五章
第五章 過去の文献
スコレは廊下に出ると、そっと扉を閉めて。ルーネベリを廊下の脇にある個室に連れ込んだ。そこは時術師の助手たちのロッカールームなのだろうか。壁に埋め込まれた引っ掛け口に、普段着と鞄や、帽子がずらりと掛けられ。長椅子が反対側の壁に沿って置かれていた。
「お座りになって、お待ちください」
ルーネベリが黙って長椅子に座ると、スコレはぴんと襟の立てた白いコートの、胸ポケットに留めていた細長い金色のクリップを外した。クリップについていた丸い金色の円板を、クリップごと手の中におさめた。
円板には術式が、内なる眼が縛られた奇術式が描かれていた。魔術式同様、六十五の魔語の組み合わせにより、使用用途がかわり。奇術で使われる魔語は、魔術式とは意味が異なる。人体と精神面において豊富な知識と、元来の素質として心身共に忍耐力の優れた者でしか扱えない奇術式。
ルーネベリは円板を手におさめたスコレに言った。
「通話機か、しかも高級品じゃないか」
「数年前のものなので、わりと安く手に入れられたんです。以前のものは、術式の効力が薄れて壊れてしまって、使い物にならなくなったので」
「通話機といっても、奇術を発動させるための科学道具だからな。修理できる素材でないと長持ちしない。いいものを使った方がいい。しかしだ、通話機を見たのは久しぶりだな」
「パブロさんはお持ちではないんですか?」
スコレは左手でちょうど身体の中心になるだろう場所を押さえ、そこに、円板をこちらにむけられるよう、クリップでコートの内側に留めた。ルーネベリは言った。
「助手になるとき人にやって、それから持っていないな。まぁ、魔道具ライターさえあれば、今の俺には十分だ」
「元は学者だとお聞きましたが、魔道具も扱えるのですか」
「いいや、とんでもない。俺自身、魔道具なんか使えもしないが、俺の持っている魔道具ライターは特別なものなんでね。魔力を持たない俺も使える仕様になっているんだ」
「それはいいものをお持ちですね。ぼくら時術師は魔道具が使えないので。時術以外の術式を使うには、科学道具がなければ使えません。でも、いい物は値が張るので、なかなか……準備ができたので、友人に連絡をとりますね」
スコレはクリップで留めた円板の、術式に描かれた内なる眼を人差し指で触れた。内なる眼が中心から外にむかって一瞬光り、奇術式全体が青い光りを放った。そして、内なる眼を軸に術式がスコレの胸の上で広がり大きくなった。スコレは目を閉じて、黙り込んだ。
ルーネベリはスコレを待っていた。目と同じように閉じていた口角がぴくりぴくりと動き、まるで誰かと話しているようだった。
スコレが再び口を開いたのは、それからすぐのことだった。
「叡智の書庫に勤めている友人に連絡が取れました。先ほど仰っていた、『楽園の使者』という言葉を検索してもらったところなのですが。楽園の使者という言葉は、過去の文献から四つほど該当するものがあったそうです」
「たった四つか」
「単語のみでは、何億も関連する文献はあるそうですが。そちらでお調べしましょうか?」
「いや、それでかまわない。四つの文献を説明してくれるか」
「わかりました。――一つ目は時術師ナトリール・ジェロックの手記。二つ目は軍人バレンシスの日記。三つ目は管理者スヴファベッツの目録。そして、四つ目は作家ブラノ・デュッシの戯曲」
「その中に、『楽園の使者が舞い降りて、死者の屍の上を歩く』という文が記されているものはないか?」
「お待ちを」
早口で話しているのだろうスコレの頬が揺れ動いていた。
「〝アンジュールはその姿に感銘を受けた。楽園の使者が天より舞い降りて、死者の屍の上を歩く姿は神々しく。天より授けられた残酷な運命さえ……“」
ルーネベリは手を振り、「ブラノ・デュッシの悲劇、『幾夜の幻』か。主人公アンジュールが翼人に恋焦がれて、無残に死んでいく様を描いた話だ。実話ではない」と首をも横に振った。
「そうですか。それなら、あとは、こちらしかありませんが。
〝我々の行く手は塞がれた。地上も、空でさえも自由な道はなく。我々が走ってきた道の後には、従者たちが横たわっていた。若葉の茂る地上に楽園の使者が舞い降りて、死者の屍の上を歩く姿はまるで世界の終わりのようだった。生気を奪う使者たちを前に、私は剣を抜き……〟」
ルーネベリは背筋を伸ばした。
「誰の言葉だ?」
「軍人バレンシスのものです。多くの恋の詩を残した布貴をご存知ですよね。ちょうど千年前に生きた布貴と同時代に生きた第三世界の軍人です。この日記の他には、何も残していないようです」
「そうか。布貴と同年代の軍人か。バレンシスのフルネームは?」
スコレはしばらく黙り、そして、言った。
「聞いたところ、当時は家族名ではない名前は、身分を表すもののようで。なんらかの理由で剥奪されたようです。軍人バレンシスは、リゼルという混色翼を持った翼人と関わりある人物で。この言葉の後、リゼルは十三世界から去り、闇の支配者となったようです」
ルーネベリは鼻で笑った。
「リゼルだと?まさか、そんな話……」
スコレは頷いた。
「実在した人物ですから。彼女についての文献は多く残されていますが、バレンシスの日記もその一つのようですね」
「文献の話は知っている。だが、リゼルの映像記録が一切ないと聞いたことがある。実在した人物なら、記録があるはずだろう。記録もないものを、どう信じろというんだ」
「難しいお話ですが、彼女や彼女の生きた時代についての記録を残すのは時術師の規定に反するのです。詳しくはお話できませんが、彼女の実在した正確な時代などもはっきりとわかっているのです。百パーセント、信頼に足りる話です」
「そうか」と、ルーネベリは首を傾げながら、俯いた。
スコレは言った。
「ところで、友人が先ほどから何度もぼくに言っているのですが。楽園の使者という言葉は、バレンシスの生きた前後の時代に生まれた異名だそうです」
「異名?」
「ブラノ・デュッシはバレンシスより百年も後の人物なので、劇中に使われる一文がそっくりなのは、バレンシスの日誌を元に書いたからなのかもしれませんね」
鼻頭を手で押さえ、ルーネベリはスコレに言った。「ということは、バレンシスの日誌に書かれていたのは、翼人のことなんだな?」
「はい。楽園というのは銀の球体のことで、使者というのは翼人という意味合いだそうです。現代ではまったく使われることがないので、死語といってもいいかもしれません」
ルーネベリは眉を顰めた。「翼人、翼人……。ビニエは何を言いたかったんだ?」誰に問うでもなく、思考に囚われはじめたルーネベリに、スコレは言った。
「パブロさん、この辺りでよろしいですか。他になれば、そろそろ戻らないと。あまり、席を長く開けるのは……」
「あぁ、ここまで知れたら十分だ。忙しいのに、すまないな。とても助かった」
スコレが「それなら、よかったです」と微笑み、奇術式の内なる眼から指を離すと、スコレのコートに浮かんでいた術式が小さくなり、元通り円板の中におさまるよう戻った。
「大変、お待たせしました」
ズゥーユがタオルで手を拭きながら、カーテンで仕切られた寝室からでてきた。東南エリアにあるズゥーユの部屋のリビングで、動物の毛でつくられたふかふかのソファに座り、ゆったりと本を読んでいたシュミレットが顔をあげた。
「もう済んだのですか。ザッコはどうしたのだい?」
「施術後数時間は、眠っているので。このまま置いて行きましょう」
「そうなのだね。わかりました、行こうか……」
シュミレットは腰をあげて、ズゥーユの本棚に向かうと本を戻した。と、シュミレットは並べられた本の間に、液体が半分だけ入った小瓶を見つけて手に取った。
「これは、何の薬だい?」
シュミレットが持つラベルもない小瓶を見て、ズゥーユは言った。
「解毒剤です」
「解毒剤?」
「私の患者が、感染病にかかったときに使ったものです。捨てるのを忘れていたようです。随分と、昔に使っていたものなので」
ズゥーユはシュミレットの手から小瓶を取り、「後で、捨てておきます」と、机に置いた。それを見ていたシュミレットが言った。
「その解毒剤、新しいものはないのかな」
「治癒者に言えば、すぐに用意してくれるでしょう。……どこかお加減でも?」
「腕以外は元気さ。ちょっと思うところがあってね、用意できますか?」マントに付いたフードを被ったシュミレット。ズゥーユは手を拭いていたタオルを小瓶の隣に置き。なにやら考えながら目線を下げたが、すぐに頷いて、「誰かよこしましょう」と言った。
ズゥーユの住む病棟の一階まで、シュミレットたちは下りた。病棟一階の入り口手前の廊下に、光ってもいない奇術式が模様のように床に描かれていた。二人がその時術式のところまで歩き、そのちょうど真上に乗ると。床の時術式がぱっと光り、天井に同じ術式が現れると、瞬時に二人の姿はその場からなくなった。
ほんの瞬きをすると、目に映る光景が変わっていた。シュミレットとズゥーユの身体は、アルケバルティアノの第四空間移動室に移動していたのだ。
治癒の世界と繋がったこの第四空間移動室には、床一面に奇術式が描かれており。術式の隣には、簡素な病棟名がわかりやすく記されていた。すべての時術式は、人が乗った瞬間、記された病棟へと繋がるのだ。心身の病気という、緊急性を要する治癒の世界ならではの特別な空間移動方法だった。他の空間移動には、これほどまでにも多くの空間移動装置はない。
シュミレットは、ズゥーユが向かった時術式の方へ歩き。目当ての時術式の上に乗ると、さっと、二人はまた病棟の一階に立っていた。また一瞬にして、トゥナート・ワール宅のある北西エリアに飛んだのだ。
ズゥーユは上の階に行こうと廊下を歩きだした。シュミレットは、その後を歩きながら、「トゥナートは今、部屋にいないのだね?」と確認するように言った。ズゥーユは顔だけを振り返せた。
「えぇ、彼には五人ほど患者をあてがったので。夕方までは戻らないでしょう」
「それならいいのだけどね。どの部屋かな?」
階段をのぼりながら、ズゥーユは「四階です」と答えた。
二人は四階のフロアにつくと、ぐるりと廊下を迂回して庭の方に向かった。病棟の入り口は庭なのだ。プライベート空間と、患者を運搬可能にするために、狭い扉は好まれなかった。庭で繋がった病室を横切り、シュミレットとズゥーユは一番奥の庭にある、ワール宅に着いた。
庭の向こうにある室内は、ガラス越しに明かりがついているのがわかった。そして、リビングのソファに奇術師の格好をした男が一人ぽつりと座っていた。ジェタノ・ビニエだ。ズゥーユに促され庭を横切って室内に入ったシュミレット。フードで顔のよく見えない客人をじっと見つめるビニエの目線は、不自然なまでにも揺れ動いていた。そして、ビニエはシュミレットの次に、ズゥーユを見て、なにやら呟いた。
「ビニエ、こちらはレヨー・ギルパルド先生です。きっと、この先生が君の問題を解決してくださるだろう」
ズゥーユがそう言うと、ビニエは立ちあがって、失礼にもズゥーユに向かって、「あんたは頭がおかしいのか!」と叫んだ。
「君の力になりたいだけです。さぁ、お座りなさい。ギルバルド様も、そちらの椅子にお座りください」
机を挟んだ反対側にあるソファに腰掛けたシュミレットは、叫んだ後のビニエの些細な表情を見て、首を傾けた。ビニエはピクリと片頬の筋肉を痙攣させ、いかにも何かに嫌悪しているようだった。小さな一人用の椅子に腰掛けたズゥーユが「はじめましょう」と、膝の上で手を組み、シュミレットを見ていた。
シュミレットは軽く咳きをして言った。
「はじめに、彼について二三、聞きたいのだけどね。彼はタニラ・シュベルを診るはずだったのに、診察はしていないのだね?」
「はい」
「タニラ・シュベルを診る予定だった日、彼は他に患者は診なかったのかな?」
「昨日の問査委員の調べでは、その日、ビニエは患者を二人ほど診ているようです」
「どういった病気なのかな」
「恐れ入りますが、賢者様といえども患者の病気については他言できません」
シュミレットは手を振った。「詳しい病名は聞いていませんよ。主にどういった患者に会ったのか知りたいのだよ。精神的なものか、奇力的なものか」
「両方です。奇力疾患の患者と、精神疾患の患者です」
「二人とも重症患者なのだね」
「そのようですが……」
「じゃあ、奇術者はどうやって患者を治療するのかな。彼にしてみてごらん」と言うシュミレット。ズゥーウが庭の方を見ると、「あの、注文されたものをお持ちしました」と。部屋に入ってきた若い男の治癒者が、管理者相手にひどく緊張をして変な言葉遣いをしてしまったと苦い顔をしていた。ズゥーユは若い治癒者を手招きした。
「君は治癒者のブリオ・ボンテくんといったかな。持ってきたものを持ってこちらに来て座りなさい」
「はは、はい」
おそるおそる、ソファに座ったブリオの手を、ズゥーユがさっそく掴んだ。
「奇術師の治療では、このように患者を安心させるために手を取り。患者の心の準備ができますと、彼の身体に奇術式をつくります。そうすると、私の身体にも同じ奇術式が現れます」
ズゥーユが言ったとおり、ブリオの胸部に奇術式が現れると、ズゥーユの胸部にも奇術式が現れた。「そして」
「奇力の核は内なる眼。内なる眼の別名は生命力ともいうね。
本来は、精神というのは奇力を守るセンサーの役割を果たしていたから。とても、奇力と密接した関係にいる。だからこそ、奇術者自身の奇力を軸に、患者自身の奇力の持つ治癒能力を高めて、患者が患っている奇力や精神の安定を促す。昔と変わらない方法でよかったよ」
シュミレットはビニエの方に顔を向けた。
「それじゃあ、解毒剤を彼に渡してくれないかな」
ズゥーユがブリオから手を放した。奇術式がさっと消えた。ブリオはおどおどしながらズゥーユの顔色を見ていたが、「早く」とシュミレットに急かされて、びくりと立ちあがった。シュミレットはビニエの方に向き合った。
「嫌だ、何をするんだ!」何かを察したビニエが叫んだ。
「大丈夫ですよ。君はただあの瓶に入っている液体を飲んで、僕の眼鏡をじっと見るだけでいいのだから」
ビニエは左右の視点の合わない目で、瓶を見つめ。ブリオの手からひったくるように受け取ると、瓶の蓋を開けて、一気に飲み干した。それから、シュミレットに言われたとおりに、空瓶を持ちながら、目をあちらこちらに動かしながらもシュミレットの、金で縁取られた片眼鏡を見ようと努めた。
シュミレットはビニエの様子を見ながら、片手をあげて、開いたり閉じたりするだけで、他にはなにもしなかった。シュミレットのこの行動にブリオだけなく、ズゥーユも理解できなかった。二人にもシュミレットが何をしているのか、わからなかったのだ。
手を開いたり閉じたりしていたシュミレットは、ビニエの目線が次第に一点に集中されていく様子を見てから、手を膝においた。
「さぁ、もう効いているはずだよ。君が言いたかった事を話してごらん」
ビニエは机を力任せに叩きつけ、立ちあがった。
「だから、何度も言っているだろう!診るはずだった患者が翼人に連れ去られるところをこの目で見たんだ。あぁ、恐ろしい……。生きているはずがない、白の翼人がまだこの十三世界の中で生きているんだ……」頭を掻き乱して、ビニエはヒステリックに叫んだ。
「あぁ、もう。どうしたら伝わるんだ……」
「翼人?」と、きょとんとした顔でそう言ったブリオ。
「ビニエ。君は今、翼人だと言ったのか」
衝撃の告白に思わず立ちあがり、近づいてきたズゥーユがビニエの肩をつかんだ。
「それは、本当のことなのですか」
深刻な顔をした管理者ズゥーユにそう言われて、ビニエははっとした。「通じた?僕が言っていることが通じたのか」
すっかり蒼ざめたズゥーユは振り返り、シュミレットの顔を見て言った。
「シュ、ギルパルド様。翼人がこの世界にいたなんてことが……」
うっかり気が付けば、十二月。師走でございます。
名前のとおり、忙しいくも楽しい月の到来!
しかし、何をおいても、食べ物はかかせない。
最近は日々、ぶくぶくと肥えていくのであります。
皆様は、食べすぎにご注意くださいませ……




