三章 叔母を捜して
第三章 叔母を捜して
数分後、ようやく予想できる範囲でこの状況を理解したルーネベリは、自分の胸で疲れ果てて眠るガーネを見つめた。ほんの数分考えに耽っていただけなのに、一体この少女はなにを考え、疲れ眠っているのか。まったく理解できないなとルーネベリは思った。
トントンッと、今度は控えめなノックが閉じられたドアから聞こえてきた。このノックの仕方はよく知っている。
「はい、どうぞ」
「……ルーネベリ?」
優しく扉を開いたのはルーネベリの想像通り、シュミレットだった。第三国の人間はうるさいぐらい相手に聞こえるようにノックするが、彼は急いでいる時でさえ控えめにノックするのだ。五年も衣食住を共にして、聞き分けられないはずがない。
シュミレットは扉を大きく開いて、二人の見知らぬ者たちを先に通した。その一人は見覚えのある老人で、エメラルド色のマントを着た、薄く刈り込まれた頭と顎に蓄えられた白い髭が老人の威厳さをかもしだしていた。ふと、その老人の小さな目がルーネベリの胸の中にいるガーネを捕らえたとたん、悲鳴に似た声をあげて駆け寄ってきた。
「なんということ!ガーネ、パブロさんになんてことを」
ルーネベリは慌てたが、やましい事はないのだからと落ち着きを取り戻し、老人が目を覚ましたガーネを引き剥がそうとする様子を眺めていた。
「どうしてここにいるの?」
「連れ戻しに来たのだ。さぁ、こっちにきなさい」
「嫌よ!帰らないわ」
無理やり起され、引っ張られたガーネはルーネベリの腰にしっかり掴まって放そうとしない。それでも老人は躍起になってガーネを引っ張る。その度にガーネの腕の力は増していく。さすがのルーネベリも多少苦しくなってきて、老人の手助けをしようかと思った。
「やめろ、ガーネ。みっともない」
鋭く冷たい声が、ルーネベリよりも早くに抵抗するガーネを制止させた。ガーネはその声にビクッと身体を震わせ、すんなりとルーネベリの腰から手を引いた。あんなに騒いだ少女がそのたった一言にひどく怯えていた。ルーネベリはそれに驚き、振り返り見た。
声の主はシュミレットの隣に立つ少年だった。彼は銀の枠のない長方形の眼鏡をかけ、着ている深い藍色のローブを首もとまで完全に締めきっていた。髪の色は淡い黄色で、瞳はガーネと同じように青く細長く、唇は薄い。その年特有の青臭さがあり、わりと顔立ちの綺麗な少年だった。
少年はガーネがルーネベリから離れ、老人の脇に寄せられたのを目で確認すると、一歩後ろに下がりルーネベリに一礼した。頭を綺麗に下げる、第五世界特有の魔術師の挨拶だ。少年は言った。
「お初にお目にかかります。ミース・ラフェル・J・アルトと申します」
「あぁ、君だったのか。ルーネベリ・L・パブロだ」
随分丁寧な挨拶をするミースに感心をしながら、右手を差し出した。しかし、ミースは顔を上げたが、ルーネベリの右手を見つめるだけで、マントの中に隠れた手を出そうともしなかった。挨拶の仕方は各世界様々だが、大抵は相手の礼儀に倣うのが慣わしなはずなのに、ミースは動きもせず、ただじっとしていた。ルーネベリは右眉毛を吊りあげた。ガーネに気をとられ、すっかり忘れていたのだが、相手はシュミレットの過激な崇拝者。やはり、助手であるルーネベリを毛嫌いしているのかも知れない。本日二度目になるが、空振りした手をひっこめた。
そして、なんとも気まずい雰囲気が流れたのだが、シュミレットはなにもなかったかのように、ミースの腰に手を置いた。ミースの肩はシュミレットの背よりも高く、どうしても届かなかったのだ。手を置いて、いつものようにシュミレットは微笑んだ。
「今回一緒に来る事になったミース君と、あちらが第五世界副管理者のアニドル・ラスキン卿だよ」
シュミレットが紹介したラスキン卿は、ガーネを後ろに押しやり、一歩前に出て軽く一礼した。
「いやいや、失礼いたしました。パブロさんにはご迷惑をおかけいたしました」
「いいえ、気になさらないでください。それよりも、第五世界訪問の際はとても楽しませていただきました。また、お会いしたいと思っていたところです」
どことなく見覚えがあると思っていたラスキン卿は、第五世界に滞在中、魔法世界大学の晩餐会で知り合い、珍しく話し込んだ魔術師だった。あの頃よりもやや老けてしまったせいかでなかなか思い出せずにいたが、印象的な顎鬚は以前と変ってはいなかった。
シュミレットが言うには、ラスキン卿はシュミレットの知人らしく、昔から交流があるらしい。学者に偏見を持たないのはシュミレットの友人だからだろうか。外見はどう見ても、ラスキン卿の方が上にしか見えないが、シュミレットの方が年上なのだ。彼の魔力は人並みだが、技術については歴代最高魔術師ルドルフ・ライ・ハーフィズに匹敵するほどらしい。現に、シュミレット自身も彼の技術を大いに認めている。が、なぜ、そんな大物が第五世界の副管理者などに留まっているのかは謎だ。大物ほど名に拘らない傾向があるのはどの世界も共通なのかも知れない。
「あぁ、覚えてくださっていたのですね。光栄です。私は今でも覚えておりますよ。パブロさんのお話は実に興味深く、実に面白かった。また、ぜひシュミレット先生といらしてください。我が家で夕飯をご馳走させてください。他の魔術師たちに隠れてというわけにはいかなくなりますが」
ラスキン卿はそう言って頭を下げた。シュミレットはそんなラスキン卿の言葉に苦笑いした。魔術師が大勢集まる夕食は、あまり嬉しいお誘いではなかったのだ。
「二人は面識があったのだね。あの世界にいると、どうも呆けがひどくてね。つい、物忘れてしまうよ」
「それは仕方がありません。世界中飛び回っているご多忙な方なのですから」と、ラスキン卿。それに薄ら笑いをしたシュミレット。
記憶力は人一倍良い癖に、煙たい出来事ばかりが起こると、時々わざと忘れたふりをする。彼の年齢ではまだ老人とは呼ばれないが、人生の五分の三を生きているのだ、周囲に仕方ないと思わせたいのだろう。と、一息つき終わらない内に、ガーネが前に飛び出してきた。
「シュミレットさん!」
「はい」
突然、ガーネに両手を握られたシュミレットは目を点にしていた。平生から見慣れない女の子にどうしてよいやら、シュミレットは少々慌ていたが、ガーネは丸い瞳でシュミレットを見つめるだけだった。ほんの少ししかかわらない身長差に、今ほど背が低い事を呪わない日はない。目が反らせなかった。
「ガーネ!失礼です。やめなさい」慌てて、ラスキン卿がガーネの手を放させようとした。だが、なかなかガーネは手を放そうとしない。後方で、ミースが呆れた顔でそれを見ていた。
「お願い、私も連れて行って。叔母様が第十四の世界に行ったまま行方不明なの」
「叔母様?」
「ガーネや。その話はもうとっくに終わったことだろう」
シュミレットの両手を頑なに放さず、涙目になったガーネはラスキン卿を睨みつけた。まるで喧嘩でもしている様だ。さすがに先生が大変な目に合っているのだ。助けるべきだろうとルーネベリは三人に近づいた。
「終わってなんかいないわ。どうして、ミースが行けて、私が行けないの?」
ガーネは突然大声でワンワン泣き出した。メラトリスの花がガーネの感情に協調するかのごとく、ザワザワと動き出した。甘い香りの代わりに冷気を放ちはじめた。本来、メラトリスは人の感情を読み取る賢い花だ。友好的な者には歓迎の意味を込めた甘い香りを、冷酷な者には警告の意味を込めた冷気を発散させる。ガーネの悲しみを含んだ叫び声がメラトリスの花に警告を振りまかせたのだ。
「私だって心配で、心配で……」
大粒の涙を丸く青い瞳から流すガーネに、シュミレットはひどく取り乱してなだめだし、ラスキン卿は強引にでも引き剥がそうとした。
「あぁ……、泣かないでください」
「ガーネ!我侭を言うんじゃない」
更に泣きじゃくり、冷たい冷気が部屋を充満させていく。ルーネベリは頭を横に振った。目の前の光景ほどバカらしいものはない。やれやれと、ラスキン卿の肩に手を置いた。
「ラスキン卿。そう引っ張ると、泣き声がひどくなりますよ」
ルーネベリがなんとか平和的に事を収めようとした瞬間、フッと真後ろから笑い声が聞こえた。振り返ると、眩い光が部屋中に反響した。雷のような光が目の端を通り過ぎたと思ったら、置いた手が妙に重たかった。ルーネベリは恐る恐る顔を戻した。
そこには、泣きながらシュミレットの両手を握るガーネと、ガーネを引っ張るラスキン卿が石にされていた。シュミレットだけはまったく石にされていなかったが、ルーネベリの右手は巻き込まれて石化していた。
「ご無礼いたしました。シュミレット様」
冷静さ極まる態度で、綺麗に頭をさげるミース。ルーネベリの額には冷や汗が流れ、シュミレットはまたしても苦笑いして固まった。まさか、副管理者や親族に向かって魔術を使うなんて、二人とも思いもしなかったのだ。ミース・ラフェル・J・アルト。なかなか冷酷な人間かも知れない。
石化した二人をそのままにして、シュミレットとルーネベリはソファに座ってミースの話を聞くことにした。ルーネベリは石化した手を解いてもらい、アルケバルティアノ城の侍女が運んできた紅茶を口にした。ティーカップには銀色の丸い果実が描かれていた。
「それで、叔母様というのは?」
「はい。叔母は従兄弟のガーネと私にとってとても大切な方なのです。多忙な両親の代わりに、よく私達の面倒をみてくれました。とても知的で真面目なすばらしい方で……。
無知なガーネのご無礼をお許してください。ガーネはガーネなりに、どうにかしたかったんだと思うのです」
無表情のままミースは言った。実のところ、ミースは従兄弟思いだったのか。今ひとつミースが何を考えているのかわからないなと、ルーネベリは一人思った。
「そうか。君たち二人にとっては、叔母さんはとても大事な人なのだね」
そして、何の疑いもなく受け答えするシュミレットもまた読み取りづらい人物だ。魔術師というのは、どうも素朴を通り越して、固有の独特な雰囲気をかもしだしている。ミースは感情が凍結したかのように、シュミレットは底が見えない湖のように。石化したガーネやラスキン卿とはまた違う人種に思える。まぁ、シュミレットは元から彼らと違うのだから、仕方がないのだが……。
「それで、君の叔母さんはどういう経路で行方不明になったのですか?」
シュミレットが問うと、ミースはぽつぽつ話しはじめた。
「一年程前に、叔母が第十四の世界に旅行に行くと出掛けてから、それっきり帰ってこなくなったのです。なぜ帰ってこなくなったのかは、理由はわかりませんが、元々叔母は他の世界に行くと連絡をよこさない人なので、僕はそう心配ないと思っていたのですが、ガーネはおかしいと言ってばかりで……。
当時はまだ、第十四世界の異変も取り上げられていない時期だったので、旅行が長引いたのだろう程度にしか考えていませんでした。ですが、何ヶ月経っても連絡をよこさないのはおかしいとガーネが言い張って、ついには第五世界の管理者の館まで押しかけたそうです。当然、子供の言うことです。管理者の館から追い出されそうになったようですが、偶然訪ずれていた統治女王の使者がガーネの話に興味を持たれて、ガーネの話を最後まで親身になって聞いてくださったそうです。そして、第三世界に戻られた使者が女王様にその話をお伝えし。女王様が第十四世界の異変を耳にしていたのが幸いして、調査が始まったのです。
これが水の世界の時が止まったという問題が浮きぼりになったきっかけだったのです」
「なるほど。ガーネくんのおかげで今回の件は発覚したのだね」
「確かにそうなりますね」
ミースは素っ気なく紅茶をすすった。シュミレットは両手を目の前で合わせて、目をつぶった。何かを考えているようだ。
「今回の件は私の叔母が関係しているので、女王様に無理を申し上げ、シュミレット様のお供をさせていただくことになったのです」
「どうしてお前に決まったんだ?」
ルーネベリは疑問を口にした。叔母が関係しているからとはいえ、例え秀才だとしても、ミースはまだ経験不足の魔術師だ。シュミレットに容易く許可を貰えるとは到底思えない。
「親族の方々が私を信用してくださって、代表として送り出してくださいました。私の才を買ってくださっているのです」
真っ直ぐに向けられた視線は冷たく、ミースはルーネベリを見つめた。腑に落ちない理由に頷けないでいると、シュミレットが言った。
「ガーネくんは若い君が行くことを許されたのなら、彼女自らも行くことができると、君に付いてきたのだね?」
「そうです。私達がこちらに空間移動した直後、ガーネが違法空間移動をしたのです。こちらに着いて間もなくして追ってきたラスキン卿に聞かされました。お恥ずかしい限りです」
ティーカップを置いて、彼は頭を傾けた。心の底から恥じているのだろう。なんせ、神に等しいほど気高いシュミレットを前にしているのだ。崇拝者の若い少年なら、そう思うのも無理はない。
「よほど心配だったのだろうね。違法空間移動は高度な時術。失敗すれば、死んでいたかもしれない」
「申し訳ありません」
「謝ることはないよ。この世界には頼りになる人たちが沢山いるからね。とにかく、君たちがどういう経路でここに辿り着いたのかはわかりました。後は、僕たちに任せてもらおうか」
すっとシュミレットは立ち上がり、固まった二人に触れた。氷が解けるかのように石化が解かれていく。ガーネもラスキン卿も石化から開放されると、当たりをきょろきょろと見まわした。
「何があったんだ?」と、先ほどまでの一部の記憶を失い、お互いに問い合っていた。シュミレットは冷気を放散しなくなったメラトリスを撫でた。すると、甘い香りがふわりと香ってきた。
「そろそろ行きます」
「もう行かれるのですか?」
ラスキン卿は驚いた顔をした。それもそうだ。二人が石化している間に会話が済んだとは知らないのだ。術式とは恐ろしいものだ。
「えぇ、時間が惜しいので」
シュミレットは右手の一指し指でクルッと空中に円を描いた。すると、全員の足元に時術式が現れた。ラスキン卿のだけは黒く、時術式が異なっていた。その術式を見たとたん、ラスキン卿は言った。
「シュミレット様、ガーネを連れて行くおつもりなのですか!」
「えぇ」と、頷くシュミレット。
「そんな、馬鹿な!ガーネはまだ幼く未熟でございます」
「そうかも知れない。でも、彼女がいなければいけない気がするんだ」ラスキン卿は言葉を詰まらせた。「しかし」
「僕の言う事が信用できないかい」
「そんなことは、けして!」
ラスキン卿は首を横に振った。
「だったら、最後まで様子をみてくれないかい。確証など、どこにも存在しないけれど、それが正しいのかは事の終わりまでわからない。僕が賢者だということもね」
シュミレットの意味深な言葉にラスキン卿は呆然と口黙った。ガーネは小さな声で言った。
「私が役に立つの?」
「今はわからない。だけど、君はきっと僕らの助けになるだろうね。危険だけど来てくれるね?」
今までシュミレットの判断が間違った事などめったにない。きっと、彼女が鍵になるのかも知れないと、ルーネベリは幼い少女を見つめた。ところが、ガーネはそんな事など予想もしていなかったのだろう。嬉しそうに大きく頷いた。
「もちろん!」
シュミレットは優しく微笑み。ミースが小さく不機嫌に咳払いをしたのが聞こえた。
ルーネベリは「監視してほしい」と、シュミレットが言っていたのを思い出した。単に、ガーネの様に目に見えるような「大変な事」が問題なのではない。ミースのようにプライドの高い子供ほど、最悪な出来事を作り出してしまう可能性がある。現に、親族と副管理者に魔術をかけたのだ。先が思いやられる。
足元の術式の光が濃くなっていく。賢者シュミレットにさすがのラスキン卿も言い返す事ができず。ただ空間移動する瞬間を待っていた。シュミレットは皆を見まわした。
シュミレットにしか見えない煙がガーネの背からうっすらと漂っていた。その煙は何か?魔術師であるラスキン卿やミースですら気づかないものを見透かしたまま、シュミレットは一言呪文を呟くと、皆、大きな光に包まれた。
< 物語の用語補足 >
・魔力 … 遺伝の力(物質を変化させる力)
・魔術師 … 体内に魔力を持ち、魔術式をつかう者