十七章
第十七章 友と呼ぶ者
ジェタノ・ビニエの到着を待つこと二十分、急ぎ足でやってきたズゥーユが部屋に入るなり、ザッコの行方を聞いた。ズゥーユが来ることを知っていたのか、メリア・キアーズはざっとザッコがイモアに連れ去られた経緯を話した。すると、ズゥーユは悩ましげに目を伏せ、すぐに部屋を出ていってしまった。
何なのだろう。誰もいない庭の方を見て、ズゥーユの些細な表情が気になっていた。そんなルーネベリに、ブリオは「ザッコさんを助けないと」と言い出した。
ルーネベリは言った。
「どうやって助けるんだ。居場所もわからないというのに」
「ズゥーユ様はわかっているご様子でした」
「……はぁ、わかった。ブリオ、お前は追いかけていいぞ。ザッコには悪いが、俺はビニエが来るのを待たなければいけない。ビニエは何かを知っている」
ノートに目を落としたルーネベリは、何度も何度も読み返した。ブリオが書いたノートの内容を読めば読むほど、なにかに引っかかっているように思えてならなかったのだ。
結局のところ、ブリオはズゥーユを追わず、ルーネベリの様子を見ながら、静かにソファに座っていた。治癒者の長であるメリアは、一通りの奇術による会話が終わったのか、庭の方を見て、ジェタノ・ビニエの到着を今か今かと、待ちわびていた。
ルーネベリは目を閉じ、独りごとのように言った。
「翼人に愛されたアンジュール、物質を支配する力を持つアンジュール。翼人が友と呼んだインスラット、時間と心を支配する力を持つインスラット。翼人が期待したサンクドン、万物を破壊し支配する力を持つサングドン。翼人が同等と見なしたシハ、万物を作り変え支配する力をもつシハ。魔力、時力、奇力、灼力、冰力……」
「ルーネベリさん」
「なんだ?」
考えの最中に話しかけられ、ルーネベリはあまりいい顔をしていなかったが、ブリオは眉を撫でて言った。
「あっ、あの。どうでもいいことなのかもしれないんですが」
「どうした?」
ブリオは手を合わせ、じれったく口篭った。
「えっと」
「なんだ、早く言ってみろ」
「その、ザッコさんがさっき言っていたことなんです」
「ザッコが?何を言ったんだ」
ルーネベリはノートを太腿に置いた。ブリオは言った。
「さっき言っていたんです。幾夜の幻にでてくる翼人っていうのは、禁忌のリゼルなんじゃないかと」
「リゼル?」
「そうなんです。翼人はリゼルだなんて、おかしなことを」
ふと、ブリオの「リゼル」という言葉がきっかけで、ルーネベリの頭の中に別の記憶が蘇った。――そうだ。無意識の領域で、管理者ニエルヌ・ズゥーユはリゼルが五千年前に生きた翼人だといっていた。それも、きっかけがなければ知らなかった事実だとも言っていた。
「何がきっかけになったんだ?」
「はい?」
ルーネベリはブリオをほったらかしにして、一人顎を擦った。
そういえば、ズゥーユはアセス・ズゥーユに奇術と時術の二つの術式をかけたのは、リゼルと同年代に生きた人物だと言っていた。仮にズゥーユはその人物を調べて、リゼルの生きた時代を知ったとしても、そんな大昔の人物が一体何と結びつくというのだろうか。
「なんだろう……」
ちょうど、ルーネベリが独り言をいいかけたところで、メリアの明るい声が聞こえてきた。
「パブロさん、ビニエが来たわ」
ルーネベリもブリオもガラス戸の方を見た。紫色のワンピースに、肩から脇にかけてショールを巻き、とりわけ目立つわけでもない平凡の容姿をしたジェタノ・ビニエが手にガラス板を持ってやってきたところだった。
ビニエの顔色は良く、泥酔して寝ていたと思えないほど、酔いは完全に醒めたようだった。ビニエの到着は、ルーネベリだけでなく、メリアも喜ばせた。
「やっと来たわね。あなたが来るまで、誰も動けなくて困っていたのよ」
「すみません、キアーズ長」
軽く頭をさげ、ビニエは部屋に入ってきた。そして、ソファに座っているルーネベリの方に目を向けた。
「待っていましたよ、ビニエさん」と、ルーネベリが言うと、ビニエは頷いた。
「キアーズ長から話は聞きました。ルーネベリ・L・パブロさん、さっきは気が動転していて、命を救ってもらった礼もせずにすみませんでした」
「いいえ、そのことはいいんです。大事に到らなくてよかった。それよりも、さっそくですが、俺に見せたいものがあるとか?」
ビニエは頷く代わりに、小さくため息をついた。
「楽園の使者が舞い降りて、死者の屍の上を歩く」
「……その言葉は、あなたが仰った言葉だ。まさか、その意味を教えてくれる気になったのですか」
「話す気になるも、ならないも、僕は本当にこの言葉を言ったことも、この言葉にも心当たりがなかった。ただ、翼人を見たことがあまりにも怖くて、世界がもうすぐ滅びるんじゃないかと思い、悲観して深酒を」
「では、どうしてあの時、逃げるように走って行ったんですか?」
「あの時、インスラットの文字を見て、僕は時の世界に向かいました。時の世界へ早く行かなければいけないと思って、他のことは何も考えられませんでした」
「あなたが時の世界にいっていたことは、キアーズさんから聞きました。でも、どうして、時の世界なんですか。時の世界に何かあるということなんですか?」
「場所ではなくて、僕の血の中にあるものに用があったんです」
「血?」
ビニエは言った。「僕は僕の血の中に隠された、時術師も知らない記録を時の世界で物として復活させました。本当のことを言えば、インスラットを見て、ある人のことを思い出したんです」
ソファに座っているルーネベリの傍までビニエは行き、手に持っていたガラス板をルーネベリに差し出した。ビニエからガラス板を受け取ったルーネベリは、何だろうと思いながら、ガラス板に刻まれた白い文字を読んだ。
ルーネベリがガラス板からばっと顔をあげ、ビニエを見た。
「これは、バレンシスの日記や、デュッシの物語の中にある『楽園の使者が舞い降りて、使者の屍の上を歩く』の後につづく言葉とはまるで違う。詩のようにですが、誰の言葉ですか?」
ビニエはガラス板に刻まれた「光の人」を指差した。
「光の人?」
「かつて、翼人に友と呼ばれた者。幾夜の幻の中では、インスラットと呼ばれた人物です」
「それは一体、誰なんですか?」
ビニエは少し黙り、床の方を見て言った。
「僕はルーネベリさんに助けられる前に、賢者ザーク・シュミレット様にも助けてもらいました。本物の賢者を見るのははじめてだったのに、思ったよりは感動はしませんでした」
「はぁ」
「シュミレット様は僕らよりもずっと若く、見えました。まるで年を取っていないみたいでした」
ルーネベリは何を言うのかと、半分苦笑い。「若く、見えた?それは先生が特殊な」と言いかけてやめた。重要な見落としに気づき、なんと、そういうことなのかと、ルーネベリは赤い頭を掻いた。
「まさか、他にもいると?」
「はい」
「そんな、一人じゃなかったのか……」
ルーネベリとビニエの不思議な会話に、傍で話を聞いていたブリオは首を傾げたが。ルーネベリはビニエが言わんとすることを悟り、バラバラだった情報が、自然と頭の中で結びついて、奇跡的に繋がったのだ。
賢者ユノウ付きの時術師スコレは科学道具の通話機を持ち、それで奇術式を用いていた。そして、ここ半年以上通っているが、治癒の世界の奇術師が時術を使ったところは見ていない。アルケバルティアノ城の第四空間移動室にある無数の空間移動用の時術式が、奇術師の助けをしているからだ。そうすると、時術師は奇術が扱えず、奇術師は時術が扱えないということになる。しかし、それでも、二つの術式を扱う者がいるなら、それは超人的であり、ある種、特殊だというべきだろう。
ルーネベリは言った。
「光の人とは遠来者のことですね」
ビニエは深く頷き、言った。
「この詩が示す人物はミドール。遠来者ミドールなんです」
「ミドール?」
「インスラットは、ミドールの家紋から取られた文字。だから、僕はインスラットを見て、ミドールを思い出して、この記録を復活させることに」
ルーネベリはシュミレットの他にも「遠来者」と呼ばれる特殊な人間がいたことにひどく驚嘆し、それと同時に、妙に納得していた。
シュミレットが知っていたのは、奇語ではなく、ミドールの家紋だったというわけだ。ルーネベリは言った。
「この詩は何について書かれているんですか?」
ビニエは長い話になると思ったのか、「古い話です」と、ベッドに腰掛けた。そして、落ち着いた様子で言った。
ルーネベリも、ブリオもメリアもビニエを見ていた。
「遠来者ミドールは、何百人と子を多く残した人でした。しかし、そのなかでも、ミドールの血をより濃く受け継ぐ者たちは限られ。限られた者たちだけが遠来者ミドールの血族だという証拠にミドール姓を名乗り、世界中に点在していました。けれど、彼らの持つ二つの力を操る能力は、魔道具の発展とともに十三世界の人々の私欲を満たす格好の餌食となりました」
「餌食に?」
「はい。高貴な一族だったミドールたちは、魔術師に奴隷以下の扱いを受け、迫害されつづけ、数を減らしていきました。このことがきっかけで、時術師はミドールに関するあらゆる記録、ミドールが関わった出来事、ミドールの血筋に到るまですべてを封じました。現代でもミドールの記録を見るには、賢者の許可が必要なんです」
話を聞いていたメリアは言った。
「ビニエ。なぜ、あなたがそんなことを知っているの?」
「ブラノ・デュッシは俺の母方の曽祖父です。そして、誰も知りませんが、デュッシ家はミドールの実子の血筋を持つ家系でした」
「ミドールの?」
「運良く、デュッシ家の人たちは奇術しか扱えませんでした。なので、ミドールが迫害されていたとき、デュッシ家はなんの被害も受けなかったのです。
そのおかげで、デュッシ家はミドール姓を持つ者たちを何人か匿うことができ、ミドールと再び関わりをもつことになったんです。それからずっと、デュッシ家は代々ミドール姓を持つ者たちと関わりを持ちつづけ。ブラノ・デュッシの代には、デュッシ家はグセリティア・ミドールという女性と親しい関係にありました」
ルーネベリは口を挟んだ。「グセリティアという人物は、もしかして、グセティという……」
「グセティの名はデュッシ家で呼ばれていた古い愛称です。グセリティアは数百年も生きた長寿だったのですが、ある時、この詩をデュッシに譲り、デュッシ家を去っていきました。残された記録の中では、この詩は、ミドール姓を持つごく限られた者たちが持っていた、遠来者ミドールの最後の言葉だとか」
「最後の言葉?」
「だそうですが、この詩の意味はデュッシにも僕にもわかりません。ただ、譲りうけただけなので」
「なるほど、その詩の意味がわかるのは、ミドール姓を持つグセリティアだけだったかもしれないというわけか。――グセリティアという女性は、治癒の世界の管理者に会っていたと、ズゥーユさんから聞きました。それに、もう亡くなった人物だとも」
ビニエは首を横に振った。「グセリティアがデュッシ家を去った後、何をしたのか、いつ亡くなったなどは一切記録に残されていませんでした。もしかしたら、デュッシとグセリティアは二度と再会はしていなかったのかもしれません」
「そうですか……。ところで、その血の中に残すというのは、何ですか?」
「奇術師には、遺伝子の中に記録を残すことができるのよ」
ルーネベリに質問に答えたのは、メリアだった。ルーネベリはメリアに言った。「遺伝子に?」
「十三世界の人々は、皆、グラア遺伝子という主になる遺伝子を持っているの。そのグラア遺伝子は、親から子へと代々受け継がれてゆくのだけれど、奇術師にはその遺伝子に記録を記す特別な技術をもっているの。だけどね、記録といっても、ルーネベリさん、あなたの考えるような文字という記号ではないの。複雑なもので、人によれば、記憶ともいうわね」
「親族の記憶を残せるんですか?」
「全部ではないけれど、そうね。ただ、困ったことに、その記録を見るには、記録を残した人が亡くならなければ見られないのよ。残される者にとっては、あまり嬉しいことではないわね」
「キアーズさん、あなたもその記録を?」
「持っているわ。奇術師を持つ家系なら、持っている人は多いと思うわ」
「はぁ、血の中に……」
ルーネベリはじっくりと考えはじめた。
ブラノ・デュッシはバレンシスという軍人の日誌を元に、幾夜の幻を書いたのではなく、デュッシと親しい関係にあったグセリティア・ミドール、つまりは遠来者ミドールを元に書いたのかしれない。そう考えると、アンジュールという登場人物が、どこかシュミレットに類似しているように思える。引っかかっていたのは、この事なのだろうか。
しかし、一番気になるのは別のことだ。グセリティアが持っていた詩をブラノ・デュッシに譲った理由はなんだろう。先祖の残した言葉を誰かに譲るとなると、必要ではなくなったのか、そういった類の理由しか思いつかない。ルーネベリはズゥーユのことを思い浮かべ、そして、ザッコのことを考えた。
「ブリオ」
「はい」
「この部屋でザッコが連れ去られる前、インスラットという文字が紙から飛び出て分裂したといっていたな」
「……はい、そうですけど」
「分裂して何になったんだ?」
「あっ」とブリオは言い、ルーネベリが持っていたノートを貰い、そこにペンで記号を書いた。
「これです。時語と奇語です」
「それじゃあ、文字が飛び出る前、何があった?」
「なにって、話したじゃありませんか。ぼくはこの部屋で頼まれたノートを書いていたんです。そしたら、ザッコさんがやってきて、少し話をしていたんです。それから……」
「それから?」
部屋の中を見て、ここで起こった出来事をブリオは思い返した。
「ぼくはザッコさんにインスラットを見たことがあるかと聞きました」
「文字を見せたんだな。ザッコは何て言ったんだ?」
「ええと」ブリオは顔を顰め、目を擦った。
「ふざけられたので、ちゃんと見てもらうように頼んで……。キアーズ長が来て……。目に炎症が……。調子が悪いって仰っていたんで、目の炎症はそのせいかと思ったのですが」
ブリオの話を聞いて、ビニエとメリアはたまらず立ちあがった。
「インスラットが反応した!」
「そうだわ、あの時、おかしいと思ったのよ。文字を見たぐらいで炎症なんて普通は起きないわ」
メリアとビニエは顔を見合わせ、ルーネベリは腕を組んだ。
「やはり、イモアたちはザッコを連れ去ったのは理由があるようだな。ザッコを探しに来たズゥーユさんの様子も気になる」
「ザッコさんは何者なんでしょう?」
ブリオの質問にルーネベリは、首を捻った。
次回、十八章!
「楽園の使者」もあと残り四章にまで迫ってきました。
なんとなく、早く感じるのはなぜでしょう。