二十四章
第二十四章 有るべき物
誰かの叫び声を聞き、皆が泉を見てみると、大きな水柱は確かにレンガ道を隔てた左右の泉から噴き出してきているようだった。偶然か、それとも必然か、水柱は先ほどまで周囲を取り囲んでいた魔術式を随分と減らしてくれた上に、三つの水柱のアーチはまるでこの場にいる者たちすべてを守るよう、残った魔術式たちを寄せ付けないようにしていた。
地面に伏していた人々はゆっくりと起きあがり、地面に座って一息ついた。ルーネベリとシュミレットも同様に地面に座り込んだ。
ルーネベリは水柱のアーチを眺め、やれやれと赤い髪を掻きあげた。
「俺たちはチャーグ・キーデレイカに助けられたんですか?」
「どうだろうね。僕は偶然だと思うけれどね。結局のところはよくわからないよ」
「先生にもよくわからないことがあるんですね」とルーネベリが言うと、シュミレットは不機嫌そうな顔をして言った。
「君は僕を誤解しすぎているよ。チャーグ・キーデレイカについては理の世界の人間、スヴファベッツが一番詳しいはずだけれど、彼の著書を読んだところ、彼自身もよくわかっていない事も多いようだからね。本当のことは、いつも誰もわかっていないのだよ」
ルーネベリはまた水滴で湿った髪を掻きあげ「そんなものですかね」と言い、少し離れたところで騒いでいる人々の方を向いた。
なにやら、学者たちは水柱を見つめ、解決策が見つかったと喜んでいた。白と黒の眼鏡を掛けた二人の学者が「あの魔術式の弱点は水圧だ」、「ガラスさえ壊せば、なんとかなるぞ!」と叫んだと思えば、その隣にいた学者が「沢山のホースと、高性能のポンプが必要だ。知り合いに頼もう」と言い、「大量の水も必要だ」と別の学者が口をだした。
普段着姿の者たちの方では、「泉から噴水が出るのね」と驚く者もいれば、「噴水じゃなくて、移動しているんじゃないか?」という者、「それも不思議ではないかもしれない」という者までいた。
ボルディを着た黒髪の男性が言った。
「僕は前に、工学研究所にケセラ鉱石っていう石を運ぶ手伝いをしたことがあるんだ。その時に思った事がある。時の置き場の近くにしかない鉱石をどうやって地上へ運んできたのだろうって。時の置き場には管理者しか近づけないだろう。管理者一人でも運べない大きな石をどうやって運んだのか謎だった。でも、今回のことでわかった気がするよ。チャーグ・キーデレイカは移動する泉なんだ。普通の泉は地中から水がゆっくりと湧き出てくるだろう。チャーク・キーデレイカは移動した先々で湧いてくる不思議な泉なんだ。毎回、移動するたびに激しい水流を生むだろうから、色々な物を一緒に運んでいってしまう。ケセラ鉱石も運ばれたその一つだ」
男性の話を遠くから聞いて、ルーネベリはとても納得してしまった。すっかり、今の今まで、工学研究所の入口に置かれていたオブジェ、ケセラ鉱石の事など忘れていたが。あれほどまでに大きな石を運ぶことができるのは、移動する泉にしかできないことではないかと思った。けれど、その考えさえ、仮説の一つにしかすぎないという事を考えれば、シュミレットが言った「本当のことは誰にもわからない」という言葉こそが最も当てはまるのではないかという気がしてきた。
ルーネベリが難しい事をぼんやりと考えている間に、スヴファベッツが立ちあがり皆を家へと案内しはじめた。皆を皆、家に入れることはできないが、タオルと温かいお茶ぐらいは用意できると言ったのだ。
シュミレットは立ちあがった。冷汗はとまっていたが、ひどく疲れた顔をしていた。ルーネベリも立ちあがり、スヴファベッツの好意に甘えようと思っていたところ、シュミットはふと思い出したように言った。
「そういえば、君たちはどうしてここに来たのだい?」
「クーに連絡を取っていた時、俺たちは空間移動装置の前にいたんです。先生がスヴファベッツの家へ向かったと聞いて、すぐにバルローと一緒に時術式に乗ったので……」ルーネベリは額に手をあて、「あぁ、しまった」という顔をした。
「カティエンさんを置いてきてしまった。後で謝らなければならないな。彼に通話機を借りたんです。でも、結局、クーに連絡を取ってくれたのは彼なんですけどね」
シュミレットは「そうなのかい」と言い、地面に倒れた気絶したままのバルローを見て言った。
「彼は何かしでかさなかったかい?」
「いいえ?バルローには色々と助けてもらいました。さっきも、空間移動装置を壊してくれたのはバルローなんですよ。バルローがいなかったら、ここにはもっと大勢の人たちで溢れかえっていたかもしれません。起きたら酒でも一杯やりたいものです」
「彼は物を壊す天才なのだよ。何度も、時の牢獄に入れられているのに懲りない男でね。今度も何かしてくれると思ったのだけれど、たまにはいい事もするようだね。……にしても、今回ばかりは肝が冷えたよ。トーレイの聖なる魔術式などもう二度とお目にかかりたくはないね」
ルーネベリは言った。「先生、聖なる魔術式で思い出したんですが。禁書のことなんですが……」
「どうして、僕が禁書について知っているのかを知りたいのだね」
「そうです」
「僕の父は魔術師だったのにもかかわらず、科学を愛したとても変わり者でね。変わり者の父は、禁書見たさに、五百年もの間、トーレイ家に通いつづけたんだ」
「それじゃあ、先生のお父様が?」
「君は、知っていたのですか。そう、父は禁書を読んだ。だけど、トーレイ家と血の契印を結んだからね、禁書の中身については一切語れなかった」
「では、どうしてお父様が語ることが出来なかった禁書に載っているという聖なる魔術式の事を先生がご存知なのですか?」
シュミレットはクスリと笑った。
「僕には記憶があるからだよ。――さて、僕が答えられるのはここまで。そろそろ、スヴファベッツからタオルを借りてびしょ濡れの身体を拭きたいのでね。君も早く拭いた方がいい。風邪をひいてしまいますよ」そう言って、シュミレットはマントをはためかして、スヴファベッツの家へと歩いて行った。
「先生、待ってください!」
ルーネベリはシュミレットの後を追いかけた。
その後、スヴファベッツの通話機でクーとデューに連絡を取り、時術師を呼ぶことになった。やってきた時術師がスヴファベッツの家の前とドーム前の大通りを結ぶ時術式をいくつか作り、人々を空間移動させた。その間、学者たちからチャーグ・キーデレイカの話を聞いたクーとデューの指示で、大量のホースとポンプが用意され、理の世界をあげて魔術式を壊すための放水作業が行われた。
作業は夜になるまで行われたが、シュミレットとルーネベリはその作業に関わらず。クーの部屋に招かれ、多大なる感謝の言葉と、ルーネベリを理の世界へ呼び戻すのをあと数年は見送りたいという話をされた。もちろん、シュミレットは賢者だと名乗らなかったので、クーには賢者に伝えておくと答えたが。学者たちを守ったシュミレットにたいして、クーはとても友好的になっていたため、笑いながら「そうしてください」としか言わなかった。
話の最後にルーネベリがベッケル・オーギュレイの今後についてクーに聞くと、クーは、オーギュレイが明日治癒の世界へ送られ、体調が安定した次第、時の牢獄へ送られると言った。ベッケル・オーギュレイのしたことは釈明の余地はないが、幸い、人の命が奪われることはなかったので、罪は軽いだろうとのことだった。これまで様々なことがあったが、ルーネベリはどこかほっとしていた。
クーの部屋を後にして、二人は久しぶりの食事を取りに行き。それから、ルーネベリはバルローとキートリーに会いに行き、シュミレットは宿に帰り睡眠を取った。
翌朝、まだ暗い時分にクライト・ブリンが宿に訪ねてきた。すでにシュミレットは起きて本を読んでいたため、彼の話を聞くことにした。ルーネベリは昨日バルローの元へ出かけたまま帰ってきていなかった。労いを込めて酒でも飲みつづけているのだろう。
シュミレット一人でブリンに連れられ、第七理科学大学の前に行ってみると、そこには発光ブローチを胸につけた第二室監査長のヴィク・シャットが立っていた。
ブリンとシャットは深々と頭を下げた。
「大変なご苦労をおかけしました」
「気にすることはないよ。いつものことです」
シュミレットはクライト・ブリンに言った。
「ただ、アルケバルティアノに報告する際には、必ず君たちが解決したと言いなさい。もし、監査長の君が僕個人に招待状が送ったことを誰かさんたちが聞きつけたら、君たちが賢者を受け入れたと大騒ぎするだろうね」
「学者たちの面子を守ってくださるのですか?」
「そんなたいそうな話ではないよ。大騒ぎされて困るのは君たちだけではないのだよ」
ブリンの隣に立っていたヴィク・シャットは微笑んだ。シュミレットは言った。
「なんだい?」
「いいえ。パブロくんがあなたに師事したいと志願した気持ちもわかる気がします。とてもお優しい方だ」
「心外だね。君も助手に志願したいのかい?」
「とんでもありません。私にはもうそんな体力は残っておりません。もう年ですし、病を患っているので。普段の仕事もほとんど部下たちがしてくれています」
「相当、悪いのかい?」
「奇術と服薬で病気の進行を遅らせていますが、いつ、どうなるか。周囲には知られていませんが、理の世界の監査の者で、奇術を扱えるのは私だけなのです。後任を見つけないかぎり、辞めるわけにもいかないのです」
シュミレットは目をつむり、言った。
「なるほど。問題はいつも山積みだということだね。――ところで、僕に招待状を送った理由を聞きたいのだけれどね」
「去年、治癒の世界でパブロくんと出会い、私がブリンくんにあなたに招待状を送るように進言したのです」
「治癒の世界で彼に会ったのかい?」
「はい、はじめて会ったときから彼は好青年でした。学者の彼が師事する賢者様ならば、我々の声を無下にはしないと思ったのです」
シュミレットはちらりとブリンを見て言った。
「話を聞こうか」
ブリンは深く頷いて言った。
「ハロッタ・トーレイが理の世界に訪問したことをご存知でしょう」
「トーレイの遺物の話だね。それで?」
「古い監査の記録に残っている話です。ハロッタ・トーレイは理の世界に五日ほど滞在しました。彼の滞在中、いつも学者たちが彼をとりまき、過密な予定のため彼には自由な時間が一分たりとしてなかったはずなのですが。不思議な事に、毎晩、彼の姿を見かけたという何人もの目撃証言だけが残ったのです。予定通り、五日の滞在が終わると、ハロッタ・トーレイは魔の世界へ戻り、その後、二度と理の世界に訪れませんでした。結局、目撃証言の裏を取ることもなく、そのまま、目撃証言が曖昧な噂として理の世界に残ったのです。トーレイが理の世界に遺物を残したという曖昧な噂です」
シュミレットは話を聞いて頷いた。ブリンは言いつづけた。
「噂に振りまわされた室長たちがここ数千年の間に何人もいましたが、誰もトーレイの遺物を見つけることはできませんでした。しかし、数年ほど前、驚くべきことが起こりました。私の部下たちが大学の入口に長年置いていた古いオーナメントを倉庫に移すため移動させたところ、オーナメントの背後に置かれた、汚れた柱の壁の下から彫られた文字が見つかったのです」
「文字?」
「はい、文字です。どうぞ、こちらへ。ご覧になってください」
ブリンとシャットに連れられ、シュミレットは第七理科学大学の入口に足を踏み入れた。大学の凹型の建物へとつづく一本の通路沿いに、左右二十本ほどのまっすぐな柱が立ち並び、柱の前には様々な元素を元にしてつくられた金銀のオブジェや石膏のオブジェが置かれていた。一見すると、特別な場所には見えなかった。
ブリンは左側の柱の奥から四番目の所までシュミレットを連れていくと、柱と三角の像の狭い隙間を指差した。細身の人間が一人、なんとか入り込める隙間を作っていたようだ。
シュミレットは被ったフードの端を掴んだまま、華奢な身体を隙間に滑り込ませた。すると、ブリンが「そこです」と横から指差した。シャットが発光ブローチで柱を照らした。砂のこびりついた柱には“箱は多くあるが、鍵はひとつ”という文字と、ハロッタ・トーレイのサインが刻まれていた。
シュミレットは文字を見おわると、すぐに隙間から出てきた。ブリンはシュミレットに言った。
「調べたところ、その文字はハロッタ・トーレイの筆跡とまったく同じ文字のつくりをしていました。さらに詳しい検査の結果、その文字は七センチほどの古い小さな銀のペンで彫られていることがわかりました。銀は剛の世界の南部にあるロヘリアという地のもので。この銀からつくられたペンの年代は約六千年前。私たちの見解では、ハロッタ・トーレイの使用していた物とほぼ同一であると……」
「君たちは、つまり、いつ刻まれたのかもわからないハロッタ・トーレイの文字を発見したのだね?」
「はい、そうなります」
「他に知っている人はどれくらいいるのかな」
「この発見は室長たちにさえ話してはおりません。公平な判断を得るために監査内で秘密裏に分析し、今日まで誰の耳にも届かないよう、部下どもにも厳重に注意をうながしておりました。けれど、ハロッタ・トーレイが遺した言葉の意味までは解読できず、私たちの手に負えないと判断しましたので。シャットさんの進言もあり、助言を仰ぐために賢者様に招待状をお送りしたのです」
「なるほどね」
「予想外だったのは、工学者ベッケル・オーギュレイが魔術式を使い、遺物を探しだそうとしたことです。生憎、物ではなく壁に刻まれた魔力をもたない文字だったために、今回の件で発見されることはありませんでしたが。正直、皆、心配しておりました」
シュミレットは目を細めて言った。
「君たちはトーレイが遺した文字についてどう考えているのかな?」
「私たちはその文字はある特定の人物に宛てて書かれたものだと考えております。その誰かというのは、まったく検討もつきませんが。少なくとも、その文字はしかるべき時まで世に触れるべきではないかと考えたのです」
「しかるべき時?」
「ハロッタ・トーレイという魔術師は今日までその名声を轟かせております。トーレイが文字を残したとなれば、騒ぎどころではすまなくなるでしょう。理の世界の問題のみならず、多くの人々があらゆる感情を抱き、こぞって理の世界に詰めかけたことでしょう。統治世界のお偉い方々が考えそうなことは避けたかったのです。ハロッタ・トーレイが遺した文字は理の世界のものですから」
シュミレットはブリンの言い分に、小さくクスリと笑った。
「君たちは貴重な発見を老人たちに取られたくなかったわけだね」
ブリンはわずかに頷いた。
「トーレイにはこの世界に文字を残さなければならない理由があったと私は考えているのです。トーレイの意に反して、大っぴらにすることなどないでしょう」
「まったく、君の言うとおりだね。うっかり口を滑らせればろくでもないことになるのが世の中だよ。賢者としての立場からいわせてもらうと、僕は何も見なかったというしかないけれど。僕個人としては、『文字の意味を知りたければ、君たちの力で時間をかけて解き明かすべきだ。もちろん、文字を保護し、管理することを忘れてはいけない』と言いたいね」
「ありがとうございます」
シュミレットは言った。
「“箱は多くあるが、鍵は一つ”。いずれ、その言葉の意味を知る日がくるかもしれない。僕たちが生きている間なのかはわからないけれどね。彼の気持ちを汲もうとしている君たちに文字を発見されて、トーレイも本望だろう。さぁ、僕は宿に帰って本のつづきを読むとするかな。明日からはまた忙しくなりますから」
シュミレットは二人に別れを言って、宿へと帰っていった。実に心地の良い別れだった。
残ったシャットとブリンは通話機で部下を呼び寄せ。三角の像を動かし、文字の刻まれた柱を隠した。再び、誰の目につかぬよう、こっそりと隠したのだ。まるで、文字を刻んだハロッタ・トーレイのように。いずれ、その文字の意味が明らかになるその日まで、トーレイの遺物は理の世界で待ちつづけていた。
とある世界。地下深くにつくられた石造りの礼拝堂に果物籠を抱えた褐色の肌をもつ男が、女神の石像の前に行き着いた。礼拝堂の天井はすっぽりとあいており、今朝降っていた雨の滴が礼拝堂に滴っていた。空には銀の球体と、白と黒の二つの球体が見えていた。石像はそのちょうど真下にくるように設置されており、光が翼をもつ女神を照らしていた。薄いガウンを脱いで、男は籠に入っていた色鮮やかな果物を石像の前に置き、言葉を呟いた。
「リゼル様、お納めください」
赤い髪を持つこの男は膝を折り、両手を天井にむけて石像に何度もお辞儀をした。深い信仰心からか、それとも、何か願い事でもあるのか、男は黙々と祈りつづけていた。そのうち、地上から巡礼のためにおりて来た商人らしき男が礼拝する男に言った。
「今どき珍しいな。若者を見かけるなんて久しぶりだ」
大荷物を背負っていた男は、礼拝堂の木製の椅子に鞄をおいて一息ついて言った。
「しかし、ここは遠いな。商売をはじめる前に、いつもここに寄ってから行くんだが。最近は年なのか、荷物を担いで下まで降りてくるのは辛い。時術師でもいればいいんだが」
礼拝していた赤い髪の男は祈りを終えてから、振り返った。
「お困りでしたら、礼拝が終わったら上まで送って差しあげましょう」
男は驚いて言った。
「いや、でも。気持ちだけありがたくもらっておく。俺の荷物は重いからな。いくら、兄ちゃんが若いといってもだな……」
首を横に振って断ると、赤い髪の男は微笑んだ。立ちあがった男は思ったよりも背が高く、思わず商人は見上げてしまった。
「そこにあるのが荷物ですか?あなたとその荷物ぐらいなら、軽いものです。体力には自信があります」
呆然と男を見上げながら、瞬きした商人は言った。
「……そうか、兄ちゃんは第六世界出身なんだな」
赤い髪の男は荷物を軽々と右肩に担ぎ、男に言った。
「身体だけは丈夫に育ちました。礼拝が終わるまで向こうで待っています」
「あぁ……。悪いな」
石像に拝む商人を遠くに見ながら、壁際で赤い髪の男は荷物とともに礼拝が終わるのを待っていた。
礼拝が終わった後、小一時間かけて赤い髪の男が商人と荷物を抱えて地上へあがってくると、一人の男が二人を待ち構えていた。
灰色の目を持つ、その男は二十代後半ぐらいだろうか。上品な顔立ちの男だが、どこか傲慢さと冷酷さを感じる。美しい金髪は一本たりと乱れることなく、きちんと整えられ。白いシャツの上に、上等な黒のビロードのローブを着ており。ローブの上に大粒の赤紫の宝石を飾った金ネックレスをかけていた。手には革張りの黒い手袋をし、派手なネックレスに負けず劣らず色とりどりの大粒の宝石のついた金の指輪を四つもしていた。左手には黒の杖を握っていた。その杖さえきっと、高級品に違いない。
商人はその男を見て、すぐに貴族だと思いぞっとした。運んでくれた赤い髪の男に商人は礼をいって、荷物を持ってそそくさと去って行った。関わり合いになりたくないといわんばかりだった。
褐色の肌の男は、もう一人の男に向かって「アデュトル」と名を呼んだ。
「頼むから、脅かさないでくれ。彼は健全な礼拝者だ」
アデュトルと呼ばれた男は、口角をあげた。
「クワン、申し訳ない。もう少し楽な恰好で会いに来たかったのだが、これから友人の結婚式でね。ほんの少しの間だけ会いに来た」
「結婚式か、それは喜ばしいことだ。バルローとキートリーのことを聞きにきたのか?あの二人ならまだ帰っていない。お前の渡した招待状を持って出かけたままだ」
黒い人指し指をアデュトルは横に振った。
「二人の事じゃない。スラガーからは何か連絡はなかったか?」
「こないだも言っただろう。ここ数年、なんの連絡もない。どこに行ったのだろうな。ダネリス、キートリー、アデュトル、スラガー。五人でバルロー一派だというのに、別行動ばかりだな」
クワンはそう言うと、アデュトルは言った。
「本当にその通りだな。また皆で集まり、賑やかに過ごしたいものだ。スラガーから連絡があったらすぐに知らせてくれ。理の世界に行っている二人が帰って来たこともだ。大研究発表会の感想が聞きたい」
「わかった、そうしよう」
「ありがとう。もう時間だ。また会おう、クワン。いつも感謝している」
軽く礼をして後、アデュトルは時術式を発動させて空間移動した。行き先はもちろんクワンにはわからない。クワンはため息しかつけず、空を見上げた。空には銀の球体が見えている。
クワンは胸に手をあて、目を閉じた。そして、心の中にいる美しい女神の姿を思い浮かべ、乱れそうな心を静めた。クワンは熱心な信者だった。
END.
2014年10月31日
「 聖なる魔術式 」全二十四章、完結致しました。
書きはじめてから、一年と数か月。長いながい道のりでした。
毎度ながらお待たせしてばかりでしたが。お付き合いくださり、ありがとうございました。
まだまだ、「灼熱の銀の球体」はつづきます。
一カ月程お休みした後、引きつづき第四巻を連載しようと思います。
今は書き終わったばかりできちんとした言葉が思い浮かばないのですが、近いうちに活動報告にて次の巻の宣伝をさせていただきたいと思います。
2014.10.31 佐屋 有斐