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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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十九章



 第十九章 生ける魔術式





 大研究発表会の行われているドームの前、閉会式のため並べられた客席の最後列の右端に親子が座っていた。

 茶色の髪を後ろで丸く纏め赤い口紅をした若く綺麗な母親は、隣に座る小さな眼鏡をかけた白い学者服の男性となにやら話し込んでいた。

 母親と同じ茶色の髪を持つ、五・六歳頃の男の子は二人が何を話しているのかと思い、少し身体を前のめりにして聞いてみた。母親と男性は仕事の話をしており、薬剤がどうのこうのと難しい話をしていてチンブンカンプンだった。退屈だった子供は周囲を見まわした。ドームの前には人々が集まりだしていた。

 昼を過ぎ、そろそろ最後の講演が終わる時刻だったため、混雑を避けるために早めに会場から出てきたのだろう。フリペやボルディを着た大人たちや、子供連れの家族たち。記者たちがあちこちで立ち話をしていた。ただ、オーギュレイ・オーギュレイの講演日のように屋台などはでておらず、特別面白いことなどなかった。

 男の子が足をぶらぶらさせてぼんやりしていると、ふとキラリと何かが光ったので空を見上げた。

ふわふわとドーム前の広場の真上を七色に小さく光るシャボン玉のような物が浮いていた。シャボン玉は広場を横切り、ドームの方へ向かってゆっくりと飛んでいた。

「あのシャボン玉、どこに行くんだろう――?」

 興味を抱いた子供が椅子からたちあがり、シャボン玉を追いかけていった。男の子の母親は隣の男性との会話に夢中になっており、男の子が駆けて行った事に気づきもしなかった。

 シャボン玉はふわふわと浮いているにもかかわらず、なかなか追いつけなかった。時折くるりとまわり、光る。この動作を何度も繰り返していた。男の子は走りながら、それを見ていて楽しくなってきた。男の子の目にはあのシャボン玉が躍っているように見えたのだ。

 シャボン玉が空を飛んでいるのに地上の大人たちは誰も気づかなかった。

 走る男の子の姿を見た、暇をもてあましていた他の子供たちは男の子が追いかけているものを見つけて大はしゃぎした。空にシャボン玉が浮かんでいた。キラキラと踊るシャボン玉だ。子供たちは次々に親元から離れ、シャボン玉を追いかける男の子の方へ駈けて行った。

「待ちなさい、どこに行くんだ!」

 父親が叫んだが、子供たちは無邪気に笑いながらシャボン玉を追いかけていく。親たちは叫びながら子供たちを追いかけた。

 こうして出来上がってしまった大勢の人々の中を駆けて行く一行。先頭を最初にショボン玉を見つけた男の子が走り、その次に他の子供たちが無邪気に走り、子供たちを追いかけながらぶつかった人たちに「すみません」と謝る親たち。彼らが傍を通りすぎて行くのを指をくわえて見ていた白いマントを着た幼い少女が、隣に立つ母親の紅のローブの裾を引っ張った。

「ママ」

「なぁに、どうしたの?閉会式はもうすぐよ。もうちょっと待ちましょうね」

 幼い女の子は首を横に振って「違う」と言い、空を指差した。

「見て、シャボン玉!お空に浮かんでいる」

「シャボン玉?」

 母親が空を見上げると、確かにそこにはシャボン玉が浮かんでいた。――くるりまわるたびに光る。踊るシャボン玉。まるでシャボン玉が生きているかのようだった。

 幼い女の子の母親は血相を変えた。シャボン玉の中に何か半透明なものが浮かんでいるのに気付いたのだ。紋様のような紫がかったものが、シャボン玉が光るたびに一瞬ふっと浮かび上がってくる。母親はそれが魔術式だとすぐに気づいた。見慣れた術式を見間違えるはずがない。なぜなら、幼い女の子の母親は魔術師だったからだ。

「あれは何なの……。持ち主はどこ?」

 光るシャボン玉の中に浮かぶ魔術式。魔術式自体は身慣れてはいたが、術式一つが勝手にふわふわと漂っている光景など見たことがない。大抵、魔術式の傍には誰か魔力の持ち主がいるはずだが、周囲を見渡しても、大勢の人々が集まって何事もなく立ち話をしているだけだ。周囲の人々は誰も空など見てもいなかった。

 母親は地面を見下ろした。理の世界の地面には白い四角形のレンガが敷き詰められている。白いレンガは塩の砂で作られており、魔術式はレンガにすべて吸い込まれてしまうはずだ。しかし、魔術式が吸い込まれもせずに浮いている。もしかしたら、シャボン玉は中にある魔術式を守っているのではないだろうか――?

 母親は気味が悪いと思い。さっと娘を抱きかかえると、母親は「そろそろ、帰りましょうね。お家でパパが待っているわ」と言って、広場から第七理科学大学の方へ急いで走って行った。大学の地下一階には、第三世界行きの空間移動装置があるのだ。母と娘は一目散に駆けて行った。

 よくわからないものを回避しようとした母親の勘は正しかった。

 シャボン玉を追いかけていた少年が途中で立ちどまった。後ろを走っていた子供たちが男の子にぶつかり、文句を言った。その後、やっと子供に追いついた親たちが子供を叱りつけようと口をあけたところだった。

 男の子が空を見上げて言った。

「あれ?二つになった……」

 子供と親たちが空を見上げた。

 くるりとまわっていたシャボン玉は、ほんの一瞬で二つに別れたのだ。そして、二つに別れたシャボン玉は大きく回転したと同時にまた数を増やした。一度に数十個のシャボン玉が現れ、また回転すると、さらに倍の数のシャボン玉が現れた。

 シャボン玉はまだまだ回転しつづけた。その度にシャボン玉は数を増やしてゆく。

 子供と共に呆然と空を見ていた親たちは増えつづけるシャボン玉を見てぞっとした。数十秒の合間に、空には同じ形をしたシャボン玉が何千と浮かび。気づいた頃には、数えきれないほどのシャボン玉の中にくっきりと黄色く光る魔術式が現れ。無数の魔術式が空を埋め尽くしていた。 

 ある親は子供を抱え、ある親は子供の手を握りしめて「来なさい!」と叫んだ。


 同時刻、第一室・第二室の研究群の空にも無数の魔術式の入ったシャボン玉が現れた。

 第一室群の通りを歩いていた学者たちは黙ったまま魔術式をじっと見上げていた。身の危険を感じて逃げるどころか、冷静に観察した挙句、シャボン玉ではなく、とても薄いガラスの球体の中に魔術式が入っているという事に気づき。その奇妙さに深い興味を示していた。

 第七理科学大学でも同じことが起っていた。他の世界の人々が第三世界に通じる空間移動装置の方へ逃げて行くなか、理の世界の学生たちは空を埋め尽くしたガラスの球体に入った魔術式を眺め、あの魔術式の正体についてあれやこれやと議論していた。学生たちの大半は、「あの魔術式は工学者ベッケル・オーギュレイの作ったものなんじゃないか」と口々に言い合っていた。

 





 大研究発表会の行われているドームの入口からクー・ボルポネが出てきた。ボードに書類を留め、第一室の監査長クライト・ブリンと閉会式について話をしていた。黒い学者服を着た若い三人の男たちがクーとブリンの後ろで、メモをとっていた。早口なクーの言葉を聞き漏らさないよう、歩きながらペンを走らせていた。

 クーは苛々としながら言った。

「デューはどこに行ったんだ。通話機にもでない。後援者が三人も閉会式が始まる前に挨拶をしたいといっているのに、本人がいなければどうしようもない!」

 ブリンが言った。

「昼食をとられているのでしょう。閉会式は夜までの予定ですから」

「昼食?私は朝食すらまだとっていない。あれやこれやと閉会式前に予定変更が決まって、調整に追われて睡眠すらろくにとっていない。苛立ちが募るばかりだ」

「明日までの我慢です。明日からは通常通りに……。クー、デューが戻られたようです」

 ブリンが軽く会釈した。人混みの中、デュー・ドランスが頷きながらこちらに向かって歩いてきた。クーは眉間に皺を寄せた。

「どこに行っていたんだ!」

「そう怒るな。用事がてら昼食をとっていた。夜までは長いからな」

「外に出るなら、誰かに言付けでもしておいてくれ。後援者が中で……、なんだ?」

 人差し指を振りながら話をしていると、クーはデューの坊主頭の右手に何か光るものを見て、手と口をとめた。

 クーは目を細めた。頭の近くといっても、ずっと遠くの方で何かが光っているようだ。小さな閃光がいくつも見えた。耳をこらしてみると、閉会式がまだはじまっていないというのに人々がやけに騒がしかった。デューの隣にいた人々が空を見上げて悲鳴をあげていた。どの声も空に浮かんだ無数の魔術式に驚き恐怖している声だった。妙に思ったクーの目線がデューの顔からずっと上の方へ移動していった。

「どうした?」

 様子のおかしいクーを見たデューが聞くと、クーはデューの頭よりもずっと高く遠くの方を見ていた。呆然としながら、顎がはずれたように口が開いていた。

「やいやい、だらしない顔をしてどこを見ているんだ」と、デューが目の前で手を振ったので、クーははっとしてデューの顔に目線を下ろした。

「閉会式は即刻中止だ。警報を鳴らして、後援者や観客たちを大学へ向かわせなさい!学者たちはすぐに所属の研究室に戻るように言ってくれ」

「何を寝ぼけた事を言っているんだ!この日のために準備してきたんだぞ」

「寝ぼけているのはどっちだ。ブリンくん、早くしてくれ」

 デューは訳がわからず聞き返したが、クーと同じく光景を見たブリンは頷いた。

「わかりました。しかし、第三世界が受け入れてくれるでしょうか?」

「大研究発表会の期間中は第三世界への人の行き来きが増えることを予め申請してある。ちょっとぐらい数が増えても心配ない。すぐに指示通りにやってくれ」

 ブリンは「わかりました」と、三人の黒い学者服を着た者を連れて出てきたばかりの巨大ドームの中へ駆け戻っていった。

「ちょっと待ちたまえ。なにを慌てている?」

 呑気にデューがそう言ったので、クーは眼鏡の下から顔を両手で覆った。

「魔術式だ。ベッケル・オーギュレイの魔術式が最悪の形で見つかったぞ。また仕事が増えるばかりじゃないか。こんなことなら、昼食ぐらいとっておけばよかった」

「魔術式?君まで何を言っているんだ」

 クーはぱっと顔から手をおろし、怒りながら人差し指をデューの胸に三度も突き当てた。

「振り返って、その目で見てみろ。あれはすべて君の責任だからな。支出ばかり増やしてベッケル・オーギュレイは何がしたいんだ。あれのせいで死者が出たらどうするつもりだ。あぁ、今年は厄年なのか」

 デューはよくわからない事を言われ、むっとしながら振り返った。デューの背後には、ついさっきまで大勢の人々がいたはずなのだが。皆が大通りの方へ、大学や第一室のある南へ走っていた。

 なぜ、彼らが走っているのか。デューは教えられずとも、すぐにわかった。広い空には似つかわしくないガラスに包まれた魔術式が無数に浮かんでいたのだ。

 それらは思う存分数を増やしきると、回転を止めて数秒後、一斉に四方八方にわかれて高速で飛んでいった。魔術式の一部がクーとデューのいる方へ向かって飛んできた。思わず、デューは呟いた。

「即刻中止だ……」


 


 ベッケル・オーギュレイの魔術式が現れたことも知らず、巨大ドームの中で過去再現を見ていたシュミレットは「もう結構です」と言った。ヤウェイが頷いて機械を止めると、過去の映像が消え去った。

 ヤウェイは言った。

「もう一度、同じところを見ますか?」

「もう結構だよ。ありがとう。君たちのおかげで色々とわかったよ」

 シャットが驚いて「今の映像で何がわかったのですか?」と言った。シュミレットは答えた。

「オーギュレイの記憶を消した人物を探しても無駄だという事がわかったのだよ。彼はわざわざ、過去再現した僕らに伝えるために奇術を使って言葉を残した。僕が思っていた以上に、腕の立つ人物のようだね。

 名もわからない彼はオーギュレイの友人のようだけれど、オーギュレイの過去と現在の交友関係を探ったとしても、彼が『記憶と共に消した』と言っているのだから、記憶を消した人物に繋がるような物は何も出てこないだろうね。調べても無駄だということです」

 ヤウェイとシャットは複雑な顔をした。せっかく直ったばかりの機械で過去再現しというのに、得た答えがそんな不明瞭なものだとは思わなかったからだ。

 シャットは言った。

「これからどうなさるのですか?」

「そうだね、どうしようか。彼が言った、『もう誰にも聖なる魔術式をとめることはできまい』という言葉がとても気になるのだけれどね。肝心の聖なる魔術式の設計図はとっくに処分しているだろうから。今のままでは彼らが何をするつもりなのか検討も……」

 シュミレットが最後まで言い切る前に、――ポワン、ポワンという柔らかな音が何重にも世界中に響き渡った。

「警報です」とシャットが言った後、その場にいた学者服の者たち全員の胸が光った。胸を飾る細長いボタンの二つ目から内なる眼をともなった奇術式が現れ、そこから音声拡張した声が聞こえてきた。

『御来賓の皆様、緊急事態が発生したため。直ちに現在行っている事を中断し、第七理科学大学へ向かってください。大学までお越しくださいましたら、黒い学者服を着た監査の者たちが第三世界行きの空間移動装置へご案内致します。緊急事態についてのご説明等については、後日、調査した後に、第一室・第二室より全世界へ向けて発信させていただきます。

 第一室・第二室に所属の学者方は、皆様、所属の研究室へお戻りください。クー、デューの指示があるまでは自宅に戻りませんようにお願いします。尚、今日予定されていた閉会式を中止致します』

 言葉が終わった後、奇術式が消えた。

 シャットはすぐに通話機を取り出し、デューに連絡を取ろうとしたところ、シュミレットが腕を掴んだ。

「連絡を取るなら、クーとデューの居場所について聞いてくれるかな。彼らに何があったか直接聞きたいのだよ」

 シャットは頷いて、通話機の奇術式を起動させた。






 第二室、ベッケル・オーギュレイの研究室近くの廊下を歩いていたルーネベリとダネリス・バルローは立ちどまって遠くから聞こえてくる警報音と、案内を聞いていた。

 バルローは「何かあったのか?」とルーネベリに聞いたが。一緒に行動を共にしていたルーネベリが知るはずもなく。「とにかく、俺たちはオーギュレイさんの研究室へ行こう」と言った。

 廊下から記憶だけを頼りにオーギュレイの研究室の扉を見つけ、中に入ってみると、とても静かな室内にジロルド・カティエンが一人、木の机の前に立っていた。オーギュレイやメリア、ビエニの姿はなく、すでに自宅の方へ運ばれた後のようだった。

「カティエンさん、どうしてあなたがここにいるんですか?」

 ジロルド・カティエンは部屋に入って来たルーネベリとバルローに気づき、ひどく慌てて手に持っていた物を後ろへと隠した。明らかに怪しい行動だった。

 バルローは隠したところをしっかりと見ていたので、カティエンに詰め寄って言った。

「今、何を隠したんだ?」

「何も隠していない。君たちこそ、どうしてここにいるんだ。警報が鳴っただろう。外部の人間は大学に行かないと……ちょっ、何をするんだ!」

 後退しようとしたカティエンにバルローが両腕でがっしりと抱き付き、後ろに隠していたものを右手でひょいと取りあげた。

「なんだ、これ?」

「おい、やめろ。返せ!」

 バルローに捕まったカティエンは必死になって暴れたが、そうやすやすと放してはもらえなかった。バルローはカティエンを捕まえておくため、右腕を伸ばして、「見てくれ。オーギュレイのものかもしれないぞ」と取りあげた物をルーネベリに手渡した。

 ルーネベリは苦笑い、受け取った物をよく見てみると、黒い長方形の箱だった。黒い長方形の箱の片面には金色の縁がついており、縁のある方だけ開け閉めができるようになっているものだった。









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