六章 女帝の弟君
第六章 女帝の弟君
シュミレットたちが地上へ出た頃、外は相変わらず明るかった。地下へ一度降りて戻ってきただけだ、さほど時間が経っていないのだろうとミースは思っていたが、ウケイの城の客間に入ると、すでにルーネベリとガーネの姿があり。いつの間にか夜になっていたことを知った。ルーネベリがシュミレットに近づいてきた。
「先生」
「やぁ、時間通りに戻ってきたようだね。さすが、僕の助手だ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。そちらはどうでしたか?」
「あぁ、過去再現の時術式を仕掛けてきたよ。一晩置かないと、結果はわからないけれどね。成果は得られそうだよ。君の方はどうだったんだい?」
「こちらも、まずまずといったところです。協力的な都人たちに、ここ一年の出来事を事細かく思い出してもらいました」
「魔道具ライターに記録したのかい?」
「はい、後ほどお見せしますが。先ほど、阿万僧侶に晩餐会に招待されました」
「僕は出席しないよ」
「わかっています。晩餐会には俺が出席するので、ミースとガーネの面倒をみてくださいね」
シュミレットは目をぱちくりした。
「晩餐会に連れて行かないのかい?」
ルーネベリは小声で言った。
「……女帝の晩餐に、子供を出席させるわけにはいかないでしょう。例え、あなたの連れだとしても、三大賢者の沽券にかかわります」
「君がそんな事を気にしていたなんて、初耳だ」
「お褒めの言葉として受け取りますが。晩餐会はいかがしましょうか。先生が出席なさらないと、一年も外との接触のない桂林様はたいそうお嘆きになるかと思いますが」
どっちらにせよ、シュミレットには大変具合が悪い。それがわかっていて、不敵な笑みを浮かべたルーベリに、シュミレットは片方の眉をあげて答えた。
「出席するよ」
シュミレットとルーネベリのやり取りを聞き取れなかったミースとガーネが「何を話しているの?」と言った。晩餐会のほんのひと時とはいえ、子供のお守りから解放されるのだ。ルーネベリは生きようように「たいした話じゃない」と、ガーネの頭を撫でた。シュミレットといえば、ルーネベリの隣で物々となにやら呟いていた。よほど不満なのだろう。そんなやりとりをしていると、客間に侍女たちが晩餐会用の衣を運んできた。地味な灰色の衣と、白の衣だった。灰色の衣はルーネベリ、白い衣はシュミレットのために持ってきたのだろうが。シュミレットは黒いマントのままで行くと言ってきかなかった。
ミースが二枚しかない衣を見て、「なぜ、僕らは晩餐会に招待されていないのでしょうか」と半ば怒って言った。ガーネはルーネベリを見つめていた。
「世界の管理者との晩餐会は、賢者の仕事の一環だ。悪く思うな」
ミースが納得のいかない顔で、眼鏡を押しあげた。
「お前たちも疲れただろう。今日はゆっくりと休みなさい。明日からはもっと過酷だぞ」
ルーネベリは衣を運んできた侍女に、二人を寝室に案内してくれるように頼んだ。侍女はにこやかに頷き、シュミレット同様に不満そうな二人を客間から連れ出した。賢者シュミレットは客間の窓から青い空を眺めていた。
「先生」
「わかっているよ。晩餐会の準備だろう」
「はい、それもありますが」
「なんだい?」
「……はい、それがですね」
「君が口を濁すような事でもあったのかい?」
「いいえ、ただ少し気になることがあるんです」
シュミレットが振り返った。「気になること?」
「はい。今晩、今日の報告をする際に、話そうと思っていたのですが。都人たちが二年ほど前に、魔術師の身なりをした人物を数人、隣町で見かけたそうです。都人が言うには、とても変わった連中で、宿に泊まったのにもかかわらず、食事はおろか、寝室で眠った形跡もなく。今回の件と直接的な関係はないかもしれませんが、その人物たちは何度も姿を消しては、町を巡っていたそうです」
「いかにも怪しいといったところだね。球体から球体への空間移動はたやすいけど、エレメント世界内での空間移動は難しい。時術を使ったとは思えないな。その話に信憑性はあるのかい?」
「今のところはなんともいえません。しかし、気になる事というのは、その人物たちと、ミースとガーネの叔母となんらかの関わりがあるのではないかということです。先生の仰るとおり、空間移動はできませんし。魔術師が竜の道を通れるとは思えませんが、都人が見たという連中は、なにかしらの手段を用いて町を巡ったのです。何かあるのではないでしょうか?」シュミレットは顎をさする仕草をした。「確かに興味深いね」
「でも、慌ててはいけないよ、ルーネベリ。アグネシア女王には、五日の猶予をもらったんだ。ことがことだからね。世界の時間を元通りに動かすまでは、犯人探しは二の次でいい。ただ、君の観察眼が、怪しい人物たちから逸らさないでいてさえくれればいいのだよ」
「信用なさってくださっていると、受け取ってもかまわないですか?」
「もちろん。僕は君が正しいと思っているよ。
君が言いたい事は、だいたいわかっているよ。僕も今回の資料を見た時点で、時を止めた正体のおおよその見当はついている。だけど、段階を踏まえないといけないのが、賢者の面倒なところさ。僕の後に控えている彼はお喋りに上、お節介だからね」
シュミレットが皮肉を込めてそう言った。客間に阿万僧侶が訪ねてきた。そろそろ晩餐会に出向かなければならないのだろう。ルーネベリは急いで灰色の衣に着替えたが、シュミレットは、折りたたまれた白い衣の隣を横切っていった。
帝の間のちょうど真上の階には大きな円卓の間がある。その名の由来通り、部屋には巨大な円卓が置かれ、三百五十個もある椅子に、第十四世界の貴族やら王族やらが正装して座っていた。円卓の中心にはミニチュアサイズの六角柱が立ち、そこから水が八方に噴出していた。窪んだ床は、不思議と水が溢れていなかった。
一番奥の席に座る女帝桂林が杯を手にした。すると、阿万僧侶に連れられた、フードをかぶったシュミレットとルーネベリが円卓の間に入ってきた。貴族たちがドンッと足を鳴らし、一斉に立ちあがった。
「来てくれるとは、思わなんだ。賢者シュミレットよ」
桂林がシュミレットの名を告げると、貴族たちがかの有名な賢者様を一目見ようと、わずかに首を伸ばした。深くかぶったフードのおかげで顔の隠れたシュミレットは、空いた席へ向かい、早歩きしながらぼそっと「助手に脅されたもので」と言った。シュミレットの後にルーネベリがつづいた。
「人聞きが悪いですね」
「事実でしょう。僕の弱点を突付いて、面白がっているんだ」
「たかが、晩餐会でしょう」
「僕がその晩餐会が大嫌いなのを知っていて、君は連れ出したんだ」
「先生の同意はきちんと得ましたよ」
「やむを得ずだよ。はじめから、僕には選択の余地すらなかった」
「よさぬか。賢者であろう者が、そのように、子供のような戯言を言うでない」
シュミレットはやっと桂林の右隣の席に座り、ルーネベリがその隣に座った。そして、今度は、円卓の間にいる者すべてに聞こえるよう、声高々にして言った。
「では、さっさと晩餐をはじめ、さっさと終わらせましょう。でないと、僕の口から戯言が山のように出てしまいます」
賢者らしからぬ言葉に貴族たちはざわめきだした。桂林は杯を円卓に置き、言った。
「ほんに、そなたは相変わらずじゃな」
「人はそう簡単には変わらないものです」
「それでは、晩餐の席に座おうてくれるだけでも喜ぶとしよう。そなたたちに紹介したい者がおるのじゃ」
「手短にお願いします」と、シュミレット。「先生、無愛想にも程があります」ルーネベリがシュミレットに耳打ちした。
「そちらの奥におるのが、副管理者の秀栄じゃ」
桂林が手を指した先で、青の衣を着た髭面の男がドンッと足を鳴らし、手を合わせた。
「お初にお目にかかりまする。賢者殿」
シュミレットに代わり、ルーネベリが両手を合わせ、「お初にお目にかかります」と答えた。
「この者はよく出来た者でな。わらわの年の離れた弟、次期皇帝となる紫水の治世にもまた、副管理者の位についてもらいたいのじゃ」
「それは結構なことです」シュミレットが言った。
「あちらは、円城じゃ。この城から取った名だそうな。ウケイ一の富豪なのじゃ。隣におるのは、玉翠。軍師じゃ」
秀栄同様、円城と玉翠もまたドンッと足を鳴らし、両手を合わせた。ルーネベリも真似をするように手を合わせた。
「他の者も紹介したいのじゃが、紫水がおらぬ席じゃ。シュミレットも気が進まぬゆえ、食事にいたそう」
桂林が手を一度叩くと、貴族たちは席に座り。二度目には、何百人もの侍女たちが皿を運んできた。目の前にそっと置かれた青く透けた皿には、第十四世界のご馳走、水貝の石火焼きが丸々とのっていた。肌色の身はジワッと音をたて、ナイフで切ると旨み成分である油がでてきた。それをすくってスープのように飲むのもまた格別だ。ルーネベリがどこかに酒がないかと目で探っていると、侍女が白い陶器に入った水酒を持ってきて、ルーネベリの杯に注いだ。晩餐会といえば、これが欠かせない。各世界ご当地でしか味わえない極上の料理と酒を口に含み、ルーネベリは満足そうに頷いた。
「そなた、ルーネベリと申したな。いける口なのじゃな」
桂林がルーネベリに嬉しそうに言った。
「はい。この容姿どおり、酒には目がありません」
「なるほど、気配でわかる。そなたは、さぞ立派な殿方の姿をしておるのじゃろう。わらわは、豪快な殿方が好きじゃ。たんと召されよ」
桂林は手を叩いた。侍女が桂林の傍に寄った。
「明美、秘蔵の酒を」
「秘蔵の酒など、さぞ貴重なものでしょう」
「よいのじゃ。共に飲みたい者と飲むのが酒というものじゃ。遠慮などせずともよい」
「ありがとうございます」
「しかし、そなたは実におもしろそうな声をしておるな」
ルーネベリが桂林と親しげに会話を交わすと、次第に、静まり返っていた貴族たちは酔いと好奇心に任せ、われもわれもとルーネベリに語りかけた。やがて、後から来た僧侶たちが太鼓と弦の張った筒を手に陽気な音楽を奏で、皆は踊り。久しぶりの客に円卓の間は活きあいあいとしだした。しかし、賑わう晩餐の最中、賢者シュミレットは、水貝を三口、口に入れてからというもの、終始無口を貫き通していた。
晩餐を終えた後も、ルーネベリはしばらく桂林や貴族たちに付き合い、酒を飲み交わしつづけた。やがて、付き合いもお開きとなり、外時間でいう明け方に酒と煙草の複雑な臭いを漂わせながら部屋に戻ると、カーテンの閉じた窓辺で一人、寝巻き姿のシュミレットが椅子に座り、本を読んでいた。
「まだ、起きていらしたのですか?」
ルーネベリはベッドに腰掛け、言った。
「君からの報告がまだだからね」
「言ってくだされば、すぐにでも戻ってきましたよ」
「その必要がなかったから、君に声をかけなかったんだ」
シュミレットは本を閉じた。
「ライターを貸してください」
ルーネベリは鞄から魔道具ライターを取り出し、シュミレットに手渡した。シュミレットが目を閉じ、ライターの表面に丸い術式を描くと、中から大量の音声が飛び出て、シュミレットの耳の中へ潜り込んだ。シュミレットの頭の中に、都人たちの声が無数に響いた。そのひとつひとつを聞き取ったシュミレットは言った。
「なるほどね。時は別として、六角柱の水が止まり、水竜たちが騒いだ日があったこと。そして、少しの暑さと寒さを感じる日が交互につづき、夜が突として来なくなったこと。報告書と同じ、世界の時が止まる前兆には当てはまる現象だね。魔術師の格好をした不審な人物たちの話は……とりあえず、置いておこう」
「はい」
「確かに、初日としてはまずまずの情報だね。他にはないかい?」
ルーネベリは俯いた。「特には、これといってないです」
「そうですか。……大分、飲まされたようだね」
シュミレットは魔道具ライターをルーネベリに返した。
「はい、少し酔ったようです」
「今日はもう休んだ方がよさそうだね」
「そうさせてもらえると、嬉しいです」
シュミレットが頷き、ゆっくりと隣のベッドに入るとを見ると、ルーネベリはベッドに横たわり、髪を掻きあげた。「――そういえば、先生。桂林様の弟君」
「紫水がどうかしたのかい?」
「今日の晩餐会、なぜ出席なさらなかったのでしょうか」
シュミレットは天井を見ながら言った。
「単に逃げたのだろうね。彼は僕と同じで、晩餐嫌いだからね……」
「紫水様について詳しいのですね」
「桂林様と紫水のことは子供の頃から知っているよ。管理者とは、だいたいどこも、先々代以前から顔見知りだからね」
「そうですか。しかし、まだ晩餐会のこと根に持っているんですね。俺がいなかった頃は、一体どうしていたのですか?」
「適当にあしらって、部屋に引っ込んでいたよ。浮かれた者ばかりのいる晩餐会なんか、逃げて正解だ」
「一人の方がさぞ気楽だと言っているように聞こえますが」
「君にいなくなって欲しいとは言っていないよ。ところで、何ですか?」
「はい?」
「君が紫水の話を出すのは気になっているからでしょう」
ルーネベリは声を出さずに笑った。
「わかりますか?」
シュミレットはベッドの中で目を閉じた。
「君のことだ。今日にでも、紫水を訪ねるつもりなのでしょう」
「はい、そのつもりです。一度お会いしたいですし」
「ミースとガーネも連れていってくださいね」
「過去再現の回収はお一人で行かれるのですか?」
「えぇ。厳密に言えば、桂林様に同行してもらいます。今日は時の石をこの眼で確かめようと思っているんだ」
「ミースはごてるでしょうね」
「君が説得してください」
「俺は損な役回りばかりですね。美しい女性ならいざ知れず、子供は苦手です」
「僕もだよ。ここに来る以前に言ったでしょう、ミースは今のところ、おかしな行動を起こしていませんが。念のために監視しておいてください。それに、ガーネ」
ルーネベリは身体を起こした。「ガーネがどうかしましたか?」
「彼女、魔力を垂れ流しているようなんだ」
「問題があるんですか?」
「おおいにね。今は外へ流れ出ているだけだけど、いつ何が起こるかさっぱり予想できない」
「それは困りましたね。俺は術式が使えませんから。地下に潜った先生をお呼びするわけにもいきませんし」
「その点は心配ないよ。ミースにも、ガーネのことは伝えています。それに、君のライターに術式をいくつか仕込ませておくつもりだよ」
「心強いですね」
「ただし、ガーネからなるべく離れないでいてほしい。エレメント世界での魔術式の遠隔操作は、時術の次に頼りないからね」
「心得ました」
シュミレットは欠伸をもらした。
「もう、休みましょう」
「そうですね。少し疲れました」
ふたたび横たわると、酔いと全身の疲労感が眠りを誘っていた。隣でシュミレットが薄れてゆく意識の中、言った。
「……今回の件が終わったら、僕は長い長い休暇が欲しいよ。桂林様から水竜の子供を頂いて、のんびり育てながら余生を生きたい」
重い瞼を閉じながら、ルーネベリは言った。
「あなたね。まだ、そんなお歳じゃないでしょう」
「少なくとも、君の人生の十二倍は生きているよ」