二十一章
第二十一章 軍師の屋敷
城から侍女の明美が駆けてきた。
明美は侍女仲間と共に城外の騒ぎを、城の窓から見ていた。都は火の海となり。突然現れた大きな竜は都を襲いにきたのだと、侍女たちと恐れおののいていたのだが、竜はなぜか弱っていくばかり。そのうち、竜は人間となり。桂林となって窪みに落ちていったのだ。あまりのことに、息がとまるかと思ったほど。血相を変えて走ってきた明美が、玉翠の腕に抱かれた桂林を見るなり、安心したためか、桂林から数十歩も離れたところで腰を抜かしてしまった。
それに気づいた玉翠は明美の元まで行き、うまく動かない明美の太ももに「頼む」と一言、桂林の頭を置いて寝かせた。明美は息をするたび揺れる肩をたしかめ、首筋に手をあてて無事をたしかめると、ほっと肩の力を抜いた。ずれた緑の衣を桂林の首元まであげて、愛しむように長い白髪を撫でた。後を追ってきた侍女たちが、すぐに明美と桂林の周りを取り囲んだ。
賢者の方を向いた玉翠は言った。
「ご察しの通り、彼女は一年ほど前から私の屋敷に身を寄せています。匿った理由も、助手殿のおっしゃるとおり、怪我を負った彼女を見捨てることもできず、彼女の身の安全を危惧してのこと。そのことを黙っていたのは、申し訳ないと思っておりますが、けして、賢者様方を侮辱するつもりではなかったのです」
シュミレットは撫でていた竜から離れ、言った。
「侮辱ね。確かに、君のしたことは少し頂けなかったけれど、僕は君に罪をきせるつもりはない。僕が君なら、同じ事をしていた可能性もあるからね。なにより、君のした行為によって、ルイーネ・J・アルトの命は救われた。そういった面では、君のした行為は良い行いだともいえるわけだ」
「良い行いなど、私には過ぎるお言葉です。私は走りまわるだけで、何もできず。結局は、彼女の言ったとおりになりました」
ルーネベリは最後の引っかかる言葉に、「それはどういう意味ですか?」と言った。だが、玉翠は「あとは、本人からお聞きください。屋敷に案内いたします、皆様を待っております」とだけ言った。
「待っている……?」
「ただし、私の屋敷に参るのは、賢者様とその助手様だけということにさせてくださいませ。それが、彼女の希望でございますから」
「賢者様、それでは私どもの立場が……」と、時術師は口をあけて反論しようとしたが、それをシュミレットがはねのけた。
「事実を知る、唯一の人物の希望です。僕は彼の言うとおりにするつもりだよ。君たちは、屋上にいるガーネを連れて第三世界に一度戻りなさい。この世界の時が、ゆっくりと時間を取り戻しているのを知っているだろう?もうすぐ夜が明ける。約半日経つことになる。そうなれば、今まで塞き止められていた波がいっきに引き起こされる。たった六人で処理するのは大変だろう。応援を呼んでくるといい」
遠まわしに、応援を呼んで仕事をしろと賢者に言われたのだ。時術師たちは黙って承知するしかなかった。
「第三世界に戻った後、少女はいかがいたしましょうか」
「しばらく、ガーネはユノウに預けるつもりです。彼が拒否しても、僕からだと言って無理にでもガーネを引き取ってもらいなさい」
「わかりました。それでは、一足先に戻らせていただきます」
片膝折って賢者に挨拶した時術師たちは、そっけなく城に戻っていった。シュミレットはただ手を振った。
時術師が去っていくのを見て、玉翠は「賢者様、こちらです」と言った。
燃える都の片隅、城の真南から崖沿いに西へ行ったところに、貴族の屋敷ばかりが集まった場所があり、その一角に玉翠の屋敷はあった。水竜に惜しくも半壊させられた屋敷がぽつりぽつりとあったが、民家の方に比べれば随分と被害がすくなく。こちらでは、燃えている家一つなかった。
玉翠の屋敷は塀に囲まれた二階建ての、土壁でできた質素な屋敷だったが、軍師の屋敷とだけあって、玉翠が賢者とその助手を連れて戻ると、竜族の召し使いたちが屋敷からぞろぞろ出てきた。
召し使いは主人に「おかえりなさいませ」と言った。
玉翠は召し使いの後に出てきた執事に「あの方は、寝ているのか?」と聞いた。
「先ほど、水を運ばせたところ、起きていらしたそうですが。何かございましたでしょうか」執事は客人に目を配らせた。
「そうか、わかった。しばらく部屋には誰もいれるな。城から誰か来ても、屋敷に通すな」
「はい、旦那様。お客様もご一緒でしょうか。お飲み物はいかがしましょう」
「それどころではない。用が済むまで、あの部屋には近づくな」
「かしこまりました」
これは絶対になにかあると長年の勘からか、執事は口を噤み、頭を下げた。召し使いたちは執事につづいて頭を下げながら、主人の後ろから屋敷に入っていく、黒ずくめの小男と風変わり大男を盗み見した。
玉翠は殺風景な屋敷の土壁の廊下を歩き、屋敷の一番奥の部屋まで二人を連れて行くと、二人が中に入れるように扉を開いた。
枕を背にひき、老婆が読んでいた本から顔をあげた。老婆の首には包帯がまきつけられていたが、鎖つきの眼鏡を外しながら、入ってきた三人を見て微笑んでいた。皺に埋もれた青い瞳や、その老婆の顔つきは、立体記録で見たときよりも、一層、ミースと血のつながりの濃さを思わせた。
ベッドの隣に置かれた小さな棚に、ピンク色の花を生けた花瓶が置いてあった。玉翠は部屋の隅に置かれた椅子を二脚引っ張りだし、「どうぞ、おかけください」と言った。
ルーネベリは椅子を避けて通り、ベッドに近づくなり言った。
「ルイーネ・J・アルトさんですね?」
ルイーネは本と眼鏡を花瓶の下に置いた。
「えぇ、そうよ。あなたたちは賢者様と、その助手の方ね。お会いできてうれしいですわ。ずっと、待っておりましたの」
「待っていた、そうですか。あのメモもすべてあなたが書いたものですね?」
「メモを受け取ってくださったのね。あぁ、よかったわ。他の人の手に渡ったらどうしようかと思っていたの。どうぞ、お座りになって。すべてお話しますから」
「その前にお聞きします」
ルーネベリは言った。
「あなたの妹、セロナエル・J・アルトはデルナ・コーベンと関わりがありますね?」
ルーネベリの質問に少し俯いたルイーネは言った。
「関わりどころか、妹はキュデル派の新世界主義の一員だわ」
「話を聞こう」シュミレットは玉翠が用意した椅子に座った。ルーネベリも話しをよく聞くため隣に腰掛けた。
ルイーネは頷いた。
「すべてのはじまりは、五十年前からだったのかしら……。
私が二十五歳のとき、妹のセロナエルは、イモアという魔術師に師事していたの。彼はとても人柄がよくて、魔術の知識にも優れていたから、妹が彼の元で学んでいることを両親は大喜びしていたわ。けれど、イモアは新世界主義に属する人物だったの。表では、良き教師として生活し。裏では新世界主義として悪事に手を染めていた。悔しいことに、その当時は、誰もそのことを知らず。セロナエルが新世界主義の思想に陶酔していることにすら気づかなかった」
軍師がすすり泣いたルイーネにハンカチを手渡した。ルイーネはそれを「ありがとう」と言って受け取ると、涙を拭いてまた語りだした。
「妹は見習い期間もあけないうちに、目を怪我して家に戻ってきたことがあったの。理由はわからないけれど、妹はひどく悲しんでいたわ。両親がイモアと何があったのかを妹に尋ねたけど、妹は何も言わなかった。そして、数日後には、妹は家を出て行ってしまった。
妹の身に何があったのかもわからないまま、両親の捜索も虚しく。それから三十数年もの月日が流れた。両親が他界し、妹がいなくなった翌年に生まれた末の妹が結婚しても、セロナエルは家には一度も帰ってこなかった。それなのに、十二年前に突然、セロナエルが赤ん坊を連れて帰ってきたのよ。術式でもつかったのか、容姿は昔のままだったわ。獣のような目を除いては……。妹は娘が生まれたけれど、面倒をみられないと私に子供を預けたの。それがガーネだった。私はガーネを我が子のように大切に育てたわ。ガーネを育てることが、唯一の、姉妹の絆のように思えたの」
「だけど」と、思い悩むようにルイーネの声色が低くなった。
「ガーネを育てるようになってから七年ほど経った頃かしら、私は年々驚くほどに衰えていったの。年のせいだとばかり思っていたけれど、少しでも楽になればと、第四世界の治癒者に看てもらったら。治癒者に魔力を奪われているのが原因だと告げられたわ」
「魔力を?」
ルイーネは頷いた。
「私は十五歳までの子供たちを教えている教師よ。子供たちの悪戯ならすぐに見抜けるわ。でも、これは命にかかわる出来事で、悪戯ではなかった。私は不安になって、もう一人の妹、ミースの母親のリアンナ夫妻に相談しようと考えていたの。妹夫妻は魔術研究員で、とても優秀だから、きっといい助言をもらえると思ったのよ。
でも、私が末の妹の家を訪ねる前に、リアンナの夫ストリドが私に会いにきたの。そして、ガーネはセロナエルの実の娘かと聞かれたわ。どうも、ストリドは、テファン・エリク・コーベンという男の夢を何度も見たそうなの。それが夢便りなのかわからないけれど、テファンは夢の中で、何度も自分の名前とガーネの名前を叫んでいたそうなの。知るはずのないガーネの名前をよ!」
「テファン・エリク・コーベン……」
「私はコーベンと聞いて、すぐにデルナ・コーベンを思い出したわ。五十年前から、頻繁に魔術師の間で噂になっていたから、同世代の魔術師なら誰でも知っていたもの。
デルナ・コーベンを調べてみたらすぐにわかったわ。テファン・エリク・コーベンはデルナの実の兄だった。だけど、彼女の兄がストリドの夢にでてくる理由がわからなかった。彼が言いたかったことは何なのか――。
私は調べ進めたの。デルナ・コーベンが有名になったきっかけになった事件を調べたら、すぐに第十四世界のことがでてきたわ。賢者ダビ様の名前も出てきた。でも、気になったのはそこじゃなかったわ。もっとも気にかかったのは、管理者が盲目だということだった。五十年前、管理者桂林の暗殺が未遂に終わったころ、妹のセロナエルは目を怪我して戻ってきたのよ。その時は包帯をしていて、わからなかったけれど。ガーネを連れてきたときの、妹の目は普通じゃなかった。私は妹がデルナ・コーベンなのかと思って失望したわ」
ルイーネは軽く首を横に振った。「でも、それは大きな勘違いだったのよ」
「あなたの勘違い?」
「妹には兄がいないもの。私はテファン・エリク・コーベンを探したわ。でも、居場所はわからなかった。彼は誰にも居場所を見つけられたくなかったのね。わざと、行方をくらましていた。だけど、私がテファンを探していた数ヵ月後に、彼は私が探していると知って手紙を送ってきたの。そこにはセロナエルとデルナ・コーベンとの関係。ガーネのことについて書かれていたわ」
「ガーネについて、なんと書かれていたのですか?」
涙を拭いていたハンカチを、シーツに置いた。
「ガーネは特別な子だったの。あの、灼熱の銀の球体にとても近い場所まで行って、帰ってくることのできた女性が遺した子供だったの。十ヶ月もの間、子供と共にどうやって生き延びたのかは書かれていなかったけれど、ガーネは魔力以外にも、体内に四つの部屋を持って生まれた」
「四つの部屋?」
「力を蓄積できる部屋よ。うまく力を蓄積すれば、ガーネは銀の球体にだって行くことができるかもしれない。でも、そのためには、体内に冰力や灼力を蓄えなければならなかった。力を貯蓄できる部屋があっても、中身が空だと力は発揮されない」
「力を蓄える……そんなことが可能なんですか?」と、ルーネベリ。シュミレットは言った。
「十億人に一人、体内に力を蓄積できる人間はいるね。でも、ガーネくんのようなケースは非常に稀だよ。管理者が持つ灼力と、銀の球体のだす灼力はまったく性能がちがうんだ。常人なら、銀の球体のだす灼力を身体に浴びると、死に蝕まれる」
ルイーネは言った。
「テファンは、ガーネの特異体質こそが新世界主義の野望を叶える新たな道だと考え、ガーネの痕跡をずっと追っていた。その途中で、ガーネが私に預けられていることを知り、テファンはどうにか私に連絡を取ろうとしたそうなの。でも、それはできなかった」
「どうしてですか?」
「私がガーネに魔力を奪われていたからよ。迂闊に近づくと、テファンの身が危なかった。ガーネの背に書かれた術式は一つではなかった。三つの術式が複雑に組まれていた」
「その一つに時術も含まれていたというわけですね」
「私の後をいつでも追えるようにしていたのかもしれない。五年もの間、ガーネは私の魔力を奪っていたもの。そんなことは容易いわ」
「妹さんたちが時を止めると知ったのは、テファンに聞いたからですか?」
「テファンはデルナが管理者桂林を襲ったとき、管理者の秘密を知ってしまったことに気づいていた。第十四世界が危ないと知っていたのだけれど、デルナの前に姿を現すことはできなかった。デルナに会えば確実に殺されると言っていた。だから、私は一人でこの世界へ来たの。何度かこの世界に来てわかったわ、テファンが言っていることの正しさを」
「窪みを探る、魔術師たちの姿を見たのですね?」
「見たどころか、彼らが何をしているのか私は観察していたわ。そして、一年前に、私は準備をして彼らを止めようと立ち向かったわ。でも、やはり敵わなかった。魔術師六人相手に無茶だったとも思うわ」
ルイーネは寝巻の上から、腹を擦った。
「だけど、私が立ち向かわなければ今日はなかった」
「あなたは、俺や先生が来ることを予想していたわけですね?」
「えぇ。でも、私ではなくテファンが予想していたの。彼は、今日この日をずっと待ち望んでいた。三大賢者に、ザーク・シュミレット様に知らせたかったのよ。デルナや、新世界主義をうたう組織が管理者にまで手がつけられるほど、力を持ってしまったと」
「ダビ様がいるでしょう」
シュミレットは言った。「僕はダビ様にデルナ・コーベンの件には首を突っ込むなと、耳にたこができるほど言われてきたんだけどね」
「老いたダビ様では、もう手に負えないわ。あの方の出番はもうないのよ。デルナ・コーベンは何度もダビ様を出し抜いてきた。これからも、きっとそうよ。彼女は、ダビ様の使う手を熟知している。彼女がその気さえなれば、ダビ様でさえ、彼女の駒となってしまう。だからこそ、テファンは鬼才と名高いシュミレット様に目を向けてほしかったのよ」
はぁと深くため息をつき、「まいったな」とシュミレットはつぶやいた。
「テファン・エリク・コーベン。彼に会うことはできませんか?」
ルーネベリが言った。ルイーネがルーネベリを見て言った。
「さっきまでこの世界にいたと思うわ」
「さっきまで?」
「三日前に、彼はシュミレット様がこの世界に来たことを聞いて、この世界に来たの。それで、今日のお昼か夕方頃かしら、この屋敷を出て城に向ったわ。時が動きだすまではこの世界にいると言っていたけれど……」
「彼はここに来たんですか?」
「そうよ。私の様子を見に来てくれたのよ」
「この世界を出た、彼の行方は?」
「諦めてちょうだい。彼は日々、妹のデルナに怯えて生きているの。万が一にでも、居場所を知られたら、申し訳ないわ」
「デルナ・コーベンがテファン・エリク・コーベンを怯えている理由は何ですか?」
「さぁ……。彼は、デルナの秘密をばらしてしまったと言っていたけれど」
シュミレットはルーネベリの肩に手を置き。早口で「ルーネベリ。テファン・エリク・コーベンが故意に身を隠しているなら、そっとしておこう。今、彼を無理に見つけだしても、デルナ・コーベンたちが捕まるとはかぎらない。深追いせず、もう少し時期を待とう」と、言った。ルーネベリは目を閉じ、「そうですね」と頷いた。胸の奥で、どうしようもない探究心が渦巻いていたが、賢者が捜索しないのなら、これ以上、助手にはどうすることもできない。
ルーネベリは魔道具ライターを取り出し、蓋を押した。
「あなたの身柄は、一時的に治癒者の元に送られます。そこで治療を受けてから、時術師の取調べが行われますが、テファン・エリク・コーベンの件は伏せてもらうよう、時術師には言いますので、心配なさらずに取調べに応じてください」
「えぇ、覚悟しているわ」
なんとか間に合った。月曜日更新。
次回、まったりと最終章!!
今週に更新予定。そして、7月からは二ヶ月限定小説がはじまります。
やたらと忙しいですが、よろしくおねがいします。