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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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九十三章 あの日



第九十三章 あの日





 次に現れた景色の中で、天に聳え立つ石塔の前に佇むアミアガリアだった。無表情だか、ひどく落ち込んでいる様子だった。どうやらその石塔は墓地のようだ。石塔の前には白い花が一輪供えられていた。

 アミアガリアから少し離れたところに、妻のライザナが心配そうに立っていた。

「お義母上様はお幸せだったと思いますわ」と声を掛けると、アミアガリアは振り返って言った。

「お心の内はわからないが……、お義母上様は誠に良い方だった。兄弟のいない私の良き相談相手となってくださった。母というよりも、歳の離れた姉のようだった」

「えぇ、わかりますわ。とても心の温かい方でしたわ。貴人でも珍しい方でしたわ」

「いなくなって寂しいと思う気持ちが私にもあったのだと初めて気づいた」

「アミアガリア様」

「私は義母上様にしてあげられたことはあったのだろうかと思う」

 アミアガリアは表情を隠すように片手で顔を覆った。とても辛そうだった。ライザナは悲しそうに目を伏せて、そっとアミアガリアの背に手を置いた。夫婦の間に故人を悼む静かな沈黙がつづいた。

 ところが、茶色い髪の召使いがアミアガリアとライザナの元へ駆けてきた。ひどく慌てている様子で、挨拶もなく叫んだ。

「アミアガリア様!大変です。すぐにお戻りください」

 はぁとアミアガリアは溜息をついて、顔から手を離して召使いを振り返った。

「どうした?」

「お父上様が、後妻となられる方を城へお連れになられ。これからささやかな婚姻式を執り行うと仰っているのです」

「後妻ですって?ーーお義母上様が埋葬式が終わってからまだ半日も経っておりませんわ」とライザナは怒りを滲ませた声で叫んだ。しかし、アミアガリアは顔色を変えなかった。

「わかった。すぐに行く」


 ふわっと景色が掻き消えて、次の光景が現れた。

 ダークブラウンの髪を後ろで束ねた冷酷な男がグラスに入った琥珀色の酒を飲みながら、同じダークブラウンの中年の男と立ち話をしていた。そこでは宴会が行われている状況のようだ。多くの貴人たちが集まっていた。

 アミアガリアはその集まりでは一際目立つところにいた。黒い一丁らに身を纏い、多くの貴人たちに囲まれていた。口元だけ微笑させて会話を楽しんでいるようだった。そこへ、真紅の皺のない滑らかなシルクのような素材の上等なドレスを着た若い娘が近づいてきた。ダークブラウンに濃いブルーの瞳はアミアガリアを見つめていた。

 アミアガリアの周辺にいた奇人たちはその娘の存在に気づいてそっと離れた。

「義母上様」とアミアガリアがその娘に向かって呼んだ。

 真紅のドレスを着た娘はにっこりと微笑んだ。

「ごめんなさい、ちょっと話せないかしら」と、愛らしい声が言った。その娘とアミアガリアが並ぶと、年齢が近そうだった。アミアガリアは目線を下にして言った。

「ここでは何ですから、私の書斎に参りましょう」

「ええ、いいわ」

 細い華奢な娘の手がアミアガリアの腕にするりと滑り落ちた。アミアガリアは特に表情を変えずに、歩きだした。

 招待客だろう貴人の婦人の相手をしていたライザナが宴会の会場から去っていく二人の姿を目で追っていた。

 ふわりとそこで場面は仄暗い書斎へと変わった。

 アミアガリアは大きな窓際から暗くなった外を眺めて言った。

「お話は何でしょうか?お義母上様」

「そんな呼び方しないで!私はまだ十九歳よ。それなのに歳を取ったみたい。あなたにはイーユと呼んでほしい」

「父上様の奥方です。名で呼ぶことなどありえません」

「私が呼んでほしいの。お願い!」

「困ります……」

 年の近いアミアガリアの義母となった娘は悔しそうに唇を噛んで、アミアガリアの手を両手で掴んだ。

「もっと早く二人きりで話をしたかったわ。私の気持ちを知っているでしょう?」

 アミアガリアはため息をついた。

「何のことですか?」

「手紙を沢山送ったわ。愛を綴った手紙よ」

「手紙?」

「手をまわしてくれる侍女を見つけるのは大変だったわ。あなたはずっと遠い場所にいたから」

「お義母上様」

「私はイーユよ。本当なら、私があなたの妻になっていたのよ。王陛下の前妻が私たちが結ばれるのを邪魔したの」

「そんなことはありえません」

「ありえるわ!私との縁談の話も出ていたのに。姪と結婚させるために揉み消したんだわ」

 アミアガリアはそっとイーユの手を押し退けて少し離れて距離を取った。

「ライザナとの婚姻は私の意志で決めたことです。亡き義母上様は関係ありません」

「嘘よ!庇っているんだわ」

「いいえ、庇ってなどおりません。……今の話は聞かなかったことにします。ですから、義母上様もこのようなことは」

「そんなの嫌だわ!私は……」

「イーユ。そこで何をしておる」

 冷たい声がイーユの言葉を遮った。少し瞼の下がった淡いブルーの瞳がアミアガリアとイーユを見ていた。

 イーユは慌てて貴人の長に擦り寄った。

「何もしておりませんわ。話をしていただけです」

「ふん。話などいつでもできよう。王妃がいつまで退席している。集まりの主役なのだ。自覚を持ちなさい」

「はい……」

 貴人の長は華奢なイーユの肩を抱いて書斎から連れ去ろうとした。しかし、途中で思い出したように振り返った。

「アミアガリア、おかえりになる客人の相手をしなさい。粗相のないように」

「わかりました」

 冷ややかな淡いブルーの目がアミアガリアの顔を見た後、去り際に「若造が」と小さく呟いた。


 景色がふわりと変わった。

 寝巻きで金で作られた豪華なベッドに横たわるライザナは柔らかな布に包まれた赤子を抱いていた。

 ベッドの傍らに立っていたアミアガリアはその赤子の小さな手に指先を差し伸ばすと、赤子がゆっくりと握った。アミアガリアは小さく声を立てて笑った。その様を見て、ベッドの中のライザナは涙を堪えていた。

 アミアガリアはその赤子を見て言った。

「名をずっと考えていたのだが、ユイシスにしようと思っている」

「ユイシス?貴人の古い言葉で『希望』ですわね」

「そうだ。私と其方の希望の子だ」

「とっても良い名前ですわ」

 ライザナは愛おしいそうに腕に抱く我が子を見つめて「ユイシス」と呟いた。

 また、景色が変わった。またライザナはベッドに横たわり、赤子を抱いていた。しかし、前回よりもライザナは歳を重ねてい様子だった。それはアミアガリアも同様だった。幼さは少し抜けてきて大人の男としての風貌が少しずつ身につきはじめているようだった。また、ライザナの胸に抱く子供は脆いほどとても細く小さな赤子だった。

 アミアガリアの側には老いた乳母がおり、椅子に座って一生懸命に胸に三歳ほどの子供を抱いていた。

 アミアガリアは言った。

「スリーフという名はどうだろうか?」

「『優しさ』という意味はこの子に、ぴったりですわ」

「予定よりも早く生まれたのだ。優しく穏やかなに立派に育つようにと考えた」

「素敵だと思いますわ。スリーフ、かわいい私たちの娘」

 アミアガリアはベッドの端に座り、ライザナの頬に手を添えた。

「よく二人も産んでくれた。よく休んでくれ」

「はい。アミアガリア様」

 ライザナは涙を滲ませながら微笑んだ。


 景色が変わった。

 アミアガリアは地下の薄暗い長い廊下を歩いていた。そして、その後ろを黄色いドレスに身を包んだイーユが追いかけていた。

「ねぇ!待って」

 声をかけたがアミアガリアはどんどん廊下の先へ足を進めた。イーユは何度も何度もアミアガリアの名を呼んだ。

 アミアガリアはずんずん進んだ後急に立ち止まって振り返り、怒りを堪えたように言った。

「お義母上様。私を騙して、呼びつけるのはやめていただきたい!私は二児の父親であり、父上の後を継ぐ後継です。お義母上様とのありもしない醜聞が広がれば、民草の誤解を招くのです。それがどういうことなのかおわかりか」

「アミアガリア様。どうして、あなたこそわかってくれないの?噂なんてどうもでいいわ。私の気持ちを蔑ろにしないで」

「お義母上様、お気持ちには応えられないと何度も申し上げした」

「諦めきれないわ!」

「そう言われても、私はお義母上様のお気持ちにはけして応えられないのです。妻のライザナを愛しております。子供たちのことも愛しているのです」

「ーーそんな言葉を聞きたくないわ。ねぇ、どうして私を憐れんでくれないの?」

「何を憐れむのですか?お義母上様は王妃様です。この国でもっとも尊い女性です」

「えぇ、そうですわね。地位なんてものは寂しいものだわ。ただ、あなたに愛されたいだけなのに」

「そういった想いは父上様に抱いてください」

 イーユは鼻で笑った。

「あの方を愛せるわけがないわ。ーー私は子供も産めないのよ。私のせいじゃないのに」

 アミアガリアは首を横へと逸らした。

「夫婦の問題を持ち出すのは、やめてください」

「アミアガリア様、あなたは特別なのよ」

「私は確かに後継ですが、特別ではありません」

「どうしてあなたには兄弟がいないと思うの?」

 アミアガリアは言葉を詰まらせた。イーユは今にも泣き出しそうな顔をした。

「口に出しては言えないけれど、アミアガリア様。あの方には秘密があるの」

「ーー父上様に秘密が?」

「あの方が、貴人たちの頂点に立っていた理由よ。気になるなら、あの方が病に伏せた日の真夜中にこの廊下の先に行ってみて」

 イーユは出口とは反対側の廊下の先を指差した。

 アミアガリアは廊下の先を眺めて、「真夜中……」と呟いた。

 そこで景色がふわっと変わった。


 次に現れた光景では、書斎の椅子に座り、ため息をつくアミアガリアの姿があった。

 側には家来らしき利発そうな男が立っていた。

「お父上様が先日、お輿入れしたご側室様がアミアガリア様に一目お会いしたいと申しておりますが、いかがしましょうか」

「執務に忙しいからと断ってくれ」

「かしこまりました。あとーー」

「何だ?」

「イーユ様からお花が届きました」

 アミアガリアはため息をついた。

「間違えるな。王妃様から、届いたのだ」

 家来は慌てて頭を下げた。

「申し訳ございません。お名前でお伝えせよとのことでして」

「わかっている。それでも、其方は言い間違えてはならない。またおかしな噂が立つ。私の名誉だけでなく、私の妃の名誉まで傷つけている」

 家来は再度、頭を下げた。

「配慮が足りず申し訳ございません。噂のことも、私めがどうにか食い止めていれば」

 アミアガリアは首を横に振った。

「……其方のせいではない。困ったお方なのだ」


 景色が突如変わった。

 アミアガリは書類を数枚手に天に聳え立つ石塔の前に立っていた。傍で家来が見守っていた。

 アミアガリアは石塔を見上げて、物思いに耽っていた。すると、初老の執事長が慌ててアミアガリアの元に走ってきた。アミアガリアはまるで動じていなかったが、執事長の言葉を聞いて、アミアガリアは思わずよろめいた。

「陛下が突如お越しなられたお母上様に声を奪われておしまいになり。城内はとんてもない騒ぎになっております」

「母上?今、母上と言ったか?」

「はい、お母上様にございます。生母様にございます」

 アミアガリアは動揺しながら微かに笑った。

「今更になって会いにきたというのか」

「アミアガリア様!お早く城へお戻りください。お母上様がアミアガリア様とお逢いになりたいと。どうか、陛下の声を戻していただくように口添えを」

 執事長は地面に平伏して、頼み込んでいた。

 アミアガリアは執事長に立つように言うと、動揺冷めやるまま、重い足を城へと向けた。


 景色は変わり、王城の貴賓室にアミアガリアは一人でいた。落ち着かないのか、腕を仕切りに摩っていた。

 すると、そこへ控えめなノックがなされた後、召使いに促されて入室してきた若く美しい女性リイリカナと、またフードを被った幼い少年レフェレントが入ってきた。しかし、アミアガリアは母の顔を見ることができない様子だった。

 リイリカナがレフェレントの背を押して、素顔を見せるように促した。そうすると、幼い少年はフードを脱いで言った。

「はじめまして、兄上様」

 アミアガリアは倒れそうになり壁に手をつき、震える唇から何とか声を絞り出した。

「はじめまして、我が弟よ……」

 何とか言葉は紡いだが、それっきり言葉はなくしばし沈黙がつづいたのちに母リイリカナは影のある笑みで微笑んでレフエレンとの肩に手を置いて言った。

「レフェレントに兄を会わせたくて、参りました。ーーあなたはお元気そうね」

 アミアガリアは震える唇を噛んで、何とか息を整えようとしながら言った。

「……はい」

「結婚もして、子供もいるそうね。良かったわ、お幸せそうで」

「はい」

 アミアガリアはいつもしているように事務的に返事を返した。それからまた長い沈黙がつづいた。

 不自然な沈黙のためにレフェレントがリイリカナを見上げて、リイリカナは言った。

「ーー来るべきじゃなかったわね。もう帰ります」

「えっ、もう?」と幼いレフェレントが母に言った。アミアガリアは執事長に言われたことを思い出したのだろう。

「あっ」と声を漏らした。すると、母リイリカナは素早く振り返った。

そして、母と息子は目が合った。アミアガリアは何事もなかったように顔を逸らして言った。

「父上の声を戻してください。父は何も悪いことなどしていません」

 アミアガリアの言葉を聞いて、リイリカナは顔を歪めて左目から涙を流した。

「あぁ、あなたもあの獣もそうやって生きていけばいいわ。自分には何の落ち度もないと思いたいなら。そう思いながら生きていけばいいわ。そうやって生きていく先に何があるのか、その目で見ればいいわ。人を傷つけつづけ、苦しめた者の末路がどうなるのか。その身をもって思い知ればいいわ。あなたはどこまでいってもあの人の子よ。会いに来たのが間違いだったのよ。ーーレフェレント、行きましょう」

 母リイリカナはレフェレントの肩を抱いて、部屋から去っていった。

 そして、部屋に残されたアミアガリアは立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。

 その後、すぐさま、妻であり次期王太子妃であるライザナがシルクのドレスの端を掴んで部屋に駆け込んできた。

「アミアガリア様」

「ライザナ、なぜここに?子供たちと実家に向かったのではないのか」

 妻に手を握られてアミアガリアは強く握り返した。ライザナは言った。

「城内がとんでもない騒ぎになってと聞いて引き返して参りましたの。それよりも、アミアガリア様、お顔が真っ青ですわ。手もとても冷たくなっておしまいだわ。すぐに御医を呼びますわ」

「いや、いい。大丈夫だ。しばしここで休めば落ち着く。誰もこの部屋には呼ぶな」

「わかりましたわ」

 ライザナは少しでもアミアガリアの手が温かさを取り戻せるように何度も摩った。そして、しばらく経ってからアミアガリアが言った。

「母上が、弟と共にやってきたのだ」

「はい、お母様がいらしたとお聞きしましたわ。それに、陛下の声を奪ったとか……」

「そうらしい。まだ父上には会っていない。城内がどうなっているか、確認しなければならないが、今はまだ動けそうにない」

「えぇ、ご無理はなさらないで」

「……これほどまでに動揺したのは、はじめてだ」

「アミアガリア様」

「母上の記憶はほとんどないが。まるで歳が取っていないように若く美しかった。私の弟という子も、この世の者とは思えないほど美しかった。私はあの二人と血が繋がっているとは到底思えない。あの二人を見ていると、まるでーー」

「まるで?」

「貴人が『どちら』なのかを疑ってしまう」

 ライザナはひどく驚いた顔をしたが、アミアガリアは気にせずに胸の打ちを明かした。

「私は何か、間違えていたのだろうか……。なぜ、今更になって会いにきたのか。母上にお聞きすればよかった。そうだ、今ならまだ間に合うかもしれない」

 アミアガリアはよろめきながら立ちあがった。

「アミアガリア様」とライザナは夫を支えながら立ちあがった。アミアガリアは声を張り上げて部屋の外に向かって言った。

「誰かいるか!」

 

 








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