四章 水都への旅
第四章 水都への旅
巨大な滝が限りなく存在するのは、数多くある世界で第十四の世界だけだろう。陸を取り囲む、いくつもの六角形の柱から吹きあげる水はキラキラと底知れない地へと落ちてゆき。広大な六角柱の陸地では緑の木々が豊富な水の恩恵を受けて立派に育ち、真っ直ぐ天を向かって立っていた。四大エレメントの一つ、水に恵まれた第十四の世界は穢れを知らぬ水竜の世界だった。
「わぁ、きれい!」
着いて早々ガーネは両手を胸の前で組んで豪華な滝をじっくり眺めていた。シュミレットはそんな彼女を見て、クスリと笑った。
「この世界は初めてかい?」
「うん。こんなにきれいな世界だとは思わなかった」
ガーネの感嘆に周囲を歩く都人達はじろじろと好奇の目を向けていた。第十四世界の水都ウケイ。その入り口に立つ四人は、明らかに外から来た人間で、もしかたら久しぶりの訪問者かも知れない。外の世界ではすっかり第十四の世界の異変が問題となり、誰も寄りつかなくなったと報告書には記されていたことが間違いではないと、人々の反応を見ればわかる。
ミースが「行きましょう」とシュミレットに一言いうとそそくさと歩き出した。たいして反対する理由もなく、四人はしばらく歩くことにした。少しばかり行くと、入り口から真っ直ぐつづく道の奥に、白い円柱の城が小さく見えてきた。城までの距離はだいぶあるが、長窓が実は窓が三つつづいているだけということがはっきりと見てわかった。普段は高速で歩くシュミレットとルーネベリも、ミースとガーネの一般的にいうゆっくりしたペースで歩いていた。周囲の状態を見極めるためには歩く事も必要だったからだ。それにしても、水都ウケイの街並はどこもいたって何の異常も見られない。平和で穏やかな風景は休暇を過ごすのに理想的だ。ただ、いつのまにか集まった人々が四人の周りを取り囲む事をのぞけば……。通行を妨げられて四人は仕方がなく立ちどまった。シュミレットはさっとフードをかぶり顔を隠した。ミースは眉間に皺を寄せた。
「旅人かい?」と、都人の一人が言と、
「どこから来たんだい?」
「ねぇ、あなた達の中に魔術師はいる?」
「子供たちと図体のでかい男だけか?」と、ざわざわと口々に言いだした。取り残された人々にとっては外からの情報を得る格好の機会なのかも知れないが、相次ぐ質問にこちらとしては、とても居心地のいいものではなかった。
「すまないが、先を急いでいるんだ」
ルーネベリはなんとかその場をしのごうとした。しかし、人々は罵声にも似た言葉をかけてくるばかりだった。ミースはイライラと眼鏡を押し上げ、さり気なくシュミレットの前に立った。彼にとってまだ気づかれていないとはいえ、シュミレットが注目の的になるのは許しがたいことなのだろう。ルーネベリは都人から守るため、ガーネを自分の後ろへと引寄せた。
「なにをしに来たんだ?」
「身内に会いにでも来たのかい?」
「外の世界はどうなっているの?」
仕切りなしに質問に遭う四人。こういう状態になったのははじめてではないが、心配そうな顔をした人々を前にしてこの人ごみの中を抜け出すのは容易ではなかった。何度も、「お願いだ。通してくれ」とルーネベリは叫んだが、思いおもいに叫ぶばかりで、なかなか通してくれな人々に困れ果てていると、「阿万様だ」と、誰かが声をあげた。
途端、人々は左右に道をあけるようにわかれた。すっかり開けた城の方角に、白い衣にサンダル姿の、灰色の髪を腰まで伸ばした老人が一人。そして、そのお供に、黒髪を綺麗に結った二人の若い男が寄り添っていた。容姿からして、どうやら僧侶達のようだ。とても貧相に見えるが、質素で静かな佇まいが伺える。
「これはどうも、どうも」
老人は道を開けた人々にお辞儀をしながら、四人の傍までやってきて立ちどまった。首から藁と水晶で編まれたネックレスがぶら下がっていた。第十四の世界では水の神、竜神を強く信仰していた。藁は人々の繁栄を、水晶は水の恵みを意味する。とてもありがたいものだった。竜神は第十四の人々にとって全世界で敬われている救世主、禁忌の天使リゼルと似通った存在なのだ。
「これは、これは。遠い所からよくお越しくださいました。私はウケイの最高僧、阿万と申します」
僧侶阿万はにこやかに歓迎の意を込めて両手を持ち上げた。だが、うちの賢者様はミースの後ろに隠れたまま、返事すらしようとしなかった。きっと大勢の人の中で目立ちたくないのだろう。シュミレットの性格はわかりきっていたので、ルーネベリは代わりに返事をかえした。
「はじめまして、阿万僧侶。迎えに来てくださったのですか?」
「そうでございます。なにぶん、大切なお客様だというので、こうして参りました次第でございます」
僧侶の言葉に周囲の人々は歓声をあげた。最高僧自ら赴くなど、前代未聞だろう。言葉を交わすルーネベリに、色んな意味を含んだ視線が飛び交った。
「それは、助かりました。なかなか前に進めないもので、とても困っていた所です」
「しばらくない訪問客に、皆様も心躍らせたのです。お許しください」と、阿万。「いいえ。許すなんて、とんでもない」
ルーネベリは頭に手を添え、阿万僧侶はにっこり微笑んだ。
「お心の優しいお方でよかった。それでは、ささぁ。お城へ向かいましょう。帝がお待ちになっております」
「ぜひ、お願いします」
「どうぞ、こちらへ」
ルーネベリは先頭に立って、阿万僧侶の開いた道を歩いた。高僧に導かれるルーネベリ達を都人たちは無言で見送った。
人々に一切絡まれることなく、阿万とその付き添う二人に連れられ辿りついたウケイの城の中はとても静かだった。城に入ってすぐに長い廊下があり、廊下の両側の壁一面に、第十四の世界の長い歴史と青白い竜神の伝説が描かれていた。朱色一色の絵は、タッチが滑らかで力強く、まさに芸術的だった。廊下の先には四角く広い帝の間があった。高い天井は立派な大木が組まれており、そこから鉄の器がぶらさがっている。器は人の高さまで下ろし伸びていて、そこから火を発せられていた。油の匂いはなく、ほのかな磯の香りが漂っている。発火性のある塩の砂は全世界でよく灯に用いられる事が多のだ。ルーネベリはその不思議な帝の間をまんべんなく、けれど、誰にも気づかれないよううにひっそりと観察した。
帝の間の隅で高僧と似たような白い衣を身にまとった僧たちが禅を組んで、甲高い歌を歌っていた。おそらくルーネベリが正しければ、その歌は第十四世界水の唄、第五章「出会いの喜び」の一節。彼らはシュミレットやルーネベリの為に歓迎の歌を歌っているのだろう。高僧たちに囲まれた部屋の中央は五段ほど高くなっており、そこに帝が玉座に腰掛けていた。
第十四世界の帝は女帝桂林。生涯目を閉ざした盲目の女帝だ。白髪の長く煌めく髪を柔布の玉座まで垂らし、彼女は穏やかにそこにいた。
「久しいな。三大賢者の一人、鬼才シュミレット。最後に会うたのは、三賢者の茶会の席だったかの」
女帝桂林は座ったまま、まるで下座にいるルーネベリたちが見えているかのように振舞い、そう言った。すると、シュミレットは拗ねたように「桂林様、僕が公の場が苦手だとよく知っていて嫌味を言うのですか?」と答えた。
やはり、シュミレットは桂林の顔見知りのようだ。恐れ多くも、全世界の王様帝様に共通して気兼ねなく面会できるのは、三大賢者だけだろう。女帝桂林は小さく笑った。
「二人の賢者たちはよう孤独なわらわを訪ね、便りをよこす。じゃが、シュミレット。おぬしとはほんの数年前に言葉を交わしたのみじゃ。よほど、わらわが嫌いなのかと思とった」
「嫌いだなんて……。僕の時間なんてないに等しいだけです。ご存知でしょう?それに、手紙を交わさなくたって、僕は用があればいつでもあなたの元へ出向きます。もちろん、今回のようにね」
「異変があればとな」賢者の言葉を先読みしたかのように、口を挟んだ女帝桂林。笑いを漏らし、すっと片手を持ち上げた。侍女が素早くその手を優しく包み、女帝が席を立つのを助けた。
「なに、それはわらわも十分承知していたこと。少しばかり捻くれて見せただけじゃ。この一年はあまりにも長ごうてな。少し、意地悪をしとうなったんじゃ。気を悪くしたのならば謝る。悪気はないのだ。しかし、便りをくれる賢き殿方よりも、くださらない殿方の方がわらわの元に駆けつけてくれるとは。先任の賢者、ダビ殿の言っていたことは正しい。心頼れるは、遠縁の友。まさにその通りじゃった」
いくらか寂しそうにそう言った女帝桂林は侍女に伴われ、段を下りてゆく。周囲の高僧たちは膝を折り、低く屈んだ。そして、それを見たルーネベリもミースとガーネも同じく倣ったが、シュミレットだけは立ったままだった。
「ダビ様に会われたのですか?」
「正確には会たわけではない。数年前に奇術とやらで、夢便りを頂いたのじゃ」
「では、夢の中でお会いになられたわけですね。ダビ様はお元気だったでしょうか?」シュミレットは同じ高さまで下りてきた女帝桂林にそう聞いた。だが、女帝は首を横に振った。
「わらわに問うより、自らが直接問うがいい。ダビ殿も歳老いた、昔のことなど忘れただろうに」
シュミレットを崇拝してやまないミースは内心首を傾げた。「昔?」
魔術師ダビは数百年前、三大賢者の地位に就いていたシュミレットの前任の賢者だ。とても長寿な賢者だと若いミースとガーネもよく知っているが、まさか、その賢者と自らが尊敬する賢者の間に確執めいたものがあるなんて思いもよらず、ミースは心底驚いていた。けれども、賢者の助手であるルーネベリといえば、いつも通りだった。五年も賢者と一緒にいて、ある種の免疫と元々の気質のおかげで、シュミレットの過去に何があったとしても、そう驚かなかった。
「ダビ殿は第十二世界、風の世界で風飛びの少年とひっそりと隠居生活を楽しんでおるわ。わらわの件が終れば、案内を連れゆくがいい。アグネシア女王には暇をもらえるよう、わらわが伝えておく」
女帝桂林は気を利かせたつもりでそう言ったが、シュミレットは黙ったままだった。第十二世界は第十四世界のすぐ近くにある。会おうと思えば、空間移動ですぐの所だったが、シュミレットの顔色は嬉しさの欠片もなく。しばしの間を埋めるように、「とにかく、問題の、時の置き場のある場所へ連れて行ってください。よく調べてみなければ……」と小さく言った。
女帝桂林が外出着に着替えている長い間、シュミレットとルーネベリは城門前まで早々と出てきた。城の中にいると馴染みのない唄が頭の中まで響いてきて、シュミレットがうんざりして仕方がないからだ。シュミレットが言った。
「ルーネベリ、ここでわかれよう」ルーネベリは頷いた。
「はい。ですが、いつぐらいに戻ればいいでしょうか?」
時計は当然止まっていますと、分厚い腕に付けられた派手な腕時計を指して言ったが、シュミレットはルーネベリにかまわず、「一日が終るはずの標準時刻に、とりあえずはこの場所に戻ってきてくれないかい。この世界の時は当てにならないから、君の勘に任せるよ」と、あっさりとそう言ってのけた。体内時計ですら正しく動いているかもわからないというのに、この賢者様は何てことを言うのだろうと、ルーネベリは呆れた。
「あなたは、まったく……。俺の勘が正しいとは限りませんよ」
「君の事だから時間はしっかりと計っているだろう。まったく大丈夫さ」
シュミレットはにこにことして、「大丈夫」とルーネベリの肩を叩いて二度言った。これはシュミレット流のプレッシャーのかけかただ。大丈夫という言葉に、「これぐらい出来なくてどうする」という大きな意味合いを含ませているのだ。賢者は飴と鞭の使い手だ。ルーネベリは渋々頷いた。
「わかりました。この世界でいう夜に戻ればいいのですね。では、行ってきます。先生、くれぐれもお気をつけくださいね」
なんの心配もいらないでしょうが、と付け加え。ルーネベリはその大きな身をひるがえし、町の方へと歩いて行った。ぼんやりと二人の会話を聞いていたガーネはシュミレットの黒いマントの裾を引っ張った。
「ルーネベリさん、どこかに行くの?」
「彼には彼の仕事があるのだよ」と、シュミレットは優しく教えてやると、ガーネが言った。
「私もルーネベリさんについて行っていい?」
「かまわないよ。でも、それなら早く追いかけた方がいい。彼は僕と長く一緒にいすぎたせいで、足が以前よりも随分速くなってしまったから」
ほら、もう小さく見えるだろうと、シュミレットは遠くを歩くルーネベリを指差して笑った。ガーネは「わかったわ」と一言、駆け足でルーネベリを追いかけていった。シュミレットが思ったよりも、ガーネは足が速かったようだ。ガーネの姿がどんどん小さくなってゆく。あの調子だとすぐに追いつくだろう。ガーネを見送りながらシュミレットはミースにぼやいた。
「ガーネはルーネベリが気に入ったのかな?彼が淑女にもてることは知っていたけど、まさか年齢もいとわないなんて知らなかった」
「確かにガーネは変り者が好きですが、まだほんの子供ですからね。恋愛に興味を持つほど、大人だとは思いません」
シュミレットはさっとミースの顔を見た。そして、言った。
「君もそれなりに変わり者だよ。なんたって、僕を慕ってくれるのだから。――そうだ、君にも仕事を頼んでいいかい?」
「えぇ、もちろんです。なんなりと」ミースは大賢者様に頼まれごとに、嬉しさあまり、非情さを忘れて顔を綻ばせた。
「そうだね。仕事というのはね、君の妹であるガーネの傍にいてあげてほしいのだよ」とシュミレット。さっそく、やっとの好機を得て登った崖から突き落とした。ミースの顔色は元の無表情に戻ってしまった。
「ガーネをですか?しかし、ガーネにはパブロさんが」
「君も知っていると思うけれど、ルーネベリは魔術師じゃない。見た目以上に強いわけでもない。魔術を使える君だからこそ、ガーネの傍にいてあげてほしのだよ。一体いつからなのか、僕にもわからないけれど、ガーネは無意識に魔力を垂れ流しているようだ。これがどういう事だかわかるかい?」
「いいえ……」
ミースは首を横に振った。
「強い力はやがては勝手に外に出てゆくものだけれど、ガーネの場合は単に外へ漏れ出している。恐らく、君の叔母さんが行方不明になったことが原因かもしれない。魔力を持つ者の異常は、心理的要因も十分に考えられるからね」
「もし、このまま放っておいたら、どうなるのでしょうか?」
不安げに伏せた睫を揺らして聞いたミース。シュミレットはしめたぞと内心つぶやき、後押しするかのように言った。
「君も知っているように、身体と魔力は密接に関係している。血液と同じように体内にはりめぐらされた管の中を流れている魔力の動力源は、僕らの生命なんだ。だから、魔力は空中では分解されず、かならず体内へ戻ろうとする。
体内へ戻ろうとする魔力を身体が常に吸収することで、生ある限り、魔力は半永久的に失われない。でもね、魔力を次々に生成してしまう体質や、心理的要因で体内の魔力を空にしてしまうなど、何らかの原因で外に放った魔力を身体が吸収しようとはしない場合、大量の行き場を失った魔力に命が奪われてしまう可能性がある。魔力制御できる魔術師ならともかく、何かあってからでは遅すぎる」
君が傍にいたら安心なのだがーーと、シュミレットはミースを見つめた。ミースといえば、何でもないと装いながらも視線は地面を向けている。シュミレットは後もう一押しだと口を開けたが、先に ミースが言った。
「お言葉ですが、ガーネは勝手についてきたのです。自分の身は自分で守る。それが魔術師としての道理です。私はシュミレット様についていきます」
「あぁ、そうかい。でも、ガーネの身に何か起きてからでは……」
「その時は、その時です。ガーネも危険だと承知の上できているのです。いくら従兄弟だとはいえ、僕には関係はありません」
ミースは断固としてシュミレットについて行くと、頑なに言った。従兄弟よりも尊敬する賢者に付いて行く方が賢明な判断だと何ら疑っていなかったのだ。シュミレットはなるべく一人で行動したかったという身勝手な気持ちもあったが、それ以前に、ガーネの魔力が少しずつ流れ出ているのは事実だ。異常な世界に、異常な魔力の垂れ流し。この状況で、いつ変化が現れるのかはシュミレットにもわからないというのに……。シュミレットは後悔した。どうせなら、素直なガーネを置いて、ミースの相手をルーネベリに任せればよかったのかもしれない。
「賢者シュミレット様、桂林様がおいでです」と、城から出てきた僧侶阿万。シュミレットはミースの説得を諦め、肩を落としながら桂林の元へ向かった。見た目の若いシュミレットと青年ミース、二人が並んで歩く様はまるで同級生と肩を並べて歩いるように何の違和感もないものだった。