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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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十五章



 第十五章 天才の遺物





 ジェタノ・ビニエがオーギュレイを奇術式で治療をはじめて一時間が経過した。その間、若い学者たちが研究室にやってきて、オーギュレイの術式製造機を台車に積み。そのまま床に置いていたオーギュレイの研究資料など一式を机の上へ移動させて、シャットとともに研究室を出ていった。

 ベッケル・オーギュレイの研究室にはルーネベリ、バルロー、メリア・キアーズ、ジェタノ・ビニエの四人と、簡易ベッドで横たわるオーギュレイ一人となった。

 ビニエは眉間に皺を寄せて奇術式を使い治療をしているが、どうも難しい治療のようだった。オーギュレイの胸に浮かんだ奇術式は赤く光らなくなったが、点滅していてどうも不安定だった。メリアは部屋に残されたルーネベリとバルローを部屋の左隅へ連れて行った。バルローはメリアに言った。

「まだまだ、かかりそうなのか?」

「そうね、峠は越えたみたいだけど。治療には一晩はかかるかもしれないわね。あの方、奇力異常を起こしているから」

「奇力異常?」

「私が看たところ、奇力の深いふかい場所から起った異常だったわ。体調が戻っても奇術による治療を受けつづけないといけないわね。それほど深刻な状態だわ。どうしてあそこまで酷い状態になったのかしら」

「精神的ショックで奇力異常は起るものですか?」

 ルーネベリがそう聞くと、メリアは「まぁ、精神的ショックじゃあ奇力異常は起きないわよ。パブロさん」と言った。

「それじゃ、オーギュレイさんはもともと奇力を患っていたということですか?」

「それも考えられないわね。オーギュレイさんの異常は先天性の奇力異常や、後天性の奇力異常とも違うのよ。……そうね、なんて言ったらいいのかしら。奇力は無意識の領域と呼ばれる領域と精神に包まれているの」

「無意識の領域の話は覚えていますよ。目で例えると、白目の部分と似たような構造だとズゥーユさんに聞きました」

「あら、そうなの。さすがズゥーユ様だわ。目に例えて話したら話をしやすいわね。私が言いたかったのはね、無意識の領域四層が白目の部分、瞳孔が奇力の核。目の輪郭が精神だとすると。虹彩の部分は記憶ということになるの」

「記憶?」

「目の構造上、瞳孔と虹彩はもっとも近いでしょう。同じように、記憶は奇力ともっとも密接した『器』というわけなの。奇力は器の中に入った火のようなものだから、器が傷つけば、傷のついた部分から奇力が外へ溢れだしてしまう。オーギュレイさんの奇力はまさにそういった状況なのよ。溢れだした奇力は無意識の最下層の領域にまで達していたから。身体的異常まで引き起こした。身体の異常を取り除くためには傷ついた箇所をオーギュレイさん自身の奇力の力によって塞がないといけないの。だけど、奇力に近い部分はとてもデリケートだから、塞いでもふさいでもすぐに傷口が開いてしまうの。根気強く治療をつづけていかなければならないわね」

 ルーネベリは頷いた。

「そうですか。それじゃあ、オーギュレイさんの記憶は傷ついている状態。つまり、なんらかの記憶を失っているということですか?」

「えぇ、そうよ。記憶を消すか、他人に記憶を移植するかしないと、記憶の層は傷つかないのよ」

「なるほど。一度記憶を消してしまったために奇力異常になったというわけですね」と、ルーネベリが言うと。メリアはなんとなく冴えない表情を浮かべ、ベッドで眠るオーギュレイの方を向いた。

「そうね。だけど、一度なのかしら。私は記憶を消された患者を何度か看たことがあるのだけれど、オーギュレイさんのような状態の人はいなかったの」

「どういうことですか?」

「一度記憶を消した患者さんたちはゆっくりと記憶を失うことが多くなり、身体的異常もゆっくりと進んでいくの。オーギュレイさんのように記憶を消したからといってすぐに危篤状態に陥る人は誰もいなかったわ。あの状態になるには、一度じゃなくて複数回、記憶を消しでもしないと」

「そうですか……」

 ルーネベリは思うところがあり、昨日講演会場で起った出来事を簡単にメリアに話した。多くの観覧者たちが来ていた講演会場で、オーギュレイの魔術式が講演中に消え、ショックを受け気絶したオーギュレイを治癒の世界から来た治癒者が今朝まで介抱していたと――。すると、メリアは突然大きな声で言った。

「パブロさん、それだわ!」

「それ?」

「私は治癒長よ。昨日、理の世界へ治療に行ったという報告は治癒者の誰からもきていないのよ。別の誰かが治癒の世界の治癒者を装って、オーギュレイさんを看たのね。その時に、オーギュレイさんの記憶を消したのかもしれないわ」

 メリアは握った拳を力強く振って、「絶対にそうよ」と言った。

「確かに、考えらない事はないですね。水色の服を着て、治癒者だと言われれば誰にもわからない」

「そうよ。だけど、昨晩から今朝にかけて記憶を消したとしても、身体が反応を示す時間があまりにも早すぎるのよ。最初に記憶が傷ついた時間と、次に傷がついた時間は同じじゃないのかもしれないわ」

「時間をおいて、二度記憶を消したということですか?」

「今の時点では、そう考えるのが妥当じゃないかしらね。でも、変だわ。記憶を消した人も消された本人も、記憶を消せば消すほど命にかかわるかもしれないということをまったく知らなかったわけじゃないと思うのよ。どうして時間をあけて二度も記憶を消したのかしら。一度きりなら命にかかわるような状態にはならなかったのに。理由がわからないわ」

 



 ますます事体は奇怪になってきた。オーギュレイが記憶を消したというなら、その理由の一つに消えた魔術式についての情報が含まれているのは明らかだろう。わからないのは、オーギュレイがバリオーズを訪ねた記憶だ。何の理由があって消したのだろうか。しかも、命の危険を顧みず、二度も記憶を消したのはなぜだ。まったく謎だらけだ。魔術式の行方。消えたバリオーズのレンズ。そして、なによりも気になるのが、あの黒い本……。

 いつものように考えに耽り、黙り込んだルーネベリ。メリアが簡易キッチンで飲み物を作りに行った後も、しばしルーネベリの静かなる思考はつづいた。隣にいたバルローがじっと固まって動かないルーネベリの肩を掴んだ。いきなり掴まれ、ルーネベリはびくりと肩を揺らし「何だ?」と言った。バルローは言った。

「急に静かになったから、どうかしたのか?」

「なんでもないんだ。ちょっと気になることがあって……」

「気になることって?」

「さっき魔道具を取りにいったときに気になる本を見つけてな。オーギュレイさんが起きてから見せてもらおうかと。意識がないとはいえ、本人が同じ部屋にいるのに勝手に部屋を物色するのはあまりにも失礼だからな」

「さっきってことは、あの綺麗な魔道具のことかな。――机の下で何か見つけたんだな。オーギュレイがいつ起きるかなんてわからないだろ。気になるなら今見てみよう」

「いや、いいんだ。後でも。ただ気になるだけだからな」

「俺が気になるから、ちょっと見てみる。赤毛の兄さんはそこにいろよ。勝手に見たのは俺が全部悪かったってことでいいから」

 バルローは笑った。ルーネベリが「待ってくれ」と声をかけたが、バルローは話も聞かずにオーギュレイの机の方へ小走りし、膝をついて机の下へ潜り込んだ。ルーネベリはバルローを止めるすべもなく、困ったなと首筋を撫でた。

「あっ、この本のことか?」

 机の下から顔を出したバルローはあの黒い本を手に持っていた。

「あぁ、その本だ」

「わかった。ちょっと待ってな。そっち持っていくから」

 バルローは机の下から出てきて、本を開きながら立ちあがった。黒い本をぺらぺらと何十ページか捲くると、最初は無邪気な顔をしていたバルローは途端につまらなさそうな顔をして言った。

「なんだ、この本が気になったのか。思っていたよりもたいした物じゃなかったな」

「その本を知っているのか?」

「あぁ、この本はハロッタ・トーレイの本だ。読むか?」

「トーレイの本?まさかとは思うが、先生が言っていた……」

「心配するなよ。これは禁術書なんかじゃない。トーレイはトーレイの本でも、トーレイの本は二冊あるんだ。この本はハロッタ・トーレイ本人が書いた黒の書。魔術師は『黒の書 上巻』って呼んでいる。魔の世界の書店には一冊は置いてあるだろう本だな」

 バルローは本のはじめのページを大きく開き、ルーネベリに見せた。

「実際の本の題は『一〇五の新たな魔術式』っていうんだ。魔術式って書いてあるけど、ほとんど魔道具の作り方ばかりだ。最初の三十五ページまでは少しだけ魔術式が書いてあるけど。三六ページ目からはトーレイ式箱型魔道具の作り方や、魔導書、貴金属、奇・時術式と冰力の魔道具。あと修理の仕方なんかが書いてある。魔道具職人なら誰でも一冊は持っているだろうな。有名な本だからな」

「魔道具職人が?」

「ハロッタ・トーレイは有名な天才魔道具職人だったからな。『黒の書 上巻』はもともと弟に宛てて書かれたんだ。弟も腕のいい職人だったそうだが、兄には遠く及ばなかったそうだ」

「トーレイは魔道具職人。そうか。だから、第三世界に魔道具屋が残っているのか」

「その様子だと知らなかったんだな。ギルバルドさんから聞いていないのか?」

 ルーネベリは枯れた笑い声を出した。そんな親切な説明を賢者様がするわけがないと口に出して言いたかったが、恰好が悪いのであえて言わないことにした。

「ところで、先生が言っていた禁術書というのは?」

「ギルバルドさんがよ言っていた本は、ハロッタ・トーレイの弟ロシュ・トーレイが書いた本なんだ。内容は知らないけど、ハロッタ・トーレイが昔に作った魔道具や作らずじまいになった身の毛もよだつような恐ろしい魔道具や魔術式がうじゃうじゃ書かれているんだとよ。そういや、ギルバルドさんは誰も見たことないって言っていたけどな、魔の世界には噂があるんだ」

「噂?」

「五百年間、毎日トーレイ家に訪ねた人がいたらしい」

「五百年もだって!」

「驚くよな。五百年毎日通うもんだから、とうとうトーレイ家の当主は根気負けして、禁術書を見せたそうだ。でも、禁術書を見た人物について名前も何も残っていないんだ。ただ見た人がいるっていう噂だけが魔の世界に残っていて、今でもトーレイ家に通いつづければ禁術書が見られるかもしれないって思っている奴らが大勢いるんだ。俺も列に並んだことがあるけど、一日で飽きたな。なにもすることがなくて退屈だった」

 バルローは途中から自身の体験談をべらべらと話しだした。魔の世界には魔術科学研究所という理の世界とはまた違う科学を研究している研究所があり、バルローはその研究所にこっそり忍び込んだ話をしだした。しかし、ルーネベリは今になってある事に気づいたので、バルローの話を最後まできくことはなかった。

 ルーネベリは思っていた。シュミレットはどうして禁術書に記されているという聖なる魔術式について知っていたのだろうか。五百年という歳月を考えると、トーレイ家に通い詰めたというのは、ザーク・シュミレットではなさそうだ。それなら……

 ふと、ルーネベリは顔をあげた。

「噂?」

「噂の話はもうとっくに終わっているよ。俺が今話していたのは、魔の世界の……」

「魔の世界に噂があるのなら、理の世界にも噂があったんじゃないか。有名な人物だったのなら、きっとあるはずだ」

「なんで理の世界にもトーレイの噂があるんだ?」

「ハロッタ・トーレイは昔、理の世界に来ているんだ。大研究発表会に招かれた唯一の魔術師だ。あるかどうかはわからないが、トーレイについての噂があったのかどうか調べてみる価値はあるかもしれない」

 バルローは「あるかどうかわからない」と聞いて、楽しそうに声を張りあげた。

「赤毛の兄さんよ、面白い事に気づいたな!噂があるといいな。俺、そういう話好きなんだよ。本当かどうかわからない話」

「オーギュレイさんの治療が終わったら、スヴァファベッツに会い行こう。スヴファッツなら何か知っているかもしれない」

「俺も行く。トーレイの新たな噂か。あるといいなぁ……」

 





 日付が数十一から数十二にかわる頃、眩しいライトが大研究発表会会場である巨大円形ドーム周辺を照らしていた。欠伸をしながら、若い学者たちは巨大円形ドームの前で小さなステージを組み立てていたのだ。

 高さ一メートルほどの小さなステージは、開け放れたままのドーム入口からほんの十メートル離れた場所に作られていた。最後の講演が終わった後、観客や学者たちが入口から難なく出られるようにとの研究室の配慮だった。ドーム前のステージから大通りへ伸びた道の両端には、白い花の鉢植えが真っすぐに並べられ。道を挟んだ左右の小さな広場には椅子が数十列も正確に並べられていた。閉会式を迎える準備はもう間もなく終わりを迎えるところだった。

 朝になるまであと数時間。早く作業が終われば、それだけ長く睡眠を取ることができる。若い学者たちは組み立て終わったステージに、白い塗料を刷毛で必死に塗っていた。その時、作業に集中していた若い学者たちは誰一人として気づかなかった。巨大円形ドームの入り口からキラキラと光るガラスの球体が浮遊しながら外へでてきたことを――。

 ガラスの球体の中には黄色く輝く魔術式が浮かんでいた。明るいライトによって輝きは抑えられていたが、魔術式は確かにその姿を現していた。

 ガラスの球体に包まれた魔術式は、作業中の学者たちの頭上へふわふわと浮かび移動すると、ぎゅっと縮まりぱっと勢いよく膨らむと、そのはずみで二つに分裂した。ガラスの球体に入った魔術式は、姿かたちそっくりの個々のものとなったのだ。そんなことが頭上で行われていることなどつい知らず、若い学者たちは目の前のステージの塗りにくい角まで丁寧に塗っていた。

 二つに別れた魔術式はそのまま空高く舞い上がり。南の方角と、南西の方角へ向かってそれぞれ飛んでいった。南には第一室の研究群、南西には第二室の研究群がある。魔術式はまるで行くべき場所を知っているかのように、迷いになく飛んでいった……。






 個室の扉がノックされ、若い女性の学者の声がした。

「レヨー・ギルバルドさん、失礼いたします」

 椅子を横にして仮眠をとっていたシュミレットはさっと椅子を起こし、「どうぞ」と声をかけ、扉を開いた。個室の前には、黒い髪を後ろで束ねた綺麗な女性が立っていた。講演会場で見たあのソリンダ・プリメルだった。資料の束を手に持ったプリメルはシュミレットにゆっくりとお辞儀して言った。

「お休みところ、すみません。大変、遅くなりましたが、ご依頼いただいた魔道具の鑑定がおわりました」

「そうかい。ちょっと待ってもらえるかな」

 シュミレットは椅子から立ちあがり、個室の外へ出た。

 時刻はとうに朝を迎えていた。やはり、朝というだけあって、昨日よりは、共同研究室は閑散としていたが、数人の若い学者たちだけは大きな研究室内を忙しそうに歩きまわっていた。

 シュミレットは隣の個室の扉をノックもせず開けると、中で鼾をかいて眠りこけていたキートリーの足をいきなり掴んだ。華奢な身体なのに、どこからそんな力がでるのか。足を掴まれ個室の外へ引きずり出されたキートリーは喚き、プリメルは呆気にとられていた。

 キートリーを個室から引っ張りだした後、シュミレットは何事もなかったように言った。

「プリメルくん、君のことは知っているよ。講演を聞いたからね。鑑定結果は簡潔に話してくれると助かるよ。僕が知りたいことは一つだけなのだよ。あの魔道具は誰のものだったのですか?」

「わかりました。鑑定結果を簡潔に申し上げます。鑑定の結果、あの魔道具の魔力の持ち主は、魔の世界南北十六番地に六千年前に籍を置いていたハロッタ・トーレイ氏のものだと判明しました。この研究室には多くの魔力のサンプルを保管しているため……」

「なるほどね、もう十分です。魔道具の魔力の持ち主はハロッタ・トーレイだということは確かだね?」

「鑑定上、九十九パーセントはそうだと言えます」

「ありがとう。鑑定料の請求はアルケバルティアノに頼むよ。鑑定結果にまつわる資料もアルケバルティアノについでに送ってもらえるかな。城では面倒な手続きが必要なのだよ」

 シュミレットは床に座り悪態をつくキートリーに言った。

「オーギュレイの研究室に一旦戻ろう。あと二つだけ確認にしたいことができた」









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