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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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十四章



 第十四章 第一室





「ある人物?」

 皆がシュミレットの話に聞き入っていた。シュミレットは言った。

「ルーネベリ、君も知っている。魔道具職人ハロッタ・トーレイだよ」

「トーレイって言えば、大講演発表会に来たことのあるという……」

 シュミレットとルーネベリの会話の最中、密かにオーギュレイは声を震わせ、「トーレイ?」と呟いた。

 シュミレットは説明をつづけた。

「遠い昔、ウェルテルという物質に注目したトーレイはウェルテルという伝達物質が果たす役割が新たな魔術式を生み出すのではないかと考えたのだよ。

 もともと、魔術師にとって魔術式は使い捨ての設計図にしか過ぎなかった。金属の形状を変化させたり、色を変化させたりといった作業を行うために使用するだけの魔術式よりも、力の調整や術式の操作術のほうが魔術師にとって重要なことだと長年考えられてきたからね。術式がどのようにして生まれるかまでは追究されることはなかった。けれどね、トーレイは、新たな魔術式を作りだすために、術式が発生する過程を研究し、ウェルテルという物質に僕らの知らない一面があることを見出した」

「知らない一面ですか?」

 ルーネベリが言った。シュミレットは頷いた。

「ウェルテルという伝達物質は空中に無数に存在しているのだけれど。僕らの目には見えない。だから、ウェルテルが存在しているからこそ、僕ら魔術師が魔術式を使えるということをほとんどの人間が理解していない。

 空中にウェルテルがなければ、いくら優れた魔術師とて魔術式は作れないのだよ。それは奇術師、時術師もまた同じことでね。この三つそれぞれの力を操作する術式は、すべてウェルテルという伝達物質があることで成り立っている。ウェルテル自体には力はないと言われているけれど、ウェルテルは異なる三つの力を動かすため、すべてに通じている。ウェルテルを上手く使えば、僕らも見たことのない術式すら作れるのだよ。例えば、意志を持った魔術式のようなものをね」

「先生、それじゃあ……」

「遠い昔、ハロッタ・トーレイは考えたのだよ。ウェルテルの性質を生かせば、永久に消えることのない不滅の魔術式を作れるのではないかと考えた。そうして誕生したのが『聖なる魔術式』と呼ばれる術式だった」

「聖なる魔術式?」

「『聖なる魔術式』の聖なるという名は、けして神聖だからという意味ではなく、すべてに通ずるという意味からきている。僅かな魔力によって作られた設計図という魔術式は、複雑な設計図の指示通りに動く。まるで意志をもったように。

 魔力は他の二つの力と異なり、魔力の持ち主の元へ返るという性質がある。ウェルテルを魔力の持ち主として魔術式を編成し、ウェルテルを動力源として燃やしつづければ、ウェルテルという物質がこの世から消え去るまで、術式は永久に消えることがなくなる……と、ここまでは書物の上に記された架空の話でしかないのだけれどね」

「架空の話とは、どういうことなんですか?」

「『聖なる魔術式』の構想を生み出したハロッタ・トーレイは、その生涯でただ一度も聖なる魔術式を作ることはなかったのだよ。聖なる魔術式は、作られた設計図通りに動くのだけれど、作れば最後、誰にもとめることはできない。作り手の手から放れた魔術式が吉となるか凶となるかは、作り手にもわからない。そんな不確かなものを彼は作りたくはなかったのだろうね。

 今日では、聖なる魔術式はこの世にあってはならない魔術の一つとして、この世でたった一冊の書物にしか書き記されていない。本来なら、そんな書物は燃やしてしまうべきなのだろうけれど。作った本人が有名になってしまったため、歴史的価値のあるものとして、書物はトーレイ一族によって代々守りつづけられている。誰の目にも触れることがない、俗にいう禁術書として扱われているのだよ」

 説明を聞き終ったというのにルーネベリは首を傾げ、シュミレットに聞いた。

「先生、聖なる魔術式は禁術書に書かれている魔術式なんですね。誰の目にも触れていない禁術書に書かれた魔術式と、どうしてオーギュレイさんが作った魔術式が似ているんですか?」

 シュミレットはクスリと笑った。

「僕にもわからないさ。少なくとも、聖なる魔術式は偶然ではけして作りだせないはずだよ。いくら彼が優れた学者でも、魔力を自在に扱う者でしか、聖なる魔術式は作れないはずなんだ。もし、彼が作れるとするなら、魔術師に協力を仰いだのか。それとも、禁術書に記された聖なる魔術式の製作方法をなんらかの方法で入手したのか……」

 シュミレットがオーギュレイの方を見ると、オーギュレイは激しく咳をしはじめた。苦しそうに前のめりになり口元を押さえていたが。咳はとまらず、そのうちオーギュレイの手から血がぽたぽたと流れ落ちた。


「オーギュレイさん!」

 オーギュレイはあまりにも前方に身を乗り出したまま咳をしつづけたため、力の抜けた身体は椅子から転げ落ちてしまった。シャットとルーネベリ、バリオーズがオーギュレイに駆け寄った。

 ぐったりと床にうつ伏せに倒れたオーギュレイの口元は赤く染まっていた。床にはオーギュレイの吐いた血が飛び散っていた。顔は真っ白になっているにもかかわらず、ルーネベリが額に手をあてるとひどく熱かった。呼吸は異常に早く、とても息苦しそうだ。

 これはいよいよ危ないと見たシュミレットは、シャットに言った。

「シャットくん、治癒の世界の治癒長メリア・キアーズを呼びなさい」

「通話機で連絡を取ります。……しかし、治癒長が来てくださるでしょうかね」

「レヨー・ギルバルドが呼んでいると言えば、必ず来ます。早く呼びなさい」

「わかりました。キアーズさんですね」

 シャットは黒い学者服のズボンにまた手を突っ込み、そこから銅の指輪の形をした通話機を取り出し、急いで治癒の世界へ連絡を取った。

 ルーネベリは簡易キッチンに行き、タオルか何かないかと探しだした。バリオーズもキートリーも吐血したオーギュレイの傍でどうしたらよいのかとあたふたしていた。この状態でオーギュレイをソファベッドへ運んでよいのかも二人にはわからなかったのだ。けれど、意外にもバルローだけは冷静だった。バルローは研究室の天井見上げ、術式製造機や床に置かれた書類の数々……部屋中を見渡し、言った。

「なぁ、ギルバルドさんよ。ここなら魔語ぐらいなら使えるんじゃないか。この調子じゃあ、治癒者が来るまでもたないだろ?」

 シュミレットはバルローに「そうだね」と頷いた。

床に倒れたままのオーギュレイの元にしゃがみ込み、シュミレットはオーギュレイの首筋に手を当てると、小さな声でぶつぶつ魔語を呟いた。シュミレットの呟く魔語は早すぎて聞き手取れなかったが、シュミレットが魔語を呟くほどに、早かったオーギュレイの呼吸が次第におさまっていった。

「あぁ、治ったんですか」とバリオーズが言ったが、シュミレットは首を横に振った。

「一時的な処置だよ。彼の身体の内臓の働きを遅めただけで、根本的な治療はできていない。キアーズが来るまでこのまま安静にしておかないと」

 シュミレットは立ちあがって、指をくわえて呆然とオーギュレイを見ていたキートリーに「君」と、呼びかけた。視線にすぐに気づいたキートリーが戸惑いながら、「えっ、僕ですか?」と言った。

「そうだよ。ソリンダ・プリメルの研究室の場所を知っているかい」

 おずおずとキートリーは頷いた。「部屋が変わっていなければ……」

「そうかい。じゃあ、僕を案内してください」

 ルーネベリはシュミレットに言った。

「先生、キアーズ治癒長が来る前にここを離れるんですか?」

「大勢で待っていてもしょうがない。オーギュレイの容態は君が聞いてくれればいいのだから、後は任せるよ」

「わかりました、先生」

 ルーネベリは困り果てた顔で頷くと、なぜか面白そうにバルローが笑っていた。シュミレットは次に言った。

「シャットくん、君はデューを呼んでここで待機していてくれるかな。デューが来たら、術式製造機を回収して分析してください。バリオーズくんはシャットくんの指示に従いなさい」

「はい」と、バリオーズ。シュミレットはバルローの方を向いて、少し何を言おうかためらった。先にバルローが言った。

「俺も一緒に行くよ。あの魔道具鑑定してもらうんだろ。俺も興味がある」

「駄目だよ。君はルーネベリといなさい」

「酷いな、俺をのけ者にするつもりか」

「鑑定結果は後で言いますから、ルーネベリと一緒にいなさい。勝手な真似はけして許さないよ。君には盗みとは別の前科があるのだからね。心しておきなさい」

 シュミレットとバルローが話している様子を見て、ルーネベリはなんだか嫌な予感がした。バルローは「わかったよ」とへらへらしながら頷いていたが、シュミレットは眉を寄せて疑っている様子だった。ますます嫌な予感がしてならなかった。

 バルローの前科についてルーネベリがシュミレットに話をしようとしたが、シュミレットはガラスの魔道具を手に取り、キートリーを急かして部屋をさっと出て行ってしまった。一言も聞く間もなく、部屋に残されたルーネベリは、がっかりしながら振り返ると、バルローが無邪気な笑みを浮かべていた。






 オーギュレイの研究室を出たシュミレットとキートリーは足早に研究ドームを出て、空間移動装置で「生物研究所行き」と書かれた第一室のある研究ドーム前へ飛んだ。あまりにも足の速いシュミレットにせっつかれて、目の前にあったドームの入口に着くころには、キートリーは息を切らしていた。

「君、早く案内しなさい」

 キートリーは息があがってそれどこではなかったが、シュミレットはキートリーの腕を掴んで、強引にドームの入口からドーム内に設置された空間移動装置へ連れて行った。そして、装置の時術式の中に入るなり、キートリーは喘ぎながら座り込んでしまった。

「それで、どの階なのだい?」

 一切息を乱していないシュミレットが聞くと、キートリーは額にうっすら浮かんだ汗を拭い、言った。

「……はぁ、はぁ。地下です。地下五階」

「地下五階だね、わかりました。それにしても、君――」

 シュミレットは座り込んだキートリーを見下ろした。

「若いのに体力がないのだね。驚いたよ」

「僕も驚きました。これだけ走って、どうして少しも息切れしないんですか」

 信じられないと言いたげな顔をして、走り疲れたキートリーは飲み物を一口でもいいから口に含みたいと言い出した。しかし、そこはやはり賢者様。「言うほど歩いていない」と冷たくあしらい、休む間もなく時術式を発動させた。シュミレットと座り込んでいたキートリーは一瞬にして生物研究所ドームの地下五階に着いた。空間移動装置から外にでたシュミレットは周囲を見てさっそく呟いた。

「困ったものだね、プリメルの研究室は個室じゃないのだね。これじゃあ、どこにいるのかもわからないよ」

 生物学研究所地下五階の研究室は三つに大きく区分された共同研究室になっていた。扉のない、二つの壁で仕切られた三つの区域は奥へとつづく長いながい部屋だった。まるで四角い筒を三つ並べその断面を覗き込んでいるようだった。 

 右端の区域と左端の区域は灰色の石床になっており。ガラスと金属とケーブルでつくられた巨大機械設備が数百台も壁際に並んでいた。多くの学者たちは機械の周りに集まり、機械を動かして研究に取り組んでいた。中央の区域は白床で、両壁に大きな本棚が置かれ。本棚と本棚の間にはとてつもなく長い白い机があり、学者たちは机の上で書き物をし、見たこと事もない様々な形の小さな機材を使って研究していた。

 シュミレットは目の前をすっと通り過ぎようとした黒いおかっぱ頭の若い女の学者を捕まえ、言った。

「君、至急にソリンダ・プリメルに魔道具の所有者を鑑定する依頼したいのだけれど。ソリンダ・プリメルはどこですか?」

 若い女学者は言った。

「プリメル先生はこの階のどこかにおられると思いますが。至急のご依頼でしたら、代わりに私がお伝えしてきましょうか」

 シュミレットは学者にガラスの魔道具を渡した。

「お願いするよ。依頼元はアルケバルティアノ。鑑定が終わるまでここで待っています」

「場合によっては、一晩かかる恐れもありますが……」

「かまわないよ。一晩ぐらいなら。ただ急いでいるとだけ伝えてほしい」

「わかりました。ご依頼元はアルケバルティアノでしたね。よければ、そこにある個室でお待ちください」

 女性学者は空間移動装置の左側を手で差した。小さなボックスのような小部屋が壁際に何十室も並んでいた。学者は言った。

「個室に入ると、座椅子がございます。飲み物が欲しい場合、右の肘掛けを二度叩いて欲しいお飲み物を口に出して注文してください。食事をなさるのでしたら、左の肘掛けを叩いて飲み物と同様に注文してください。料理は五分以内、飲み物は一分以内に時術式で届きます。

 個室の扉を閉じていただきますと、向かって正面の扉に立体映像が現れます。ご覧になりたいものを立体映像の中から選ぶこともできますが。立体映像ではなく、現物でご覧になりたい場合は、立体映像の中の『お取り寄せ』を選択して、立体映像の手順に従ってください。料金はかかりますが、時術式によって現物が送られてまいります。仮眠をおとりになる場合、座席は背もたれを押していただくだけで簡単に角度を変えることができます。百八十度横になることも可能です」

 キートリーは言った。

「横になるって、どこにそんなスペースが……」

「個室に設置されたものはすべて魔術式と時術式を組み込んだ科学道具になっております。空間を少し広めることは簡単なのです。

 お手洗いに行かれる場合は、左手奥と右手の奥になっておりますので。お待ちの最中、ご利用ください」

「ありがとう」とシュミレットが言うと、女学者は「いいえ」と微笑み。丁寧にお辞儀して、左の石床の区域へと小走りしていった。






 シュミレットとキートリーが去った後、しばらくしてオーギュレイの研究室に白い鞄を持ったメリア・キアーズとジェタノ・ビエニが入って来た。

 カールしたオレンジ色の髪、二重顎のふくよかな身体。水色のワンピースを着たメリア・キアーズは、研究室に入るなり簡単に挨拶をすませ、床に倒れるオーギュレイの元へ走り。手首を掴んで目を閉じて奇術式を発動させた。

 紫色のワンピースを着たジェタノ・ビエニがメリアに代わりシャットとバリオーズにきちんと挨拶し、ルーネベリにも一年ぶりだと明るく挨拶した。メリアは一年前と変わった様子はなかったが、ビニエのほうは黒い髪が少し伸び、表情がいくらか柔らかくなっていた。この一年でいろいろあったようだ。

 奇術式を発動させ、オーギュレイの胸に奇術式が浮かぶと、メリア・キアーズの胸にも奇術式が浮かんだ。目の形をした内なる目を縛る奇術式。メリアの胸に浮かぶ奇術式は黄色く輝いていたが、オーギュレイの奇術式は点滅していたり、時折、赤く光っていた。

 メリアは奇術式を解いて、ジェタノ・ビニエに言った。

「大変だわ、奇力が乱れている。すぐに処置が必要よ。治療には時間がかかるから、治療をはじめる前にそこのベッドに運びましょう」

 四人がかりでオーギュレイを簡易ベッドに運んだ後、丸椅子をベッドの傍に持ってきて、座ったジェタノ・ビニエがオーギュレイの手を握り、奇術式を発動させて治療を開始した。

 治療をはじめてすぐに、連絡を受けたデューがオーギュレイの研究室にやってきた。メリアとオーギュレイの話をし、その後、シャットと話をした。デューは術式製造機を調べるため若い学者たちに台車を持ってきて運ばせると言い、シャットはそれを手伝うことになった。さらに、デューはバリオーズに帰宅してもらうように言い、連絡があるまでは自宅待機という形をとった。バリオーズは黙って頷いて、一人寂しく帰っていった。

 最後にルーネベリの元に来て、デューは言った。

「オーギュレイ氏の傍にいてもらえないだろうか。私は明日の閉会式の準備やらで忙しい身でね。申し訳ないが、君にお任せしたい」

「わかりました。どちらにせよ、ここにいるつもりでしたから。容態については俺が聞いておきます」

「あぁ、それはよかった。隙を見ては、こっちに寄るつもりだから」

 デューは「オーギュレイ氏をよろしく頼む」とルーネベリの手をぎゅっと握り、オーギュレイの研究室を後にした。









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