で繋がれ、隣の畑では赤くて丸く膨らんだ根と深緑色の葉が逆さまになって土の上でもぞもぞと動いていた。三人の後方の畑には低木から無数に生える青いトゲトゲの植物や、毛玉のような植物が植えられていた。どの畑を見ても実に奇妙な畑ばかりだった。
ルーネベリは言った。
「……ほぅ、変った畑ばかりですね」
「驚いたでしょう。わいの家は珍しい植物を主に育てて、出荷しているんです。珍しい植物を育てるには第三世界の希少植物栽培資格っていう特別な資格を持っていないと駄目なんですよ」
ユアンは浮かんでいる苗を指差して言った。
「あれは浮遊草いう希少植物です。重力の影響を受けにくい植物で、年中浮とるんです。科学道具の材料になるんです」
「逆さまの植物は何の植物ですか?」
「赤くて丸いのは土食い草です。根っこが空を向いていて、葉が土についているんです。特に珍しいでしょう。土を食べる植物なので、よく肥えた土の上でしか育たないんです。あれも蕪の一種なんですよ。むこうの低木では寄生植物を育てているんです。寄生植物は特効性のある薬の材料になるんですよ」
「なるほど、様々な用途に使われるんですね。……そういえば、依頼書にあった蔓も珍しい植物なんですか?」
ユアンは首を横に振った。
「珍しい植物でもなんでもありゃしません。第十世界の農家なら誰でも育てられる植物です」
「だったら、どうして……?」
「詳しい事は畑で話します。蔓畑は向こうに見えているあの高い丘の上です」
ユアンは畑の南の方を指した。確かに、南の方、畑の上に木製の柵で囲われた丘が見えていた。歩けば十分ほどだろうか。シュミレットは黙ったまま畑と畑の間の小道を歩き、先に丘の方へ歩いて行った。
ルーネベリはその時、思った。他の畑は平地にあるのにもかかわらず、蔓畑だけが丘の上にあるのはなぜだろうかと。疑問に思いつつも、口には出さず。シュミレットの後を追うように、ユアンとルーネベリは小道を歩いて丘の方へ歩いて行った。
約十分後、一足先に丘の上に辿り着いたシュミレットは丘の上の畑をじっくりと見ていた。後から辿りついたルーネベリは、畑を見て言った。
「依頼書どおりだな」
丘はレガート家の屋敷よりも二倍程大きな敷地を有していた。畑を作るには敷地としては問題ないように思われたが、畑一面には白い茎が片面だけぷっくりと妊婦のように膨らみ、そのてっぺんには青緑の葉が二枚だけ左右に飾るようにのっている植物が植えられていた。
「これが蔓?」
思わずそう呟いてしまうほど、蔓は変形していた。遠くから見れば人のようにも見える蔓畑は風が吹くたびに左右に揺れていた。おまけに、蔓畑が揺れるたびに、薄桃色の半透明な蝶のようなものが飛んでいた。目の錯覚だろうか。見れば見るほど複雑な気持ちになってくる畑だ。
シュミレットはフードを深く被り直し、畑の前でしゃがみ込んだ。そして、畑の土を少量掴んで手の平にのせた。シュミレットの手の中で土は小さく丸い玉のようになっていた。指先で押し潰してみても、玉は磁石のようにすぐに丸い玉に戻る。何度潰しても同じだった。あきらかに普通の土ではなかった。
「先生、どうですか?」
シュミレットは土を畑に戻し、汚れた手を払って立ちあがった。
「ここの土は魔力を含んでいるようだね。魔力を含んだ土で育った植物は突然変異を引き起こしやすいのだよ。植物が問題というよりも、土の問題だからね。土をどうにかすべきだね。だけど、こういった場所で植物を育てようと考えるなんて普通は思わないものだけれどね……」
「先生、それはどういう意味ですか?」
ユアンはうなだれたように「やっぱり無理があったのか」と呟いた。
「どうやら、思い当たる節があるようだね。ここには元々、何か建物が建っていたのではないかな。でなれば、こういった土にはならないはずだよ」
ユアンは首を搔きながら頷いた。
「さすが、賢者様。仰る通り、ここには数千年前までは屋敷が建っておりました。数千年も前のことだから、大丈夫じゃないかと思っていたんですよ。安易すぎました」
ルーネベリは驚きながらも、丘の上の蔓畑を見渡した。
「屋敷というのは、もしかして――まさか、シスケイル家の屋敷があった場所なんですか。どうして元貴族の屋敷が蔓畑に?この場所で一体何があったんですか」
ユアンは薄ら笑った。
「助手様が驚くのも無理はありゃしませんね。貴族のお屋敷があった場所がこんなへんてこな蔓畑に変わるなんて、わいでも思いません。でも、しかたがなかったんです」
「しかたがなかった?」
「そうです。とりあえず、どうして蔓畑になったかとご説明すると、大分、大昔の話です。シスケイル様の一族が元貴族ということを知っていらっしゃるようですから、シスケイル家の御一家が裁判で貴族の地位を奪われたお話もご存知でしょう。民衆によって貴族の地位を奪われたのはシスケイル様の御一家だけですから……。
貴族の地位を奪われた後、ほとんどの財産も奪われ、その上、この場所に建っていたシスケイル家のお屋敷まで焼打ちにあったんです。御一家とその使用人たちは別の場所に移った後だったので、死人はでなかったそうですが。その当時は辛い思い出が多かったようです」
「屋敷が燃えた?」と、シュミレット。ユアンは頷き、言った。
「不幸のあったこの丘には新しいお屋敷は建てられず。この土地は数千年もの間、放置されとりました。屋敷の燃え跡が遺跡のように散乱したまま雑草が生い茂り、長い間、見るも無残で、立派なお屋敷があった場所とはちっとも思えませんでした。
わいはどうにかこの土地を新たに活用したくて、シスケイル家のお嬢さんのご了承を得て畑にしようと思ったんです。だから、第十世界産の蔓の苗を植えたんです。第十世界の蔓はそれはもう丈夫で、あらゆる病気に強いですから。――でも、結局、このありさまです。父の言うとおり、蔓を植える前に専門の方にきちんと調査してもらうんでした。そしたら、こんなへんてこな蔓畑にならなかった。わいのせいです」
ユアンの顔から笑みが消えた。前髪を手で押さえつけ、ばつが悪そうに少し顔を伏せた。時に、大きな期待は自らの逸る気持ちのせいで裏切られる結果を招くこともある。ユアンは助言も聞かずに、慎重さを欠いた行動をとってしまったことを自ら悔いていたのだ。
若さ故のなんとやら、ルーネベリはユアンの気持ちがわからないわけではないなと思った。
「そうだったんですか。だから、蔓畑に……。あの、差支えなければ、お聞きしたいのですが」
ルーネベリはそう聞くと、ユアンは顔をあげ「何ですか?」と言った。
「いや、なんというか。あなたはお仕えしていたと仰っていましたが。あなたの御一家とシスケイル家はどういったご関係なんですか。実はずっと気になっていたんです」
「関係?」
「あぁ、いや。言いたくなければ、いいんですが」
両手を振ったルーネベリを見てユアンは言った。
「言いたくないなんて思いもしません。シスケイル家の御一家とは、今となっては土地の所有者と土地の借人の関係ですが。わいの一家は代々、シスケイル家に仕える執事の家系なんです」
「はぁ、レガート家の方々は執事だったんですか。いや、お話を聞いていると、とても身近な関係にある方なのではないかと思っていたんですが」
「身近なんて、とんでもない。お嬢さんは家族のようだと仰ってくれますが、わいら一家からすればお嬢さんは今でも仕えるべき主なんです。この話をすると、お嬢さんは怒りますが」
「怒る?」
「お嬢さんはとても気さくな方でして……」
ユアンが頬をほんのり赤らめてシスケイル家の令嬢について話そうとしたところ、シュミレットが大袈裟な咳払いした。
「先生、どうしました?」
「どうしました、だって?君たち、いつまで雑談しているのかな。畑のことをすっかり忘れていませんか」
「あぁ、すみません。シスケイル家のお嬢さまが一体どういう方なのか気になって、畑の事は忘れていました。なんせ、元貴族の家系に生まれた女性ですよ。きっと美人なんでしょうね」
ルーネベリが楽しげにこう言うと、ユアンは大きく相槌を打った。
「そりゃもう、とっても美人ですよ。お嬢さんは……」
シュミレットは片手をすっと出して、興奮して話し出そうとするユアンを黙らせた。
「もう、結構。女性の話よりも、蔓畑の話をさせてくれないかな。僕は早く仕事を終えたいのだよ」
黒いマントを払い、背を向けた賢者様が不機嫌そうに見えたので、二人は「わかりました」と頷くしかなかった。もう少し、賢者様が女性に興味を持ってくれていれば、三人で話が盛りあがったことだろうが。三百年以上も生きている賢者様には女性の話も単なる雑談にしか思えないようだ。
次にシュミレットが話し出す前に、ルーネベリが早口でユアンに「後で詳しく聞かせてくれ」と言い、ユアンは嬉しそうに頷いた。
シュミレットは蔓畑を眺めながら畑の前を二度行ったり来たりした後、ユアンに言った。
「僕の考えを言ってもかまわないかい?」
「はい、もちろんです。なんでも仰ってください」
ユアンは急に緊張した面持ちになったが、シュミレットはかまわずに言った。
「数千年前に屋敷が燃えたと君が言っていたね。恐らくは、魔道具の効果が切れてしまったがために燃えたのだろうね。それに、長年放置されていたというから、取りだされなかった魔道具から魔力が漏れ出して、土が少しずつ汚染されたのだと思うのだよ」
「先生、魔道具というのは?」
「貴族の古い習わしとして、屋敷を建てる前に家を守るための魔道具を地中に埋めるというものがあるのだよ。魔道具が正常に働いているうちは、災害に見舞われることもなく。屋敷は劣化しないといわれている。通常は数千年のうちに何度か、屋敷専門の魔術師が地中に埋めた魔道具を交換するのだけれど、交換せずに長年放置していると、この畑のように土が汚染されてしまうのだよ」
「へぇ、屋敷専門の魔術師なんているんですね。いや、いろんな職業がありますね」
ルーネベリが暢気にそんなことを言っている中、ユアンは眉を寄せた。
「賢者様のおっしゃる通りなら、数千年前、シスケイル家の方々は魔道具を交換する余裕もなかったのか……」
シュミレットは言った。
「詳しいことはその当時を生きた者にしかわからないことだけれど。執事の家系に生まれた君の一族がこの事を知らないことのほうが僕は驚きだよ」
ユアンはぱっと目を見開いて、なにやらはっとしたようだった。
「父は知っとったんですね。だから、調査をと……。でも、どうして黙っていたんだろう」
「さてね。僕にはわからない話だよ。とにかく、土の汚染を取り除く前に蔓を全部抜かなければならないのだけれど。君、この蔓を抜いてみたのかい?」
「やってみましたが、抜けないんです。父もわいも抜こうとしたら蔓がどこまでも伸びて引っこ抜けなくて。父は手を放した拍子に腰を強く打って、治癒の世界へ運ばれたんです。でも、そのおかげで、父が病を患っていたことがわかったんです」
「それはよかったですね。ですけど、蔓が伸びたっていうのは?」
「見ていてください」
ユアンはシャツの袖を捲りあげ、中腰になって人型の蔓の葉を両手で掴んだ。そして、思いっきり後ろへ引っ張り、二歩三歩と後退したが、蔓はゴムのように伸びてゆくだけだった。ユアンが顔を真っ赤にさせ、鼻息荒くしてどれだけ両腕に力を入れて引っ張ろうと、蔓は伸びるだけで地面にくっついたように離れないのだ。
しばらくして、疲れてきたのか、両手の力を緩めて蔓からユアンが手を放すと、蔓は伸びた反動で何度か後ろへ揺れ動いたが、揺れがおさまると元に戻った。結局、伸びただけで引っこ抜けなかった。
ユアンは言った。
「ほら、伸びるだけなんです」