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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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十章



 第十章 クーとデュー



 七月数十一の夜明け前、誰もいなくなった講演会場は静かに漂う埃と暗闇に包まれていた。このまま会場はいつものように、三つの球体がもたらす光とともに穏やかな朝を迎えるはずだった。

 しかし、朝が訪れるよりもずっと早くに光が現れた。暗闇を裂くように、ステージに置かれた空のガラス箱の下、台車の底から眩い光が発せられたのだ。光は一瞬にしてガラスの球体でその身を包み込み、台車から離れて空中に浮遊した。

 ゆっくりと回転するガラスの球体の中で輝く光が突如、閃光を飛ばし、円を描くと光の文字を描きはじめた。光の文字は陰と陽を表す魔語となり第二円を描くと、そこに時力と魔力を結ぶ魔語が現れた。第二円から第三円にかけて棘のようなものが突き出て、いくつかの棘の先から線が生まれ伸びた。第四円と第五円が現れ、そこに複雑な六十五個の魔語が組み合わさったものが浮かんだ。

 たった一つの光が魔術式を作りあげたのだ。魔術式はガラスの球体の中で輝きを強弱させ、まるで辺りを警戒しているかのように息を潜め。しばらくしてから魔術式はガラスの球体を纏ったまま人気のない講演会場の空中を浮かび、びゅんと出口の方へ飛び去った。






 身支度を終え、理の世界に滞在してからの五日目の朝食を終えたシュミレットとルーネベリは、大研究発表会が行われている講演会場に向かって歩いていた。昨晩からずっと二人の間には会話がなかった。ルーネベリは昨晩出かけていったシュミレットのことよりも、消えたオーギュレイの魔術式のことや疑われたルウエル・バリオーズのことばかり考え、昨晩、睡眠をとったのかどうかや、今朝食べた朝食のこともよく覚えていないありさまだった。

 ルーネベリと同じように考えに耽っていた賢者シュミレットだったが、ある程度考えがまとまってきたのか、遂に沈黙を破りルーネベリに話しかけた。

「昨日、僕はクライト・ブリンと会ったのだよ」

「えっ?」突然話しかけられて大層驚いたルーネベリに、シュミレットはクスリと笑った。

「第一室の監査長クライト・ブリンに会ったのだよ」

「あぁ、あの手紙の……。どこで会われたのですか?」

「講演会場だよ。魔術式が消えたからね。僕は彼がきっと講演会場に現れると思っていたのだよ」

「どうして講演会場だと?」

「僕が少し邪推していたからだよ。クライト・ブリンが僕に手紙を送ったのはベッケル・オーギュレイの魔術式についてなのかとね。もしそうなら、人気の少なくなった時間に魔術式が消えた場所に来るだろうと思ったのだよ。確かに彼は来たけれど、彼は別の件で僕に用があったようです。彼はオーギュレイの魔術式についてなにも知らない様子だった」

 ルーネベリは息を吐いて、赤い髪を掻いた。

「別の用……。なんでしょう」

「この件が解決してから聞くとするよ。今日会おうと言っておいたからクライト・ブリンも来るだろうね。消えない魔術式が消えた、謎解きだよ。僕はなんだかわくわくしてきたよ」

「先生、なんだか楽しんでいませんか?バリオーズさんが疑われているんですよ。不謹慎ではありませんか」

「彼はまったく、かわいそうな人ですよ。巻き込まれて」

「巻き込まれて?先生、やっぱりバリオーズさんは……」

「彼はなにもやっていない、僕はそう見ているけれどね。どうやら、彼は誰かに犯人になってもらいたいと思われているようだね」

「先生、それはどういうことですか?」

「さて、邪推はここまでにして。僕らも謎解きに参加しようじゃないか」

 ちょうどシュミレットが話をやめたところ、二人は大研究発表会の行われているドームの入口に立っていた。ルーネベリはいつの間にという顔で入口を見つめていた。

 ドーム周辺は屋台や観光客の姿はなくなっており。昨日のような賑わいはなくなっていたが、魔術式が消えたと大騒ぎしているような様子もなかった。人々は一昨日のように講演を聞きにドームに通っているようだった。ただ、ちらほらと記者の姿があり、うろうろしながら通りがかった学者たちに話しかけていたが、誰もが手を振って記者から逃げていた。学者たちは昨日の一件とは関わりたくない様子だった。ルーネベリは言った。

「どうやって口止めをしたのでしょうか。思えば、昨日の公演は宿でも自宅でも見ることができたはずです。皆が目撃していたはずですが」

「さぁね、僕にもよくわからないよ。ただ、誰かの失敗の揚げ足を取ってはまずいと思っているのではないかな。君が言っていたじゃないか。研究費がなんとやらと」

「あぁ、そうでしたね。そうでした」

 シュミレットとルーネベリは公演会場に入った。

 会場に入った途端、沢山の声が聞こえてきていた。会場中央の巨大な白い幕で覆われたスペースをのぞいた周辺にブースが新たに作られており。そこで学者たちが講演していたのだ。彼らは自分の研究を発表したり、他の学者の講演を聞くことに忙しい様子で、白い幕の方など見てはいなかった。

 シュミレットは首を傾げて、あの白い幕に向かおうと言った。ルーネベリは頷いて、シュミレットと共に幕の方へ向かい、幕の中へ入っていった。

 白い幕の中には昨日設置されていたステージがそのまま残されていた。そして、ステージ上で昨日の時術式をつくった機械を挟んで二人の男が言い争っていた。一人は第二室室長のデュー・ドランスで。もう一人は二重顎の、直径三センチほどの小さな黒い眼鏡をかけた学者服の男だった。学者服の左胸にはデューとは色違いの第一室の勲章『クー』の青いブローチを身に着けていた。男は結った髪を振りながら言った。

「君のその頭でよく考えたまえ。あの装置の弁償は当然、第二室がすべきだろう。ユサ・ヤウェイ君は第二室に協力したんだぞ」

「やいやい、協力してくれたことには感謝している。ただ、機械を壊したのは我々ではないぞ。観客だ。あれは間違いなく事故だった。機械の修理費は当然折半するというのは筋だろう」

 デューが反論すると、男は顔を真っ赤にさせた。

「なにを言っている、この分からず屋が!君のところのベッケル・オーギュレイのせいでただ聞きにきただけの客の宿代を半額にしたんだぞ。収益を半額以下にさせたうえに、修理費も出せと言うのか」

「仕方がないだろう。まさか、講演の目玉が消えるなんて誰が思う!」

 白熱する二人の周辺には俯くルウエル・バリオーズと、黒い学者服を着たクライト・ブリントと老人が立っていた。ステージの手前には後からやってきたのか、昨日、新世界主義だと名乗ったダネリス・バルローが友人のキートリーを引き連れて立っていた。バルローの方はクーとデューを見てしきりにニヤニヤしていた。

 シュミレットはそんな彼らを見てぽつりと言った。

「クー・ボルポネ、デュー・ドランス。僕は彼らの茶番に付き合いたくはない。君の出番ですよ」

 ルーネベリが「えっ」と声を漏らすと、シュミレットはパンパンと歯切れよく手を叩いた。すると、クーとデューは声を揃えてこちらを見て言った。

「一体、なんだね!」

 ルーネベリは恨めしそうにシュミレットをちらりと見てから、ステージの方へ一歩前に出て言った。

「――あの、お取込みのところすみませんが。修理のお話は後日していただくことにして。消えたオーギュレイ氏の魔術式についてお話しませんか?」

「ちょうど我々はその話をしていたところなんだ。少し脱線してしまったがね。ところで、君は誰だね?勝手に入ってくるなんて非常識な。ここは関係者以外立ち入り禁止です」

 早口でデューはそう言ったが、目の前にいたクーはひどく眉を寄せて目を細め、ルーネベリの方を見つめた。まるで見間違えたかというかのように頭を何度も振って、瞼をぱちりぱちりと開いた。最後に眼鏡を取って、目を擦った。

「夢でも見ているのか。賢者の元にいるはずのルーネベリくんが理の世界にいるなんて」

 クーの呟きに、ルーネベリはため息をついた。

「いいえ、ボルポネ。俺が理の世界に帰ってきていることをあなたはとっくにご存知でしたでしょう」

 レンズの汚れを学者服で拭いた後、眼鏡を鼻にのせたクーは言った。

「噂は聞いていたよ。でも、私はこの目で見なければ何事も信じない性質なのでね。おかえり、ルーネベリくん」

 クーは顔を顰めたデューの傍を通り過ぎ、ステージから下りてルーネベリの方へ歩いてきた。それから、ルーネベリの巨体に抱き付き背中を優しく叩いた。クーはルーネベリの耳元で「君の部屋はすぐにでも用意できるよ」と呟いた。ルーネベリは慌てて言った。

「いいえ、まだ助手を辞めたわけではないんです。ただ、俺は……」

 シュミレットが口を挟んだ。

「失礼、感動の再会の挨拶は後にしてもらえるかな。この世界に来てから待ちぼうけばかり。待つのはもうこりごりです」

 クーは顎をひいて、レンズ越しではなく裸眼でシュミレットを見た。連日と同じように黒いマントを着たシュミレットは茶色の鬘をかぶり、ちょび髭をつけていた。クーは言った。

「ほぅ、君が噂の賢者のご友人か。その恰好はどう見ても魔術師のようですな。ご本人ではなくご友人を寄こすなんて賢者というものは……。しかし、賢者殿はよっぽど学者のルーネベリくんを手放したくないご様子だ。彼はとても優秀だから気持ちはわからなくはないが、そろそろこの理の世界に返していただきたいものだ。我々の時間は限られていますからね」

 首を横に振り、嫌味を言ったクーにシュミレットはクスリと笑った。

「賢者様にお伝えしましょう。ところで、あちらにいらっしゃるデューに僕らについて説明していただけますか。話をはじめようにも、今すぐにでも追い出したいという顔されていてはね」

クーはルーネベリを見て頷いた。それから、クーはステージ上にいるデューの方を向くと、顔を顰めたデューが言った。

「彼らは誰だ?」

「私の研究室の学者とその友人だ。心配ない」

 くるりとこちらを再度向いたクーは、「これでいいでしょう。お話とやらを聞きましょう」と言った。



 

 シュミレットは頷いて、ステージの方へ歩いて行った。

「話をする前に聞いておきたいことがあります」

「何でしょう」と、クーは答えた。シュミレットは言った。

「魔術式を作ったベッケル・オーギュレイは今どこにいますか?」

「どこだね、デュー」

 クーが聞くと、デューはシュミレットではなくクーに言った。

「オーギュレイ氏には研究室で待機してもらっているところだ。魔術式の実験失敗について、この後、監査長のヴィク・シャッドくんに詳しく調べてもらう手筈になっている」

 クライド・ブリンの隣に立っていた老人が一歩前に出て、軽く頭を下げた。この男が第二室の監査長ヴィク・シャッドなのだろう。白い短髪の、目尻がさがった気のよさそうな顔はまるで微笑んでいるようだった。

 ルーネベリはその老人を見て、「あれ?」という顔をした。

「しかし、なぜそんな事を聞くんだ」

 デューの言葉にシュミレットは「居場所が知りたかっただけです」とだけ言って、ステージ上にあがり、不安そうな顔をしていたルウエル・バリオーズにだけ聞こえるよう小声で話しかけた。

「大丈夫です。君が何もしていないのはわかっています」

「ギルバルドさん」

「君には手伝ってもらうことがあるのだよ。協力してくれるね?」

 バリオーズは黙って頷いた。シュミレットはそれでいいんだと頷き返した。それから振り返り、クーやデューに言った。

「オーギュレイ氏を調べると言いましたね。魔術式が消えた問題について、あなた方は魔術式を作る研究は失敗したと考え、その方向で問題を解決しようとしている。それでは後々、消えたはずの魔術式に悩まされることになりますよ」

「どういうことだね。我々は過去再現までして、魔術式が消えた瞬間を何度もこの目で確認している。魔術式は自ら消えてしまった。研究は失敗だ」

「いいかい、術式を作った本人の言葉を覚えているかな。彼は彼の作った魔術式について、『生き物のように生きているとは言わない』と言ったのだよ。君が何度か過去再現したとき、彼は何度もこの言葉を言っていた。覚えていますか」

「そうだったか?」と首を傾げたデューに、「えぇ、確かに言っていました」とルーネベリが頷いた。シュミレットは言った。

「彼の言葉は君たち学者にとっては比喩にしか聞こえなかったかもしれない。だけどね、僕ら魔術師からすると、おかしな話なのだよ。彼はなぜそんな複雑な言葉を言ったのだろう。生きてはいないが、意志のある魔術式。魔術式はあくまで生あるものでも意志を持つものでもないけれど、ただ例えるだけならば、生きていると言ったほうが宣伝としては効果的だったはずだ。でも、彼は『意志』を持つ魔術式にこだわっていた。そうだろう、笑ってばかりいるダネリス・バルローくん」

 傍でじっと話を聞き入っていたダネリス・バルローは、急に話を振られてさらに大袈裟に笑った。

「なんだよ、なんだよ。俺に意見を求めているのか」

「えぇ、魔術師の君に聞いています。君は彼の言葉についてどう思ったかな?」

 バルローは腕を組んで、嬉しそうに右の口角をぐいっとあげた。どうやら答えるつもりらしい。

「意志を持つ魔術式か。そうだな、面白い話だとは思うけどな」

 デューは眉を寄せてバルローに言った。

「面白い?あれほどまでに騒ぎになったのに面白いとは!」

「まぁ、まぁ。その賢者のご友人とやらさんは、俺におかしいと言わせたいんだよ。術式っていうのはあくまでも使い捨てるもんだからな。命ある術式なんてこの世にあるわけがない。術式は使えば用がなくなって消えてしまうもんだ。そういうものなんだ」

「それじゃ、なんだね。君はオーギュレイ氏の魔術式は用がなくなったから、講演のさなかに消えたのだといいたいのかね」

 デューに対して、バルローは「違う、違う」と言った。

「大事なのはそんなことじゃない。オーギュレイの作った魔術式は普通の魔術式じゃないってこった」

「普通じゃない?そんなことはわかっている。もっとわかりやすく説明してくれたまえ」

「まぁ落ち着きなよ、第二室の室長さん。昨日、オーギュレイは魔術式が半永久的に消えないって言っていただろ。なのに、消えた。研究は失敗した。残念だったといえば、それだけで済む話だった。でも、皆が言っていただろう、オーギュレイがそんな失敗するだろうかって。それで俺は思ったんだ。オーギュレイは、はじめから術式が講演中に消えることを知っていたんじゃないかって――。

 特別な講演会で、特別な魔術式を披露して、皆の前で綺麗に消えた。過去再現して、消えない魔術式が消える瞬間を見て、ほとんどの人は室長さんみたいにオーギュレイの研究は失敗だと信じた。誰も気絶した哀れな老人を疑わない。どうみても完璧な仕事だろ」

 バルローの話を聞いて、クーがはっとして言った。

「研究は失敗したと思わせたかった?ベッケル・オーギュレイの取った行動はすべて自作自演だったということなのか」

「まさか、なんてことを言う!」デューは叫んだ。「オーギュレイ氏がなんのためにそんなことをする必要がある。名誉ある講演会を潰してまで……」

 ため息をついて、シュミレットが横から言った。

「そう、なぜ魔術式を紛失したと思わせたかったのだろうね。彼の言った『意志』が要だね。これから僕らはひどく絡まった糸を一つずつ解いていかなければならないでしょう」

「絡まった糸?」と、デュー。シュミレットは言った。

「彼、ルウエル・バリオーズくんのレンズの一件は、少なからずオーギュレイの魔術式とかかわりがあると僕は見ています。その事について調べるためにも、まず、その壊れた過去再現の機械を直してもらいたい」

 機械を見つめたシュミレットに、クーもデューも明らかに迷惑そうな顔をした。

「ベッケル・オーギュレイという学者は昨日、気絶までして口を噤んだんだ。本人を問いつめても、素知らぬ振りをすることだろうね。それならば、いっそのこと過去を見た方がはやい。修理費については、このルーネベリくんが支払うと言っていますからね。心配はいりません」

「えっ、ちょっと先生」ルーネベリはぎょっとした。「俺、そんなお金は……」

 クーは厳しい目つきでシュミレットを見据えた。

「いいや!そこまで仰るならば、我ら第一室が修理費を全額出そう。但し、修理費を出す代わりに、第一室の監査の代わりに君たちにこの件を調べてもらう。この一件が解決するまでは第三世界にはけして帰さない。そのつもりで」 

「望むところです」

 シュミレットは断ることなく、きっぱりと引き受けた。バルローはそんなシュミレットを見て、笑みを浮かべながら歩いてきて、シュミレットの小さな肩に腕をまわした。

「仕方ない、俺も協力してやるよ。賢者のご友人さんよ」









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