六十四章 真実の意味
第六十四章 真実の意味
「考えられる可能性というのはなにかな?」とシュミレット。ルーネベリは言った。
「エートがケンネルたちと同じように、ヴィソロゴダが捕らえておきたいような何らかの理由や関りがあるのではないですか。例えば、ヴィソロゴダンを生んだとされる無名の神などーー」
「無名の神?けれど、無名の神は真実の女神によって滅ぼされたのではないのかな」
「はい。でも、打ち滅ぼされたというだけで、具体的にどのようになったかはわかりませんよね。存在自体を滅ぼしたわけではないのかもしれません」
「なるほどねーーそれでは、君がいうように、仮にエートが無名の神だとしよう。ヴィソロゴダンはなぜ、ケンネルと同じようにエートにも自分自身を攻撃させているのかな」
「そこなんです。俺はヴィソロゴダンの行動がとても不思議だったんですよ。
ヴィソロゴダンは、神に等しい存在として下の庭と平の庭に君臨していますが。どう考えても、それらの場所はヴィソロゴダンにとって快適な場所だといえるでしょうか。一方的に支配しているだけであって、ヴィソロゴダンを嫌う者はいても、崇める者はいません。マトラン以外は恐らく味方とはいえないでしょうね。このような住処も立派といえば立派でしょうが、神のような力を持った者が住むにはあまりにも貧相だと思えます。平の庭の城のほうがずっと立派でしたからね。統治者として君臨するならば、平の庭の城に住んだほうがずっと威厳を示せたでしょう。しかし、実際は皆に敵視され、孤立している。どう考えても物欲の為でもなく、ただ何かに執着しているような……」
「執着しているような?」とシュミレット。ルーネベリははっと息を飲んだ。
「先生……。そうですよ、ヴィソロゴダンは執着しているんですよ」
シュミレットはクスリと笑った。
「ヴィソロゴダンは死者たちに執着しているのかな、でも、それなら、平の庭の人々はどうなるのだろう。彼らは何事もなく世代交代してきたようだよ」
「いや、俺が言いたいのはそういうことではないんですよ」
「どう違うのかな?」
「ヴィソロゴダンは人そのものというよりも、過去に執着しているのではないでしょうか。そう考えると、なにもかも辻褄が合うのかもしれません」
「過去?」
シュミレットは首を傾げた。
ルーネベリは言った。
「ヴィソロゴダンは、彼は過去の出来事しか知らず、過去に執着するあまり彼こそが囚われているのではないでしょうか。人はその時々の状況に翻弄されながらも成功と失敗という経験を繰り返し、ほんのわずかに関わった物事から知識と経験から学び成長していきますよね。ヴィソロゴダンにはそれらがなく、生みの親である神に愛されずに育った。彼の中ではもしかしたら、その時から変われずにいるのかもしれません」
「変われずに……、なるほどね。君の話では、ヴィソロゴダンはかつていた庭と同じような状況を、このレソフィアで再現していたということなのかな」
「そうだと俺は思います。ヴィソロゴダンは常に攻撃の対象とされていた。だからこそ、攻撃の対象として今でもありつづけているのではないでしょうか」
「つまり、ヴィソロゴダンは無名の神が行った行動とまるで瓜二つの行動を取っているという事なのだね。そのうえ、彼自身は攻撃対象という立場のままでいる。彼はなぜそのような行動に……」
蹲っていたエートはぼろぼろと涙を零しはじめたかと思えば、急に立ちあがりルーネベリの元へ詰め寄ってきた。ルーネベリは後退したが、エートは顔を近づけてきた。
「こうなったのは、すべて俺のせいだといいたいのか?俺は人間で、名はエートだ。無名の神じゃない」
エートは自身の胸をとんとんと叩いた。ルーネベリは戸惑いながら「いや」と答えたが、エートは聞いていなかった。
「俺はあの子の父親じゃない。俺はエートで、ケンネルと共にヴィソロゴダンをーー」
「本当にそうかな?君はそう思いたいだけなのではないかな」
「先生!」とルーネベリ。シュミレットは言った。
「ルーネベリの話を聞いて、大方ルーネベリが何を言おうとしているのかがわかってきたよ。エート、君が何者かははっきりとは僕にはわからないけれど、君と無名の神は同じことをしているのだよ」
「同じ事?」とエート。シュミレットは頷いた。
「君も無名の神も、自身の子を愛せないのだよ」
エートは首を横に振り、ルーネベリに向って手を伸ばしたが、ルーネベリはそっとエートから離れてじっとエートの目を見つめた。
「そんな目で見るな!」
エートは頭を抱えて震えだした。
ルーネベリは言った。
「もし、ヴィソロゴダンにはエートと無名の神が同一人物に見えていたなら、もしかしたら訊ねたんじゃないか……」
「『なぜ、愛してくれないのですか』と、君は何度も何度も訊ねられては忘れた。きっと、ヴィソロゴダンが納得のいく言葉を告げなかったからだろうね」
エートは鼻でわった。
「訊ねられた記憶はない」
ルーネベリは言った。
「他の人々は皆、特別な理由もなくただ巻き込まれただけだった。たった一つの答えを求めて、何度もやり直しをーーいや、待てよ……。同じ事をした?もし、そうなら、エートと無名の神が必ずしも同一人物でなくとも、よかったんじゃないか?」
「どういうことかな?」とシュミレット。ルーネベリは言った。
「すみません、俺の考えが間違っていたのかもしれません。先生が仰るように、エートが何者かを知ることは重要ではないのかもしれません。エートが行った行動や振る舞いなどが無名の神と似通っていたとすれば……」
「だとすれば、何かな?」
「エートが子供を愛せず、虐げたているところヴィソロゴダンが目撃し、ヴィソロゴダンは彼自身の過去を思い出したのかもしれません。
ヴィソロゴダンはエートの子供を平の庭の子供と入れ替えた。そして、リンになる子供と、身分の高い家の子供を入れ替えさせ。子供を良い環境から悪い環境へと移されたのだと俺たちは思いましたが。しかし、実際はヴィソロゴダンの思惑とは違っていたのではないでしょうか。
ヴィソロゴダンは酷い扱いを受けるだろう子供を良い環境に移そうとしていた。ところが、やり方が間違っていた。後々、入れ替えられた子供たちがどうなったのかを考えていなかった。根本的問題を解決しなかったために、片方が幸せになったとしても、もう片方が不幸になってしまっていた。結局のところ、何も変わらなかった。ヴィソロゴダンはそのようなことがわからず、何世代に渡って不幸になるだろうと勝手に決めつけて子供を入れ替えた。そして、エートとケンネルに自らを攻撃させて、エートに同じ言葉を訊ねつづけたとすれば、永遠と同じことを繰り返されてきたということになるわけです」
エートは叫んだ。
「俺には子供などいない!」
ルーネベリは首を横に振った。
「実際のところ、その辺りはわからない。すべては仮説だ。ただ、子供がいた可能性は高く、あの少女の父親である可能性はまだ拭いきれない」
エートは頭を抱えて悶えた。
「……名前も知らないのに、生まれたことさえ知らないのに、あの娘が俺の娘であるわけがない」
シュミレットは呆れたようにため息をついてから言った。
「エートがすべての鍵だとして、ルーネベリ、君はどうするつもりなのかな?真実の剣を用いなければ、ヴィソロゴダンを裁くという問題は解決しないよ。けれど、現状況では剣を用いる理由がないように思うのだけれどね。このような状態で君は何をすればいいと考えているのかな」
ルーネベリは頷いた。
「先生、俺は思うんですよ。ヴィソロゴダンを裁いたところで、エートを裁いたところで、それはすべて過去の出来事なので、何の意味もないんですよ。俺たちが幾ら裁こうと、過ちは彼ら本人が自ら気づかなければならない。ところが、彼らはその気づかなければならない時期をとっくに過ぎて、取り返しがつかないところまできてしまっているんです。真実の女神はそのことを俺たちに知らせたかったんでしょうね。俺はこれから、強制的に彼らが気づくべきものを壊します。残酷だと思うかもしれませんが、そこで黙って見ていてもらえませんか?」
「かまわないよ。君の好きなようにするといいよ」
シュミレットが頷くと、ルーネベリは深く頷いて真実の剣の柄を掴みプラチナの鞘を引き抜いた。
ルーネベリはプラチナの剣を眺めながら、真実の女神が言った言葉を思い返していた。なぜだろうか、はっきりと女神は言っていたのだ。
「《真実を前に斬れないものは何一つとして存在しません。けれど、同時に真実のないものは何一つとして斬れないのです》」
「ルーネベリ?」とシュミレットが心配そうに声をかけたが、ルーネベリは鞘を持った左手をあげて「大丈夫です」と答えた。
「まず、俺が壊さなければならないのは真実です」
そう言うと、ルーネベリは剣を掴んだまま戦っているヴィソロゴダンとアラたちの元へ近づいた。
剣と鋭い剣で戦っているアラたちやヴィソロゴダンは少女の次に乱入してきたルーネベリを見ると、鞘の抜き取った真実の剣に目線を移して驚いた顔をしていた。まさか、ルーネベリが戦いに加わるというのかと誰しもが思い、ヴィソロゴダンは唸り声をあげた。
ところが、ルーネベリはヴィソロゴダンには目もくれず、マトランの元へ向かって行った。マトランはちょうどオルシエと剣を交えていたのだが、充血したように真っ赤をマトランはルーネベリに向けたが、口元からはわずかに涎が垂れていた。ヴィソロゴダンに操られて、マトランの意志もなく戦わされているのだ。なんて哀れなのだろうか……。
ルーネベリは大きく剣を振りあげて目を閉じてから振り下ろした。
オルシエが「おい!」と一瞬叫んだ声が聞こえたが、ルーネベリの心の中にはマトランの声が響いてきた。
《――やっぱり、ぼくの待っていた理解者だったーー。この苦痛から解き放ってくれる時をどれほど待ちわびただろうーー。いくら感謝してもしきれない。――ぼくは完全なる死を望んでいた。新しく生まれ変わるために死ななければならなかった。だけど、ぼくはヴィソロゴダンと生にしがみつき共に意味もなく依存し合っていた。矛盾したぼくの存在を消してほしかった。ぼくの本当の居場所である身体に返して欲しかったーーそれがやっと叶う》
すっとマトランの声が消えたのと同時に、ルーネベリが目の前を見ると、斬ったはずのマトランの姿はなかった。
オルシエは目の前で消えたマトランに驚いて周囲を見渡し探したほどだった。だが、最も驚愕していたのはヴィソロゴダンだった。マトランの姿が消えた瞬間、ヴィソロゴダンは取り乱したように喚いてシャウの剣を素手で掴んで刺さったが、まるで気にせずに、そのままマトランがさっきまでいた場所へと滑るように走り、ルーネベリとオルシエを壁際へと払い除けた。それから、床をどんどんと叩いて跡形もなく姿がなくなったマトランを探した。
四つある目から涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「どこだ、どこに行った。マトラン!マトラン!」
我を忘れたかのようにヴィソロゴダンはマトランの名を叫んだが、返事にはなかった。シュミレットが壁際で倒れているシュミレットとオルシエの元へ近づいて言った。
「君は一体、何をしたのかな?」
ルーネベリは小さく笑った。それから、壁に手をついてたちあがった。オルシエも隣で剣を支えに立ちあがっていた。
ルーネベリは言った。
「真実を壊したんです」
シュミレットは首を傾げた。
「その真実の意味を聞いているのだけれどね」
「先生なら、もうわかっていらっしゃると思ったんですが。……ヴィソロゴダンは彼が知る人物の象徴を、実在する人物で補っていたんですよ」
「どういうことかな?」
「無名の神はエート、無名の神が愛した偉大な神はマトランというように。ヴィソロゴダンは無意識かどうかまではわかりませんが、彼の過去を再現しようとした。その理由は単純なことだと気づいたんです。ヴィソロゴダンは親である無名の神の背を見て育った。言い方を変えると、それしか知らなかったんですよ。だからこそ、同じことをしていたんです。いずれにせよ、マトランをヴィソロゴダンから遠ざけなければならなかったんです。彼はヴィソロゴダンにとって唯一の真実なんです」
「真実?」
「やはり、彼だけがすべての真実を知っていたからです」
ヴィソロゴダンは四つの目をルーネベリに向けた。目は血走り、息は荒くなった。
「お前ぇ!」
ヴィソロゴダンはルーネベリに襲い掛かろうとした。ところが、ルーネベリが持っている鞘に納められていないプラチナの美しい刃が見える真実の剣を目にして、ヴィソロゴダンは唸り動きをとめた。
ヴィソロゴダンはその剣が神殺しの剣と知っていたのだろう。一歩たりともルーネベリには近づこうとしなかった。ルーネベリは自身の持つ真実の剣を見下ろし、無名の神は確実に死んだのだと確信した。そして、ルーネベリは言った。
「過去を視て、記憶が消えることもないマトランに同情させ、ずっと傍に繋ぎとめていた。彼の同情を、愛情だと思いたかったんだろう?」
「グゥルルル」
喉を鳴らしてヴィソロゴダンは威嚇していた。ルーネベリは言いつづけた。
「彼がいるかぎり、ヴィソロゴダン、お前は孤独である意味を考えなくてよかったんだ。なぜ孤独であるのかを考えず、孤独から解放されたと思い込んでいた。でも、彼には許された時が過ぎたことに対して思うところがあった。ヴィソロゴダン、お前が本当にマトランを大事に思っているなら、相手の幸せを思い手放す勇気を持たなければいけなかった。けれど、お前は手放すことができず、ただ人々を振り回し、人々に完全なる死を迎えさせないようにした
俺はお前にとっての真実を壊した。だが、まだ嘘は壊していない。真実の剣ではお前がついた最大の嘘を壊すことができない。その嘘を壊すことができるのはお前だけだ、ヴィソロゴダン」
皆がヴィソロゴダンを見たが、ヴィソロゴダンは何も言わなかった。ルーネベリは一歩前に出ると、ヴィソロゴダンは一歩後退した。四つの目が真実の剣を見つめていた。ルーネベリがまた一歩足を進めると、ヴィソロゴダンもまた一歩後退した。ルーネベリは立ち止まり、言った。
「ヴィソロゴダン、お前は神に等しい存在じゃない。すでに神そのものになっていたんだ。そして、お前はそのことに気づいていながら、神ではないとすべての人に思わせてきた。その理由は、ヴィソロゴダン、お前が一番なりたくない者になってしまっていたからじゃないのか?」
ヴィソロゴダンはただ「グゥルルル」と唸っただけだった。
「――俺はこう考えている。真実の女神は自らお前を裁くことができた。ところが、それはしなかった。真実の女神は真実の剣を用いれば、神を殺すことができる。だが、俺のように特別ではない人間にはいくら真実の剣を持つことができたとしても、実際に神を斬ることは恐らくできないのだろう。それにもかかわらず、真実の女神は真実の剣が『神殺しの剣』だとわざわざ教えてくれた。きっとそれは、俺自身を試していたんだ」
「試していた?」と黙って話を聞いていたアラが呟いた。
ルーネベリは言った。
「マトランは俺を理解者と呼んだ。間違いでなければ、俺は彼にとっての理解者だったんだ。でも、俺はヴィソロゴダン、お前にとっての理解者じゃないんだ。お前を殺そうとすれば、俺が死んでいたのかもしれない。――とにかく、ヴィソロゴダン、お前は神として、お前自身が行った過ちを正す時が来たんだ」
ルーネベリは持っていた剣を床に放り投げた。それから両手を上にあげた。
「俺はお前を攻撃したりしない。ヴィソロゴダン、お前はどうする?このまま永遠と同じことを繰り返すか。それとも、本物の愛情をお前に教えてくれる者に出会えるように、お前自身が変わるか?」
ルーネベリは数歩近づいてヴィソロゴダンに手を伸ばした。びくりとヴィソロゴダンは身体を震わせたが、ルーネベリがヴィソロゴダンの胸に手をあてると、ヴィソロゴダンはルーネベリの手を見下ろした。
「本物の愛情……」