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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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六十五章 巡り逢い



 第六十五章 巡り逢い





 ルーネベリはヴィソロゴダンの頬に触れた。ごわごわとした毛むくじゃらの頬には温かさも冷たさも感じなかった。ルーネベリがヴィソロゴダンの頬を撫でてやると、ヴィソロゴダンは心地が良いのか、四つの目を細めた。

 ルーネベリは言った。

「そうだ、本物の愛情だ。その愛情を手に入れるためにも、素直に過ちを認めろ、ヴィソロゴダン。どれほど認めたくなくとも、どれほど苦しいことでも、認めなければならない時がくる。例え、今逃げ出しても、結局同じような出来事が再びやって来る。時が経てば経つほど、お前は選択肢を失っているんだ。どうか、気づいてくれーーヴィソロゴダン、お前自身のトラウマから解放されるためにも、皆を解放しろ」

 ヴィソロゴダンは静かに四つの目を閉じて、喉を鳴らした。それはまるで一匹の怖ろしい獣がじゃれているようにも見えた。

 ヴィソロゴダンは喉を鳴らしながら言った。

「本物の愛情が貰えるのなら、解放してやってもいい……」

 ルーネベリは少しほっとした気がした。話せばわかるのかもしれないと安易にも思ったからだ。ヴィソロゴダンは獣とはいっても、愛に飢えているのだ。愛情を十分に与えられれば、きっとヴィソロゴダンは心を入れ替えるだろうとーーところが、ルーネベリの思いに反して、突如、ヴィソロゴダンは四つの目を見開いて、頬を撫でるルーネベリの左腕を掴んだ。

「――とでも、言うと思ったか!グアハハハ、馬鹿な奴だ。わざわざ自分から真実の剣を手放してくれて助かった。俺はあれが怖くてしかたがなかった。俺の生みの親を殺した剣だからな。

本物の愛情がなんだか知らないが。俺はそんなものなくても生きてゆける。誰もいなくとも生きてゆける。お前はここで死ぬがな!じわじわと俺の爪に切り裂かれながら俺に関わったことを後悔しろ」

 ヴィソロゴダンは醜く笑った。ルーネベリはちぎれそうなほど激しく痛む腕と目の前に見える涎を垂らして笑う獣に心から呆れ果て、心底同情した。この獣には心がないのかもしれないとーー。この獣に今しがた感じた思いがすべて消え失せてしまった。

 ヴィソロゴダンが左手の爪を剥き出しにした。ルーネベリは冷静にその尖った鋭利な爪を眺めて思った。

《あぁ、俺はここで殺されるのかーー》

 ルーネベリの心の声に幼い透き通るような声が答えた。

《――いいえ、あなたは死なせないわ》

ルーネベリは驚いてヴィソロゴダンを見あげると、ヴィソロゴダンは爪を剥き出しにしたまま固まり、ぴくぴくと微かに動いていた。ルーネベリの腕を掴んでいた力がすっと抜けていった。

 バシンッーと、床を鞭で叩く音が部屋の中に響いた。音が鳴った方を見ると、柔らかな光をうっすらと纏った、金糸のような長い髪をはためかせた少女が半透明な鞭を持ってそこに立っていた。先ほどまでの薄く青いベーツを首に巻き付け、色褪せた黒のような青あのような髪ではなくなっていた。姿形もさきほどよりはくっきりと見えていた。

 ヴィソロゴダンは動けない身体のままかろうじて言葉を発した。

「な、に、を、し、た?」

《ヴィソロゴダン、わたしはあなたを裁きにきたわ。わたしはあなたが真に心を入れ替えるまでけして離さない》

 そう言うと、少女はなにもない左の掌から半透明な蔓のようなものが次々と飛びでて、ヴィソロゴダンに向って伸びていった。半透明な蔓はヴィソロゴダンの首と四肢を捕まえるように絡みついた。そして、立っていられなくなったヴィソロゴダンは前身を床に叩きつけてから、四つん這いになった。

「や、め、ろ」とヴィソロゴダンはかろうじて言ったが、少女は何事もなかったかのように四つん這いになったヴィソロゴダンに近づいてその背に半分ほど腰かけた。そして、驚いたまま見つめていたルーネベリを見て言った。

《あなたにはお礼を言うわ。あなたはわたしが会いたかったヤルカ飼いの青年じゃなかった。でも、あなたがその人だった》

 ルーネベリは赤い髪を掻いた。

「ヤルカ飼いの青年じゃないが、俺がそうだった?そうか、俺が身代わりだからーー」

《あなたはここに来るはずだった彼とは違う行動や考え方をした。運命の女神であるレソフィアの描いた本来の筋書きどおりに動かなかったから、あなたはヤルカ飼いと呼べるものは何もなかった。覚えているでしょう。あなたに名を呼んでもらいたがったヤルカを。あなたが名を呼んで、同じことを何度も繰り返していればーー》

 ルーネベリはもう一度強く髪を掻いた。

「あぁ、そういうことか。俺がもし、名を呼んでいれば、俺はヤルカに乗り、何回も同じことを繰り返すうちにヤルカ飼いのようになっていた。現実的にはそうはならなかったが、結果的には俺がしたことが間違ってはいなかったんじゃないか?マトランを真実の剣で解放したからこそ、今――」

《そう、あなたのおかげで、わたしは五つ目の眼を開くことができた。女神と一つとなり、新たな女神としてこの場に生まれ変わった》

「それはよかった。だが、俺にはよくわからない。どうしてマトランを眠らせることで、五つ目の眼を開く事になったのかーー」

《マトランが何者かが大事だったの。マトランの種が神々の影響を受けないのは、彼の種の目が神の目を宿していたからなの》

「神の目?」

《とても力の強い神から与えられた目よ。本来、マトランは別の世界でとても重要な役割を担った一族だったの。だけど、大切な真実の女神様を探しだすためにレソフィアへ連れてこられた。一時の役目が、ヴィソロゴダンに囚われ長くつづいてしまった。

 わたしもヴィソロゴダンも過去を視る五つ目の眼を閉じていた。五つ目の眼を開かない限り、わたしもヴィソロゴダンも完全な神にはならなかったから》

「じゃあ、ヴィソロゴダンは完璧な神ではなかったのか。どうして、目を閉じていたんだ?」

《過去を視る目を開けば、マトランの目を通して、その目の本来の持ち主がここへとやってくるから。わたしは女神様と共に去れば助かる。けれど、私が去れば、本来別の世界で役目を担うはずだった人々の核はここで消滅していまう》

「一体、どんな神がやってくるというんだ……」

《わたしの身に宿ってくれた女神様よりずっと古くて恐ろしい神よ。神々にも格が存在するの。わたしやヴィソロゴダンは神々の世界では赤ちゃんのようなもの》

「赤ん坊に過ぎない?一体、神とは何なんだ」

《わからない。ただ、わたしがここにいて、何をすべきかわかっているの。すべきことをして、そして、いずれ扉の番人に巡り逢う》

「扉の番人?」

《あなたをレソフィアへ来るように言った狩人たちの親玉よ。これ以上話してもあなたには理解ができないわ。視るしかない。でも、あなたはその目は持っていない》

「目を持っていない?どうすれば俺はその目をーー」

《ヴィソロゴダンと同じことを願っているの?》

「えっ?」

 金糸のような長く柔らかな髪を揺らしながら少女は言った。

《ーーヴィソロゴダンの過去は知っているでしょう。ヴィソロゴダンは生んでくれた神様に愛されなかった》

「無名の神……」

《違うわ。あの神にも立派な名前はあったの。でもあの神様は名前を自ら捨てたの。偉大な神様に庭を与えられるよりもずっと昔、あの神様はとても大切に、とても大切に育てていた子がいたの。でも、あの神様は愛した子に酷く裏切られてしまったの。どれほど愛しても尽くしても報われず、裏切られ。生き物の貧欲さや醜さを知ったあの神様は美しい名を捨て、無名の神になったの。目的を失ったあの神様は、庭を与えてくれた偉大な神様に執着し、すべてが少しずつ狂っていったの。

 あの神様の庭を追い出されたヴィソロゴダンは神だけが持つ目を望んだの。その目があれば、あの神様が見たものをすべて知ることができるから。生んでくれたあの神様をヴィソロゴダンなりに助けたかったの。だけど、ヴィソロゴダンの願いは叶わなかった。あの神様は己の犯した罪を贖うために罰を受けて消えてしまった。

 ヴィソロゴダンはとても苦しんだの。誰にも愛されず、誰にも必要されず、何もできないことを嘆いて、自分さえよければそれでいいと考えるようになったの。自分さえよければ、誰が傷ついてもかまわない。救いようがないほど哀れで醜悪な獣に、ヴィソロゴダンは自らがそうなったの。彼自身が傷つかないために……。

 そうして、女神サタイン様、レソフィア様、オーリア様。三人の女神様を翻弄して、神に等しい存在とまでなったけれど。ヴィソロゴダンは望んでいた最後の目だけは開くことができなかった。無名の神が消えて必要がなくなったわけじゃないわ。ヴィソロゴダンは無名の神のようになろうとしていた。神になるために最後の目を開くにはマトランを消さなければいけなかった。

 それでも、ヴィソロゴダンは何もしなかった。下僕として傍に置いたのは、もっとも欲しい目を持っていたマトランがヴィソロゴダンにとって心を癒してくれる人だと未来を視る目でわかっていたからよ。真実の女神様を隠し囚えたのは、ヴィソロゴダンなりの復讐だったの。でも、その行動がマトランという人物をレソフィアへ導いた。ヴィソロゴダンはマトランを傷つけることはできなかった。マトランを生き永らえさせるために秩序を変えて、長い長い時間が経っても傍に置いていた。ヴィソロゴダンはまだ生命として愛を望んでいたの。それは許されないと、すべては繋がっていると、未来は過去からうまれるものだと、ヴィソロゴダンはなにも知らなかったの。マトランはわかっていたのに……》

「すべては繋がっている?」とルーネベリ。少女は頷いた。

《わたしは生まれるべくして生まれた。ヴィソロゴダンもそう、生まれるべくして生まれたの。わたしたちは巡り逢うのも必然だった。

あなたが身代わりとしてここにいることも必然だった。

すべての理には悪も善も存在しないけれど、流れが存在している。神々は新しい流れを作るから、流れを滞ることを悪として嫌い正そうとする。レソフィアでは新しい流れが定着し、今はもう、すべてを正すことはできないけれど、女神レソフィアが狂わせた運命の欠片は一つずつ戻していくわ。そして、またわたしは生まれ、そして蘇る。すべての過ちはすべての正しさへ、そして、また散らばり一つになる》

 意味深な言葉を呟いた後、少女が立ちあがり、両手を上げた途端、周囲にあった壁の床もなにもかもが消え去った。そして、暗闇の中、少女と四つん這いになったままのヴィソロゴダン、ルーネベリとシュミレット、アラやシャウ、バッナスホート、リカ・ネディとオルシエしかいなくなった。皆暗闇の中に床とも天のわからないところに浮かんでいて、黒いボールのようなものが無数に周囲に浮いていた。少女は鞭で宙を叩くと、その黒いボールのようなものたちは少女の近くまで飛んできて少女を取り囲むように輪を描きながら宙をまわっていた。

 少女は手綱のようにヴィソロゴダンを捕らえている半透明な蔓を引いた。ヴィソロゴダンは涎を垂らしながら抵抗をしようとしたが、身をかろうじて捩らせることができただけだった。少女の放った蔓は頑としてヴィソロゴダンの動きを封じていた。

 少女の衣は純白と化し、額に金の飾りをつけ、右手から金色の立派な長い杖がでてきた。

少女は言った。

《わたしは再生の女神メト。ヤルカの王を統べ、すべてのものをあるべき場所へと送り届け。あるべき時の流れへと戻す》

 長い杖を少女が地面を叩くように暗闇を置くと、暗闇に波紋が広がり、少女の足元に二つの車輪のついた金色の小さな馬車がでてきた。少女はその馬車の上に乗っていると、ヴィソロゴダンを捕らえている半透明な蔓が馬車と一体化しようと動きだした。

 苦しいのかヴィソロゴダンは呻いて暴れようとしたが、抵抗虚しく、あっさりと馬車に繋がれてしまった。ヴィソロゴダンはよほどそれが精神的に辛かったのかもしれない。全身真っ黒だった髪が一瞬で白く変色してしまったほどだった。

 女神メトはそれでも容赦なく鞭を振るった。ヴィソロゴダンは首を左右に振り、額の辺りを頻りに掻こうとしはじめたが、蔓に邪魔されて手が届かなかった。そうこうしている間に、ヴィソロゴダンの額に五つ目の眼が現われた。はじめは一本の線だったが、その一本の線は上下に開いて金色の瞳が現われた。

 その瞳を見てルーネベリもシュミレットも驚いてしまったほどだ。だが、その瞳の意味を女神メトに問う前に、女神メトは少女の姿から金髪の美しい大人の女性へと姿を変えて、鞭を叩いてヴィソロゴダンを走らせはじめた。

痛みに喘ぎながら白い毛のヴィソロゴダンは馬車を引いて辺りを一度ぐるりとまわってから、もう一度鞭をうけると、一直線に走りはじめた。暗闇を真っすぐにはしっているだけだったが、途中銀色の扉があられ、扉が開いた先へと走って行った。ヴィソロゴダンと再生の女神メトの姿が見えなくなった途端に、銀色の扉はぱたんと閉じた。

「――えっ?」

 途端、ルーネベリたちは落下していることに気づいた。暗い闇中、ルーネベリや、シュミレット、アラやシャウ、バッナスホート、リカ・ネディ、オルシエたちの身体が光もないのにはっきりと見てとれたが、皆が立ったまま垂直に落下していた。どこか捕まるところを探して両手をあちこちに伸ばしてみるが、掴めそうなものはなにひとつなかった。まったくの暗闇の中、まるでその黒の中に溶け浸食されてしまう不気味な感覚にじわじわと恐怖を覚えた。

 ――ここにいてはいけない、七人全員そんな気分に陥ったが、落下する速度はかわらず、止まることもできず。どこへ戻ればいいのかさえもわからなかった。

 暗闇の中に、さらに黒々としたものが下に見えてきた。暗闇よりもさらに黒い世界だ。

《あそこにはけして行ってはいけない》と誰しもが思ったが、思ったところで落下していることには変わらず、しばらく落下してから足先が黒い世界に接したとき、全身に寒気が走ったと思えば、腕に付けていた紫色の小さな珠でつくられた腕輪に亀裂が入り粉々に吹き飛んだ。

 その一瞬、皆は目を閉じていた。そして、目を開いたとき、一面真っ白な世界に立っていた。





 挿絵(By みてみん) 




 先ほどまで真っ暗な世界にいたものだから、ルーネベリは目が眩んでいた。しかし、それはシュミレットやアラたちも同じだった。

 一体何が起こったのかは把握しきれていなかったが、砕けて跡形もなくなった女神からもらった腕輪に救われたのだと思い、今しがた頭に浮かんできた言葉を思い返した。

「異す時の彼の者を添えーー」

 シュミレットがそう呟くと、ルーネベリはくらくらする頭を押さえて言った。

「先生、俺たちはレソフィアを無事に出たということなんですかね」

 シュミレットは首を傾げた。

「頭に浮かんだ言葉が正しいのであれば、君の言う通りレソフィアを出たのだろうね」

 シュミレットとルーネベリがそんな話をしていると、七人の後ろから声が聞こえてきた。いや、話しかけられたというほうがいいだろう。

「君たち、こんなところで何をしているんだ?」

 振り返ると、一際丸い鼻が印象的でややふっくらとした男が立っていた。長い前髪で片目を隠した男は無地の灰色の上着と黒いズボンという地味な装いで、右腕に白い厚手の毛布を抱え、左手にはペンとノートらしき冊子を持っていた。ルーネベリたちだけではなく、シュミレットよりも小柄な男だったが、見た目はルーネベリたちと姿形は瓜二つだった。

 ルーネベリはその男に苦笑った。

「あっ、はじめまして。こんなところで何をしていると言われても……。俺たちはここがどこだかわからないんですよ。ここがどこだかご存じなら教えてもらえませんか?」

 男ははじめぽかんんとした顔をしたが、すぐに軽く頷いた。

「迷い込んできただけなら、はやく帰った方がいい。もうすぐ辺りが暗くなって何も見えなくなる」

「帰るといわれても……。どうやってここへ来たのかわからないので、帰りようもないんですよ。ねぇ、先生」

 ルーネベリにそう言われ、シュミレットは頷いた。すると、男は「そんなこともあるんだな」と笑い、その場に毛布にペンと冊子を置いて左手をルーネベリに差しだした。

「ヒテンだ」

 ルーネベリは差しだされた手に戸惑ったが、それが名と挨拶だとすぐにわかったので、とりあえず男の手を掴んで言った。

「ルーネベリという。仲間とここに来たばかりで困っているんだ。よければ助けてもらえれば助かる」

 男は握られた手をぶんぶんと上下に振った。

「困っているなら放っておけないな。ここは異線の岬だ。その左手に持っている綺麗なものは何だ?」

「えっ?」

 ルーネベリが手元を見下ろすと、ルーネベリは手放したはずの真実の剣を握っていた。



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