五十八章 焚火を囲んで
第五十八章 焚火を囲んで
ルーネベリは言った。
「二人は友人なのか?」
「友人ねぇ……。ガキの頃、ダネリス・バルローが俺の家の庭で倒れていた。怪我はしてなかったんだけどよぉ、名前以外の記憶がないんだっていうんでお袋が介抱してやって、遊びに来ていた坊やが懐いたというか、ダネリス・バルローが坊やに懐いたというかなぁ。ちっと妙だったんだ。鏡のように互いに真似し合っていた。話す言葉も、行動も、気味悪かったなぁ」
「互いの真似を?それは遊びか何かでーー」
「んーどうだかなぁ。行き過ぎた遊びとも言えなくもないけどよぉ。言葉では説明できない何か違和感があったんだよなぁ。お袋は知らない間に二人が仲良くなりすぎただけだと言っていたけど、俺はなぁ……」
リカ・ネディは思うところがあったのだろうが、遠くを見ながら喉を掻いた。ルーネベリは言った。
「それでどうなったんだ、二人は。ずっと互いの真似をし合っていたわけでもないだろう?」
「あぁー、黒夜が来る前にダネリス・バルローは消えちまったんだ。何も言わずにな。恩知らずな奴だろぉ。ダネリス・バルローとはそれっきりだ。知り合いという程、奴の事は知らねぇんだ。
黒夜が終わってから久々に坊やと会った時に、俺が懐かしくなって、坊やに恩知らずのダネリス・バルローの話をしたら、バルローに会ったことをまったく覚えてないっていうんだよなぁ。怖えぇだろ。記憶からすぱっと消えちまっていたんだ」
「記憶から?」
「坊やは俺がからかっていると思っているらしいからなぁ、そのままにしている」
ルーネベリは少し困惑しながらもリカ・ネディに言った。
「二人を知っている人物に会ったことがあるってことは、剛の世界以外の世界にも行ったことがあるのか?」
「俺は一時期、用心棒で稼いでいたからなぁ。ほとんどの世界はまわったなぁ。坊やたちの今の働き口も、俺の昔の伝手経由だなぁ。俺はわりと気前が良いんだぜぇ」
「そうなのか」
「俺は悪い奴ではないからなぁ」とリカ・ネディが笑った。
ルーネベリは半笑いしながら首を傾げて、ごた煮を平らげた。空になった容器を地面に置いた後、気づけば背中にあったはずの真実の剣をルーネベリは両手で握りしめていた。真実の剣は心配事の種でもあるが、なぜか見てしまうのだ。少なくとも、観賞する価値はあるほど美しい剣だ。焚火の光が踊るように照らすプラチナの剣に映るルーネベリ、身体を起こしたのか、リカ・ネディの顔が小さくプラチナの剣に映り込んでいた。
ルーネベリが顔をあげてプラチナの剣を見ているリカ・ネディに言った。
「この剣が欲しいか?」
リカ・ネディは赤い瞳をルーネベリに向けて「いらね」と短く否定した。
「どうして?」とルーネベリが問うと、リカ・ネディは言った。
「その剣は知ってんだよ。いくら力があっても技術があっても、ただ剣を振うだけの持ち主なんざ、何の役にも立たないってなぁ」
「えっ?」
「剣は何の為にこの世に存在すると思う?」
「それは……」
「大切なものを守るためだぁ。なにも守れねぇ剣は欲にまみれるだけだぁ。人の欲は地の底より深く醜いもんだ。醜いものにされちまった剣は哀れだ。――真実の剣なんてつくぐらいだぁ、その剣は清く正しくありたいんだろうよ。持ち主を選ぶ立派な意志を持った剣だ。その剣を与えられたことに自信を持て。簡単に誰かに託そうとは思うなよぉ。その剣はお前がいいんだ、お前じゃなきゃ駄目なんだよぉ」
「意志を持った剣……」
ルーネベリは剣に目線を落した。
ルーネベリはリカ・ネディの言うようには考えられなかった。剣を与えられたのは誰かの身代わりだとしか思えないが、もしも、真実の剣に意志があるのであれば、ルーネベリ自身がその意志に沿わなければならないのではないか、それが果たしてできるのだろうかと悪い方向にばかり考えてしまう。真実の剣を持つようになってから、なぜこれほどまで心が掻き乱されてしまうのだろうか……。要するに自信がまるで持てないのだ。ルーネベリは賢者シュミレットがいなければ何もできない幼子ではない。一人前の学者だ。シュミレットがいない時も、これまでも一人で何でもこなしてきたのだ。シュミレットだってそうだ。これまで一人で危険を搔い潜ってきた。今回だってなんとかできるはずだ。それなのに、今は慣れない剣を預けられただけで、シュミレットを見失っただけで動揺しつづけている。ルーネベリはまさかと思いながらも言った。
「リカ・ネディ。聞きたいんだが、意志を持った剣は人や動物の心というか、思考を操ったりすると思うか?」
リカ・ネディは噴き出して笑った。
「リカでいい。そういう剣もあるかもしれねぇな。世界は広いからな。ルーネベリ、お前は剣に操られている感じがするのか?」
「いいや。ただ、精神的に参っているし。アジトが襲われたときにこの剣を持っていると、黒いヤルカが俺に話しかけてきたんだ」
「あのヤルカどもは喋るのか。俺は涎を垂らして唸ったり吠えている奴しか見てねぇよ」
「そうか。俺は話しかけられたんだ。『ねおたい』と言っていた」
「ねおたい?ねむたい?」
リカ・ネディにルーネベリは首を横に振った。
「わからない。近づいたら、急に目が赤く光って襲い掛かってきたんだ。シャウに助けられて……」
突然、ぱっとリカ・ネディが後ろを振り返った。ルーネベリも振り返ると、見覚えのある女性が近くに立っていた。ばつが悪そうな顔が焚火の明かりでうっすらと見えた。女性はアジトまで誘導してくれたあの緑の髪の女性だった。
リカ・ネディは言った。
「驚いたなぁ。気配に気づかなかった……」
「ごめんなさい。戦いの後、ヤルカを巣に帰してアジトに戻ってきたら皆先に休んでしまっていて、眠れなくて一人で散歩していたらあなた達の姿が見えたんです。驚かせようと思って、足音を立てずに近づきました。話を盗み聞きするつもりはなかったんです」
いつから話を聞かれていたのかはわかないが、聞かれて困るような重要な話はこれといってしていなかっただろう。ルーネベリは言った。
「あぁ、そうだったんですか。よければこっちに来て座りませんか。そこでは暗いでしょう」
緑の髪の女性は「ご一緒していいですか?」と言いながらリカ・ネディの方を向いた、リカ・ネディはもちろんと答える代わりに肩をすくめた。すると、緑の髪の女性は大喜びしてルーネベリとリカ・ネディーが囲んでいる焚火の前に座り込んだ。
リカ・ネディはまた身体を横たわらせてから言った。
「お嬢さん、戦いの後だっていうのに元気だなぁ」
「私はヤルカ飼いのシルです。お嬢さんじゃなくて、シルって呼んでください。そのほうが嬉しいです」
リカ・ネディは黙って頷いた。緑の髪のシルは緊張しているのか、両足を抱えて座り直した。ルーネベリは何を言えばいいのか悩みながらも言った。
「どこから話を聞いていました?」
「ヤルカの話からです。好きな子の話はよく聞こえるんです」
頷いたルーネベリはもう一度簡単に何があったのかをシルに話した。シルは大抵の話がわかったようで、にっこり微笑んで言った。
「誤解されています。きっと、ネオタイはその子の名前です」
「名前?」とルーネベリ。シルは言った。
「名前を名乗ったのも、目が赤く光ったのも、襲い掛かってきたように見えたのも、全部ヤルカの愛情表現なんです」
「愛情表現?」
「はい、愛情表現です」
ルーネベリはそんなこととはつい知らず、愛情表現をしていただけだというヤルカを、ルーネベリを助けようとしたシャウによって刺し倒したことを思い出して青ざめた。
シルは言った。
「その子を傷つけたのは、砂時計がひっくり変える前の出来事ですか?」
「確か、そうだったような……」
「まだその子生きているかもしれません。ヤルカは頑丈ですから」
「てっきり、襲われるかと思って、それがまさか全くの誤解だったなんて……。無事ならいいんですが」
口元を手で覆ったルーネベリにシルは微笑んだ。
「心配してくれて嬉しいです。ヤルカは誤解されやすい生き物なんです。狂暴のようで、とても寂しがり屋で。愛情表現が過剰で。親しくなると、とっても愛おしいんです。次にネオタイに会ったら、今度は名前を呼んであげてください。きっと、いいお友達になってくれるはずです」
ルーネベリは頷いた。
「また会うことができたら、そうします。悪いことをしてしまった」
「あの子たちも不器用ですから。挨拶も何もなく、急に名前を言われてもすぐには理解できない気持ちはわかります。私たちだって言葉が足りなくて、誤解をし合う事はよくありますよね。――次にネオタイに会った時の為に、ヤルカのことはなんでも聞いてください。私はヤルカ飼いです。ヤルカのことならほとんどのことを知っています」
胸に手をあて自信たっぷりにそう言ったシルにルーネベリは遠慮なくヤルカについての質問を幾つかしてから、しばらく会話をつづけた。
辺りが少し明るくなってきた頃、シルはルーネベリとリカ・ネディが平らげた空の容器二つを持って自身のテントに戻って行った。少し休んだら、いつでも出られるように準備するためだそうだ。そして、入れ替わるようにエートがやってきた。焚火の火はもう小さくなっていた。いつ消えてもおかしくなかった。奇力体では眠気はあっても、心底眠りたいとは思わなかった。疲れてはいなかった。このままここにいても暇を持て余すだけだと思ったリカ・ネディは身体を起して、ルーネベリと共にエートに案内されてケンネルのテントへと向かった。
途中、アラとオルシエを見かけたが、二人はアジトの人間三人と何やら話をしていた。シャウの姿は見えなかった。まだ戻っていないようだ。大丈夫だろうか……。
エートに案内され入ったケンネルのテントは、ルーネベリははじめに入ったテントとそう変わりはなかった。皮のテントで、幾重にも重ねた毛布があるだけの質素なものだ。恐らく、他のどのテントも同じ作りなのかもしれない。しかし、ケンネルのテントにはパンパンに張った皮の袋が二つもあった。ケンネルの私物だろう。
たった数時間休んだ程度ではケンネルの顔色は良くはなっていなかった。ケンネルは辛そうにしながら毛布の上に座り、上半身は何も着ておらず、肩から上着を羽織っていた。胸元にあるはずの傷跡は一つもなかった。ただ、昔負ったのだろう直線の傷跡がいくつか残ってはいた。
ケンネルはルーネベリとリカ・ネディに座るように促してから、エートがケンネルの右隣に座った。エートはケンネルの羽織っている上着を取り、皮の袋からくしゃくしゃの服を取りだして、丁寧に皺を伸ばしながら服を着るのを手伝った。ケンネルは息を切らしながらなんとか服を着ると、ルーネベリとリカ・ネディに言った。
「女神様の使者方よ、わざわざテントまで出向いてもらって申し訳ない。私には会いに行く力ももう残っていない。まともに立つともままならず、身も心もぼろぼろだ」
ルーネベリは気の毒に思いながら言った。
「もう少し休んだ方がいいのでは?」
「猶予を与えてもらい、心から感謝をしています。しかし、回復を待っている時間はもうない。ヴィソロゴダンと最後に対峙する時が迫っています。最後の瞬間まで私は皆に希望を与えつづけなければならない。休みつづけているわけにはいかない……」
ケンネルは胸元の布をぐっと掴んだ。
皆に称賛される輝かしい使命感に囚われているのではなく、何もかもを無抵抗に受け入れているようだった。「最後の瞬間」と聞いて、ヴィソロゴダンと刺し違えるもりなのか、アジトの人々を守る為なのかはわからないが、ケンネルは自らが死ぬとわかりながらも、それでも受け入れてその道へ進もうとしているのではないかとルーネベリは思った。ケンネルはまだ若いというのに、まるで選択肢が一つしかないように考えているようだった。
ルーネベリは思わず言った。
「他の道はないんですか?」
エートがルーネベリを見たが、ケンネルは諦めきった様子で半ば笑った。
「人にはそれぞれ役割がある。私は女神様の使者が剣を持ってあの忌まわしいヴィソロゴダンを討つ手助けをするだけでーー。仲間を励まし、仲間を導くだけでーー。それらをすべて終わらせれば絶命する。それが私の運命だ」
ルーネベリは首を傾げた。
「それは果たして、運命でしょうかね。間違っているとーー俺はそう思う」
ヴィソロゴダンの住処へ行き、戦ってヴィソロゴダンを罰する。単純な話だ。けれど、多くの犠牲者を出して、何の為に戦い罰するのか、狂った運命を正すということは多くの犠牲を払い、自由を得るということだけなのだろうか。もし、そうならば、真実の剣を剣の腕の立つ者が用いてヴィソロゴダンを倒せばいい。それはルーネベリが何度も思ってきたことだ。残酷な支配者を引きずり下ろして、良き支配者を立てればいい。しかし、肝心の剣はルーネベリの手元にある。もしかしたら、最初から何か根本的に間違っているのではないだろうか……。何か核心に近づいた気がしたが、まだ何もわからなかった。
ケンネルが言った。
「私は予言者の子にして英雄の子の子孫。下の庭で起こる未来の一部を視ることができる。残酷な未来を……。父も同じ力を持っていた。祖父も、曾祖父も。皆、予知した通りに絶命していきました。私も最後の瞬間を視ました。変えようがない未来を視ました」
エートは俯いた。恐らく何度も繰り返し、ケンネルは死の瞬間を予言してきたということなのだろう。けれど、ルーネベリは思ったことをそのまま口に出して言った。
「変えようがない未来などあるのだろうか。こう、なんといえばいいのか、――そうだ、流れが変わることもあるんじゃないか。事実、俺たちがの下の庭へやってきたのも、そういった流れの一つなんじゃないだろうか。必要な通過点さえ踏めば、次への流れが生まれる」
ルーネベリはすっかり口調が崩れ、独り言のように話しつづけた。
「つまり、真実の女神が解放された後から、未来も変わったんじゃないか?俺は予知のことはわからない。だが、腑に落ちないことがある。ケンネルは俺たちに助けられることをわかっていたなら、どうしてその事を俺たちに伝えるようにしなかったのかだ。もしも、未来が変わっていないのであれば、俺たちがやってくるタイミングもわかっていたはずだろうから、命が助かるとわかっていたら、どういう風にすれば負傷したケンネルとエートが助かるのかを仲間に伝えるなどして準備をしていたんじゃないか?」
話を聞いていたエートが顔をあげて、ケンネルに言った。
「ケンネル、お前は女神様の使者がやって来ることや、ヴィソロゴダンの城からの脱出準備をするように皆に言っていたが、助けられるという予知はしていなかった。あの場所で死ぬかもしれないとしか言わなかった。お前の身体にヴィソロゴダンの爪が突き刺さった時、心底恐ろしくてたまらなかった。お前は心配させないように、助かると知っていたら話してくれていただろう」
ケンネルは束の間、ぼんやりとしてから両手に顔を埋めた。それから顔をあげて言った。
「未来が変わった?どこから?」
ルーネベリはケンネルに言った。
「それはちょっとわからないが、絶命の瞬間を予知した時に何が視えたかを教えてほしい」
「赤い空……。そこは外で、ヤルカの背に揺られながら……」
「アジトへ帰るまでの出来事じゃないか?」とエートは興奮して言った。ケンネルは首を横に振った。
「わからない、予知は断片なものの連続だ」
エートは半ば立ち上がり、言った。
「きっと、そうだ。お前は死を避けられたんだ。死ななくていいんだ」
ケンネルはエートを見上げた。
「――でも、私の予知は外れたことがない。これからヴィソロゴダンを討ちに行った帰りかもしれない」
「不吉な予知を外れて欲しいと思わないのか?」
「思う」
「じゃあ、嘘でもいいから三つ目の未来があるかもしれないと、考えてみてくれ。お前に死んで欲しくない」
「三つ目?ちょっと待ってくれ、二つ目の未来もあるのか」とルーネベリ。エートは言った。
「昔、アジトにセイレンという女の子がいたんです。その子はケンネルとは違う未来が視えると言っていました」