十一章
第十一章 奇術師の願い
炎は魔術式の中に吸い込まれて、消えていった。ミグディーン・ドゥワンは胸を押さえて尻餅をついた。誰もが待ち望んだ救援者が来て、命が助かったというのに、ひどく身体を震わせていた。
タニラがミグディーンの後ろを見ていた。時術式の中から魔術式を放ったシュミレットが、人目を避けるように黒いマントのフードを被った。
時術の発動をとめたイスプルト・マシェットと、メリア・キアーズは、広場の悲惨な状況を目の当たりにして顔を顰めていた。
「君はやはり、ギルビィ・ベーグの付き添い人だったタニラ・シュベルなのだね」
タニラは黙っていた。
メリア・キアーズは手前に座り込んでいたミグディーンを見つけると、すぐに駆け寄って行った。
シュミレットは歩きながら、言った。
「君が人々を襲っている理由は何なのかな。彼女の言うとおり、こんなことをしても、ギルビィ・ベーグの身体が元になるわけでもない。命が助かるわけじゃないのだよ。それに、人の命を奪えば、君もどうなるかわかっているのだろう」
街道に倒れる数人の遺体を横目に見て、シュミレットはタニラがどうでるか、慎重深く様子を伺っていた。しかし、タニラは動かなかった。タニラの耳にはマントを着た、左目に片眼鏡をつけた少年の心音が聞こえていた。人より、少し遅い鼓動だった。
「誰だ?」
「もう忘れたのかい。ギルビィ・ベーグの部屋で会ったじゃないか」
「ギルビィの病室……」
「あの時は、危うく君に殺されるところだったよ。怪我をしていて不調も不調。それにズゥーユも一緒だったから、一旦退いたのだよ。だけど、今回は僕一人だからね。全快して体の調子もいいから、もう君の自由にはさせないよ」
「そうだ」とタニラは思い出した。ギルビィの病室で、ギルビィのペンダントを持った二人が、なにやらこそこそやっていた。魔術式で攻撃したが、時術式を使って逃げて行った。それが、戻ってきたのか。
タニラはシュミレットを見た。調子がいいというのは本当のようだ。今まで何も感じなかったというのに、注意深く耳を澄ますほど、少年の全身に流れる血と魔力の音さえもこと細かく聞こえていた。内側からじわりと、強烈な力が溢れでている。
とても長い年月、少年を生かしつづけるその未知なる力は――
「青い花」
「青い花?」
灰色のレンガで覆われた街道のどこを見て、そんなことを言ったのだろうとシュミレットは首を傾げ、言った。
「ところで、君が発した炎から複数の魔力を感じました。君はアルケバルティアノ城の事務員ではなくて、魔術師だったのかな」
タニラはシュミレットの質問に答えずに腕を伸ばして、シュミレットの方へ歩き、手の中から、魔術式がぽっと現れた。
シュミレットは、タニラの取った行動にため息を漏らした。
「まったく、君という人間はせっかちですね。質問ぐらい答えてくれればいいものを」
慌ててメリアが、腰の抜けたミグディーンの上半身を引っ張り、タニラから遠ざけようとした。それを見ていた時術師マシュットは、気を効かせて、二人の足元と天井に時術式を発動させ、二人をどこかへと送り届けた。
シュミレットの前に立ったマシェットは言った。
「シュミレット様、時術式で止めます」
歩くタニラに、片手を伸ばしたマシュットは時術式を起動させた。地面と天井に現れた術式が光の柱をつくり、タニラ・シュベルを閉じ込めた。しかし、タニラの身体はマシェットのつくりだした光の柱をすり抜けていった。驚いたマシュットは、失敗したのかと思い、もう一度、術式を起動させたが、タニラは時術式の間をすっと通り、シュミレットとマシェットに近づいた。
「なぜだ、術式が効かない……」
時術式を二つ、三つと、幾つも起動させても、歩きつづけるタニラを閉じ込めることができなかった。気が急いたマシェットは、タニラに時術が効かないというのなら、こちら側の時を遮断すればいいのだと思いつき、膝をついて、地面に直接手を置いた。そして、シュミレットとマシェットを覆う時術式を発動させようとした。
シュミレットがマシェットの肩を叩いた。
「何をしているのかな、マシェット」
「時術式を発動させるのです。こちら側を流れる時を少しずらせば、向こうからは干渉できません」
「そうすると、僕たちの方が動けなくなるのではないですか」
マシェットはシュミレットを振り返った。
「あの男には、時術式が効かないんですよ」
「効かない?まさか、君は気づいていないのかい。自分の胸を見てみなさい」
そう言われて、マシェットは自身の身体を見下ろした。紺色コートの上に、奇術式が浮かんでいた。
「術式が……」
「これはうっかりしていられないね。興味に深いことに、彼は奇術式も使えるようだよ」
クスリとシュミレットが笑った途端、マシェットの胸に浮かんでいた奇術式の上に、魔術式が現れ、術式の動きを止めた。
「アルケバルティアノの事務員は、公平な判断を求められますから、術師はなれないというのに。彼に手を貸した人物は、彼の隠れた能力に目を付けたのだね」
「能力というのは――」
「能力、あるいは、血に眠る記憶。彼のなかには、一体、何があるのだろうね」
マシェットの胸に浮かんでいた奇術式が消えた。タニラは手の中で大きく成長した魔術式から、竜をかたどった炎が現れ。炎の竜は、まるで生きているかのように小さく火を吹いた。
マシェットの時術によって送り届けられたメリアは、着くなり泣き崩れたミグディーンの背中を優しく撫でた。
周囲を見ると、造りの同じ病棟が並んでいるだけだが、メリアにはそこが東南エリアだと見てわかった。長く治癒の世界に住んでいなければ、エリアの違いなどわからなかっただろう。二人がいたのは病棟と病棟の間、誰もいない街道だった。影に支配されていた街道についに、銀の球体の光は届かなくなり。街道の灯りがついていた。刻々と、治癒の世界は夜に近づいていた。 少し遠くのほうで人々のざわめきが聞こえる。東南エリアの地下に避難している人々だろう。悲鳴や爆発音は聞こえてこない。こちらでは、順調に避難が進んでいるようだ。
メリアは泣くミグディーンの手を取った。ミグディーンの手は涙に濡れ、冷たくなっていた。
「もう大丈夫よ、ミグディーン。危険は去ったわ」
「キアーズ長」
「賢者シュミレット様が、きっとこの世界を救ってくださるわ。だから、もう怖がる必要ないのよ」
「それはいけません、キアーズ長」
ミグディーンはメリアの腕をしがみつくように掴んだ。
「タニラは人殺しするような人間ではないんです」
「ミグディーン、あなたはギルビィ・ベーグの主治医だそうね。付添い人だった彼に同情するのはわかるけれど。彼は人を殺してしまったのよ。罪を犯してしまったの」
「彼の意思ではないんです」
「あなた、あの場にいたでしょう。あれが事故だったというの?」
「彼を殺してはいけません。彼は私の話を信じてしまったばかりに、こんなことに……」
胸元を毟るように掴み、ミグディーンは熱い涙を流した。
「罰するなら、私を罰してください。タニラは悪くないのです」
「あなた、もしかして……」
鼻を啜り、込みあげる感情のまま、目を真っ赤にさせて泣くミグディーンの姿にメリアは気づいてしまった。怯えて泣いているのではない。殺されかけたというのに、この期に及んでまだ、タニラを助けてほしいと懇願している。普通では考えられない心情だが、メリアにミグディーンの気持ちがわかってしまった。ミグディーンはタニラに恋をしているのだ。ひとまわりも年下の、タニラ・シュベルに想いを寄せてしまったのだ。メリアは口元に手をあてた。
「まぁ、なんてことでしょう」
「キアーズ長、キアーズ長」
メリアの腕を揺さぶり、ミグディーンは言った。
「治癒者として失格だとわかっています。でも、この気持ちは抑えきれませんでした。タニラがギルビィ・ベーグを想う気持ちは、わかってはいたんです。胸が苦しくなるほど、深く彼女を愛する彼に同情していました」
「同情が恋心にかわったというの。あなたは彼に何を言って、こうなってしまったの」
「彼は疲れ果て、壊れてしまいそうだったんです。私はタニラを解放してあげたかった。ギルビィ・ベーグは助らない。彼女は自業自得でこうなってしまったと、わかってほしかった」
「ミグディーン、何を言ったの?」
目を覆い、ミグディーンは俯いた。
「彼女が見つかったときのことです。彼女、ギルビィ・ベーグは、第三世界のアパートの一室で、全裸の姿で床に横たわっているのをアパートの管理人に発見されました。自宅の他に、アパートを借りていることはタニラも知らず。その部屋は、ベーグが何かをするために、借りていた秘密の部屋だったのでしょう」
「彼女が灼力に感染する原因になった部屋なのね」
「そうです。秘密の部屋には、ベーグの他に、数人、男と女を見た人がいました。だけど、そこで何をしていたのか。管理人も、誰も知りませんでした。ただ、発見当初、彼女にはまだ意識があって、『イモア』という名を呼んだそうです。恋人のタニラの名ではなく、別の男の名前を呼んだのです」
「まぁ……」
「灼力に感染して数日経っていたギルビィ・ベーグは、すぐに治癒の世界に移されましたが。イモアという人は、いつまで経っても訪ねてきませんでした。彼女の傍にいたのは、いつもタニラだけでした。彼だけだったんです」
「……イモア、誰なのかしら。知り合いだったのかしら」
ミグディーンは「わかりません」と首を横に振った。
「タニラは言っていました。出会ったときベーグは、第五世界からアルケバルティアノ城へ書類を届ける仕事をしていた。ごくごく真面目な、思いやりのある女性だったと。傍に居るだけで、心休まり。タニラは自然と彼女に心惹かれ、恋に落ちていった。
二人は幸せになるはずだったのです。幼少期、家族に恵まれなかったベーグのため、将来、二人で幸せな家庭を築くはずだった……。けれど、蓋を開けてみると、空っぽだったのです。自宅アパートには生活に必要な最低限のものしかなく。彼女の持ち物は、秘密裏に借りていたアパートに残っていた、タニラがギルビィ・ベーグに贈ったペンダントと、紙切れだけ。彼女はタニラにも隠していた事実があったのです。彼女は彼を裏切っていたんです」
「そのことを、タニラに話したのね」
「はい。でも、タニラは信じませんでした。ギルビィ・ベーグは裏切ってなどいないと、聞く耳も持ちませんでした。だから、私は、そこまで疑うなら、奇力干渉してみたらどうかと、タニラに言いました。本人に聞けば、嫌でも現実と向き合ってくれるかと思って」
ミグディーンは重く息を吐いて、言った。
「この年になって、患者に恋心を抱くなんて情けないと思うかもしれません」
「そんなことないわ。幾つになっても人は恋するものよ。ただ、あなたのしたことはよくなかったわね」
「タニラと同年代のギルビィ・ベーグに、あれほど愛されてる彼女に嫉妬して、あんなことを言ってしまうなんて、私は浅はかでした。とても後悔しています」
「ミグディーン」
「タニラが人を襲っているのは、きっと、奇力干渉に関わる何かを知ったからです。お願いです。彼を殺さないでください。私が悪かったんです」深々と頭を下げるミグディーン。メリアは頷いて、ミグディーンの手に触れた。
「話してくれて、ありがとう。でも、大丈夫よ。シュミレット様とは長い付き合いだけれど、罰することがあっても、けして殺したりする方ではないわ」
「キアーズ長」
「えぇ、心配はいらないわ。だけど、この話をお伝えしないと……でも、今は駄目ね。するなら、助手のパブロさんにしたほうがいいわ。あなたが直接話してちょうだい。今、居場所を調べてあげるから」
メリアは奇術式を発動させた。
シュミレットたちの去った後、シュミレットの病室に残り、ベッドに座ったまま自身の奇力回復していた管理者ニエルヌ・ズゥーユは、奇力が回復すると、部屋を出て庭に出た。奇術式を使い、副管理者のトゥナート・ワールに連絡を取り。治癒の世界の現状を把握しながら、ズゥーユは移動するために、時術式のある病棟一階へ急ぎ向かっていた。
暗くなった空に、炎の竜が飛びあがった。口をあけ、鋭い炎の刃をのぞかせて、竜が息を吸い込むと、一気に火を吐き出した。だが、空中に現れた魔術式が火を弾き飛ばし、火は反対側へと向きをかえて飛んでいった。街道の脇に植えられていた木に当たると、木はぼっと派手に燃えた。近くの病棟の壁も、その熱で溶けてしまったほどだ。
恐ろしいほどの威力だったが、魔術式一つで炎の竜が吹いた火を簡単にかわしてしまった。
病棟の中に隠れて、遠くから様子を見ていた人々は、あの黒いマントを着た、小柄な人物は誰なのだろうと思った。炎の竜を見ても、怖がることもなく。堂々と、襲撃者の前に立っていた。勇敢な少年だ。
タニラが指を動かすと、炎の竜が空から急降下してシュミレットとマシェットに襲い掛かった。しかし、シュミレットは右手をくるりとまわし、魔術式をつくって、竜巻をつくって炎の竜を吹き飛ばした。タニラと同じ魔術式を使ったのだ。激しい風に吹かれ、跡形もなく炎の竜が消え去ると、タニラは次の魔術式を起動させて、丸いボール状の光玉を五つ作り出した。
ボールがシュミレットめがけて、飛んでいった。隣にいたマシェットが時術式を発動させた。
病棟一階の時術式に乗ったルーネベリは、第三世界を経て、西南区四十五棟の時術式に移動した。移動時間、わずか五分。前回よりは、早くなった方だろう。
西南区四十五棟に着くなり、ルーネベリはすぐに街道を出て、向かい病棟へと走った。あの、黒いローブの男がいた病棟だ。あそこには、きっとすべての謎に繋がる手がかりがあるはず。ルーネベリはなんらかの期待を持って、病棟の中に入った。
ひっそりとした病棟だった。廊下を進み、階段をのぼり、あの男がいた二階にルーネベリは向かっていた。階段を一段一段、踏みしめるほど、上の階から飛んできたのだろう破片が転がっているのが目に付いた。上に進むほど、その欠片は数を増していた。
二階に着き、廊下に足を踏み入れると、ルーネベリはびくりと身体を震わせた。廊下に、九人もの寝巻き姿の男女の身体が重なり倒れていた。瞬きのしない瞳が同じ場所を見つめ、口を薄っすらと開けていた。白い顔をした男女。もう生きていないのだと、一目見てわかる状態だった。
口元を押さえ、ルーネベリは膝をついて死体の様子を観察した。
首や寝巻きの乱れの様子を確認するが、遺体は綺麗なものだった。表立った怪我はなく、顔に埃がかかっていた程度だった。ルーネベリは白いタートルネックの寝巻きに目を向けた。そういえば、奥にいる奇術師の女性を除く、八人全員が同じタートルネックの寝巻きを着ていた。ルーネベリは男の遺体の着ていたタートルネックを捲った。すると、遺体は寝巻きの下に紫色の布地が見えた。
がばっと、寝巻きのスカートの裾をたくしあげると、紫のスカートが遺体の下半身を覆っていた。遺体は奇術師の服をきていたのだ。立ちあがったルーネベリは積み重なった死人たちをじっくり見て、気がついた。死体たちは、廊下に集中的に倒れていた。
「ここにいるのは全員、奇術師か。……まさか、ここで足止めを?」
侵入者を中に引き入れないために、命を張ったのか。そうまでして、ここに守りたいものがあるというのだろうか。ルーネベリは死体を踏まないように、壁際に背をつけ、ゆっくり瓦礫の隙間に足を置き、廊下を進んだ。廊下の曲がり角のすぐそばで壁が大破していた。黒いローブの男が立っていた場所だ。外の景色が見えていた。
後ろを向くと、廊下の曲がり角の先に、床の白い廊下が続いていた。この病棟には庭がないのだ。病室がないのだ。白い廊下の奥に、銀色の扉が一つ付いてあるだけだ。
ルーネベリは歩きだした。
先週は風邪でうなされていたため、
予定より一週遅れで更新でござります。
色々と、予定が大きく狂ってしまって……
ペースを取り戻さなければ!