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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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九章



 第九章 新たな一派





 過去の記憶がふっとステージの上から消え去った。ユサ・ヤウェイが過去再現をとめたのだ。機械を停止させ、ヤウェイはデューの方を見た。デューは難しい顔をして腕を組んでいた。

 デューの隣にいたバリオーズは言った。

「術式が消えたというのは本当だったんですね。でも、あれではまるで……」

「魔術式が自らの意志で消えたとでも言うのかね?もう一度、お願いしたい」

 そう言われ、ヤウェイは先ほど過去再現したのとまったく同じ場面を繰り返した。――過去の中ではオーギュレイ氏が笑い、過去の記者が賛辞の言葉を送り。観客たちはオーギュレイ氏に拍手した。そして、オーギュレイ氏の魔術式は必ず観客の拍手の中、くるりと一回転して消える。三度同じ過去が再現され、すべての人々が過去に起こった真実を目の当たりにした。

 デューは頭を抱え、首を横に振った。

「あぁ、頭がおかしくなりそうだ」

 オーギュレイ氏は過去再現の中で確かに「術式は自らが望むまで消えることはない」と言っていたが。まさか、その通りのことが現実に起るなど誰が夢にも思うだろう。消えない魔術式は自ら望んで消えたのだ。時も選ばす、講演のさなかに講演の目玉が勝手に消えったのだ!おまけに気紛れな魔術式をつくった本人は驚きのあまり気絶してしまい、なぜ今消えたのかも聞ける状況ではない。あぁ、大騒ぎして、なんと間抜けなことだろうか。

 バリオーズはデューの代わりに言った。

「私には何度見ても術式が自ら消えたように見えましたが、皆さんにはそうは見えませんか」

 皆が困ったように唸った。バリオーズが言った通り、魔術式は自ら一回転して消えたのだ。てっきり盗まれたのかと思い、キートリーやダネリス・バルローという男を疑っていたが、これでは老学者たちの面目もたたなかった。意志をもった術式は自ら消えたのだ。皆が目にした手前、これ以上の決定的な証拠はなかった。

 過去再現を同じくして見ていたバルローは座ったまま言った。

「キートリーの無罪は確定だな。魔術式は勝手に消えたんだ。もう俺たちを調べる理由もないだろう」

 バルローはキートリーの肩に腕をまわした。

「よかったな、キートリー。容疑が晴れて」

 老学者たちは気まずそうに俯いていた。謝罪しようにもプライドが許さないのか、小さな声で「あいつだと思ったんだが」とぶつぶつ呟いていた。デューは疲れたように髪を掻きあげ、キートリーとバルローの元まで行くと深く頭をさげた。

「私ははじめから君たちを疑ってはいなかったが。この場の責任者として学者たちの非礼をお詫びする。なにもしていないキートリー君を巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」

 立ちあがったキートリーは「あぁ、やめてください」と頭をさげたデューの腕を掴んだ。

「僕が悪い事していなければ、疑われることもなかったんです。室長のあなたに謝られたら、僕はどうしたらいいのか」

「そうだ、室長さん。室長さんが謝らなくたっていいんだ。今回のことはちょっとした事故だと思うさ。そもそもの災難は魔術式を作った本人だろう。卒倒しちまって、あまり落ち込まないといいんだがな」

「その通りだ。誰も魔術式が自ら消えたとは思っていなかった。これは我々の問題ではなくなった。オーギュレイ氏に問わなければならないことが山ほどある。監査のヴィク・シャッドを呼ばなければ」やれやれと首を横に振ったデューはヤウェイにもう必要ないので機械を片付けるように言った。

「君にもなんとお礼を言えばいいのか。こんなことが起こるとは、実に残念だ」

「いいえ、お役にたてて光栄です。機械はすぐに片付けます。えぇ、すぐにでも」

 ヤウェイは機械に触れて、頷いた。機械を運んだ若い学者たちが忙しく戻ってきて、機械の底に手を掛けて持ちあげ、ステージ脇へ移動させようとしていた。デューはステージ上に座っていた観客に向かって言った。

「皆さま、大変なご迷惑をおかけしました。オーギュレイ氏の魔術式は過去再現をご覧になったとおり、自ら消えてしまったようです。長らくこの場にとどまって頂いた皆さまになんと……」

 丁寧にお詫びの言葉を告げるデューにたいして、先ほどまで黙り込んでいた観客たちの反応はひどいものだった。鬱憤を晴らすように、立ちあがったある観客は言った。

「まったく、こんな散々な扱いを受けるとは!我々は楽しみに公演を聞きに来たというのに。長い時間、講演会場に閉じ込められた挙句、魔術式は自ら消えただって。我々が受けたこの身体的苦痛をどう贖ってくれるんだ」

「そうよ、これであっさりと帰れとは言わないわよね。こんなに長い間待たされたんだもの。十分に補償してくれるわよね」

「あぁ、皆さま。その件に関しては……」

「どう補償してくれるんだ!」

 ぞろぞろと立ちあがり怒り狂った観客たちはデューに迫り。胸倉を引っ掴んで精神的苦痛を贖うために宿代を無料にしろなど無理難題をふっかけはじめた。デューは違う形で補償するとうまく説明しようとするが、次々と観客たちは都合のいい話をするばかりで、デューの話をなかなか聞こうとしなかった。

 混乱したステージ上で、デューの元へ詰め寄せる観客たちの激しい波がユサ・ヤウェイの機械を運んでいた若い学者たちにぶつかった。背中や腕をどんどんぶつけられ、足元までひっかけた一人の若い学者が機械から手をつるりと離してしまった。機械は全身を傾けて、凄まじい音を立てて床に落ちた。なんとか若い学者が腕を伸ばし機械が転倒するのを防いだが、強い衝撃を受けたせいか、機械についていたすべてのダイヤルが勝手に動き出した。ケーブルは繋がったままだった。ユサ・ヤウェイは血相変えて観客たちを押しのけ、機械の元へ走った。

「落としたんだな。落としたんだ!」

 ぺたぺたと機械に触れ、勝手に動きつづけるダイヤルを見て、ヤウェイは手で押さえてとめようとしたが、ダイヤルはとまらなかった。気づいた頃にはガラスの筒の中に二つの時術式と光の柱ができあがっていた。

 ヤウェイはダイヤルを掴んだまま「デュー!大変だ、機械が壊れた。ダイヤルがとまらない」と叫んだが、観客の怒りの声に掻き消された。ガラス筒の中の時術式はどんどん大きくなり、やがて筒から飛び出て、ガラス箱の方へと移動しはじめた。ヤウェイは「デュー」と大きな声で叫んだ。

 光る時術式が目の前を横切って、悲鳴をあげた観客たちははじめてヤウェイの機械の方へ振りかえった。

「我々に何をするつもりだ!まさか、都合の悪い事が起きたからと我々の記憶を消すつもりなのか」

「そんな事はいたしません。なにかまた事故が起こったんだ。大事になる前に皆さま、とにかく早く観客席へおりてください」

 なにか言いかけた観客に向かって、「早く」とデューは叫んだ。観客たちは顔を歪ませ、一目散にステージから観客席に走って逃げていった。我先にと人が押しのけあうために、かえって人の流れは鈍く遅かった。内側へ向かっていた大勢の人の流れが外側へと変わり、その中で揉みくしゃにされていたシュミレットとルーネベリもまた人ごみに押され観客席におりざるをえなかった。

 ヤウェイの機械からでてきた時術式がガラス箱の元に到達すると、時術式の光の柱はじわじわと明るく光って消えた。すると、ぐっとステージに暗闇が広がった。再現された過去はどうも夜のようだった。

暗いステージの床に小さく丸い灯りが一つ照らされ、灯りは右へいったり左へいったりしていた。灯りが前へ進むたびに足音が聞こえた。何者かがステージの上で床を照らして歩きまわっているようだが、一体何をしているのか――。だんだん目が慣れてきて、灯りの元を辿っていくと、うっすらと暗闇に顔のシルエットが浮かんでいた。幾つものレンズが光を柔く反射し、白い服が動くたびに暗闇に現れた……。


 過去の夜がまたふっと消え去った。機械のケーブルをヤウェイが無理やり引っこ抜いた瞬間だった。機械は無理やりとめさせられた影響か、燻るような音をだした。しかし、全員の目は機械ではなく、バリオーズに向けられていた。暗闇を歩きまわるあの過去の中のシルエットはバリオーズの容姿とまったくそっくりだったのだ。観客席に程近いところに立っていたバリオーズは人々に見つめられ、目を泳がせていた。近くにいた学者が言った。

「あれは君だね?」

「……はい」

「君は昨晩、ここに来たのかね」

「はい、来ました」

「一体、ここで何をしていたんだ?」

「いやぁ、誤解していただきたくない。私は落し物をしてここに探しにきただけでして」

「落し物?」

「えぇ、この会場で見たと教えてくれた方がいまして。私は探しにここに来ただけなんです」

「君の言っている落し物はなんだね。本当にそんなものがあるのか」

「もしかして、私を疑っているのですか?」

 バリオーズは「そんな馬鹿な」という顔で笑った。

「皆さんもご覧になったとおり、魔術式が消えたことと私が昨晩ここに来たことは無関係です。魔術式は勝手に消えたんです。昨晩、私はただ探し物をしていただけです。どうしてそんな考えになるのか、私にはわかりません」

「君にとってはそうかもしれないが、誰がどう見ても君の行動は不審にしか見えない。落し物というのは何なのか教えてもらえるか」

「私はこの眼鏡についていたレンズを探していたんです」

 バリオーズは幾つもレンズの付いた眼鏡のフレームに触れ、重なっていた枠のひとつを引っ張った。引っ張った枠にはレンズがついておらず、ひどく頼りない線のようだった。バリオーズは言った。

「いつの間にか落としてしまったんです。特別なレンズなのでどうしても見つけたくて」

「昨晩、レンズは見つかったのかね?」

「いいえ、見つかりませんでした。どこを探しても……」

学者は周囲を見て、言った。

「そういえば、君は魔術式が消えてから公演会場にやってきた。君はここに来るまで何をしていたんだ?」

「その言い方はあんまりではないですか。まるで魔術式が消えたのは私のせいだとでも言っているかのように聞こえます。私が遅れてきたことと魔術式が消えたことはまったくの無関係ではないですか。だいたい、私はこの公演会場に来るまで魔術式が消えた事すら知らなかったのですよ」

「知らなかったという証拠はあるのかね?」

「なんでそうやってすぐに疑うんだ!」

 ダネリス・バルローは怒って叫んだ。

「レンズを失くして探していただけだって言っていただろう。昨晩ここにいただけで、どうして勝手に消えた魔術式を盗んだことになっているんだ」

「彼が盗んだなどといっていない。ただ不審な行動が気にかかるといっているだけだ」

「その偏見の目はどうにかならないのか。俺は魔術師で新世界主義だが、なにもしちゃいない。あの人も学者さんたちと同じ学者らしいが、きっとなにもしちゃいない。何もしちゃいないのに、なにかっていちいち疑うのが学者なのか」

「新世界主義だって!」

「ダネリス!」

 キートリーが余計な事を言ったバルローの腕を掴んだ。学者たちは声を揃えて神経質に叫んだ。

「やっぱり魔術師なんぞ信じられん。お前たちはやっぱり裏切り者だ!」

「やめなさい。堂々巡りばかりしてなんになる」

「デュー、新世界主義ですぞ。あの悍ましい奴らが理の世界に!」

「だから、どうした!謹慎処分を受けたくなければ黙っていなさい」

 学者たちはぐっと唇を噛んで押し黙った。デューは大声で言った。

「明日から詳しい調査をはじめます。今日は皆さま、宿にお帰りください。明日の午後までは外の世界に帰る空間移動装置をとめさせていただきますが。詳しい説明は明日の朝、宿の方へお手紙をお送りいたします。ご迷惑おかけしますが、どうぞ出口のほうからお帰りください」 

「デュー、補償のほうはどうなるんだ」

 観客がしつこく言った。デューは言った。

「第一室の室長と相談したうえで、お手紙をお送りします。今日はお帰りください。さぁ」

 観客たちは「十分な誠意をお願いよ。じゃないと、いつまでも帰らないわ」と言って出口の方へ向かって行った。とても現金な人々だった。魔術式が消えた事件よりも補償のほうが大事なのだ。

 黙々と帰っていく観客たちを見ながら、デューは額に浮かんだ冷汗を拭った。そして、近くで俯いていたバリオーズの方を向いた。

「バリオーズくん、申し訳ないが。明日の朝、ここに来てくれないか。私は一切君を疑ってはいないのだが、君の話には少し気にかかることがある。明日、また話を聞かせてもらいたい」

「……あぁ、はい。わかりました」

 バリオーズは不安そうに凝り固まった自身の肩を揉み、一つだけレンズの抜けたプレームをそっと枠に戻した。

 大勢の人々の流れにそって講演会場を後にしたシュミレットとルーネベリはそのまま宿に帰ることにした。珍しくひとつの会話もないまま夕食を終えてもなお、ルーネベリとシュミレットはそれぞれ考えの中に身を置きつづけていた。

 





 その日の夜、黒いマントをはおったシュミレットは暗い講演会場のステージの上に立っていた。ルーネベリに「出かけてきます」とだけ言って、一人でやって来たのだ。

 ルーネベリから贈られた発光ブローチで辺りを照らし、シュミレットはステージに置いたままにされていたガラス筒の過去再現するための機械を見てから、魔術式が浮かんでいた空のガラス箱の方に近づいた。パッとステージ上が明るくなった。

「ようこそお越しくださいました」

 シュミレットが振り返ると、ステージ脇からすらりと長い脚の男が歩いてきた。黒い学者服を着て、細長い一重の目がシュミレットをじっと見ていた。薄い金髪を後ろに撫であげ、唯一、口元の皺が年を感じさせていた。

「来ると思っていたよ。君がクライト・ブリンだね」

 クライト・ブリンは会釈した。

「招待状を受け取ってくださったようで幸いです」

「残念だけどね、僕は君の招待状を受けて理の世界にやってきたわけではないのだよ」

「わかっています。ルーネベリ・L・パブロくんの同伴者としてお越しになったのですね」

「そうです。僕はただの同伴者で、大研究発表会を見にきた客さ」

「助手をよく気づかっていらっしゃる。恥を忍んで招待状を送ったことがようやく正しかったと思えることができました」

 シュミレットはブリンの言葉を催促するように、首を傾げた。

「助手は学者で魔術師のあなたとは相入れないという世間の偏見はご存知のとおりひどいものです。一個人ではなく、魔術師という括りでしか人を判断できない我々の視野の狭さは哀れとしか言いようがありません。その点、あなたはなんの差別も持たずに学者のパブロくんを傍に置いていらっしゃる。ハロッタ・トーレイを敬愛していた時代のように、学者と魔術師がなんのいさかいもなく手を取りあい協力し合う世の中がいずれくることを予期しているかのようです」

「その言葉に対して、僕は君にどう答えたらいいのかはわりません。彼とはうまくいっていると僕も少しは思うけれど、他の学者ともうまくいくとはかぎらない。ただ何事も尊重してこそ真実により近づける。そういった意味では僕も彼もそれぞれ大事な役割を果たしているのではないかな」

 ブリンは納得したように頷いた。どうやら、欲しい言葉を得たようだった。一歩、シュミレットは空のガラス箱に近づいた。

「ところで、このケースにあった魔術式……」

「オーギュレイ氏の魔術式のことですか?先ほどデューからお話は伺いました。魔術式が消えたとか」

「その魔術式とやらは見つかりそうかな」

「見つかる?どうやら賢者様は私たちの考えていることとはまた違うことをお考えのようですね。一度完全に消えたものがまた現れるとでも仰るのですか」

 シュミレットは首を横に振って言った。

「あの時、ステージの上でちらっとだけ僕は魔術式を見たんだ。一目見てわかったよ。あの魔術式は魔力の伴った完璧な術式だった。そんな完璧な術式が自らの意志で消えたのだよ。消えない魔術式が、自らの意志で消えた。本当に理由もなく消えたのかな」

 ブリンは少し考えてから言った。

「魔術式が消えたのには理由があると?」

「明日、また会おう。君の話はこの件が終わってからゆっくりと聞くことにします」









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