八章
第八章 謂れない疑い
「キートリーがここにいるのか!」
激しい怒りの含んだ声があっちらこちらから聞こえてきた
「奴がこの場にいるなんて……。だから、不吉なことが起こったのか」
立ちあがった老学者たちが、キートリーという男のいる場所へ歩いて行った。「やいやい、やめなさい」というデューの声も学者たちは聞こえていなかった。
「キートリー?どこかで聞いたことがありますね」と、シュミレットの隣でルーネベリが言った。シュミレットは言った。
「裏切り者というのは、どういうことかな」
観客たちは何事かと傍観していた。学者たちは座っていたキートリーという男の首元を掴み、半ば皆の前に曝すように立たせた。
キートリーは大きな前歯を一本だけもった、やせ細った中年男だった。乾燥しきった中途半端に長い黒髪や顔に影がかかるほど分厚いレンズのついた眼鏡が、男の印象をひどく暗くしていた。皆の目にさらされて、キートリーのおどおどした様子がかえって怪しく見えていた。
老学者はキートリーを指さして言った。
「あぁ、そうか。お前だな、オーギュレイ氏の魔術式を盗んだのは!」
「ぬ、盗むなんて。僕はなにもしちゃいない」
「よせよせ、人の研究結果を盗むのはお前の十八番だ。ここにいるほとんどの学者が知っている。お前は我々の研究を無断で商人に売ったんだ。お前のせいで何人の学者の未来が失われたと思っている」
「そのことについてはお詫びのしようもない。僕はあまりにも若く、愚かだった。被害にあった学者たちには、僕なりに罪滅ぼしをしていくつもりだ。彼らが許してくれるとは思っちゃいないが……。過去をなきものになどできやしないが、これだけは言える。僕はもう盗みはしていない。時の牢獄に入って改心したんだ」
「改心しただって?」
学者たちは鼻で笑った。
「一度悪事に手を染めた奴が改心などするもんか」
「さぁ、オーギュレイ氏の魔術式をどこにやったんだ。許してやるつもりなど微塵もないが、まずは魔術式を返してもらおうか」
「本当に僕は盗んでなどいない」
「お前の他に誰が盗むという。
「そこまで疑うなら、鞄の中や僕の身体を探してみればいい。どこにも魔術式なんて持っちゃいない」
老学者たちは顔を見合わせて、キートリーの服装を見た。キートリーは灰色のボルディと下に白いシャツを着ていて、ポケットはズボンにある二つしかなかった。唯一の持ち物である黒い鞄は、学者たちに無理やり立たされた時に足元に転がり落ちていた。
銅色の金具のついた鞄を拾いあげた学者は鞄をあけてひっくり返した。ぱらぱらとノートが落ち、ペンが三本床に落ちていった。それを合図とでもいうかのように、学者たちはパンパンッとキートリーの身体中を叩き、術式を隠しもっていないかとポケットを外にまで引っ張りだしてみたが、でてきたのは紙くずと白い星形の蛍光ブローチだけだった。
キートリーは「ほら、僕じゃないだろう」と言いたげな顔で学者たちを見ていた。老学者たちは慌ててコソコソ話しだした。
「……おかしいな。犯人はてっきりキートリーだと思ったんだが」
「改心したのは本当のようだな。過去のことはともかく、ノートとペンしか持たない男を最初から疑ってかかった私たちが悪かったのかもしれない」
「そんなことはない!あのキートリーだぞ。もっと詳しく調べなければ私は少しも信用できない」
「確かに、持ち物を見ただけでは信用できないな。魔術式が出てくるまで、どこかに閉じ込めておこう。そうすれば少しは安心だ」
たった今、人々の目の前で無実を証明したにもかかわらず、腹の虫が納まらない学者たちはキートリーを拘束することにした。あまりにも理不尽なやりとりを聞いてキートリーは必死に「僕じゃない」と無罪を訴えかけたが、誰も聞き耳も持たず。強い力で両腕を掴まれた挙句、床に落ちたノートや鞄までを無残に踏みつけられた。
その様子を床からじっと見ていた一人の男がすっと立ちあがった。
「黙って聞いてりゃ、酷い奴らだな。どこまでもキートリーを疑うつもりなら、俺も一緒に疑え。俺はキートリーの連れだ」
老学者たちは男を振り返って立ちあがった男を見た。
男は濃い青紫色の目を持ち、茶色く中途半端に長い髪をボサボサにさせた変わり者だった。年の頃は三十代手前だろうか。あちこち裾の破れた黒く長いローブを気怠そうに着て、片方の薄いサンダルを履いた足が丸々見えだった。
「君がキートリーと……?」
貧相な身なりを下から上までじろじろと見られさぞ居心地が悪かったのか、男は「そんな目でみるな」と言った。
「この服は五百年も前の中古なんだ。ボロボロの服に見えるかもしれないが、この服は歴史的価値があるんだぞ。俺はこの服を死ぬまで着るつもりだ。誰にも売るつもりなんかないぞ」
まるでお門違いな事を言いだした男を不思議そうに見ながら老学者は言った。
「君は魔術師なのか?」
「あぁ、俺は魔術師。ダネリス・バルローだ。よろしく!」
バルローはにっこりと笑い、近くにいた学者の手を掴んでぶんぶんと振りまわした。老学者は嫌な顔をして、バルローの手を叩いてやめさせた。それでも、バルローは笑ったまま言った。
「キートリーとはここ十年ほどの付き合いだ。あいつは賢いのにちょっとだけ抜けているからいろんな奴に騙されるほどお人好しなんだ。じいさんたちのいう裏切りも、きっと誰かに騙されてやったことなんだと思う。根は悪い奴じゃない」
「じいさんだって?年をいくらとったとしても、私たちは学者だ。君のような人にじいさん呼ばわりされる筋合いなどない」
「そうか、なら、悪かった。なぁ、そんなことより学者さんたちよ、キートリーを連れていくなら俺も連れてってくれ。きっと、あいつの無罪を俺が証明してやるから。あいつはなにがなんでもやっていないんだ。前科があるからって根拠もなく何もしてない奴を強引に疑うのはそれこそ罪深いんじゃないか。頭が賢くて真っ当に生きてきたとしてもすべての行いが許されるわけじゃないだろう」
拘束されていたキートリーは目を潤ませ、「ダネリス」と呟いた。誰ひとりキートリーを信じようともしなかったというのに、キートリーの過去の悪事を聞いても十年来の友ダネリス・バルローだけはキートリーを助けようとしてくれているのだ。キートリーは嬉しさのあまり泣き出しそうになるのを堪え、無闇に抵抗することはやめた。
バルローの話を聞いて学者たちは少し気が咎めたのか、こんなことを言った。
「君の言うとおりかもしれん。少々、強引だったかもしれない。だが、わかってほしい。過去に我々が感じた不安や失望はなかなか拭い去ることなどできないのだ。そんなことが簡単にできるのなら、我々は端からキートリーを疑ったりはしない」
「わかった。じゃあ、俺も一緒に連れて行ってくれ。学者さんたちが納得するまで、なんでも話をしてやるから」
学者は頷いた。
「君の望むとおり、キートリー含め君についても調べさせてもらおう。そうして、もしもキートリーに非がなければ、我々はキートリーと君にたいして心から謝罪させてもらう。もちろん、君に対しても、それなりに詫びさせてもらう」
「やめなさい」
話をしばらく聞いていたデューは呆れかえり、学者たちとキートリーの元にやってきて言った。
「君たちはなにを非常識な事を言っているんだ。今、時間学者のユサ・ヤウェイ君が過去再生できる装置を取りにいってくれているところだ。まだ誰を疑うべきかを議論する時ではない」
「しかし、デュー」
「聞きなさい。この講演会を取りきっているのは第二室の室長であるこの私だ。私は過去の件について今問うことなどはしない。優先すべきことはオーギュレイ氏の魔術式がいかにして消えてしまったのかを追究することだ。君たちにも多くの意見があるだろうが、キートリー君を解放して私の指示に従ってほしい」
老学者たちはがっかりとため息をついた。デューの邪魔が入らなければ、キートリーとダネリス・バルローという二人の疑うべき男を思う存分調べることができたのだ。やるせない気持ちでキートリーを床に放り投げた。転ぶように床に倒れ込んだキートリーは周囲を不安そうに見上げ、強く掴まれた腕をさすった。
デューはダネリス・バルローに言った。
「君も容易に疑えなどと言うものではない。周囲に変な誤解を与えてしまうだろう」
「他になんて言えばいいのかわからなかったんだ。まぁ、第二室の室長さんがとめてくれたからよかったじゃないか。しばらくは学者さんが帰ってくるのを待つつもりなんだろう。それまではせいぜい首が繋がったと思っておくさ」
デューは能天気なバルローの返事にまで呆れかえっていた。疑われて迷惑しているどころか、それが当たり前だとでもいっているかのようなのだ。バルローは涼しげにデューに笑いかけると、座り込んだキートリーの元へ行って、踏みつけられ折れたノートとペンを拾ってやった。
ステージ上には一千数万もの人々が座り込んでいたが、誰も彼も口もきかず。ただ時間ばかりが過ぎていった。観客席におりたデューは腕を組み、客席で未だ気絶したまま横たわるオーギュレイ氏を見ては、入口の方を何度も見ていた。治癒者の到着も遅く、苛立ちが隠せないのかデューは秒を刻むように指先を動かしていた。
刻々と過ぎてゆく時が無限のように感じられ、観客たちは疲れを感じはじめていた頃、しんとした公演会場入り口からこちらへ歩いてくる足音が聞こえてきた。やっと時間学者ユサ・ヤウェイが帰って来たのかと思うと、入口から入って来たのはレンズの連なった眼鏡をかけた神秘学者ルウエル・バリオーズだった。
「もし、何事か起きたのですか?」
バリオーズはステージ上に集まり座っていた大勢の人々を見て、きょろきょろしていた。ステージ上から遠くにバリオーズを見たルーネベリが片手を立ちあがろうとしたところ、シュミレットが「もうしばらく様子をみよう」と言った。理由も聞かず、「えぇ」と頷いたルーネベリは床に座りなおした。
客席にいたデューは雛壇の階段を駆けあがり、やってきたバリオーズに言った。
「バリオーズくん、どうしたんだ?」
「デュー、ちょっと私用で公演に遅れてしまったんですが。外は賑わっているのに会場に来てみたらあまりにも静かだったので、何事か起ったのかと……」
「そうだとも、最悪な事態が起ってしまったんだ。だが、幸いだ。外が賑わっているようなら、こちらの状況は外には少しも漏れていないようだ」
肩をすくませたデューにバリオーズは言った。
「最悪な状況とは?」
「ステージの方へ向かいながら話そう」
デューはバリオーズの背を押して階段の方へ誘導し、小声で言った。「君にも協力してもらわなければならないだろから話すが。オーギュレイ氏の魔術式が公演中に消えてしまったんだ。今から過去再現をしようと考えているところなんだが……」
「デュー、お待たせしました!」
バリオーズとデューが振り返ると、汗びっしょりのユサ・ヤウェイが会場入り口から走ってきた。手には太く巻いた管を三本も持っていた。デューは顔を綻ばして言った。
「あぁ、とても待ち焦がれていたよ」
息を荒くしながらヤウェイは膝に手をついて言った。
「今、入り口のすぐそばまで運んでもらっているところです。専用ケーブルがなかなか見つからなくて遅くなりました」
「ヤウェイ君、そんなことはどうでもいいんだ。早くステージに行って設置準備を。その辺にいる若い連中は自由に使ってもらってもかまわない。一刻も早く過去再現してもらいたい」
「はい、さっそく」
ヤウェイは汗を学者服で拭うと、デューとバリオーズの脇を通りすぎて階段を駆けおりていった。一分ほどしてからせっせと大きな機械を五人がかりで運ぶ若い学者たちが公演会場入り口までやってきた。彼らが運ぶ機械の上部はガラスの筒で覆われ空っぽだったが、下部の灰色の部分からは無数の管がとびでて筒の中へと伸びていた。管の他にはでたらめな数字のついたカラフルなダイヤルがいたるところにつけられ、実に奇怪な機械だった。ステージに辿り着いたヤウェイは大声で機械を運ぶ彼らに言った。
「君たち、頼むから落とさないでくれよ」
見たところ機械は大きいというだけでそれほど重そうには見えないのだが、中身は相当重いものが詰まっているようで、運んでいた学者たちはしきりにふぅふぅと荒く息を吐いていた。デューとバリオーズは客席の方へ移り、機械を運ぶ若い学者たちを通してやった。若い学者たちは腕をパンパンにさせながら、ステージへと機械を運んだ。
状況をまだ把握できていないバリオーズはデューに言った。
「なにやらお忙しいようで、私は何をすればよろしいのか……」
「バリオーズ君、まずはステージへ。君にも過去再現を見てもらいたい」
再び階段をおりようとしたデューとバリオーズはまたもや「お待たせしました」という声に引きとめられた。振り返ると会場入口に若い学者が一人立っており、後ろに水色の無地のワンピースを来た男の治癒者を連れていた。
デューは早口で言った。
「わざわざどうも。早くオーギュレイ氏のもとへ」
軽く治癒者に挨拶を交わすと、治癒者と若い学者は階段を駆けおりて観客席に横たわるオーギュレイ氏の元へ走っていった。
過去再現するための機械は到着し、オーギュレイ氏の状態を看てもらう治癒者も到着した。これで安心といわんばかりにデューはバリオーズを連れてステージへ歩いて行った。すべてはデューの指示したとおり、万時順調に進んでいた。あとは過去再現するのみだった。
ステージ脇ではユサ・ヤウェイがてきぱきと若い学者たちを動かし運んできた機械を設置すると、ケーブルを複雑に繋ぎ合わせていた。デューはステージ上に過去再現するために必要なスペースをあけるため、ステージの隅に座っていた観客の三分の一ほどを観客席に移動させ、ガラス箱が置かれた台車の周辺をあけさせた。
ヤウェイは機械のケーブルを繋ぎ終えると、若い学者五人がかりでまたステージ上へと機械を移動させた。準備は整ったようだった。ヤウェイは隣にバリオーズを連れてやってきたデューに言った。
「これでもういつでも起動できますが、数分ほど過去の記憶を機械に取り込まなければいけません」
「とにかく、やってくれ。こちらはいつはじまってもかまわない」
頷いたヤウェイは灰色の部分にあった一番大きな黒いダイヤルをまわした。すると、機械の上部のガラス筒に集束したように眩い光が生まれ、そこから時術式が一つ現れた。
一つの時術式からまた新たな時術式が生まれて上へと浮きあがり、二つの術式を結ぶ光の柱ができあがった。
ヤウェイは右隣の白いダイヤルをまわし、時術式をさらに大きなものへと変化させ。筒からガラス箱の方へ移動させるために黄色と緑の二つの小さなダイヤルを慎重にまわした。ふわふわと時術式は空中を移動し、ガラス箱と台車のある場所へとたどり着いた。ちょうど光の柱の中にガラス箱がおかれているようだった。ヤウェイは最後に下の方につけられた青のダイヤルをまわしきると、三段ほど戻してデューの方を向いた。
「過去再現はじめます」
デューは深く頷いた。
時術式が一段と明るく光った。光の柱から発せられた柔らかな明りが過去この場で起った出来事を呼び起すかのように空間を歪ませた。光の柱は徐々に薄くなり、その場には気絶しているはずのオーギュレイ氏が杖をついたままの姿で現れた。ステージの上で小さなざわめきが起こった。
過去のオーギュレイ氏はこの後起る出来事などつい知らず、笑っていた。
「いや、まったく。生物のように『生きている』とは言いませんが……」
過去の記者に向かって話をしているオーギュレイ氏の背後に置かれたガラス箱には、この時までは確かに魔術式が浮かんでいた。ガラス箱の周囲には若い学者が四人立っていたが、彼らはオーギュレイ氏の後ろ姿を尊敬の眼差しで見つめながら話に聞き入っており、誰も魔術式の方など見てはいなかった。他にガラス箱に近づく不審な者もおらず、観客や記者、学者たち誰もがオーギュレイ氏の話を聞き、次に息を飲んだ記者を見ていた。
「そんなものは聞いたことがない……」
過去の記者がオーギュレイ氏と魔術式に対する賛辞の言葉を連ねた後、ステージ上に拍手が巻き起こった。「ありがとうごます」と言ったオーギュレイ氏。拍手のつづくなか、過去再現を見ている皆が身を乗り出した。拍手の音に刺激されたかのようにガラス箱の中で魔術式が微動さに揺れ、くるりと一回転して突如消えたのだ。空っぽになったガラス箱を目にして、「あぁ、そんな!」という過去の誰かの声が聞こえた。