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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部一巻「針の止まった世界」
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十五章



 第十五章 瞳心の神殿





 窪みの底へ落下すればするほど、身体を打つ、貪るような突風が激しくなっていった。背は仰け反り。両足両腕は風を受け止めようと大きく開かれていた。全身の脂肪がぷるぷると揺れ動き、後方へと逃れるなか。「人は高い所から落下すると、意識を失う」という言葉を、底へ落ちながらふと思い出したルーネベリは、今まさに死ぬというときに、なんでそんなことしか考えられないんだろうと、ひどく落胆していた。考えることなら、もっとほかに色々あるだろうに……。 

 ミースの耳をつく悲鳴さえ、まるで何かの音楽のように聞えていた。窪みが生き物のように闇という口を開けて、目の前で二人を待ち構えているというのに、結局、何のなす術もなく。突風に喉を圧迫され、呼吸すらままならず。そのうち、意識すら朦朧としていた。いくら、懸命に抗おうとしても、視線が目の前と瞼の裏を行き来した。意識が途絶えようとした、そんな時だった。誰かがルーネベリの鼻を指で弾いた。

《うっ》

 むず痒い痛みに、眠りを妨害されたような気分だった。腹を立てて、目をぱっと見開くと、落ちていたはずのルーネベリの体は空中でぴったりと止まっていた。《なんだこれは?》ルーネベリは一体何が起こったのかと、周囲をぐるりと見回した。そして、視線の端にはミースを見つけた。ミースもまた、ルーネベリと同じように体も空中に浮いたままぴったりと止まっていた。

《なんだ、止まっているのか?これは、どうなっている……》

 置かれた現状を読み込めず、ルーネベリは困惑していたが。とりあえずはミースの元へと向おうと、身体を動かそうとした。しかし、身体は錘のようにひどく重く、指一本でさえまったく動かなかった。

「まったく、一体どうなっているんだ?」と呟いた言葉すら、声にはでていないと、ルーネベリはそこでようやく気がついた。唇も動いていなかったのだ。どういうわけか、意識だけがあり、身体が動かない。瞬きもしない。見開いた目が世界を見ている。こんな状態に陥ったこともないルーネベリはどうしようかと、思考を巡らせたが。考えれば考えるほど、ますますわけがわからなくなっていた。非科学すぎて、どうにも腑に落ちない。物理的に身体が空中で止まるはずがない。誰かが時術をかけたか、それとも、魔術を――?

《そうではない》

 ルーネベリの心中、誰かが答えた。まだ、発育の未熟な幼い声だった。

《誰かいるのか?》

 動かない身体を必死に動かせようとしたが、びくりともしない。すると、そのうち、《ここにいる》と、少年が視線の脇から空中をとぼとぼと歩いてきた。頭を綺麗に丸め、獣のような瞳持った竜族の少年だ。白い僧侶の衣を身に纏った少年が空中を軽やかに歩いていた。ルーネベリは《お前か?俺の声が聞こえるのか》と訊ねた。

 少年僧はルーネベリの目の前に立ち止まり、微笑んだ。


《ルーネベリ・L・パブロ、ザーク・シュミレットはもう羽根を取り出した》

《なんだって?どうして、名前を……。それに、羽根だって》

《時を止めた者が仕組んだ、翼人の羽根だ。羽根と魔力が世界の時を止めていた。しかし、時期、ザーク・シュミレットの手によって時の石が再び動きはじめる》

《それじゃあ、先生は成功したのか!》

 少年僧は小さな頭を傾け、頷いた。ここ二日、シュミレットから何の連絡をうけていなかったが、事は上手く進んでいるようだ「そうか。それならよかった」と、ルーネベリは安心してほっと息をついた。

《しかし、時が動き出せば、すべてのものが動き出す》

 ほっとしたののも束の間、少年僧のたった一言で、わずかな安堵を掠め取られそうになって、ルーネベリは慌てて言った。

《時が止まっていた間の障害か?それなら、時が動き出せば、外から時術師を呼び込める。外の世界との時差は、きっとすぐに埋められるはずだ》

《そうではない》と、少年僧は言った。

《すべての生き物が、自ら動き出す》

《何を言っている。生き物なら、もうすでに動いているじゃないか》

《ルーネベリ・パブロ。そもそも、どうして時の止まった世界で、時の中を生きるものが動いていられる?》

 ルーネベリは《それは……》と口篭った。確かに、「時間の止まった世界で人々が動いているのは、なぜなのか?」という疑問は、第十四世界に着いた頃から、うっすらと脳の片隅にあった。けれど、あまりそれを重要視してこなかった。ルイーネの探索にくわえ、時を止めた犯人を突きとめることばかり考えていたからだ。だが、いざ、少年僧に訊ねられると、「なぜだろう」と頭を捻ってしまう。ルーネベリは考えた。傷も疲労も感じず、不安にかられながらも、いつも通りの生活を送る人々。彼らは、なぜ、動いているんだと――

 少年僧は言った。

《時はすべてを動かす力、動力だ。時を奪われたものは、どんな存在も動くことができない。生きることすらかなわない》

《それじゃあ、俺たちが動いていたのはどういうわけだ?》

 少年僧は天にむかって人差し指を向けた。《見るがいい。あそこには、ルーネベリ・L・パブロとミース・ラフェル・J・アルトの身体がある》

 ルーネベリの身体が、少年僧の指差した方向へ独りでに反転した。身体ごとすっかり上空を見上げる形になって見てみると、少年僧の言うように、遥か上空で歩こうと片足上げて止まったままのルーネベリの身体と、その背後で砂を撒こうとしているミースの身体があった。《なんで、あんなところに……?》と呟いたルーネベリは、自分たちは、さっきあそこから落ちたはずだと少年僧に言ったが、少年僧は首を横に振った。

《身体はずっと、あそこにありつづけていた。落ちてなどいない》

《そんなばかな!落ちた感覚や、身体が感じた風の感触も、恐怖も、今でもはっきりと思い出せる。なのに、どうして身体はあそこで止まったままなんだ?》

《それはすべて錯覚だ。実際には、身体が受けたものではない。落ちたと感じていた間も、身体はずっと同じ場所にありつづけた》

《どういうことだ?》

 ルーネベリは眉をひそめた。少年僧は言った。

《この世界の時は、止まっている。時の止まったこの世界で、自ら動くことができるものがいるとするならば、それは坊しかいない。他にはいない》

《お前の他にはいない?なんだ、その理屈は。まるで、お前が特別だとでも言いたげだな。管理者である桂林様はどうなんだ》

《管理者は、その世界の時間の一部だ。時が止まれば、当然、管理者は止まる》

《それじゃ、お前は何なんだ?》

《坊は時ではない。坊は傍観者。本来は何もせず、具現化することもなく、世界の流れをただ見つめつづけるだけの存在。時が持つ影。動力の影。奇力に属する存在だ》

《なんだって?》

 ルーネベリは、はじめて聞く「傍観者」や「動力の影」。「奇力」という言葉自体に戸惑った。

《それじゃあ、なにか。お前は奇力の化身だと言いたいのか》

《生き物に語りかけるには同じ姿になるほうが、都合がよかっただけのこと。坊は、ルーネベリ・パブロに伝えたいことがあった》

《俺に伝えたいこと?》

《坊は、世界の時がとまったときから、この世界にいるものを動かしている。ルーネベリ・L・パブロの身体があそこにあるのもそのためだ》

 ルーネベリは少年僧に言った。《はぁ、そうか。要約すると、お前のおかげで俺たちは動いているってわけか。しかし、どうやって、動かしているんだ。ものがとるだろう行動を予測しているのか?》

《予測などしていない。この世界に存在するそのものの中にある奇力を通して、そのものがどう動くのか坊は知る。世界の中にあるすべての奇力を通して知り、そのものを通して動かしている。けれど、生き物はそれに気づくことはない》

《あぁ、なるほどと言いたいところだが……。奇力は頭で理解するより、体験して理解するほうが早そうだ。現に、お前の話を信じるとするなら、今、俺は奇力を通してお前と会話をしているということになるんだろう?》

 少年僧は細い身体を揺らし、頷いた。

《なるほど、これが奇力なのか。普段、会話しているのと何一つかわらない。いや、この世界に着いた時から、ずっと奇力で動いていたってことなら、まるで普段どおりじゃないか》

《奇力は、そのものが持つ本質と認識、記憶を反響させている》

《そりゃ、恐れ入った。お前には、俺たちの考えていることはお見通しってわけなんだな》

《生き動くものの考えることなど、坊には意味などない》

《そうか、お前は人じゃないんだな。そんなことを気にするのは、人間ぐらいか》おかしなものだなと、心中、ルーネベリは言った。

《そういえば、瞳心の神殿は奇力でできていると言っていたな。神殿で俺が見たものはお前が見せたのか?》

《坊は本来、意志があるわけではない。坊は、あの場にいた者が、強く感じていたもの。かつて見た光景の一部を映しただけのこと》

《あの場にいたってことはミースか。ガーネか、俺か……》

 ルーネベリは「ははっ」と笑った。

《困ったな。それを伝えるために、わざわざ、子供になってくれたわけか》

《そうではない》と、少年僧。

《それじゃ、何だ?俺に伝えたいことというのは》

《神殿に娘を閉じ込めている。しかし、閉じ込めていられるのは、あとわずか。時が動きだせば、すべての歯車も動きだす》

《娘?》

《ガーネ・J・アルト。その娘は、この世界に来たときからずっとルイーネ・J・アルトの痕跡を追っていた》

《ガーネか。ちょうど、俺たちもガーネを探していたところだ。だが、ガーネははじめから叔母を捜していたんだ、ルイーネの痕跡を追うのはなんらおかしいことでもない。ガーネにはもっと、他に何かあるようなんだが……とにかく、神殿で足止めしてくれているなら、探す手間がはぶけた。ありがとう》

《何か勘違いをしている》

《勘違い?》

《坊はルーネベリ・L・パブロのために、娘を神殿に閉じ込めたわけではない。坊は、あの娘が危険だと察したからこそ、神殿に閉じ込めただけだ》

《ガーネが危険だって?》ルーネベリは言った。

《時のとまった世界で、時術式をつかったからか――いや、違うのか。俺たちの意志を組んで、お前が俺たちを動かしていたのなら、実際にはガーネは時術式を使っていなかったが、ガーネの意志をくんで、お前がガーネを別の場所へ移動させた。ミースが見たのは錯覚だと……こういう解釈でいいのか?》

《あの娘には、この世界に来るずっと以前から仕掛けがしてあった。時がとまっているからこそ、その仕掛けは身を潜め、働いていないが。時が動きだせば、それは動きだす。坊は、それを少しでも食い止めるため、娘を神殿に閉じ込めた。けれど、それも時間が戻るまでの間だ》

《俺たちがガーネには何かあると感じるのは、そのせいなのか》

《坊は伝えたかった。もうじき、時は動きだす。時が動きだせば、

坊は本来の時の流れに戻り、本来の役割に戻る。そうなれば、娘を閉じ込めておくこともできなくなる》

 少年僧はルーネベリに《どうか、娘を止めて欲しい》と言った。ルーネベリは少年僧の顔をじっと見ていた。

《……一つ、よくわからないんだが。何もしないといっていた傍観者が、動いていない俺たちを動かしている理由はなんだ?》

《それは、この世界が狙われた答えでもある》

 少年僧は悲しそうに長い睫を伏せ、繊細そうなほど透き通った青の瞳を隠した。






《坊のような傍観者はどの世界にもいるが、坊のように時が止まっても、世界を動かしつづける傍観者は、他のどの世界にも存在していない》

《つまり、お前は普通の傍観者ではないと?》

《時の流れのなかで記憶を積み重ねてゆくものと違い、坊のような傍観者は、ほんのわずかな時の区間でしか記憶を認知していない。それゆえに、坊が誕生した瞬間のことはまったく知らないが、坊の存在が管理者と関わりがあることだけはわかる。力を持ったことも、坊の役割も、坊の存在するのは、すべて時のためにだけある》

《お前は管理者を守っているのか?》

《そのためだけに存在している。……しかし、五十三年前、桂林の命が狙われ顔に傷がついたとき。桂林の命を守るために、セロナエル・J・アルトに桂林の瞳を与える形になってしまった》

《五十年前の話か。度々、その話をよく聞くが、ラン・ビシェフが言っていたセロナエルの持っていたという竜族の瞳は、桂林様のものだったのか》

《それだけではない。その際に、坊は坊の存在を三人の人間に悟られてしまった》

《はぁ。それは一体、誰に?》

 少年僧は小さな手で瞼に触れた。

《デルナ・コーベン、セロナエル・J・アルト。そして、男が一人いた》

《男?》

《それが、誰なのか特定できないのか?》と、ルーネベリは言ったが、少年僧は首を横に振った。

《それはできない。あの場にいた男は、体内に持っている奇力を封じ。外部との干渉を一切遮断していた》

《奇術に長けた者だっていうのか》

《坊の知るところではない。男は身を隠し、はじめから桂林を見ていた。けれど、二人の人間が桂林を襲撃したときも、男は身を隠したままだった》

《それじゃあ、桂林様を襲ったのは、デルナ・コーベンとセロナエル・J・アルトだったというわけか》

《桂林様の秘密というは、お前のことなのか?》と、ルーネベリはそう尋ねた。少年僧はルーネベリの瞳を見た。途端、質問の、その答えを少年僧から聞く前に、身体がぐいっと引っ張られ落ちるような、不気味な感覚に陥った。ルーネベリは《なんだ?》と叫んだ。

 少年僧は何かを察したかのように、窪みの方へ顔を向けていた。

《ザーク・シュミレットが時の石に入り込んだ魔力を取り出している。時の力が戻りつつある》

《そうなると、どうなるんだ?》

《身体を離したまま、ルーネベリ・L・パブロを留めておくのはこれ以上は難しい。これ以上、留めておけば、二度と戻れなくなる》

《はぁ、時間を止めていたわけじゃないのか》

《坊は時ではない。時の影だ》

《あぁ、わかっている。わかっているが、ややこしいんだ。それで、どうすればいいんだ?》

《身体のある場所へ戻す。もう、二度と落ちてくれるな》

《できれば、そうしたいんだがな……。竜の道は、俺たちには見えないんだ。どうしろっていうんだ》

《坊の瞳はこの世界のあらゆるものを捉える。ルーネベリ・L・パブロに坊の瞳を貸し与えよう。身体が戻れば、竜の道が見えるようになる》

《そりゃ、いい!》

《しかし、時が戻れば、坊の瞳は神殿に戻る》

《その前に、神殿に辿り着けばすむ話だ。ひとっ走りすれば、すぐだ。道順はここが覚えている》と、ルーネベリは赤い髪に埋もれた秀才の頭を指した。

《その記憶は正しいが、どんなに急いだとしても、神殿に着く頃には夜になっているだろう》

《それぐらいはかかるか。足には自信があるんだがな》

《神殿には、阿万も向っている》

《阿万僧侶もか?……何の用だろう》

《竜族は、坊を閉じ込めることが世界のためだと思い込んでいる》

《それは、一体?》と、ルーネベリが言ったが。 少年僧はかすかに微笑み、返事を濁した。そして、《頼んだぞ》と一言言い残すと、ふっとその場から消え去った。

《おい!》と、後を追うように声をかけたルーネベリの目の前に、直視できないほど眩しい白い光が覆われた。まるで、眼球に空気に触れ、水分を奪われたようにルーネベリはぎゅっと目を閉じた。

 無意識に空気を吸い込むと、胸が大きくあがった。指先や靴の中に納まった足の指まで閉じたり、開いたりしてみた。動いていた。目を開けると、ルーネベリは道の上に立っていた。身体に戻ったのだ。「戻ったのか」

後ろで、ミースの撒いた砂が跳ねる音が聞えた。

「――い、今、私たち落ちていませんでしたか?」

 ミースが驚嘆した顔でそう言っていたが。ルーネベリはくっきりと足元に見えるようになった、じわじわと沸きあがる霧のような竜の道を見るのに忙しく、「あぁ、そうだな」と頷いただけだった。










今月初の投稿。近頃、月一ペース。

これはかなりのペースダウン気味に…

五月病になっても、がんばらねば……

最終的には、第一章は7月までに終らせます……たぶん……

それでは、また次回!



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