表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
61/179

十八章



 第十八章 見えざる手





「デューのほかに、あなたの発見についてオーギュレイさんに話すような人物に心当たりはないんですか?」

 バリオーズは「ほかに?」と言うと、吃ってしまった。

 まったく心当たりがないようだ。今のいままでウェルテルについてオーギュレイに話したのはデューと信じて疑っていなかったのだろう。バリオーズは助けを求めるように夫人の顔を見た。夫人なら何か知っているかもしれないと思ったようだが、夫人も心当たりがなかったようだ。首を傾げた後、横に小さく振った。

 バリオーズは言った。

「私とオーギュレイさんにはデュー以外に共通の知り合いなどいないはずです。研究室を移った後、挨拶まわりをした際に顔を合わせた学者なら何十人といたでしょうが。工学者と神秘学者の私では話があまり合いませんからね。廊下でばったりお会いしても、立ち話などもほとんどしません」

「他の研究室の方はどうでしょう?」

「他の研究室の学者とは大研究発表会まで誰ともお会いしていません。彼らから聞いたと言うのは無理があるのです。デューから聞いたとしか考えられなくて……。でも、それが間違いなら、一体誰が?」

 狐につままれたような顔をしたバリオーズの手を夫人がぎゅっと握った。心配した夫人が顔を覗き込むと、夫は「大丈夫だよ」と言ったが、目線が泳ぎ明らかに動揺しているようだった。

 ルーネベリは言った。

「バリオーズさん、物理学者のジロルド・カティエンさんはどうでしょうか。オーギュレイさんの協力者なんですが、知りませんか?」

「オーギュレイさんの研究室にいた方ですよね。昨日が初対面です。他の研究室の学者とは誰とも大研究発表会まで会っていないので、カティエンさんにもお会いしていません。心配でしたら、カティエンさんご本人に確認されてはどうですか?もしかしたら、オーギュレイさんの時のように『会った』というかもしれませんが」

 バリオーズは珍しく棘のある言い方をした。何度も嘘をついたと疑われてしまったせいか、ルーネベリにも疑われていると勘違いしたようだ。ルーネベリは慌てて言った。

「確かめるまでもありません。バリオーズさんの言葉を信じます。問題は、他の名前が一つも出てこないという事なんです。困りました……」

 ルーネベリは腕を組み俯いた。ルーネベリは遂に壁に行きあたってしまったと思った。これまでは不思議なほど順調に謎を辿って行けたのだが、やはり、わからない。オーギュレイが体調不良になると知っていた人物。バリオーズがウェルテルを発見したと知った人物。それらに結びつくような人物が誰ひとりとしていないのだ。

 ルーネベリは顔をあげて言った。

「そういえば、バリオーズさんの機械を展示することが決まったのは、大研究発表会の直後なんですよね?」

「そうだが?」と、デュー。ルーネベリは首を傾げた。

「ウェルテルを発見した日、デューが発見を知った日など詳しい日付など覚えていませんよね」

「そんなことはない、私はよく覚えている。展示が決まった日は六月数十三だ。展示品の最終決定日だったから確かだ。バリオーズくんが機械の破損を聞かされ、ウェルテルを認識したとわかったのはその四日前だったはずだ。四日間ほど、展示会場に空きを作るのに奔走していた」

「それでは、機械が破損した日こそがウェルテルを発見した日になるわけですね。バリオーズさん。デューが知る何日前に機械は壊れたんですか?」

 バリオーズは言った。

「日付は覚えていませんが、機械が壊れてしまっては研究ができませんから。機械が壊れた次の日にデューに連絡を取ったんです」

「では、五日前。六月数八にウェルテルを発見されたわけですね。オーギュレイさんがあなたを訪ねた日はそれからどれくらい経ってからなのか、おおよそでも思い出せませんか?」

 バリオーズは眉間に皺を寄せて妻の顔を見た。この件についてもまったく思い出せないようだ。妻は夫の心情を察し、夫の手を椅子にそっと置くと立ちあがった。

「私の日記を見ればきっとわかりますわ。昔の癖で、一日の終わりにその日にあった出来事を忘れないように日記に書く習慣がありますの。夫はいつもその日にあった出来事を私に話してくださるから、結婚してからは夫の話も書くようになりました。ベッケル・オーギュレイさんにお会いしたことを夫は大変喜んでいましたから。きっと、日記にも書いたはずです」

 夫人はさっと奥へ引っ込み、日記を探しにいった。バリオーズはとても良く出来た妻を持ったようだ。ルーネベリはレンズを紛失際も夫人が最初に気づいたのだと言っていた事を思い出した。

 五分ほどしてから、夫人がリビングに戻ってきた。淡い緑色の小さな本にしおりのように親指をはさんだまま夫人は夫の隣に座ると、親指を挟んでいたページが見えるよう日記を開いて言った。

「おまたせしました。思った通り、日記に書いてありました。六月数八に機械が壊れて、数九にデューがウェルテルを発見したと教えてくださったそうです。数十にはベッケル・オーギュレイさんが主人の研究室を訪ねていらして。六月数十三にはデューの仰ったとおり、機械の展示が決まりました」

「ありがとうございます」

 ルーネベリがお礼を言うと、夫人は日記を閉じて微笑んだ。

 夫人の教えてくれた日付が正しければ、ウェルテルを発見した日から二日後にオーギュレイがバリオーズを訪ねたことになる。しかし、発見した当日は、バリオーズはウェルテルを発見したことを知らなかった。ウェルテルを発見したと気づいたのはデューだからだ。

 つまり、ウェルテルを発見したと判明してから実質一日しか経っていないのにもかかわらず、オーギュレイはバリオーズを訪ねた。風の噂で発見を聞きつけたにしてはあまりにも早すぎる。直接誰かから聞きでもしなければ、こんなに早く訪問などできなかったはずだ。

 ――記憶を消した人物。得体の知れない人物はまるで未来を予測できたのではなかと思うほど、的確に動いているように思えた。

 静まり返ったリビングで、デューが口を開いた。

「君は大変なことになるかもしれないと言っていたが、どういった事なのか教えてくれないか。もうそろそろ戻らなければならない」

「デュー、オーギュレイさんの魔術式の紛失も、気絶も、危篤状態もすべて偶然起ったことではないんです。意図して起ったことです。俺はこれからもう一度、オーギュレイさんの研究室に戻って調べ直すつもりですが。魔術式は消えていないはずです。なんらの目的があるはずなんです」

「またその話か。君、魔術式が消えてからもう二日も経っている。オーギュレイ氏の魔術式は消えてしまったのだ」

「いいえ、まだ結論を出すのは早すぎます。綿密の計画の上で作られた魔術式なら、何かが起るはずです。どうか、デュー、くれぐれも気をつけください。俺の思い過ごしならいいですが、何かあった場合は……」

 何度も同じことを言うルーネベリに、デューはうんざりしたように「わかった」と右手をあげた。

「問題は多々あるが、今私がすべきことは大研究発表会の会場へ戻ることだ。これ以上はここにとどまれない。閉会式の邪魔さえしないのなら、君の好きなようにしてくれてかまわない。……あと数日過ごせば、君の考えが思い過ごしかどうか明確になるだろう。今は閉会式が先だ。失礼させてもらう」

「デュー」と、ルーネベリが引きとめようとしたが、今度ばかりはデューも席を立って行ってしまった。





 

 大研究発表会会場、白い幕をくぐったシュミレットは、未だ設置されたままの白いステージを見上げた。二日前、このステージの上でベッケル・オーギュレイが講演し。そして、魔術式が消え去ったのだ。

 あの日の出来事を思い出しながら、シュミレットが見てみると、ステージの上では第一室の時間学者ユサ・ヤウェイと第二室の監査ヴィク・シャットが話をしながら過去再現装置の前に立っていた。二人の周囲には若い学者たちがいたが、彼らは機械から伸びたケーブルをひとつひとつ手に持ち、誰かが足を引っ掻けないように気を配っていた。シュミレットは声を張りあげた。

「機械は直ったようだね」

 ヤウェイとシャットは振り返り、声をかけられてはじめてシュミレットの存在に気付いた。誰かわからず目をぱちくりさせたヤウェイに、シャットが簡単な説明をした。すると、ヤウェイは話を聞いて「へぇ、第一室の監査の代わりに調査を?」と不思議そうに言った。

「監査の代わりなら、この機械の修理を頼まれたのは……」

「そう、僕です」

 いつの間にかステージ上にあがっていたシュミレットは、ケーブルをひょいっと飛びように跨ぎ、シャットの隣まで歩いてきた。

「この機械はもう使えるのかな?」

 過去再現を行った機械を指してシュミレットが聞くと、ヤウェイは頷いた。

「使えますよ。もう見事なまでに元通りに直してもらいましたから。あなたのおかげで修理が早まりました。ご希望があれば、どんな過去でもお見せしますよ」

 手を揉んでヤウェイはにたりと微笑んだ。機械は直り、修理費の問題も解決してヤウェイはとてもご機嫌だった。シュミレットは「そうかい」と言うと、くるりと体の向きを変え、かつて観客席のあった方を指差した。

「それじゃあ、機械を向うへ移動させてもらえるかな。僕が見たいのはステージ上の過去ではなくて、向こうにあるのだよ」

「……移動させる?」

「慎重に運べば問題はないでしょう。今は観客もいないからね」

 シュミレットは後ろで手を組んでまたひょいっと飛び、ケーブルを跨いだ。それからというもの、機械を移動させるのは大変なことだった。若い学者たちがケーブルを機械から一度に全部取り外し、重い機械本体を担いでステージ上から観客席のあった場所まで運び、再び、ケーブルをつけて機械を起動させなければならかった。ヤウェイは機械を落とさないように、後ろから口うるさく指示していた。 

 手間のかかる作業を眺めながら、ステージ下までおりてきたシャットは隣を歩くシュミレットに言った。

「観客席のあった場所でご覧になりたい過去というのは何なのでしょう?」

「僕はベッケル・オーギュレイの講演の日、この場で講演を聞いていた観客の一人だった」

 シャットの前を歩きだしたシュミレットはステージの真下に立ち、観客席の方を向いた。シュミレットの左手では、装置を起動させる準備がはじまっていた。

「魔術式が消え、ベッケル・オーギュレイが倒れた後、彼は客席に運ばれたのだよ。それから、治癒者が呼ばれ治療がはじまった」

「えぇ」

「治療をしたのにもかかわらず、オーギュレイは翌日、危篤状態になった。僕の知り合いの奇術師が彼を看たのだけれど、危篤状態に陥ったのは二度記憶を消してしまったことが原因だった。これらの状況から判断して、彼はこの場で一度記憶を消した可能性が非常に高い。そして、その記憶を消した人物こそ、二日前にオーギュレイを治療した人物なのだよ。僕は記憶を消した人物がベッケル・オーギュレイとなんらかの関係にある人物だと考えているのだよ。彼の計画にはかかせない重要な人物だったとね」

「計画的犯行?しかし、術式製造機を調べた結果、機械の内部でいくつか破損が……」

「工学者のオーギュレイなら機械をいつでも壊せただろうね。

 そもそもの話だけれど、僕らが講演で見た魔術式がその術式製造機でつくられたものかは誰にもわからないのではないかな。君が調べた機械で魔術式をつくった形跡があったとしても。僕らが見たものと同一のものであるかを確かめるためには、消えてしまった魔術式を調べないかぎり、けしてわからない。彼はこの事を知られまいとして、あえて機械を調べてもらうつもりだったのだよ。機械が破損していることがわかれば、オーギュレイの過失ということで話はまとまる。彼はそうなることを何らかの理由から望んでいたのだろうね。記憶を消す以前から」

 シュミレットはシャットの方を向いてクスリと笑い、「彼はとても優秀すぎると思わないかい?」と言って、装置の方へ歩いて行った。

 シュミレットが過去再現の機械の傍に近寄ると、ちょうどユサ・ヤウェイが「準備が整いました」と言った。

 

 ヤウェイが機械の黒いダイヤルをまわした。

一つの時術式が機械上部のガラス筒の中に現れ、一つの時術式から二つ目の時術式が姿を現し上へとのぼっていった。二つの術式と、それらを結びつける光の柱。二日前に過去再現する際に見たのと同じ時術式が機械から現れ、ヤウェイが白いダイヤルをまわすと、ガラス筒から時術式は離れ、かつて客席のあった場所へと移動していった。ヤウェイはシュミレットとシャットの方を向いて、首を縦に振ってはじめることを知らせた。

 光の柱をともなった時術式が客席跡地に到着すると、青いダイヤルをまわしきり。二段ほど戻すと、さらにダイヤルを二回最後までまわしきった。時術式の光の柱から柔らかな光が発せられ、空間を歪ませた。時間は瞬く間に二日前の朝方まで遡っていった……。 

目の前が急に暗くなり、暗闇の中に雛壇型に設置された空の観客席がずらりと並んでいるのがかろうじてわかった。まだ誰も講演会場に入場すらしていない時間帯のようだ。ヤウェイは機械を操作し、過去の中を流れる時間を早送りした。

 過去の時はたちまち、高速で進みだした。客席が徐々に明るくなり。しばらく経ったのち、人の姿がちらほらと見えてきた。彼らはどこからともなく現れて座席に次々と座ってゆく。実際にはゆったりとした動作だったのかもしれないが、早送りした時間の中では誰もが目にもとまらぬ速さで移動していた。

シュミレットやシャットの目の前の観客席はすぐに皆埋まってしまっていた。最前列に座っていたのは白い学者服を着た、白い髪の老いた学者たちだった。彼らは手に紙とボードを持ち、高速度の中、こちらを見たり下を向いたり横を向いたりと、忙しなく動いていた。

 観客席はやがて少し暗くなり、照明が完全に落とされた。人の目が光り、暗闇の中に大勢の人々がいるのがわかった。キーンという機械音がほんの一瞬だけ響き、悲鳴が聞こえた。大きな声が遠くから聞こえ。ざわざわとした声が観客席から聞こえた。ベラベラと誰かの話し声が聞こえてきたかと思うと、突然、拍手の嵐が起った。二度目の強い拍手が起ると、またざわめき声が聞こえ。誰かの叫ぶ声が走るように聞こえ消えていった。また観客席は騒がしくなり、誰かが叫んだ。ぱっと客席側が明るくなり、客席に座る人々が立ちあがり移動していった。列をなす人々がとぎれることなく奥から現れ、ステージ側へと消えていった。

 この時は、ちょうど、観客がステージ上にあがった時なのだろう。

 拍手が聞こえてきた頃、鳴り響く拍手が急にぴたりと止む。ざわざわと騒がしさがしばらくつづき、誰かが必死に叫んでいた。数人の白い学者服を着た男たちがステージ側から観客席に現れ、会場出口の方へ駈けて行った。すぐに別の白い学者服の男たちがぐったりとした老人を抱えて観客席に運んできた。オーギュレイだ。

 ――ヤウェイはさらに時を進めた。

 観客席にオーギュレイが横たわり、坊主の男がステージ側から観客席におりてきた。その男は首を左右に振るように、出入り口と横たわる老人を見ていた。デューだ。デューはふと雛壇の上の方を見上げ、駆けあがって行った。バリオーズがやってきたのだ。二人がその場に立っていると、管を三本腕に持って戻ってきたヤウェイが雛壇を下りてステージの方へ駈けて行った。それからすぐに若い学者たちが機械を運び、同じようにステージの方へ向かって行った。バリオーズとデューが雛壇を下りようとしたところ、二人は後ろを振り返り。出入り口に若い学者と水色のワンピースを着た男が後ろに立っていた。

 過去の中の治癒者は、黒く短い髪と黒い目を持っていることの他にとりたてて特徴があるというわけではなかった。治癒者は走り、観客席に横たわるオーギュレイの元へ駈けて行った。

「止めて」シュミレットがやっとそう声をかけると、ヤウェイは慌ててダイヤルをまわし、時を止めた。過去の時の中では、水色のワンピースを着た治癒者がこちらに背を向けて観客席に横たわるオーギュレイの手を取っているところだった。

 シュミレットは「進めて」と言った。ヤウェイは時を通常時と同じ速度で時を進めた。水色の服を着た男の後ろ姿が動いた。左腕がもちあがったのがわかったが、背中で隠れてしまっているため、一体何をしているのかまではわからなかった。

 シュミレットは過去の立体映像に近づいて行った。

 ステージの方から騒がしい声が聞こえていたが。過去の治癒者は後姿を見せたまま、オーギュレイの傍で介抱しているようにしか見えなかった。

 近づけば近づくほど、オーギュレイの顔がよく見えた。オーギュレイは眠ったように目を閉じたままだった。シュミレットは男のすぐ真横まで近づいた時、なぜオーギュレイの口元すら動かないのかがわかった。もうすでに作業が終わっていたのだ。

 手を握った男が明るく澄んだ声でオーギュレイに呟いた。

《――記憶と共にすべてを消し去った。もう誰にも聖なる魔術式をとめることはできまい。最愛の友よ、安心して眠りたまえ》

 本当の眠りについたのか、オーギュレイの頭がだらりと左へ傾いた。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ