七十三章 耳飾りの謎
第七十三章 耳飾りの謎
女王メトリアスはきらりと床の上で光ったヒリスディアの星の形の耳飾りを見逃さなかった。鮮烈な真っ赤な瞳を細め、なんと黒いロングドレスに隠されていた白い靴で耳飾りを遠くへ蹴飛ばしたのだ。
「なっーー」
思わずルーネベリが声を漏らした。ヒテンは驚いて口を開いて見ているだけだった。
女王メトリアスは口元を覆い、さも気分が悪いものを見たと言わんばかりに顔を顰めていた。
《……エナリラの子ダったか》
「エナリラの子?エナリーの民では……」
女王は顔を顰めたまま、鮮烈な真っ赤な目をルーネベリに向けた。
《アミアが名付ケたエナリラの子。妾の身に起きた不幸ヨりも、悲しイ定メの子だ》
「悲しい定めの子……。なにかヒリスディア……いえ、エナリラの子についてご存知なんですか?」
女王メトリアスはヒテンの上で意識がなく横たわったままのヒリスディアに目を向けた。
《神の手カら逃ゲたアミアを守った子。勇気ある子。怒った神に種の寿命を奪わレ、呪わレた。アミアは勇気ある子エナリラと名付けて称えた》
「の、呪われた?」
ルーネベリはそんな馬鹿な話があるのかと思っていると、メトリアスは自身が耳飾りを蹴飛ばした方向を指差した。
《あの石は、エナリラの生きらレるはずの時を、寿命を固めて作らレた呪イの源だ》
「なんだって!そんな不気味なものを耳飾りにしていたのか……」と言ったルーネベリに、ヒテンがポツリと言った。
「はぁ……、ルーネベリ」
「ん?どうした、ヒテン」
「ヒリスディアの耳飾りを、僕の元に持って来てほしい……」
「えっ、今、聞いただろう?あれは呪いの源らしいぞ」
「うん。それでも、彼女が大切にしていたものだから……はぁ。勝手に捨てていいものじゃない」
ルーネベリは言葉に詰まった。
まったくその通りだとルーネベリは思った。ヒリスディアは耳飾りの石が何なのかも知らずにずっと身につけてきたのだとしたら、手放すべき理由をきちんと伝えるべきだろう。そして、その上でヒリスディア自身がどうするべきか考えるべきだ。なぜ、そんな当たり前のことを思いつかなかったのだろうかとルーネベリは女王メトリアスを見た。
女王メトリアスが耳飾りを蹴飛ばし、不快そうな顔をし、話を聞いてルーネベリは耳飾りが不気味なものだと勝手に判断してしまった。女王メトリアスの主観的な意見を鵜呑みにしたのだ。しかし、石がエナリーの民が本来生きられる時間を固めて作られたものならば、実際のところは大切な物なのではないだろうか……。
ルーネベリは座り直し、女王メトリアスに言った。
「どうして、耳飾りを蹴ったんですか?」
メトリアスは言った。
《妾は神の呪イと相容れぬ》
「相容れない?いや、それはすべての人がそうなんじゃないですか……。そもそも呪いなんてものはあるんですか」
《在ル。妾の身が呪イだ》
ルーネベリは驚いて後ずさった。
「……呪い、呪いで身体ができているんですか?」
メトリアスは不気味にニタっと微笑んだ。
《カヴェザアフは神の光も届カぬ冥闇の世界。妾は妾に呪イ、愛しイ人を探してイる。刻々と進む時さえも妾を奪エぬ》
「ーーつまり、愛しい人を探すために、ご自身を呪い生きながられているということですね」
ルーネベリはニキルが話していたメトリアスの鏡について思い返していた。ニキルの話では、女王メトリアスは愛する人を鏡の中に入れて、永遠に生かそうとしたが。嫉妬した者に鏡を粉々にされ、女王メトリアスは愛する人を探す旅にでたのだとか。ニキルの話はどうやら本当のようだった。
女王メトリアスは「うふぅふ」と笑った。ルーネベリは言った。
「いつから探しはじめたのかはわかりませんが、そんなに探している人は長生きなんですね……」
《ーーあの人は、稀ナお方。冥闇のカヴェザアフで咲イた奇跡。失のうトうなかった》
「咲いた?ーー人間ではなさそうですね……」
メトリアスは今度は優しく微笑んだ。
《何者でアるのかが大事か?》
「えっ?」
《姿が大事か、色が大事カ、匂いが大事か、『声』が大事か。何が大事だ?》
ルーネベリは戸惑った。女王メトリアスが何を言おうとしているのかは大体わかっていた。その者を形作るものは何か。顔や手足や身体という形か、その者の肌の色か、その者が発する匂いか、その者が発する声か。はたして、その者の本質はどこにあるのか。外見にはただ他と区別できるものしかない。他と似せれば似せるほど、他と近づくかもしれない。けれど、近づけば近づくほど個として区別がしにくくなる。その者にしか存在しない個性が失われていくのだ。そういった意味で言っているのはわかるが、女王メトリアスがどういう意図で聞いてくるのかがわからなかった。
ルーネベリは「はぁ」と相槌を打った。
メトリアスは言った。
《妾も皆の者も嫌なモのを排除しよウとする。中身も知らず醜いと嫌イ、追イ出そうとする。妾の心は悲イ。何者でアるのか、名を知レば安心するのか。他と同ジであれば安心するのか。安心シてどうなる?》
「どうなると言われても……」
《己の安心のタめに、他を犠牲にさセてどうなる。ーー妾も安心のたメに、エナリラの子のもノを蹴った。ソなたは妾を責めた》
「いや、責めたわけじゃなく、理由を聞いただけでーー」
《ソなたは妾の行イを見て、不快なものだと思った。妾がそウ思わセた》
心が読まれたのかとルーネベリは一瞬思った。
「確かに、俺はろくに考えもせずに、見たとおり聞いた通りに受け取ってしまいました。でも、そのことであなたを責めたわけじゃないんです。俺はヒテンに言われて、はじめて俺自身の判断が早すぎたことや甘かったことを思い知ったんです。それがーー責めているように聞こえたのなら、謝ります」
女王メトリアスはルーネベリに近づいて、頬に触れた。
《好き嫌イの感情は、はじめから決まってイる。考エは後からクる》
ルーネベリは首を横に振った。
「一体、何を言いたいのかーー」
《後悔すルのは、先にあル感情を認めらレぬかラだ」
「あぁーー確かに」とルーネベリは頷いた。
《心は変ワる。時が経つほドに、同時に在ル思いに翻弄さレながら。拘り執着シた感情は、いつシかさほど大事ではなイと知る。そうして、本来在ルべき姿へと戻ル。これが真実だ》
メトリアスはルーネベリたちの後方を指差した。ルーネベリが振り返ると、キラッと光るプラチナの鞘が見えた。
ルーネベリは赤い髪を掻いた。
「真実の剣?ーーえっ、俺、持って来ていたのか。あれ、記憶にまるでないんだが。崖に突き刺したところまでは覚えているが……」
女王メトリアスはルーネベリの頬からぶらりと手を離した。そして、真実の剣を指差した手をメトリアス自身が蹴飛ばしたヒリスディアの耳飾りが転がっている床を指した。
《妾たちも、神たちも過ちを犯すモの。後悔は誰しモがする。先にある感情が正しイなど誰にわかロう。己しかわかラぬことーー。他の者に問イ、他の者に語リ、妾の考エは纏った。運命は互いに必要なモのに巡り合わセた。呪イからの解放。次の世界への道。愛おしイ人の居処》
「呪いからの解放ってことは、やはり俺があの剣で耳飾りの石を傷つけるなり砕くなりすれできるってことなんですね。わかりました。ありがとうございます。
ところで、居処というと?もしかして、あなたの探している人がどこにいるのかわかったんですか」
メトリアスは微笑んだ。
《此処へ来テ、よかった》
ルーネベリは言った。
「あの、気になるので教えてください。どこにいるんですか?あなたが探している人物はーー」
《妾と愛おしイ人を引き裂イた者が悔イたのならば、妾が去った後、妾の世界に戻ってイる》
「もし、そこにいなければ?」
《はじめから探シ直セばよイこと》
「どうしてそこまで……」
《『あの人』に会いたイ。大切なモのに気づイて、はじメて己の過ちを知ル。妾に欠けてイたのは、他者の気持チだ。妾はあの人を愛シ、他の者を嘆かセた》
「それは、別にあなたの責任ではないんじゃないですか?恋愛にはそういったこともありますよ。すべての人が同時に幸せにはなれない時もあります」
《そレでも、妾は己の幸セだけを考エてはならなカった。手を尽クせばよカった。彼の者の心が妾を忘レ癒エるのを待てばよカったのだ。後悔ばカりが募る》
「彼者?」
ルーネベリが腕を組んで考えていると、静かに様子を伺っていたシュミレットが言った。
「異す時の彼の者を添えーーだったね」
ルーネベリはシュミレットを見上げ、頷いた。
「聞き覚えがあるなと思ったんです。『彼の者』というのは、てっきりヒテンのことかと思っていたんですが。もしかして、俺が考えていたこととはまるで違う意味だったのかも知れませんね」
シュミレットは首を傾げた。
「君は何を考えているのかな?」
「仮の話ですがーー」と言いながら、ルーネベリは立ちあがった。
「すべてが繋がっているとしたらどうでしょうか?」
「すべて?」とシュミレット。ルーネベリは言った。
「あぁ、この場合、すべてというと難しいので、一部と言っておきます。繋がっていると考えているのは、メトリアス女王のいたーーえーと」
「カウェザアフ」とニキルが言った。ルーネベリは頷いた。
「そう、カヴェザアフでの出来事と、ヒリスディアの世界で起こった出来事です」
シュミレットは二度頷いた。
「なるほどね。それで、君はどういった繋がりがあると見ているのかな?」
「はい。まぁ、まったくの仮説ですが、メトリアス女王が故郷のカヴェザアフで恋に落ちた」
《シトゥー》
「えっ?」
《あの人の名前》
「あ、ありがとうございます。メトリアス女王はシトゥーと恋に落ちた。そして、鏡の中にシトゥーを入れた」
黒い縮れた髪の女王メトリアスは頷いた。ルーネベリはつづけた。
「ところが、彼の者はシトゥーに嫉妬して女王の鏡を粉々に割ったとか」
《彼の者の名はバイラン。常闇の中で最も力がアり偉大ダった》
「ーーそのバイランが鏡を割ったのを見て、メトリアス女王は自らを呪って鏡の中へと入り、シトゥーを探しに行く旅にでた。
一方、ライナトという世界では、神の手からアミアという人物をエナリラの子という人物が助け、神に寿命を奪われて呪われるということが起こった。それはなぜでしょうか。アミアという人物はなぜ神に狙われていたのでしょう」
《知らなイ》と女王メトリアス、ニキルを見ても首を横に振っているだけだった。もちろん、シュミレットやアラたちもルーネベリと同じく知らなかったので黙っていた。
「そう、それは誰も知らないんですよ。もしかしたらヒリスディアに聞けばわかるかも知れませんが、彼女は今話が聞ける状態ではないので、俺が数ある仮説の中から最も考えられることを話しますね」
皆は黙ってルーネベリの話に耳を傾けた。
「まず、俺が気になったのは。先ほど、メトリアス女王が懐かしい声を聞いたと言ったことです。知人と似たような声は多数あるかも知れませんが。二つの世界が重なる狭間でメトリアス女王が聞いたとすれば、それはヒリスディアの声です。
メトリアス女王、聞こえた声はどんな声でしたか?」
《心に深ク染みるよウな声ーー》
「身体の内側から聞こえていましたか?」
女王メトリアスは首を横に振り、両耳を押さえた。
《遠クから、耳へト届イた。妾はその声が聞こエた方へ追い此処まで来た》
「それがもし人違いでなかったとしたらどうでしょう?」
女王メトリアスはぱっと花が咲いたように頬を染めて、少女のように顔を綻ばした。
《あの方がここにイる?》
「俺の考えが正しければ、ですが」
シュミレットは言った。
「どういうことなのかな?」
ルーネベリは言った。
「今から言う話はほとんど想像でしかありませんから。どう思うかは自由です。
俺はこう考えました。メトリアス女王が愛する人を探しに旅にでた時、彼の者バイランも同時に旅に出たとしましょう。そして、その時、シトゥーを捕まえて閉じ込めていたとします。実際に、俺たちはメトリアスの鏡に人を閉じ込めたことがあるので。それは可能だということです。ところが、メトリアス女王は鏡の中を行き来きできます。いつまでもシトゥーを鏡の中に閉じ込めておけば、いずれはメトリアス女王に見つかっていたはずです。だから、俺は考えたわけです。鏡ではない場所に隠す必要があったと」
シュミレットは言った。
「その新たな隠し場所がヒリスディアの耳飾りと言いたいのかな?」
「はい。まぁ、とんでもなく出来すぎた話ですが。バイランはメトリアス女王に気づかれないシトゥーを隠す場所を探して、偶然、ライナトという世界へと辿り着いた。そこで、何らかの理由で神から逃げていたアーミア、アミア……どちらでもいいですが。そのアミアをライナトのエナリラの子が助けた。ところが、神はエナリラの子の寿命を奪い、奪った寿命を石にして残した。ですが、問題はこの後です。神はエナリラの子の寿命は奪っていますが、肝心のアミアは捕まえたといった話ではありませんよね。アミアはエナリラと名付けている様子から見ると、アミアは助かった可能性が高い。なぜ、助かったのでしょうか。
ここからは俺が、もし、バイランだとしたらの話になりますがーー。俺がバイランだったら、神がエナリラの子の寿命を奪い石にしたところを目撃したのを見て、格好の隠し場所だと思います。先ほど、メトリアス女王は神の呪いとは相入れないと拒絶していました。バイランはシトゥーに嫉妬するほど、メトリアス女王を想っていたとし。メトリアス女王自身が呪いによって生き永らえることができるとあらかじめ知っていたらの話ではありますが。あらかじめ知っていたら、神の呪いの源である石の中に隠すのが最善でしょう。
しかし、バイランの目論見は半分しか成功したかったとしたら、全ての辻褄が合うと思うんです」
「目論見は何?」とニキルが言った。
ルーネベリは言った。
「神はアミアを何らかの目的で追っていた。しかし、エナリラの子が邪魔をした。エナリラの子の寿命を石にした神に、バイランが話しかけた。神はバイランに、アミアと類似する何かを発見したとすれば。例えば、アミアより優れていたとすれば、神はアミアを見逃し、バイランの願いを叶えて連れ去った。どうでしょう?」
シュミレットはクスリと笑った。
「なるほどね。確かに、君の言うことには辻褄は合うかも知れない。でもね、現実で確かめることが可能な以上、論より証拠だよ。君の手で耳飾りの石を砕けば、何が真実かわかるはずだよ」
ルーネベリは笑った。
「そうですね、先生。今のままでは俺の空想でしかありません。ですが、俺はこの説は正しいという自信があるんです。
まぁ、砕くより先に、ヒリスディアに許可を得るべきなんでしょうが。彼女が目覚めるのを待てば、証拠がない以上、メトリアス女王が俺たちより先に別の世界へ行ってしまうでしょうし。それか、コロモロロトが旅立つかも知れません。そうなればライナトからさらに遠ざかるかも知れませんから、エナリーの民の寿命が彼らの元へ帰るのか、どうなるのかもわかりません。
どちらにせよ、今までの流れからして、きっと、俺が砕けば、もう俺たちは次の世界に行かなければならないでしょうから。もう今してしまうしかないでしょう」
ルーネベリはヒテンに言った。
「ヒテン、申し訳ないが、ヒリスディアが目覚めたら俺が謝っていたと伝えてほしい。それから、ヒテン、ヒリスディア、色々と大変だったが、その分幸せになってくれよ」
「……はぁ、ありがとう。ルーネベリ」
ルーネベリは微笑み頷いてから真実の剣が転がっている方へ歩いて行った。
真実の剣、それは本当に不思議なほど美しい剣だった。ルーネベリ剣を拾いあげ、今度は耳飾りが蹴飛ばされた方へ歩いて行き、クリスタルのような星の形によく似た透明な石のついた耳飾りを拾いあげた。それから、その二つを掴んだまま、メトリアス女王の側まで戻ってきた。
メトリアス女王は期待を込めた目でルーネベリの行動を見守っていた。
ルーネベリは床に耳飾りを丁寧に置いてから、真実の剣のプラチナの鞘を引き抜いてから言った。
「二つの重なりある時間軸の外側は鏡のようでした。しかし、実際のところ、向こう側を映すほど透過していただけであって、重なり合った箇所を映していなかっただけなんです。つまり、重なり合う時間軸の中は透明なガラスの中と似通った状態ということになります。光を一直線に通すことはあっても、そこに反射するような鏡のようなものは存在しないということになります。しかし、メトリアス女王は鏡から二つの世界が重なり合う世界へ辿り着き、ヒリスディアを救い出しました。
では、メトリアス女王は一体どこから来たのでしょう?」
「もしかして」と声を漏らしたのは、意外にもニキルだった。
ルーネベリは言った。
「二つの重なり合う時間軸の中で、ヒリスディアの耳飾りは透過し。中に隠されていた鏡が現れた。そして、別の鏡から隠されていた鏡の表面を通ってメトリアス女王はやってきた。声が聞こえたのは、鏡の表面ではなく見えていない後方の奥側からだったとすれば、そこに意中の相手がいなかった理由となりうるわけです」
《妾が通った鏡の後ロに……》
ルーネベリは真実の剣を思いっきり振りあげて、耳飾りの石めがけて振り下ろした。剣の訓練もしたこともないルーネベリの腕力だけでは到底砕ききれなかっただろうが、真実の剣は迷うことなく真っ直ぐに透明な石を砕き、中から現れた小ぶりの丸い手鏡をも砕いた。そして、まるで待ちきれないといわんばかりに眩い黄色い光を帯びた長い金髪の人物が飛び出て女王メトリアスを力強く抱きしめた。
《愛しい、愛しいメトリアス!》
《あぁ、シトゥー。ずっと、会イたかったーー》