八十八章 二種混合
第八十八章 二種混合
「正気に戻った?」とルーネベリ。バイランは言った。
「嘘のようだった。偶然が重なっただけかもしれないが、幸運だった。メアの呪いとメアの狂ったシトゥー感情が健全なメアの心から綺麗に剥がれてビュア・デアを出て行った。残されたメアは、私がかつて想いを寄せた頃の姿に戻っていた。私が心を寄せたメアだった。私はすぐにメアに求婚した。メアは正気を失っている間の記憶もあったらしく、私の想いを知って受け入れてくれた。スアリトメ女王陛下の許可なく婚姻は結べなかったが、私は正式にメアのパートナーとなった」
「今は幸せなんだな?」
「幸せだ」
バイランは柔らかな笑みを浮かべた。これまで二人の間には紆余曲折あったようだが、バイランとメアの間には子供までいるのだ。二人にとっての今はめでたしめでたしと言ったところだろう。
ルーネベリは言った。
「そうか、それはよかった。おめでとう」
「ありがとう」とバイランは照れくさそうに微笑んだ。
ルーネベリは言った。
「なるほど、大体の話はわかったんだが。細かいところを幾つか質問してもいいか?」
「質問?今更だ、何でも聞いてくれ」
「助かる。ーーさっそくなんだが、バイランさんの力というの何なんだ?」
「私の力か、名前は生成術と言って……」
ルーネベリは思わず立ちあがって大きな声で言った。
「生成術?」
バイランは少し狼狽えながら言った。
「あぁ……」
「もしかして、コクハという種なのか?」とルーネベリは言った。ルーネベリは、三つ目に訪れた世界セロトのことを思い出していた。賢人と呼ばれた者たちだ。ユソドで出会ったニキルも元はコクハのという種族だったはずだ。
しかし、案の定、ルーネベリの考えとは異なり、バイランは「いいや」と首を横に振った。
「コクハではない」
「……そうか」とルーネベリが座り直すと、バイランは言った。
「生成術を知っているのか?」
ルーネベリが頷くと、バイランは頷き返した。
「だから、コクハの名が出てきたんだな」
「そうだな。だが、正式には旧生成術だそうだが……」
「旧生成術、そうか。あれから色々と変わったんだな」
「どういうことだ?」とルーネベリ。バイランは言った。
「私が子供の頃、まだ両親が生きていた頃の話だ。三つの種がたまたま同じ世界に居合わせた時があった。その一つの種がコクハだった。私は残り二つの種族のケトラバトとエヴェスという種のハーフだ」
「ケトラバト?エヴァス?ーーまったく聞き覚えがない名前だな」
バイランは少し笑った。
「コクハと違ってあまり有名な種族じゃないからな。旅人たちしか知らない」
「旅人?」
「金色の光を纏う人々だ」
「金色……」
ルーネベリは首を傾げ、微かな記憶の中でシュミレットと同じ瞳を持った人物と出会っていたことを思い出した。天秤の剣の催しに参加して二つ目に訪れた世界アザームで出会った人物だ。言葉こそ多くは交わさなかったが、なんとも不思議な人物だった。
「その人物なら会ったことがある。とてもよく覚えている」とルーネベリが言うと、バイランは言った。
「彼らに会うのは珍しいことじゃないが、私たちとは違う旅人たちだ。彼らは神になるためのはじめの旅をしている修行者でもある」
「神になる?」
「知らなかったのか」とバイラン。ルーネベリは興味津々に頷いて、「あぁ、教えてほしい」と言った。
「私が知っているのは彼らが神になるための修行をしているぐらいだ。ケトラバトという種は『座標を教え伝える種族』と言って、黄金の光を纏う人々たちにとって重要な方向を教えることを生業とする種族で、一つの世界に定住することなく旅をしている者たちだった。エヴァスという種族はケトラバトに仕え支える役割をして生きている。両親はその役目をすべて放棄して、両種族の一向から離脱した」
「なんだか旅立つ者が多い気がするんだが……」
「むしろ、世界を渡り歩くと、生まれ故郷から離れた者が圧倒的に多い。生まれ故郷に留まる者たちもいるが、同族の考えに同調できなければ故郷を離れることは多々ある」
「なるほど。確かに、その考え方には一理あるな。俺も今は故郷から離れた所に住んでいる。まぁ、いずれは戻るだろうが……」
「戻れる場所があることは良いことだと私は思う。私の生まれ故郷は、私が成長した後には無くなったと聞かされた」
「えぇ?世界が無くなるってそんなこともあるのか」
「長い年月が経てば、仕方がない。世界にも寿命はある」
「世界にも寿命があるのか。まぁ、確かに考えうる可能性の一つかもしれない。そういう話を故郷でも研究している知り合いがいたな。ところで、バイラんさん、一体、何歳なんだ……」
「年齢か。幾つだろう」と薄ら笑ったバイランにルーネベリは戸惑い、アラの顔を見て、名無しの神の顔を見た。
「少なくとも、俺たちとは比べない方が良さそうだな。まぁ、話を戻させてもらうと、コクハの生成術が使えるんだな?」
「あぁ。両親は両種族から離脱する前に、コクハたちと生成術の知識と引き換えに、彼らの旅のための座標を教えた。そういう経緯で、子供の私は生成術を使えるようになった。ーーこの家も、この辺りにある物の素材は私の生成術で作り出したものだ」
「えっ?」
「ん?」
「いや、俺が思っていた生成術とは違っているような気がしてな」
バイランは腕を組んだ。
「コクハの一族が使うような秘術なんて私は使えるわけがないだろう。使えるのはせいぜい、生活に根付いた術だ」
ルーネベリが首を傾げると、バイランは席を立ってテーブルの上にこぼ落ちた菓子メテル・テテローの食べ滓を指先でつまみあげた。そうして、その摘んだ食べ滓の上に手をかざしてユラユラと動かした。すると、食べ粕を中心としたほんのりと黄色く輝く半透明の光を放つ球体が現れ、バイラんの手に持っていた食べ滓は膨張と収縮を繰り返して一口サイズのクッキーほどの大きさに変化した。
「……一体、どうなっているんだ?」
「これが生成術。私の持つ生命エネルギーを僅かに変換して使う。一日に消費するエネルギーが僅かに増えるが、身体への負担も少ない。私はこの生成術を使ってこの街の資材を毎日少しずつ作り出している。素材や物品が少ないのは、私しかこの生成術が使えないからだ」
「ここにあるものを一人ですべて作ったというのか?」
「生活するためには必要だからな」
「それは大変だったな。しかし、……生命エネルギーというのは?」
「生命の核にして魂という世界もある」
「俺たちの世界でいう奇力体か。なるほど、奇術と魔術を融合させたようなことを生成術は行なっているんだな」
「奇術?魔術?」とバイラン。ルーネベリはやや説明するのが手間に思えて「俺たちの世界にある生成術と似たものだ」とだけ言っておいた。バイランは「そうか」と言い、それ以上は興味を持つことはなかった。本人が言っているように幼い頃から多くの世界を旅してきたのだろう。似たような術などがあってもおかしくないといった様子だった。
ルーネベリはふと考えた。バイランたちと知り合う前、ビュア・デアでは果実が実るような植物を一度も見かけていなかった。いや、それどころか植物さえ見かけていない。口にした飲み物はすべて神であるフェザティアが用意してくれたものだけだ。
バイランや女王メアトリスたちは、バイランの生成術によってもたらされた素材から作り出されて、食べ物のない世界で生き延びてきたということはわかったが。バイランの両親の話を聞いて、ルーネベリは疑問に感じた。
「ーーちょっと待ってくれ」
「何だ?」
「さっき話していたご両親の一族が生業としている『座標』って一体、何の座標だ?考えみれば、おかしい。そんなに偶然って重なるものなのか。どこに逃げたかわからないシトゥーを見つけたり、その他にも、方向感覚が良いだけだとは到底思えない」
「ーーあぁ、私はさっきも言ったケトラバトの血を引いているから、人探しは得意だ。会いたい人がどの座標にいるかがわかる。ーー位言い方を変えると、どの世界にいるかがわかる」
「だが、どうやって鏡を通ったんだ?」
「それはスアリトメ女王陛下の髪を一房持っていたからだ」
「髪?」
「メアたち姉妹は特別だ。肉体は鏡を通り抜けられる。それが身体の一部だけであっても」
「一部だけでも?」
「メアが半分分裂しても生きていられるのは、スアリトメ女王がご健在だからだ。反対に、スアリトメ女王が生きていられるのは、メアが生きているからだ。一枚の鏡を通して、お互いが繋がり生命の核を共有しているからだ。繋がっている限り、身体の一部が切り離されても繋がったままになる」
「本当に特殊な存在だな」とルーネベリ。バイランは頷いた。
「スアリトメ女王陛下には感謝している。メアが死ななかったのは女王陛下のおかげでもある。いつか正式にご挨拶して私たちの子を含め家族として受け入れてもらいたいと思っている。すぐには許してもらえないかもしれないが……」
バイランは真剣な面持ちでそう言った。
ルーネベリは言った。
「きっと受け入れてもらえると俺は思う。家族のためだけじゃなく、皆のために一人でこの街の資材を作って、皆を支えてきたんだろう。立派なものだ」
バイランは少し照れたのだろう、何も言わなかった。ルーネベリは笑い、アラも立派だと何度か頷いた。
ルーネベリは言った。
「思ったんだが、座標がわかるなら。人探しを今でもできるのか?」
「しようと思えばできる」
「その相手が神でもか?」
「神と言っても沢山いるからな……。どの神かわかっていればわかる。あと、図があれば」
「図?図が何なのかわからないが、大方ここだというのはわかる場所はある」
「どこか言ってもらえればわかる」
「じゃあ、聞きたいんだが。デハルという神はここに本当にいるんだろうか?」
ルーネベリは真実の剣をテーブルの上に置いた。
「デハル?ーービュア・デアを作った創造神か?」
「あぁ、そうなんだ。俺はそのデハルの神に会いたいと思っている」
「会う?」とバイラン。名無しの神がニタリと笑い言った。
「わたしも会いたい」
「駄目だ」とルーネベリが言った。
「どうして?」と聞く名無しの神にルーネベリは言った。
「二人の神が今会うのは賢明とは思えない。もし会うつもりなら、すべてが終わってからにしてほしい」
「どうして?」と尚も聞く名無しの神に、アラが言った。
「ルーネベリに考えがあるようだ。任せてみてはどうだ?」
「任せる?どうして」
ルーネベリが名無しの神に言った。
「他に策でもあるのなら別だが、自分の身体を取り戻したいなら俺に任せてほしい。最後の最後でその機会を失うのは嫌だろう?」
名無しの神は右の口角をぐいっとあげて変な顔をした。
「ことあるごとに『身体』の話を持ちだす。嫌な奴だな」
「あぁ、嫌な奴でも結構だ。俺は最後の謎を解いて、お前は身体を取り戻す。それでいいはずだ」
ルーネベリの赤い瞳を見ながら名無しの神はため息をついた。
「ここで大人しく待っているとしよう。その言葉が偽りだったら、相応のお返しをしよう」
「あぁ、焼くなりに煮るなり好きにすればいい。だが、ただ待っているだけじゃなく、協力はしてもらう。俺は力は一切使えないからな」
名無しの神は笑った。
「フフ、力なき者の話し方とは思えないな」
「まぁ、使えるなら、物も人も神も使うべきだろう?」
面白そうに名無しの神は笑っていたが、バイランはたじろいでいた。散々翻弄してきた神相手に、ルーネベリは怯むどころか堂々と話しかけているのだ。こんな人間をこれまで見たことなどあっただろうかとバイランが考えていると、ルーネベリが言った。
「バイランさん、話が脱線してしまったが。この剣を確認してもらえないだろうか?」
ルーネベリはテーブルの上の真実の剣に両手を添えた。バイランは「あぁ」と頷きながら、テーブルに手を置いた。すると、何やら目に見えない波のような僅かな振動がバイランが置いた手から放たれていた。それは空中を伝って何度も広がっていた。シュミレットが去り際に始動させた術式とまるでそっくりだった。
ルーネベリやアラは微かに波のようなものがビリビリと感じる程度だが、名無しの神は身動きできないのか、縛り付けられ感電したように小刻みに震えながら「くっ」と声を押し殺して耐えていた。シュミレットの残していった術式よりも規模は小さかったようだが、それでも名無しの神だけは苦しそうだった。
ルーネベリは思わず呟いた。
「そうか、固有振動数か……!なるほど、先生はそこに気づいたのか。驚いたな。俺たち肉体のある生命の固有振動数は低い。奇力体はわからないが、興味深いな。フェザティアが瞬時に移動していたのを見た限り神の固有周波数は非常に高いはずだ。先生はわざと周波数の異なる高い波をいくつか発生させた。そのどれかに共鳴すれば成功だが、先生は計算をしたのか、ほとんど賭けのようなものじゃないか。
共鳴をすることで意図せず神の固有振動数が増幅しはじめる、そうすると身体のコントロールが上手くできなくなる。物質的に殺すことは不可能でも神に対抗する手段はあったのか」
ルーネベリはそう呟いてからはっとした。アラが見ていたからだ。シュミレットの置き土産が一体何だったのか解明できて嬉しく思うあまりついべらべらと独り言を呟いてしまった。ルーネベリは苦笑いして赤い髪を撫であげた。
バイランの放った波が止まり、バイランがテーブルから手を離した。
ルーネベリは言った。
「どうだろう?」
バイランは言った。
「ーーテハルという名の神は『中』にいるみたいだ。でも……」
「でも?」
「でも、こういうこともあるのか」
「こういうことって、何がだ?」
「剣の中に世界が存在している」
「へ?」
「それもビュア・デアと地形も神殿も何もかもそっくりそのままの世界が剣の中に存在している。『デハル』という神は、その中の中心地にいる」
バイランはまっすぐ名無しの神の顔を見た。名無しの神はニタッつと笑い言った。
「このわたしの顔と同じか?」
「同じだ……。双子なのか?それにしてはーー」
「フフ」
ルーネベリは言った。
「身体を奪われて仕方がなく、デハルの姿になっているだけなんだ」
バイランは頷いた。
「容姿が同じでも、まったく違う神のようだった。美しくて煌めいている」
名無しの神は大きく笑った。
「デハルだ!わたしから身体を盗んだ憎きデハルがそこにいるのか」
ルーネベリは言った。
「落ち着いてくれ。剣の中にいるだろうとは前からわかっていただろう?そんな大袈裟に反応しなくていい」
「フフ。叫んだ方が喜ぶと思って」
「そんなことで喜ばないから、無駄な演技はしなくていい」
バイランはやはり驚いていた。ルーネベリと名無しの神はまるで友人のようなやりとりをしているからだ。
ルーネベリはバイランに言った。
「間違いなく、中心地にいるんだな?」
バイランが頷くと、ルーネベリは「ありがとう」と言った。
「これで次の目的地がわかった。あとは、どうやって剣の中に入るかだが、それはもう大方わかっている。ーーバイランさん、髪をくれないだろうか?」
「髪?」
「あぁ、バイランさんの髪じゃなくて。メトリアス女王の姉君のスアリトメ女王の髪だ」
バイランは首を横に振った。
「もうない」
「えっ?あぁ、じゃあーーメアさんの髪を……」
ルーネベリがそう言うと、バイランは顔色を曇らせた。いくら髪でも、いくら事情があったとしても、妻の髪を欲しいなど言う尋常を逸した男の話を喜んで受け入れる夫などいるだろうか。ルーネベリは無神経だったとすぐに気付いて「すまない」と言ったが。バイランはため息をついて言った。
「わかっている。本人に聞いてくれ」
ルーネベリは軽く頭を下げてから、席を立った。それから家の外に出て見ると、神フェザティアとアブロゼが次々と色とりどりの毛布を作っているところだった。街に住んでいる肌の色も形も様々な人々が大勢集まっていた。そして、メアが完成した毛布を住人たちに配っていた。
ルーネベリはその作業を中断させることを悪いと感じながらも、メアに声をかけた。
「すみません。今、いいですか?」
メアが振り返ると、人々も振り返った。
「ルーネベリ!見て、沢山作ると皆喜んでくれる」と満遍の笑みを浮かべてフェザティアが言った。その隣のアブロゼは喜んでいるフェザティアの姿を見て幸せそうだった。
ルーネベリが片手を上げて「あぁ、それはよかったな」と言った。
メアが近くにいた住人に何やら呟いてから、ルーネベリの元に駆け寄ってきた。
「どうかなさったの?」
「すみません。お忙しいところ。実はどうしても行きたい場所がありまして。不躾ですが、髪を少々頂きたいんです。女性にこんなことを言うのもなんですが……」
ルーネベリはあえて丁寧にそう良い、目線を逸らした様子からメアはうふふと笑った。
「悪戯が見つかった子供みたいだわ」
「えっ?」
「他の世界に行きたいのでしょう?もちろん、よろしくてよ。ナイフはここには置いてませんから、家に入りましょう」
「えっ、良いんですか?」
「えぇ、髪のほんのひと束ぐらい良いですわ。私はお礼をしたいぐらいですの。見て、皆あなたが連れてきてくださった神様のおかげで喜んでいるわ」
メアが差し伸べた手には、喜んで毛布やら先に作り終えた食器を抱える人々の姿があった。皆、新しい家財を手に入れて活気立っていた。