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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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六十三章 神宿りの少女



 第六十三章 神宿りの少女





 シュミレットが癖のように指先を弾くと、紫色の塊が静かに砕け散り消え去った。解放された少女はメトリアスの鏡の上に立っていたが、鏡の中には吸い込まれてはいなかった。やはり不思議な鏡だ。

 少女は鏡の外へと足を一歩踏み出して、床を歩き出した。少女の動くその姿をルーネベリやシュミレット、エートが見守っていた。

 少女は周囲を見渡して部屋の中をぐるぐると歩きまわり、そのまま隣の部屋へと向かって行った。真実の剣を握りしめたルーネベリとエートは少女の後ろから追いかけた。

 隣の部屋ではヴィソロゴダンとマトランが、ケンネルやアラ、バッナスホート、シャウ、オルシエと戦っている最中だった。危険な場所だ。ところが、少女が何食わぬ顔で部屋の中を歩きまわりだした。少女の姿が見えているアラたちは少女が前を横切ろうとするたびに、振り下ろした剣を引っ込め、シャウは姿勢を崩して転んでしまった。

 どうやらヴィソロゴダンにも少女の姿が見えているようで、四つある目のうち左側二つが少女の姿を追いかけていた。そして、しばらく様子を見ている間に、少女の姿が見えていないのはケンネルとマトランだということがよくわかった。二人ともまったく少女を避けないので、アラとリカ・ネディがケンネルやマトランの身体を押したり引いたりと上手くかわせていた。

 エートは呟いた。

「ケンネルとマトランは見えていないのか……」

 ルーネベリは頷いた。

「そのようだ……。それに、どうやら、あの子もただ部屋を徘徊しているだけで、会いたがっていたヤルカ飼いの青年を見つけたわけでもなさそうだ」

 後から遅れて隣の部屋からやってきたシュミレットはクスリと笑った。

「そう簡単にはいかないようだね」

 ルーネベリは首を傾げた。

「まったくですね。また振り出しに戻った気がします」

「そうかな?僕は何か見落としがあるのではないかと思うけれどね」とシュミレット。ルーネベリは言った。

「見落としですか?」

「僕らの事はともかく、ケンネルとマトランが見えていないなら、あの少女も見えていないのではないかな」

「見えていない?」

 ルーネベリは隣に立っているエートの方を向いた。

「そういえば、どうして見えているんだろうか……」

「わからない」とエートが首を傾げた。

 ルーネベリは口元に手をあてて、自身の思考を巡らせた。

 ――シュミレットが言うように見落としがあるのだろう。

 『ぼくたちはもう存在してはいけないんだ。許された時はもうとっくに過ぎているんだ』と言ったマトランの言葉がルーネベリの脳裏に浮かんでいた。ケンネル、マトラン、セイレンの三名が異種の子の子孫ではなく、歳月だけが途方もなく経過しているするならば、彼らはもうとっくに絶命していてもおかしくないということになる。つまりは死者ということなのではないだろうか。いや、ケンネルたちだけではない、恐らくは下の庭の人々は死者であるということになる。しかし、そうなると、神宿りという少女という存在は不可解になってくる。死者と死者の間に子が成せるということだろうか……。

 ルーネベリはエートを見て一人呟いた。

「しかし、どう考えても死者だとは思えない……」

「死者?」とエート。ルーネベリは言った。

「あぁ、考え事をしていて、失礼なことを……」

 エートは首を横に振った。

「いや、そんなことは気にしていない!今の話を詳しく話してほしい」

「あー、いや……。まぁ、独り言だと思ってもらえれば……。俺の癖のようなもの……」

 シュミレットが「彼に隠す必要はあるのかな。そろそろ結論を出すべき時ではないかな。何を言ってもかまわないよ。ただし、何を考えているのか、僕らにもわかるように声に出してくれると助かるけれどね」と言った。

 ルーネベリは言った。

「ありがとうございます。そうですね、そろそろ結論を出すときかもしれません。俺は思うんですよーー。この下の庭に来てしばらくしてから聞いた話ですが。赤い砂時計がひっくり返ったとき、下の庭の人々が身体に負った傷が消えるそうです。しかし、それはそもそも、ただの思い込みだったのではないかと」

「えっ」と、エートが声を漏らした。

 ルーネベリはつづけた。

「そもそもケンネルたちは皆、傷を負っても必ず治る状態だった。俺たちと同じ奇力体――いや、肉体がない状態だったからこそ、傷を負っても消える」

「身体はここにあるが……」と、エートは胸を叩いた。シュミレットが言った。

「君は自覚がないだけかもしれないよ。僕らですら肉体から離れているとはまったく感じないからね」

「肉体……。じゃあ、今はどういう状況だ?」

 エートはわけがわからず不安そうな顔をした。

 ルーネベリは言った。 

「俺たちの世界では、奇力体といって、まぁ、詳しくはまだ解明しきれていないが。肉体と違って、奇力体の核さえ問題が起きなければ致命傷を負っても死なないという不可思議な状態を表している」

 エートは自身の胸や頬にぺたぺたと触れた。

「感覚があるのに、肉体じゃない?――それじゃあ、ヤルカとの戦いで亡くなった者たちはどうなったんだ」

「恐らく、最初からヤルカと戦って傷を負ったから亡くなったわけではないと思う」とルーネベリ。エートは驚いた顔をしながら、納得しきれない様子で頷いた。

 ルーネベリは言った。

「エートには気の毒だと思うが。この際はっきり言おう。いつ亡くなったのかはわからないが、もう随分と前に下の庭の人々は皆亡くなっているはずだ」

 エートは胸元をぐっと掴んだ。

「ただ、俺が思うに、肉体は滅んでいないのではないかと……」

 シュミレットが言った。

「そう思うのはなぜかな?」

「エートたちが、恐らく俺や先生たちと似たような状況なのではないかと思うからです。俺たちは奇力体の状態ですが……俺たちは、少なくとも俺は、死んでいるという意識がまるでありません。これはエートたちも同じのはずです」

 エートは頷いた。

 ルーネベリは言った。

「ただ、俺たちとエートたちでは状況が違います。まず、俺たちは今、特別な状況下にあるからこそ、肉体と奇力体が遠く離れているという状況が可能になっているだけです。しかし、エートたちはどうでしょうか。彼らは俺たちのように旅をしている最中ではありませんから、肉体は恐らくレソフィアのどこかにあるはずですが、どれほど長寿であろうと、肉体は寿命に達すれば死に絶えて朽ちてしまうものです。長年、人々を生かしつづけて肉体を保ちつづけるということを果たして神は出来るものなのでしょうかね」

 シュミレットは言った。

「確かにそうだね。自然の摂理としては、生に死は必ずつきものだね。けれどね、神という不思議な存在がいる以上、神の行いによって自然の摂理に矛盾を生じさせることが可能だとすれば、肉体の状態を長年保ちつづけるということも可能となってくると思うけれどね。その点はどう考えているのかな?」

「はい……。俺はやはり神にできることは限られているのではないかと思っています。注視しているのは、下の庭の人々が同じ決まった行動を繰り返しているということです。そして、毎回、彼らの行動は微妙に違っているのではないかと」

「違っている?記憶と同じようにか」とエート。

 ルーネベリは頷いた。

「下の庭の人々とアジトを移転した後、まぁ、同じところをぐるぐるまわって同じ場所に行き着いただけですが。同じ場所に戻ってくると人が増えていて、このヴィソロゴダンの住処内へ着くなり人が減ったんです。ここからは俺の仮説にしか過ぎませんが、あの赤い砂時計がひっくり返った瞬間からアジトの移転が終わるまでの間に、エートたちはゆっくり時間をかけて肉体を取り戻すのではないかなと。まるで別人のようになったのは、ちょうどその頃でしたから、肉体が戻った後に記憶が変わるようになっているの、それとも、何か問題が生じるのかはわかりませんが」

「なるほどね」とシュミレットは片手をくいっとあげて話を促した。

 ルーネベリは頷いて言った。

「そして、ヴィソロゴダンの住処へ向かう途中からどの時点かはわかりませんが、肉体から奇力体が離れる瞬間がやってくるのでしょうね。――以前、俺たちの世界の水の世界で、俺たちが動いた分、肉体も移動させたと言われたことがあるので。このレソフィアでも肉体と奇力体の関係性がとても密であるのであれば、肉体に引っ張られて下の庭の人々の奇力体も移動したと考えられます。ですから、俺は下の庭の人々の肉体が長年保たれているのは、肉体を休眠状態にする時間と活動状態にする時間という二つの時間が存在するからだと思います。しかし、それは自然の摂理に沿おうとしているだけであって、実質的に既に人々が亡くなっているとすれば、都合合わせを行っているに過ぎません。二つの時間を反復するうちに、死者が生きているという大きな矛盾が生じて理が狂っているのかと……」

 エートは言った。

「死者、死者か……。ここへ来る途中で消えた仲間はどこにいる?」

「恐らくはアジトに」

 シュミレットは言った。

「ルーネベリ、それじゃあ君は彼らの肉体は……」

「アジトの下に、眠っているのだと思います」

「下?」エートは目を伏せた。ルーネベリはこっくりと頷いた。

「地面の下でしょうね。アジトには大勢の他に肉体を置いておく場所はなかった」

 エートは呆然とした顔をして、額を撫でた。

「地面の下に眠っているなんて、本当に死者のようだな……。ケンネルと共に消えなかったのは……」

 エートは床を指差して「この下に、肉体が眠っているからか?」と言った。

「恐らくは」とルーネベリは言った途端、エートは全身を震わせた。両手を組み合わせて顔を埋めたエートは言った。

「とっくに死んでいるなら、どうしてここにいるんだ。どうしてヴィソロゴダンと戦おうとしているんだ……」

 ルーネベリは赤い髪を掻きあげた。

「そこが俺にもわからなくて。なぜヴィソロゴダンは既に亡くなっているはずの人々をこの下の庭に留めているのか。ヤルカ飼いに会いたがっている少女は、確か下の庭から神の庭に昇ったとか、どのように生まれたのかーー」


 ルーネベリはふと、アラたちと戦っているヴィソロゴダンの姿を見ていて、ヴィソロゴダンの顔には四つの目があるということに気づいた。初めて会った時から知っていたことだが、「五つ眼開くとき、蘇る」という言葉をシュミレットから聞いて思い出してから無性にひっかかった。

 そういえば、ヴィソロゴダンといえば、平の庭で入れ替えた子供を時々下の庭へ連れ去ったと真実の女神は言っていた。今のところヤルカ飼いと戦っている姿は目撃していない。連れ去られ子供たちは一体……。

「あっ!」とルーネベリは突如大声を出した。

「どうしたのかな?」とシュミレット。

 ルーネベリは興奮した様子でシュミレットに話した。

「先生、俺、もしかしたら半分ほどわかったかもしれません」

 シュミレットはクスリと笑った。

「落ち着いて話してくれるかな?」

「はい。――ただ、途方もない話ですよ」

「毎回言っている気がするけれど、まったくかまわないよ」

「ありがとうございます」

 ヴィソロゴダンとアラたちが戦いっているすぐそばで部屋を歩きまわっている少女をルーネベリは見た。

「あの少女は神宿りの少女ですよね?」

「そうだね」

「彼女の肉体には半分神が宿っているという事ですよね」

「そうだね、何が言いたいのかな?」

「彼女は死者と死者の間に生まれた子供ではなく、死者と生者の間に生まれた子供なんじゃないですか?」

 シュミレットはまたクスリと笑った。

「まったく途方もない話だね。どこから死者の間に生まれた子の話がでてきたのかはさっぱりわからないけれど。とにかく、つづけてくれるかな?」

「はい。俺たちはずっとエートやケンネルたちを生者として見ていましたよね。平の庭から連れ去られた子供たちも同じように生者として思い接していれば、幼い頃からこの下の庭で育ったのであれば、人々の記憶が定期的に変化する環境に順応していたのではないかと」

「順応?」

「子供はか弱いようで、大人よりも環境に適応しやすい。もちろん、馴染めるのかはまた別の問題ですが。平の庭から連れ去られた子供が成人した後……。俺が考えているように、死んでいるはずの人々が肉体に戻る時間が存在するとして、肉体が生者と変わらない状況であれば、子を成すことも可能でしょうね。ただ、下の庭の状況は通常のものとは違うでしょうから。生まれてくる子供も生者同士の間に生まれた通常の子供とはまた異なる矛盾した存在になっているのであれば、神宿りという状況が起こってもある意味ではおかしくはないのかもしれません。半分死んでいて半分生きているという曖昧な状況を何らかの形で女神が補っていると考えればまったく不可能とも言い切れないですからね」

 シュミレットは言った。

「ルーネベリ。君はあの少女の両親が今もこの下の庭にいるといっているのかな?」

「そう思いますが、両親の片方が今も生者のままかはわかりません。俺がアジトにいたときすべての人々と話をしたわけではありませんし。たとえ、話をしたとしてもこの状況では死者か生者なのかは見ただけではわからないでしょうね。ですが……。少女は確か十歳かそこらだったはずですから、十年前に生まれたということが確かだとすれば、この十年以内に亡くなった可能性もありますし。まぁ、色々と考えられることが増えてしまうので、その話についてはここでやめておきますが……ヤルカ飼いの青年というのは、もしかしたら、あの少女の実夫なのではないかと思います。そして……」

 ルーネベリは突然エートを真っすぐ見た。エートはびくりと肩を揺らした。

「ヴィソロゴダンの住処にいるケンネル、マトラン、エートの三人のうちの一人が俺は実夫だと……」

 エートは実夫と聞いてとても動揺していた。まるで記憶にないことを言われたからかはわからないが、エートはしきりに胸元の布を掴んでいた。シュミレットは言った。

「君は一体、三人のうちの誰だと考えているのかな?」

 ルーネベリはエートを見たまま言った。

「最も考えらえるのはーーエート、彼かと」

「少女が見えるからか?」

「いや、それだけじゃあーー」

「違う!父親なんかじゃあない!」

 エートは激しく動揺して首を横にふりつづけた。ルーネベリはエートに両手を向けて「最後まで聞いてくれ」と言ったが、エートは両耳を塞いだ。

「聞きたくない!これ以上はなにもーー。聞きたくない、聞きたくない!」

 耳を塞いだままその場に蹲ったエートに、ルーネベリは思わずため息をついてしまった。なぜ突然、これほどまでに拒絶するのだろうかと……。シュミレットは言った。

「彼が聞きたくなくとも、僕はぜひ聞きたいね。つづけてくれるかな?」

「でも、先生……」

「いいから。問題を解決するには必要な事もあるものだよ。辛くとも、逃げてばかりでは何も解決はしない」

 ルーネベリはまたため息を洩らした。

「わかりました……。俺は今まで話したことを踏まえて、改めてマトランやケンネル、シーナ、いや、セイレンたちの存在について考えたわけです。彼ら三人は真実の女神を見つけるためにレソフィアに送り込まれた。ヴィソロゴダンには彼らをレソフィアに捕らえ、真実の女神を隠しておくつもりだったのでしょう。しかし、エートはどうでしょう。彼は俺が知っている限り、ケンネルの補佐役のような役割をしているようでしたが。なぜ彼だけ他の人々とは違うのでしょう。ヴィソロゴダンの住処に入っても姿を消さず、ケンネルと同様に肉体が住処の下にあるかもしれないと考えられるのか。ヴィソロゴダンはなぜそんなことをしたのか。考えられる一つの可能性は……」










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