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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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二章



 第ニ章 懐かしの理の世界





 理の世界の白い四角形のレンガが敷き詰められた大通りを進むと、左手に多くの窓を持つ大きな研究ドーム群が見えてくる。第一室「クー」だ。大通りから伸びた道が二本西に伸び、六つの研究ドームと道で繋がっていた。通りの右手にはきっちんと長方形に並べられた住宅区が広がっていた。この住宅区をさらに東へ向かうと、十七歳までの少年少女たちが学ぶ学舎があり、そのさらに奥、森林の中にチャーグ・キーデレイカと呼ばれる泉があった。理の世界では最も重要な場所だった。

 大通りに戻り、ひたすらまっすぐに進みつづけると、道はやがて三つに別れる。左の道を行くと、第七理数科世界大学の敷地に行き着き。右の道に行くと、横並びに建つ研究ドーム群、第二室「デュー」に行き着く。そして、中央の道を進むと、大研究発表のためにつくられた巨大円形ドームに辿り着く。

 広大な敷地に建てられた研究ドーム群よりも遥かに大きく巨大な円形ドームの白い壁には窓ひとつなく、入口だけが三十二か所もあり、どこから入ってもいいようにと扉は開け放れていた。

 会場入り口の参加者名簿に二人分の署名を書き終えて、ドームの中に一歩入ると、一面の人だかりと研究結果を発表する学者たちの声が聞こえてきた。そして、学者たちの声に混ざり心地のよい音楽が会場全体に響いていた。まるで不協和音ではない、その優しい音色は会場の中央にかわったオブジェから聞こえていた。

 大きなオブジェだ。星型の奇抜な形をした歯車が無色透明の水槽のなかで回転し、水上の細長い円柱のフラスコにセルリアンブルーの水が汲みあげられる。フラスコ内の水が満タンになると、フラスコ上部についた管とつながった隣のフラスコに水が勝手に移る仕組みだ。よくある構造だ。しかし、不思議なことに、セルリアンブルーだった水が隣のフラスコに移動すると、なぜか山吹色に変わるのだ。管一本、フラスコ一個。特に変わった様子はない。山吹色の水のはいったフラスコが満たされると、今度はそのまた隣にある空のフラスコに水が管を通って移される。山吹色の次はファイアレッドになった。その隣のフラスコの水はアイビーグリーンだ。

 四つのフラスコ内の水のせいか、それとも微妙な水量によるものなのだろうか。オブジェの後ろにある鉄製の一本パイプから様々な優しい音色が聞こえてくる。不思議な水が奏でる音楽だ。その音楽はなにも癒しのために流れているわけではない。集中力をもたらす絶妙の周波で会場に流れているのだ。

 音楽を奏でるオブジェの両隣には、木枠と白いプラスチックで作られた風車が微かに動いていた。左右の風車のプラスチックの羽には黒い文字で、今現在会場で行われている研究発表の命題と、開始と終了時刻が記されていた。風車は刻々とまわっているのはどうやら研究の発表時間に合わせているようだ。羽がひとまわりする頃には、これまた不思議なことにプラスチックに書かれていた文字が次の研究発表の命題に変化した。

 首を傾けて風車を見ていた若い学者たちは風車の命題が変わるなり、四方八方へ駆けていった。慌ただしく横切っていく若い学者たちを見て、年老いた学者たちは顔を顰めていた。




 誰よりも心ときめかせた賢者の助手ルーネベリ・L・パブロは、子供のように目を輝かせ、風車ではなく、多くのブースに目を向けていた。効率のよく研究発表を聞きたければ、来客用の風車に頼るのではなく自身の足で探すべきなのだ。その証拠に、風車前に集っているのはまだ学者になって間もない未熟な学者ばかりで、年配の学者たちはルーネベリと同じように会場を彷徨い歩きながら首をあちらこちらへ向けていた。

 時々、顔見知りの学者と通路でばったり出くわすと、学者たちは互いの知っている情報を交換し、何日目の誰々の研究発表が待ち遠しいなど発表そっちのけで立ち話に耽っていた。大研究発表会では特に珍しくもない光景だが、しばらく理の世界を留守にしていたルーネベリは彼らの話を聞き、後日のため興味のそそられる発表はないかと聞き耳を立てていた。

 黒いフードの下に茶色の鬘をかぶり、チョビ髭を付け。おまけに片眼鏡の上に青いガラス付きの眼鏡をかけて目を緑色にみせて。「レヨー・ギルバルド」に扮した賢者シュミレットは、ルーネベリの様子を見て密かにクスリと笑った。ルーネベリの手には茶色い革張りの手帳が握られており、何度も手帳を開いては手帳にはさんでおいたペンを走らせていた。普段は見かけないこの助手の動作を見ながら、シュミレットはちょうど目の前に設置されていたブースに目を向けた。

 ブースには遠くからでもはっきりと見えるほど巨大な立体映像が黒い幕を背に映っていた。鎖のように連なった映像がゆっくりと回転している。

 立体映像の真下で髪を後ろに束ねた、神経質そうな女性が立っていた。胸元に縦に二つ、横に細長い黒のボタン付きの白い上着とタイトな黒いスカートを着ていた。女性の学者だ。どうやら研究発表が今まさにはじまるようだった。ブースの周囲には女性と同じような白い上着をきた老若男女、年齢のさまざまな学者たちが集まり、数少ない椅子に座り、立ちながら発表がはじまるのを待っていた。

 シュミレットが天井からぶら下がった白い板を見ると、生物学者ソリンダ・プリメルという名前が記されていた。おそらく、女性学者の名前だろう。

 大勢の学者たちの前で深呼吸した学者は、声をはりあげて研究のテーマを話し終えると、遺伝子学の基本的な説明をしはじめた。

「十三世界に住む我々の持つ基本的な遺伝子はグラア遺伝子といいます。グラア遺伝子は骨や臓器、筋肉や皮膚といった全身をつくる設計図をもち。非常に環境の変化に従順な遺伝子でもあります。我々が各世界に移動をしても、気候や重力などのあらゆる環境の変化によって体調を崩さないのはこのグラア遺伝子が環境に合った身体構造を短期間で再構築しているからなのです。目には見えないところで、我々のグラア遺伝子は頑張ってくれているのです」

 映像が変わった。鎖状の映像が五つと、鎖の中心に走る一本の棒が写った映像だった。

「こちらは我々の遺伝子を六つに種類分けしたものです。十三世界の人々は六つの遺伝子のいずれかに属しており、この遺伝子のいずれかに属されていない方は翼人か、あるいは闇の外からやってきた方でしょう。ご自身は怪しいと思われる方は、ぜひ検査をおすすめします」

 小さな笑いが起こった。プリメルは微笑んだ。

「六つにわけられた遺伝子にはさらに陰『-』と陽『+』とにわけることができ、正確には十の遺伝子が十三世界に存在しています。このように多種多様の遺伝子が存在していることは我々の先祖が別々の球体で独自に生まれたということを証明してくれているのです。我々の先祖は性格的、行動的特徴から一文字で表される部族として太古の時代を生きていました。その血脈はかわることなく現代まで受け継がれているのです。

 今日は遺伝子の話ということで、六つに分けられた遺伝子を簡単にご説明させていただきたいと思います。

 十三世界でもっとも一般的な遺伝子はグラアーニアスと呼ばれ、遺伝子を包み、影響を受けやすい物質ニアスが遺伝子に組み込まれたものです。この遺伝子を持つのは第三世界の統族、第八世界の遊族、第十世界の巧族です。陰陽にわけると統族は+、遊族は-、巧族は++です。

 次に多い遺伝子はグラア陰とグラア陽です。

 第七世界の真族、第九世界の富族が持つ遺伝子はグラア陰と呼ばれ、真族が-+、富族は--となります。グラア陽を持つのは第四世界の心族、第五世界の秘族です。心族は+-、秘族は++です。グラア陰と陽は非常に似ており、稀に間違われることもあります。

 珍しい遺伝子といえば、グラアープロト、グラアーニティ、グラアータウリでしょう。グラアープロトはプロトという物質が遺伝子に組み込まれたもので、主に第六世界の剛族が持つ遺伝子です。鎖状の遺伝子の中心に線をもつのはグラアーニティという遺伝子です。このニティという物質は影響を受けにくく、プロト遺伝子とよく似た形状をしたものです。この遺伝子は主に第十一世界の時族が持つものです。それから最後に、グラアータウリという遺伝子はタウリという他の動物性遺伝子が組み込まれたもので、第十二、第十三、第十四、第十五世界の竜族の遺伝子です。

 十三世界の人々はこのグラア―ニアス、グラア陰とグラア陽。グラアープロト、グラアーニティ、グラア―タウリという六種の遺伝子を持ち、様々な能力を授かることで世界を大きく発展させてきたのです」

 学者は立体映像を鎖の中心に二つの棒状のものがついた映像に映し変えて言った。

「ご覧ください。これは翼人の遺伝子です。翼の人の遺伝子はプロトグラアと呼ばれ。白の翼人はプロトグラア--、黒の翼人はプロトグラア++といったように、十三世界の遺伝子と同じように陰性と陽性にわかれています。陰性と陽性には大きな違いはありませんが、二本あるプロト遺伝子にはグラア遺伝子の欠如を補う役割があります。翼人が灼力に対して耐性があるといわれてきたのは、このプロト遺伝子の働きがあったからだと考えられています」

 手を組んだ学者は一度口を閉じてから、ブース内にいる学者たちに目を配らせた。

「では、皆様。ここからは最新の研究結果の発表に移りたいと思います。

 先に述べた翼人の遺伝子は十三世界に残された羽から採取したものでした。遺伝子研究は千年前から行われたまだ新しい研究分野ですが、ある混色翼を持つ人物の協力により、我々は脅威的な速度でプロト遺伝子とプロトグラアの陰性・陽性について発見することができました。そして、その結果、新たな疑問も……。

 我々が注目したのは混色翼人の遺伝子構成でした。歴史のある古文書を紐解くと、翼人だけでなく混色翼人についての記録が少なからず残っています。記録では混色翼人は一般的な翼人に比べ体内に蓄積している冰力が格段に少なく、身体的特徴においても一般的な翼人と合致しないと書かれていました。プロトグラア遺伝子を持っているのにもかかわらず、このような違いが生まれるのはどういったわけなのか。我々研究チームは混色翼人の遺伝子配列に問題があるのではないかと考えました」

 話を聞きいていた学者たちが唸っていた。シュミレットの隣で別のブースを遠くに見ていたルーネベリが話を聞きだした。

 学者プリメルは言った。

「白の翼人と黒の翼人の遺伝子構成はきわめて単純で、-の陰性配列であるか+の陽性配列であるかの二パターンの違いしかありませんでした。しかし、我々が研究した結果、混色翼人においては四つ、あるいは六つのタイプの遺伝子を持つ翼人がいることがわかってきました。我々はその後の研究によって、遺伝子のパターンの多様化は、色翼人のプロト遺伝子が一本しかなく、一本しかないプロト遺伝子によって遺伝子配列の不安定さを引き起こし、陰性配列と陽性配列のどちらも持ち合わせることができたと結論づけました」

 発表を聞いていた学者の一人がさっと手をあげた。

「実際に、六パターンの遺伝子配列が確認されたのですか?」

「現在、確認されている遺伝子パターンは四つです。他二つの配列パターンは、現在も今後も確認がとれるめどはたっていません」

「それでは正しい研究結果とはいえないのでは?」

「確かにそうともいえるでしょう。しかし、他二つの遺伝子構成は極めて異例の配列なのです。我々が発見できた遺伝子配列はプロトグラア+-+-、+--+、-+-+、-++-。この四つの型でした。四つの遺伝子配列は不安定で、まさに混色翼人の特徴を持った遺伝子配列です。一方、肝心の他二つの遺伝子構造は、プロトグラア++--、--++。この二つの遺伝子配列は、陰陽のバランスの取れたごくごく稀な遺伝子構造であり、翼人の遺伝子構造よりもより完璧な構成となっています。

 この配列を持っていたと考えられる人物がもし歴史上に実在したのであれば、恐らくそれは混色翼人のリゼルだったのかもしれません。プロトグラア++--、--++という遺伝子配列は翼人の遺伝子配列をより強固にしたもので、もしリゼルという人物が実在していたと仮定すると、彼女の遺伝子は我々の推測した以上の強力な遺伝子構成を持っていたことになり。仮に冰力や灼力にも耐えうる以上の身体能力を持ったという話も、遺伝子上では不可能ではありません」

「くだらん!リゼルなど」

 プリメルは学者たちに声を張りあげて言った。

「そうでしょうか?我々、学者たちは誰もリゼルという人物について研究できた者がおりません。一人の人物が球体を支配したという真実の有無はともかく、彼女のような完璧な遺伝子構造をもった人物が存在できないという証明は、未だかつて誰にもできていません……」




 力説を唱える女性学者の話を聞いてルーネベリはシュミレットにぼそりと耳打ちした。

「彼女、ソリンダ・プリメルは俺の同期生なんです」

 シュミレットはルーネベリを見て言った。

「彼女が君の?」

「えぇ。専攻は違いましたが、大学に在籍中は他の友人と共によく語りあったものです。昔から研究熱心で、酒のほうもめっぽう強かったんです。しかし、驚きました。あの現実的な思考の持ち主がリゼルを擁護する発言をするなんて。後々、別の学者たちに叩かれなければいんですが。遺伝子構成の発見は後世に残るものでしょうが、この世界ではリゼルの話は否定的にとられやすいですからね」

「そうなのかい。僕は実に興味深い話だと思ったけれどね。リゼルという人物が空想上の人物ではなくて、遺伝子的には存在できうる人物だった。おもしろい話だよ」

 シュミレットは熱弁をつづけるプリメルを見て関心したように頷いていた。ルーネベリは半ば驚いて言った。

「先生はリゼルの話を信じているんですか?生身の人間が本当に、球体を支配したと思っていらっしゃるんですか」

「さぁ、どうだろうね。たった三百年しか生きていない僕にはわからないさ。でもね、彼女の話は実に現実的だ。遺伝子は嘘がつけない。そうでしょう?」

 ルーネベリは肩をすくめた。

「俺は知りませんでしたよ、先生がそんな柔軟な思考の持ち主だったとは」

「それは僕を誉めているのかい、貶しているのかい?」

「もちろん、褒めているだけですよ。彼女が言った通り、遺伝子学はあんまり主流ではないので、ここにいる学者たちは彼女の発表を客観的に見ている人が多いですからね。まぁ、簡単には理解が得られると彼女も思っていないかもしれませんが」

 シュミレットは言った。

「学者の世界も難しいものだね」

「えぇ、なかなか大変ですよ。この大研究発表会は今までの研究結果だけでなく、研究費を工面するための場でもありますからね。支援を得られない場合はその次の年から研究費が大方減りますからね。気が抜けない時期です」

「それなら、彼女は大丈夫なのかい?」

「ソリンダは賢い女性です。すでに他の面で支持を得ているので、リゼルについての理解が得られなくともたいして問題ありません」

「他の面?」

 ルーネベリは言った。

「彼女、遺伝子学を使って魔力を正確に鑑定することができるんです。ですから、魔術師でなくとも魔力の鑑定できるとあって彼女の研究は多くの人たちから支持されているんです」

「なるほどね、魔力の鑑定ですか。それはおもしろいね。そのうち、魔術師は必要なくなるかもしれないね」

 手を横に振って、ルーネベリは言った。

「いや、それはないでしょう。鑑定はできても使えはしませんからね。そもそも鑑定といっても、彼女がしているのは魔道具に含まれる魔力がどの家系のものかを調べるものなんです。古い魔道具にはありがちだそうで……」

「古い魔道具の作り手がわかるのかい。便利だね」

「そうでしょう。彼女の支援者の中には魔術師もいるとか。五十年先まで彼女、研究費には困りはしないでしょうね。羨ましいかぎりです」

 シュミレットは少し驚いて言った。

「君でも羨ましく思うことがあるのかい」

「えぇ、もちろんありますよ。理の世界に帰った時の事を考えると憂鬱です。支援者探しに明け暮れなければなりませんからね。クー・ボルポネが室長として支援してくれると言ってくれているのですが、俺はできれば頼りたくはないと考えているので」

「それは、またどうしてかな?」

「クー・ボルポネとデュー・ドランスを争わせたくないんです」

「第一室と、第二室の室長だね」

「そうです。彼ら普段は仲がいいんですが、研究費のことになると大騒ぎしだすので。俺が理の世界を離れる少し前も、監査を連れ出してお互いの欠点を指摘し合っていて……挙句の果てに、熱をあげすぎたばかりに同調した若い学者たちが暴動を起こそうとしていたんですよ。スヴファベッツがなんとか仲介役にまわって騒動はおさまったんですが、彼も忙しい身ですからね、そうしょっちゅう呼び出すわけにもいかなくて。学者たちはなるべく他所から資金を調達するよう心かげているんです」

「なるほどね、事情はわかりました。あえて僕が君に助言してあげられるのは、アルケバルティアノの大舞踏会で支援者を探すといいということかな。あそこには無駄に誰かの役に立ちたがる貴族や金持ちが大勢いますからね、君の話なら聞く人も多いだろうね」









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