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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部二巻「楽園の使者」
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十六章


 第十六章 白き翼の前に





 自転しながら、軌道をでたらめに辿る治癒の世界の半球は、光放つ三つの球体から離れてもう随分となり、空は漆黒に埋もれていた。夜になってから、さらに時間は経っていた。

 頼りない病棟の灯りの中、治癒の人々は地下への避難を焦るあまり、順番を守らずに列を乱すものがこぞって現れ。梯子から滑り落ちる者も相次いだ。あちこちで聞こえる爆破音が人々の不安を煽っていた。奇術師や、治癒者たちが朝には終わるだろうと思っていた避難はなかなか進まず、苛立ちを隠せずにいた。

 黒に映える光煌く白き翼を持つ者サンジェルは、羽をしきりにはばたかせて上空から暗闇に蠢く虫のように見える人々を見下ろし、タニラ・シュベルと賢者の姿を探していた。

 時折、爆発音と黒っぽい灰色の煙が各地で起こるが、タニラの移動が激しく、西へいったかと思うと、すぐに東へと移動していた。数十秒たりとも同じ場所にいられない、切迫した状況だった。

 サンジェルは金色と橙色の目を開き、二人と一人の間に入り込む頃合を見計らっていた。どんなに急いだとしても、翼で急降下するよりも、時術式での空間移動の方が早い。追いつけないというなら、足止めするほかないだろう。サンジェルは生まれ持ったすばらしい力を使うことにした。かつて、この十三の世界を支配した者たちと同じ力。人々が平伏した、敬った力が、サンジェルの体内に眠っている。

 空を飛ぶサンジェルの白いドレスのスカートから、しきりに下着が見えていたが、サンジェルは気にすることなかった。目下の彼らは、彼女の存在、その姿に驚き、恐怖を目にするからだ。

「この世の支配者が誰なのか、思い出ださせてあげるわ……」

 羽ばたきながらサンジェルは空中で膝を曲げ、ゆっくりと身体を丸めていった。

 身を丸め、くるくると飛んでいたサンジェルの身体から細長い糸が線を引いて空に現れた。繊細な糸は、サンジェルが回転するほどは長く、長く伸びてゆき、やがて、繭のようにサンジェルの身体を覆っていった。糸に巻かれたサンジェルの身体から、二つ生えた白い羽。なんとも奇妙な物体となって、空高いところを飛んでいた。地上にいる人々は、まさか、そんな物が上空にあるとは思いもしなかっただろう。誰にも知られずに、サンジェルは繭の中で息を吸いはじめた。

 サンジェルの身体を覆っていた糸が、柔らかなサンジェルの呼吸に合わせて、白い肌に吸い寄せられていった。身体からでた糸が、皮膚を通ってまた体内にもどっていくのだ。

不可思議なサンジェルの行動は三度にも及んだ。その様子はまるで、鎧でも着込むように、丹念に行われていた。しかし、その行動が四度になると、糸をもう皮膚を通らずに、額と、白いドレスの上に金の華麗な装飾品となってとどまっていた。青い宝石のついたペンダントを首からぶらさげ、目を見張るほどの美しい白の翼人の手には、以前はなかったはずの金の槍を持っていた。恐るべき冰力の力だ。自身の力で、空気中の物質から別の物質をつくりあげてしまったのだ。

 装備を整え終わったサンジェルの目は、天空から高速で動くタニラとザーク・シュミレットを捉えていた。




 シュミレットの病棟で、メリア・キアーズはジェタノ・ビニエが治癒の世界にいないことを、ルーネベリとブリオに告げた。

 それを聞いて驚いたブリオは、「こんな時に、どこに行っているんですか?まさかとは思いますけど、一人だけ安全な世界に逃げたのでは……」と、言った。

 患者たちを置いて、奇術師が取るような行動ではないと、ブリオの顔がめいっぱい非難していたが、メリアは首を横に振った。

「少し調子が悪いみたいだけど、大丈夫だそうよ。あっ、ちょっと待ってちょうだい。ビニエが――」

 また無意識の領域に意識を集中させ、メリアはなにやらジェタの・ビニエと会話しているようだった。ルーネベリとブリオは、会話が終わるのを待つことにした。そして、待っている間、ルーネベリは奇力という不可思議な力について考えていた。

 ズゥーユが無意識の領域は、最上層、上層、下層、最下層の四層になり、その領域が目の構造に似ているといっていた。無意識の領域が白目、強い膜にあたるのなら、奇力の核というのは瞳孔にあたることになる。虹彩にあたる部分はないのだろうか。しかし、あったとしても、何の役割があるというのか。

 奇術師の談話室でルーネベリが読んだ、真の管理者アセス・ズゥーユと、グセティという奇術師が書いた治療記録には、たしか灼力に感染すると、精神が奇力を包んで球状になると書かれていた。境目がなくなるとも書かれていた。つまり、こういうことではないのだろうか。第四期になると、白目にあたる無意識の四層がすべて消失し、丸い瞳に当たる奇力の核、内なる眼のみが残った状態になる。

 ルーネベリが考えるに、無意識という重要な裏方を失うということで、痛みなど肉体が感じる苦痛から解放され。あらゆる事柄を手放して、安らかに死という未知なる世界へと旅立つのかもしれない。灼力に感染したからというわけではなく、生と死を持つ、生き物の最後の本能なのだろう。

その状態になった人間に、いくら奇術で語りかけたとしても、声など届くはずがないのだ。我々には逝く命を見送ることしかできない。悲しむことがあっても、引きとめることなどできないのだ。

 タニラ・シュベルは奇術師の談話室で、治療記録を見つけ、そのことを知ったのだろうか。もし知ったのなら、なぜ、知った後も、他者の命を奪いつづけたのだろう。そんな行為は無意味だ。ギルビィ・ベーグに奇力干渉できないと知って、自暴自棄になったのか。それとも、まだ、なんらかの手段が残っているというのだろうか。

 メリア・キアーズが目を開けて、次に口を開いた。

「慌しくて、ごめんなさいね」

「ビニエはどこにいるんですか?」と、さっそくルーネベリが聞くと、メリアは言った。「時の世界から、こちらに向かっている最中だそうよ。向こうは、昼過ぎだから、人が多いみたいね。とても時間がかったかと言っていたわ」

「時間がかかった?」

「なんでも、パブロさん、あなたに見せたいものを取りに行っていたんですって」

 ルーネベリは、ビニエが逃げるように走っていた場面を思い出して、「そのために走っていったのか……」と呟いた。メリアは言った。「すぐに来ると思うわ。アルケバルティアノ城に行けば、すぐだもの」

 頷いたルーネベリは、ソファに座り、今度はジェタノ・ビニエの到着を待つことにした。ブリオは相変わらず、落ち着きがなく本のページを捲り。メリアはまた奇術を使い、誰かと連絡を取っていた。




 一瞬、耳につけた紫色のピアスを通して、タニラはサンジェルの声を聞いた気がした。タニラはその場に立ちどまり、ピアスに触れた。助けがきたのかもしれないと思ったのだ。

 ぴたりと動きを止めたタニラに、思わずシュミレットも動きをとめ、首を傾げた。タニラはシュミレットのほうを振り返り、空を見上げたのだ。魔術式が六つ、タニラのすぐ頭上に浮かんでいた。シュミレットの背後で、時術師イスプルト・マシェットが、激しい運動でもしたかのように、息苦しそうに喘いでいた。この隙にといわんばかりに、地面に膝をついた。

 逃げる一方だったタニラ・シュベルの様子が、がらりっと変わったことに、シュミレットは不審に思った。そして、タニラと同じように空を見上げた。


 タニラと賢者の動きが止まったことを見確かめと、サンジェルははるか遠い上空から金の槍をかかげ、思いっきりふり投げた。重みを持った槍は風を切り、光を放ちながらタニラと賢者の方に飛んでいった。


 シュミレットは暗い空に、光が線を引いてこちらに飛んでくる物体を見つけ、急いでマシェットに「真部分停止を、早く!」と叫んだ。言われたマシュットは慌てて床に手を置き、時術式を発動させて、シュミレットを含む半径三メートル以内の空間の時間を完全に止めた。

 あまりのシュミレットとマシェットの慌ようにタニラは気づいた。思った通りだ。間違いない。サンジェルが救援にきたのだ。黒いローブからむきだしになった顔を綻ばせ、タニラはゆったりとした動作で時術式を使い、どこかへ飛び去った。悔しくも、タニラを行かせる形になってしまった。

 けれど、それどころではなかった。数十秒後、高い場所から勢いをつけて飛んできた槍は、通常の何倍もの破壊力を持って、街道へと降ってきた。時間をとめた時術式の内まで破壊音は届かなかったが、槍は街道のレンガを砕き、抉るように地面に穴をあけた。地面にぶつかった衝撃で火花が散り、風圧で近くの病棟の壁が吹き飛んだ。だが、金の槍は熱を帯びただけで、無傷で地面に刺さっていた。

 マシェットは自分たちのいるすぐ傍で、大きく抉れてしまった道を見て恐ろしくなった。少しでも、シュミレットが叫ぶのが遅ければと考えると、寒気すら感じた。

 賢者ザーク・シュミレットの方はまるで心配はしていなかったのか、地面ではなく、上空に浮かんだ時術式のさらに向こう側に目を凝らしていた。

 空に何かが飛んでいた。


 地下へ避難するための列の後方で、待ちくたびれた子供が空にたった今、流れ星が飛んでいったと言った。子供の母親は傍で起こった喧嘩に呆れながら、「あら、どこに?」と、なんとなく空を見上げた。空にはすでに流れ星は見えなかった。消えていったのだろう。空には鳥が飛んでいるだけだ。けれど、考えてみれば、同じ場所を飛びつづける鳥などいるのだろうか。よくよく見て見ると、ぼんやりと見えるその姿は、鳥ではなく、人間の形をしていた。大きな翼を持った人間だ。

母親はひどく衝撃を受け、腰を抜かした。前に並んでいた若い男が振り返り、「どうしたのだ」と聞いた。すると、母親は空を指差した。「つ、つ、翼人が。どうして……」

 両手で口を覆った母親に、男は「えっ」と声を漏らし、何を言っているのだろうと思いながら空を見上げた。目のいい男には、すぐに、母親が指差した先に、白い翼を羽ばたかせたサンジェルの姿を見つけ、硬直してしまった。周囲の人々は、気が狂ったように、子供の母親が空を指差しつづけるので、何かあるのだろうかと、興味本位で上空を仰ぎだした。

金の装飾と白いワンピースを身に着けた、美しい異人。いるはずのない翼人が、空高い所で、人々を見下ろしている姿を、人々は次々に目にしたのだ。「翼人だ……。翼人が……」

 人々は目にしたものが信じられず、ただ絶叫した。


 上空にいたサンジェルは、地上が騒がしくなるのを気づくと、とても嬉しくなり、独りで笑っていた。

 支配者リゼルの覚醒以来、忘れられた存在でこそあるが、自身という存在は、今でも人々を恐怖させることのできる存在であるのだと、人々に告げたかった。背についた翼は特別なもので、平凡な十三世界の人々と違い、自分は特別なのだ。この存在は誰にも脅かされない、されないのだ。サンジェルは地上から見上げている賢者を見下ろした。

 地上では、賢者シュミレットが、マシェットに時術式を解除させ、「君は翼人に近づいてはいけませんよ」と言ったところだった。

 マシェットは言った。「シュミレット様、お一人で相手なさるのですか。翼人相手に、それはなんでも無茶では?」

「彼女が本物の翼人なら、僕ですら相手にならない。本物ならね」

 シュミレットはそう言って、辺りを見まわした。

「君、なにか金属をもっていないかい」 

「金属ですか?」

 頷いたシュミレットにマシェットは少し考え、紺色のコートの下を弄り、首からぶらさげていた銅色の円板、一見、小さなコインのような通話機を取り出した。

「これも一応、金属ですが」

 シュミレットはマシェットの掌に置かれた紐付きの通話機を見て、使えそうだと思ったのか、さっと手に取ってしまった。

「少しの間、借りますね。もし、壊れたら新しいものをエントローに頼んでおくよ」

 気軽に賢者アフラ・エントローの名前をだすシュミレットに、マシェットはびっくりしたが、シュミレットはマシェットの同意を得る前に、円板についた紐を引っこ抜き、掌につくった魔術式の上にのせて、銅という金属をみるみると変形させ、サンジェルの金の槍と瓜二つの銅の槍を作りあげた。見事な出来だった。けれど、マシェットは、シュミレットの手に握られた銅の槍を見て、なんと複雑な気持ちになった。賢者の手助けするのは光栄だが、通話機はそれなりに高く買ったものだからと……内心、考えながら、そうこうしているうちに、優雅に羽を動かして天空からおりてきたサンジェルが、金の槍の先に座り込んだ。

 艶やかな笑い声が聞こえ、はっとしてマシェットは振り返った。

サンジェルは時術師の隣で、黒いマント、黒いフードに身を隠す者を興味深く見ていた。フードから紫色のアミュレットと、片眼鏡がちらっとだけ見え、相手もこちらを意識しているのだろう、視線を感じた。

「シュミレット様」時術師のマシェットがシュミレットを呼んだ。サンジェルはにやりと嫌な笑みを浮かべた。

「はじめて会ったわね、賢者ザーク・シュミレット。思ったより、小柄なのね」

 シュミレットは黙ったまま、サンジェルの色の異なる両目をじっと見ていた。サンジェルは槍の上で足を組み、黄色の髪を耳にかけた。そして、シュミレットの持っている槍を見て言った。

「いいもの持っているじゃない。私と遊びましょうよ。鬼才と名高いあなたの実力、私より上だとは思わないけど。それなりに楽しませてくれるでしょ」

「賢者様になんて言いようだ」

 サンジェルはシュミレットからマシェットの方を向き、目を細めた。「時術師に用はないのよ。黙っていなさい。どうせ、時術師なんてなにもできない屑なんだから。終わるまで隅っこで蹲っていればいいわ」

「なにを!」

「奇術師や魔術師にも劣る、役立たずのくせに」

「言わせておけば」

 サンジェルの挑発にのって腹を立てたマシェットのコートをシュミレットは引っ張り、「やめなさい」と言った。

「シュミレット様、あんな女、このイスプルト・マシェットが捕まえてみせます。そもそも、翼人など、時代遅れなんですよ」

 賢者は難しい顔をして首を横に振った。

「時術師を馬鹿にされて、引き下がっていられますか」と、感情的になりすぎているマシェットを見て、サンジェルは大笑いした。そして、その場で軽々と宙に飛んで、地上に刺さった槍を片手に抜き取り、槍を振りまわした。

「時術師の分際で、よくも大口を叩けたものね。やれるものならやってみるがいいわ」

 マシェットはサンジェルを睨みつけた。完全にサンジェルにペースに掴まれているというのに、頭に血がのぼって、冷静さを欠いていた。賢者の言葉すら耳に届かないのだ。

シュミレットはもう何も言わず、また、サンジェルの目を見ていた。あいにく、サンジェルの方は、マシェットを見ていて、シュミレットの視線に気づくことはなかったが、シュミレットは、いくつかサンジェルについて気にかかっていることがあった。

 あえて、口論するマシェットの前に立ち、シュミレットは銅の槍先をサンジェルに向けた。

「君は時間を稼いでいるつもりなのかい」

 サンジェルは不快に眉を傾けた。

「シュミレット様」

「マシェット、君はタニラ・シュベルを追いなさい。こうやっている間も、彼は人を殺すつもりなのだよ。彼女は、その邪魔をさせないために僕らをここで足止めしている」

「もう気づいたのか」

「気づかないほうが、どうかしているというものだよ」

 顔のよく見えないシュミレットの方をサンジェルは見ていたが、すぐにマシェットの方に目を戻した。

「いいわ、もう言い訳はしないわ。タニラは誰にも追わせない。口うるさい時術師から片づけてあげる」

 金の槍を人差し指で回転させ、槍は高速でまわっていった。金属でできた槍さえ指一本で操るサンジェルに対抗するように、シュミレットは銅の槍の周辺に魔術式を発動させ、槍先に真っ赤な炎を纏わせた。

「マシェット、行きなさい」

「行かせるものか!」

 金色と橙色の目をかっと開き、サンジェルが羽をはばたかせて、高速回転する槍をマシェットに向けて突き刺そうと振りあげた。シュミレットはマシェットを行かせるため、マシェットの周囲を無数の魔術式で固め。そして、サンジェルが振りあげてきた金の槍を銅の槍で受けた。回転する金の槍と、銅の槍がぶつかり、金属特有の摩擦音と黄色い閃光を放ち、弾け飛んだ。










すっかり暑くなりました。

四月にしてすでに初夏のような日差しに、参っています。

まず、目がやられるのです……紫外線恐るべし。



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