七章 過去再現
第七章 過去再現
光を遮るぶ厚いカーテンがひらかれた。数時間の睡眠ののちに目を覚まし、マントを着て身なりを整えたシュミレットがカーテンをあけたのだ。ルーネベリは眩しさに、枕に顔を埋めた。シュミレットはそんなルーネベリの様子を微笑ましく眺め、ベッドの傍の台に置かれたルーネベリの銀色の魔道具ライターを手に取った。そして、目を閉じ、手のひらを魔道具ライターに押し付けた。魔道具ライターの表面は刻印を記されたかのように黄色く光ると、それっきり、大人しくなった。シュミレットは魔道具ライターを台に戻した。
「先生、おはようございます」
目を覚ましたルーネベリが体を起こした。
「おはよう」
シュミレットは窓辺から外を見下ろして言った。
「僕は先に出るよ。桂林様が庭にでていらっしゃるから、そのまま地下に潜るよ」
「はい、わかりました」
頷いたルーネベリは、はねた赤い髪を抑えた。
「……おかしいな。今朝まであれほど飲んだのに、身体がやけに軽い。疲れもなにも残っていない」
「そろそろ、僕らの身体にも時が止まった影響が出はじめているようだね。なるべく怪我を負わないように気をつけなさい。今は時が止まっている状態だから、たいしたことがなくても、時が動き出した時の反動は大きいはずだよ。
君がこの世界にいつまでもいたいなら、僕はそれでもいいけどね」
「あなたね」
ルーネベリが呆れると、シュミレットは「冗談だよ」とクスクス笑って、寝室を出て行った。本音か嘘か、賢者様のご冗談は助手には笑えなかった。
寝室に残ったルーネベリは、灰色の衣からいつもの白いシャツに黒いパンツ、おまけに、革のジャケット姿に着替えた。履いたブーツについたベルトを留め、魔道具ライターを鞄に閉まっていると、部屋の外でなにかがパンッと破裂した。何事かと思い、ルーネベリが扉から顔を出すと、びしょ濡れになったガーネが廊下に立ち尽くしていた。
「なにをやっているんだ?」
ルーネベリに気づいたガーネが泣き出しそうな声で言った。
「シュミレットさんと、ルーネベリさんに朝食を運ぼうかと思って……。スープの入った水でできた容器がおもしろかったから……」
部屋の目と鼻の先で容器を壊してしまったとしょんぼりするガーネを健気に思い、ルーネベリは溜息混じりに、「そうか、それはありがとうな」とガーネの頭を撫でた。
「ガーネ。食事中にどこに行ったのかと思えば、一体何をやっている!」
ガーネを探してやってきたミースが、スープと器で汚れたローブと床を見るなり、神経質に怒鳴った。ガーネは怯え縮こまった。やまない怒りをさらに吐き出そうと口をあけたミースは、ガーネの隣にいたルーネベリと目が合うと、咳払いをした。
「失礼しました。――シュュミレット様はどこにいらっしゃるのでしょうか?」
「先生は先に出られた」
「えっ、それはいつの事ですか?」驚いたミースは慌てて言った。置いてきぼりをくらうとは思ってもよらなかったのだろう。
「ついさっきのことだが……」と、ルーネベリ。シュミレットを追いかけようとしたミースの肩を掴み止めた。
「待ちなさい。今日は俺についてきてもらうつもりだ」
「なぜですか?」
「先生のご指示だ」
唇を噛み、顔を逸らしたミースは言った。
「従えません。魔術師でもない方についてなど行けません」
「それなら来なくてもいい」
ルーネベリは通りかかった侍女に床を拭く物はないかと尋ねた。侍女は汚れた床を見てそのままにしておいてくださいと言ったが、ルーネベリはそれでは申し訳がないからと断った。だが、侍女は客人にそんなことはさせられないと頭を横に振って譲らなかった。仕方なく、折れる事にしたルーネベリは言った。
「すまないな。ところで、一つ聞いてもいいか?」
「なんなりと、お申し付けください」
侍女は深々と頭を下げた。
「桂林様の弟君、紫水様はどこにいらっしゃるんだろうか」
「紫水様でございますね」
「あぁ」
「紫水様でございましたら、瞳心の神殿にいらっしゃるかと」
「その瞳心の神殿にはどうやって行けばいいだろうか」
「柱を越えた場所にございますが。お客人様方は道に迷われておしまいになる方が多いので、私、瑠菜がご案内いたします」
「悪いな」
ルーネベリが頭を下げると、ミースが言った。
「パブロさん」
「何だ?」
「私は行かないと言ったのです」
「それなら、俺は来なくてもいいと言ったぞ。ただし、先生の後を追うつもりなら、助手として念のために忠告しておく。先生の足手まといになるから、やめたほうがいい」
「ですが!」
ルーネベリは言った。
「先生がなぜ鬼才と呼ばれるか知っているか?あの人が親切に待ってくれるのははじめだけだ。お前に実力があろうと、なからろうとそれは同じことだ」
「私は!」
「ついてくるなら、黙ってついて来い。ごたくは聞きたくない。ガーネ、お前は早く部屋に戻って着替えてきなさい。その格好では、紫水様には謁見できない」
困惑と怒りが混ざった冷たい視線がルーネベリに当てられる中、おどおどしながら「わかった」と頷いたガーネは、廊下を走って行った。
ルーネベリが侍女と話しこんでいると、スキップしながらガーネが戻ってきた。ルーネベリはガーネの身なりを見るなり、ひどく驚いた顔をした。真っ白のサテン生地でできたローブドレスに、赤茶色の髪をめちゃくちゃに結っていた。女帝の弟君に会うと聞いて、ガーネなりに着飾ったつもりなのだろう。その格好悪さに苦言を言うべき唯一の従兄弟は機嫌を損ね、だんまりを決め込んでいた。
ルーネベリはあえてなにも言わず、侍女に案内してくれるように頼んだ。
「それでは、瞳心の神殿へご案内いたします。瞳心の神殿へは、城の中から向かいます。広い城ですので、私の姿を見失わないようだけ、お願いいたします」
「あぁ、わかった。気をつけよう」
ルーネベリが頷くと、侍女は寝室のある階を二つ下り、人が百人は入れそうな円形の術式が床に二つ描かれた空間移動の間と、民間の客人が寝泊りする幾千ものベッドの並ぶ仮床の間を通り越した。この階は客人のために作られたのだろう。どの世界にも、一つは空間移動するための部屋が設けられている。だから、正規の世界の入り口はここになるということだ。
侍女が仮床の間のすぐ脇に隠れた石の扉を開けると、そこは外と繋がっているようだった。滝の流れる六角柱と、真下に木々の生える庭が見えたが、足場はなかった。見えない竜の道が城から直接つづいているのだろう。ガーネがおっかない顔をして、真下を覗いた。
「とても道が細くなっております。足元にお気をつけください。足を踏み外しますと、落下いたしますので」
五階ほどの高さから侍女が竜の道を下りだした。びくついたガーネの首元をルーネベリが掴みあげ、すぐ後を歩くように言いつけた。振り返ると、ミースは足元をじっと見て動こうとしていなかった。まったく、世話が焼ける兄弟だと思いながらルーネベリが「おい、ミース。ついてきなさい」と言うと、ミースは「はい」と頷いてすり足でついてきた。昨日は緊張をしていて平気だったものの、ミースは高いところが不得意のようだった。
竜の道はなんども曲がりくねりながら地面下へとつづいていた。やがて、地面すれすれの所を歩いていると、侍女は道を上りだした。急な坂道だった。それをせっせと上り、城よりも随分高い場所までいくと、陸を囲む六角柱のちょうど上を通り越しているのに気がついた。都ウケイを越えた先の外の景色はまるで別世界のようだった。風に波立つことのない水が一面に広がり、鏡のように淡い空の色を映していた。
「うわぁ……」
こめかみの汗を拭きながらガーネが言った。
「夢でも見ているみたい」
「夢じゃないがな。絶景だなこれは」
ルーネベリは鞄から魔道具ライターを取り出し、蓋を軽く押した。風景を記録したのだ。後ろで、風景を楽しみ余裕もないミースが「まだ着かないのですか?」と言った。
「もう間もなくです。あちらに見えますが瞳心の神殿でございます」
侍女は左手を指した、遥か遠くの水面にぷっかりと藁の島が浮んでいた。ミースはまだ歩くのかと溜息をついた。そのとき、どこからかともなく現れた水竜が羽ばたきながらルーネベリたちを横切り、勢いよく空にのぼると迂回しはじめた。
「紫水様がお気づきになられたようです」
「どういうことですか?」と、ミース。侍女は言った。
「水竜をお呼びになられ、通りやすいよう道を作ってくださっているのです」
「そんなことが可能なのか」ルーネベリが言った。
「はい。エレメント世界の竜というのは、冰力を使うことができる生き物なのです。ですので、私どもが通っている竜の道は、その昔、空間移動術のない時代、人々の移動手段でした翼人が闇に引いた道と同じものなのです。私どもは見ることしかできませんが、冰力が使える水竜には道を作ることなど造作もございません」
「冰力だって?」
ルーネベリは耳を疑った。
「さようでございます」
「生き物の生態を詳しく調べておくべきだった」
「冰力ってなぁに?」とガーネ。ルーネベリは言った。
「冰力は翼人が持つといわれる力だ。時空を動かす時力、物質を動かす魔力、素質を動かす奇力、力そのものを増長させる灼力の四大エネルギーとはまた別の力。学者内では、すべての物質を干渉作用、再構成、補修する自由干渉性物質に影響を促しているといわれている。あるいは、自由干渉性物質そのものが、冰力ではないかという説もある。灼力のように力であり物質であるという多面性の性質を持つ可能性はかなり高い。灼力と冰力は相互関係にあり……」
「そんな難しい話。まったく、わからない」
ガーネは首を横に振った。
「……あぁ、悪かった。お前にはまだ難しいようだったな」
「そんなこともわからないのか、ガーネ。要するに、冰力というのは灼力という破壊をもたらす力と相反するもの」
ミースが淡々と言った。
「まぁ、そういうことだ。しかし、十三世界には、その冰力を持って生まれた生物がいるとは聞いたことがなかった」
「水竜はこの世界で生まれたわけではございません」
侍女が空を見上げ、手のひらを空に向けた。
「この世界で崇められております水の神、竜神様は水竜の祖先でございます。竜神様は、古の時代、空に見えます白と黒の球体に生を受け、エレメント世界へと移り住んだそうです。竜神様はなにも存在しなかった世界に、水と土と風と火の恵みをそれぞれもたらした。その為、私たちはその恩恵を受けることができ、感謝の意と繁栄を願い、日々崇めております。かつては、私たち竜族にも冰力を使う能力を持っていたそうですが、長い歳月の中、力は薄れ消えたという言い伝えがございます」
「なるほど、言い伝えか」
ルーネベリは頭を捻った。空高く、迂回しながら飛んでいた水竜が甲高い声をだして鳴くと、上空で渦巻かれた空気が下へと下降してきた。突風に煽られ、四人は頭を守るようにしてしゃがみ込んだ。突風はそのまま水面へとぶつかり、激しくはじけ。穏やかだった水面は波立ちながら急速に上昇しだした。ルーネベリたちが顔をあげると、足元まで水が押し上げられていた。よくよく見ると、それは藁の島までなだからなに傾きながらつづいていた。そのまま歩いていけば、瞳心の神殿へはすぐに辿り着くだろう。
水竜はひと鳴きすると、どこかへと飛び去った。
「シュミレット、いかがなものかの」
女帝桂林が言った。水竜の巣と時の置き場の入り口前までやってきたシュミレットと桂林は、昨日置いておいた半透明の四角形の箱を目の前にしていた。シュミレットは箱が動いた形跡がないか慎重に確かめると、桂林に言った。
「今から写し取った術式を起動させます。二年ほど前から遡りますから、だいたいは早送りします。桂林様はどうか隅の方に座っていてください。もし気分が悪くなりましたら、少し目を閉じて安静にしておいてください」
「なんじゃ、一体何がはじまるというのじゃ」
「固形にした過去再現という時術式を、僕の魔術式よって発動させるのです。過去、ここで起きた出来事が立体的に再現されます。まるで生き物は生きているかのように目には映りますが、実際は過ぎ去った過去にしかすぎません。声をかけても、反応もありませんから、どうか終わるまでの間、ご覧になっていてください」
「……よくわからぬが、そなたが言うのじゃ。大人しく見物していようぞ」
桂林に頷いたシュミレットは箱には触れず、瞬きをした。シュミレットの小さな身体から、ふっと円形の魔術式が湧いて出た。魔語がいくつも描かれた三つの楕円の内側、八つの棘を持つ円には体内の魔力と空中の時力を結ぶ魔語が並び、またその中に円がある。中心円である、その円には魔語の陰と陽の文字が線で隔たれ上下に描かれている。魔術式特有の配列だ。外円三つの魔語が一部変わるだけでも、使われる魔術式の用途がすべてかわる。
シュミレットの黄色く光る魔術式は浮ぶ盾のように、シュミレットから離れることがなかった。それでも、術式がかかったのか、小箱がカタカタと動き、写し取られた二年前の時間が地下を覆った。
すると、まるで今鳴いたかなおような水竜の声や、翼をひろげうつ音が聞こえてきた。勘違いした水竜たちが巣で騒いでいた。
現実と重なるように現れた二年前の記憶は、瞬く間に進みだした。シュミレットが術式を操作し、早送りしたのだ。座りながらただぼんやりと見ていた桂林には、過去の中を生きる水竜たちの動きひとつも目では追いきれなかった。だが、当のシュミレットといえば、黄金の瞳を見開き、そのひとつひとつを事細かく見分けていた。なんという動体視力の持ち主なのだろうか。片眼鏡についた紫のアミュレットは揺れもしていなかった。
そうして、シュミレットが時術式と魔術式を使い、一年半前の記憶を覗いていると、一年前の記憶に近づくほど、鮮明な時間の中にぶれが生じはじめていた。時が止まる準備でもしているかのように、記憶は欠落しはじめていたのだ。過去の中、何かが近づいてくる気配に、シュミレットは早送りの操作をやめた。シュミレットの魔術式が小さく萎んでいく。そんな中、過去の記憶がゆっくりと動きはじめた。
「どうしたというのじゃ?」
桂林は立ちあがり言った。なぜか、水竜の鳴き声がすべて消えたのだ。不穏な静けさに桂林は戸惑っていた。けれど、シュミレットは無言で、水竜の巣の辺りを凝視していた。
「シュミレット」
「誰かが来ます」
シュミレットがそう言った瞬間、藁の巣の影から、黒いローブを着た何者かがふらりと現れた。フードを深くかぶり、まるで魔術師の姿をしていた。人が来たというのに、水竜たちは気づいていないのか、それとも気にとめていないのか。声も出さず巣の中でうずくまり、卵を温めていた。「シュミレット、あれは何者じゃ!」
桂林は大人しい過去の水竜たちの姿を見て、興奮しきっていた。水竜たちが威嚇することもなく、どこの誰とも知り得ない侵入者の侵入を許したことが桂林には信じられなかったのだ。水竜は恐ろしいその姿どおりの性格をしているわけではなく、格別、気性の荒い竜ではなかったが、それでも、巣に近づく人間を追い払いもしないなどありえないことだ。桂林は叫んだ。
「ここには管理者以外のものは立ち入ることができぬ。そなたが一番よくわかっておるじゃろう。時の石は、灼石の塊じゃ。冰力を持つ水竜ですら、時の石に近づくのを恐れる。なのに、あれはなんじゃ」
シュミレットは言った。
「そうです。あの人物こそが、この世界の時を止めた正体です」
魔術師の姿をした何者かが、何食わぬ素振りでこちらやってきて、時の置き場へと繋がる薄暗い穴へ入って行った。
「あの者は、時の石に一体なにをしおったのじゃ!」
< 物語の用語補足 >
・時の置き場 … 第四世界以下、すべての球体世界にある中心核